日々雑感

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仏壇は粗大ゴミ7-28

2011年09月22日 | Weblog
仏壇は粗大ゴミ


長女と次女、上二人が 2歳違い、二女と三女は10歳離れている。これは思案の長さとこだわりを意味する。
二女は私が帰ってくるのを待っていたようにして生まれた。私はそれまで九州に出張してい1週間ほど家をあけていた 。
出発するときに、ひょっとすると出張中に生まれるかもしれない、とは思ったが、長女を生んだときの妻の様子からすると、今度の出産も安産だろうと確信していたので、何の心配もないと思ったが、念のため、途中宮崎県にある鵜戸神宮へお参りし、安産祈願はしておいた。
自宅へ着いたのが夜11時過ぎだっただろうか、家族と談笑していると急に妻がおかしいと言い出した。すわっとすぐ近くのかかりつけの産院に飛び込んだが、案の定、1時間ほどで産室から赤坊のなき声が聞こえてきた。
「おめでとうございます。元気な女の赤ちゃんで」。
ドアを開けて産婆さんはそういった。
「また女が。鵜戸神宮の神さんは確かに安産で簡単にはしてくださるが、男の子という強い願いは聞いてくださらなかった。
「そういえば1番下の妹が生まれたときも、私は小学校の修学旅行で鵜戸神宮にお参りし安産のお札を下げてきたな」
私は心の中で呟いた。二人とも女。私は子供の運が悪いと思った。

女房には、また女かといった程度で、それ以上の感情をあらわにはしなかった。
女房とて思いは同じで男の子だったろうが、裏切られた感情は持っていただろう。
なによりも心配になったのは、自分の力で、この二人を世間に恥じないように、結婚させることができるだろうかという心配であった。
これで次に女の子が生まれた一体どうなるか。
娘3人いたら家がつぶれると昔からよく言われている。
つぶれるような家すら持っていない借家住まいでは、心もとない事このうえない。
こうして4,5年が過ぎたが、二人の子持ちでは何か物足りないものを感じて、私たち夫婦の話題は三人目の子供特に男の子に集中した。
「男の子、女の子の産み分け方 」なる書物を買ってきて、男の子を生むための条件をノートに書き出し、それを忠実に守って実行することを手始めに、男の子のためのあらゆる努力を惜しまなかった。
ネズミの尿までは試さなかったが、それに近いようなことはやった。
妻は目覚めに基礎体温を図り克明にグラフにつけていた。
そして今日だと狙いを定めて鉄砲をうってみた。正しく命中。
後は生まれるのを待つばかり。妻のお腹は日を追って目立ってきた。

予定日より早かったが、病院に入院した。入院して3日たった日の午前6時電話が鳴った。
待ちに待った男の子か。受話器をとるのが恐ろしかった。受話器を耳に当てると、
「御主人ですね。今朝3時にお嬢ちゃんが生まれました。お母さんも元気です。真夜中の電話で起こすのも迷惑かと思って、今電話させてもらいました。それでは」。  がちゃん。
私は言葉もなくその場にへたり込んだ。病院へ妻の見舞いに行く気にもなれなかった。
「畜生、何たることか。いったいどうしようというのか。3人娘で三人とも嫁にやったら
一体どうなるのだ。仏壇は誰が受け継いで守っていくのか。ご先祖さん。申し訳ないが、ひょっとすると、仏壇は粗大ゴミになるかもしれませんぜ。だから男の子くれとあれほど朝晩お願いしたではありませんか。願いを聞いてくれなかったあなた達が悪いのですよ。」
私は仏壇に向かってご先祖さんをなじった。
いくら気を鎮めようとしても、こみあげてくる憤りは抑えきれない。妻の顔を見るなり
「お前、畜生腹が。また女やないか。」
妻はベッドに体を横たえたまま、わっと泣く。6人の大部屋だが、人目もはばからずに大声でけんかして挙げ句の果てには私は
「あんな娘、どこかへやってしまえ」と捨て台詞を残して足早に病室を出た。
子供は未熟児で出産時の不手際も重なって特別の保育器に入っているという 。
気が落ち着いて父子対面したのは 1週間ほどたった後のことである。

あれから4年の歳月が流れた。今では三女は目に入れても痛くないほど可愛い。いくら年頃になったといっても、今の気持ちではとても他人の手などには渡せない。
4年前のあの産室での会話や出来事は今の気持ちからすると嘘みたいである。
夜の帰りが遅いので、子供と共に夕食をすることはないが、毎晩、彼女らの寝顔を見てから床につく。

子供に対する親の情は何物にも代えがたい。それは人間の本能なのだろう。男の子、女の子、どちらでもいい。男の子だったら幸せで、女の子をだったら不幸せ、なんて図式をよくもまあ考えたもんだと、私は今更ながら自分の強いこだわりに呆れている。ただ世間並みに育て上げるには、僕の現在の力ではっと、大きな不安を感じたのだった。跡継ぎがいないというのは落ち着かないものである。それに3人はそれぞれ長男に嫁いだ。我が家の跡継ぎは絶望的。先祖さんにはすまないと思っている。
ある人が私達夫婦を叱った。
「男、女は贅沢だ。丈夫な赤ちゃんだったらいうことはない。」
という言葉が今も胸に響く。
しかり。そのとうり。
悩んだってどうせ人生は思うようにはならない。跡継ぎがいないから、ご先祖さんのお守りはできない。ご先祖さんの居場所・仏壇は僕らがいなくなったら、粗大ゴミになることだけは間違いなさそうだ。これだけが気にかかる。


















津波

2011年09月22日 | Weblog
津波

昨日開かれた原子力会議に、津波に関する世界的権威と言われる東北大の元教授が講演 された。要約すると、
津波を想定しない原子力発電の安全などはあり得ない 。以前から津波に関する警告をしたが原子力関係者は誰も耳を貸さなかった。今回の事故は地震じゃなくて津波によるところが大きい。

講演を聴いた原子力関係者は、原子力だけに目がいってその部分の安全には目を配ったが、津波についてはまるで想定していなかった。完全な盲点であったと反省した。

大切な専門知識がうまく統合総合されていなかったことが、重大な結果を招いた。
地震は言うに及ばず津波対策も重要である。が、まだ人間の知恵から欠落している「想定外」の部分があるかも知れない。
やはり人間が完全にコントロール下においていない原子力は制御面で心配が残る。だから卒原発、それも自然エネルギーの利用に向けて、積極的に研究開発していくのが望ましい。詳しくは知らないが、海底資源には ガス発電の有力な燃料物質があるそうだ。 太陽光、風力などしか知らなかったので、燃える氷 の話を聞いて脱原発は割りに速く実現できるのではないかと夢が広がった。