日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

良い歌と悪い歌

2014年02月13日 | Weblog

良い歌と悪い歌

歌は個人の好みによって、その良し悪しを決められる。
とは言うものの一般的に良い歌と悪い歌というものがある。
そこで自分なりに考えてみるのだが、良い歌とはその歌を歌えばプラス感情が湧き起こってくるもので、気分を明るくし健康になるような感じの歌である。
その要件は、
1、すぐ覚えられる曲である。例えば起承転結がハッキリしていて、同じ又は似たようなメロディーが繰り返されている。 1曲の中に4分の3はほぼ同じメロディーである。例えば、形式がA_A'_B_A'のようなものである。
2、声域の範囲内に音域があること。力まなくても自然に声を出すことができる。
などの要素が大切である。

では悪い(よくない)歌とは
1、音群(普通は4小節)がABCD、、、といったぐあいに同じメロディーの繰り返しがなくた転々と移り変わっていく
2、口ずさむとマイナス感情を呼び起こすもの。
3、不快な音程をつかっている、あるいは含まれている。
4、音域が声域よりも広い。したがって声を出すことが非常に難しい歌。
5、テンポがスローすぎたり早すぎたりすると体がついていけない。
などが考えられる。こーゆー視点から今歌われている歌は良い歌か悪い歌かを僕は判断している。

9-19小さなおうち

2014年02月12日 | Weblog
小さなおうち


直木賞受賞のベストセラーの映画化。それは、日本の昭和の始めから孫の代までの一市民の素朴な生き方を映画に描いたもので山田洋次監督の作品である。
昭和の初期、戦前の人々の暮らしぶりが描かれていて、戦前の記憶が残っている私には全編を貫く山田監督の叙情性が懐かしく、また自然の風景や母の姿と重なって胸にじーんと来た。

特段の反戦映画では無いけれども、厭戦気分というのが率直な鑑賞の感想である。
今から考えてみると無謀極まる戦争によって、内外を含めてどれだけ多くの命が無駄に失われたか。どれほど多くの人間に苦痛を与えたか。
国を守るとか、戦争に勝つとかと言う大義の下に、国民は総動員され、ささやかな暮らしさえも奪われていたのだ。
神風が吹くとか、大和魂とか、そんな当てにならないものを信じて、世界を相手に戦争するなんて、勝負は初めから決まっている。
一国のリーダーであるならば、その辺のことをよく考えて外交交渉をするべきだった。やる気だけの精神論ではどうにもならない。現実的な物資や兵器の裏付けや技術などがあってこそ初めて戦えるのである。
当時は空論に過ぎない精神論がまかり通っていた。今から考えると非現実的なことおびただしい。その辺のことは国のリーダーとして例え軍人といえども、分かっていなかったはずはないのだが、、、、。そして
そこで多くの人を死に追いやるという悲劇が起こる。
トップの軍人は戦争犯罪者として死刑になる。それは当然である。
小さなお家のおばあさんの一生涯の回想録によって僕が行き着いた結論はこーゆーところだった。

派遣法改正

2014年02月11日 | Weblog
派遣法改正

新しい制度では時間の制限なく、派遣社員に任せていい仕事が、 26日専門業種から全ての領域と広がる。
同じ仕事を漫然と続けるより、 3年ごとに新しい仕事に能力を磨き、キャリアアップに結びつけるほうがいいという考え方だ
これに対し労働組合や野党などは紹介派遣で低賃金の労働者を増やすことを批判する
そうであれば派遣会社が新たな仕事を紹介するために給料が下がってしまうようなキャリアダウンを防ぐ工夫が必要である

問題は新しい規制が労働者にプラスに働くかどうかな 。デメリットのみを考えるだけじゃなくて、メリットも十分考えないとバランスを欠くことになるが、思いつくのは
賃金は安く身分は不安定になる。労働組合や野党は生涯派遣で低賃金の労働者を増やすとの見方以上には思いつかない。行き着く先は危惧していることが現実になるのではないだろうかという恐れだ
僕は基本的労働形態は正社員が大半を占めて、臨時に派遣社員を活用するのが、いろんな面から考えて妥当だと思う。

これまでは派遣を受ける側が労働者の質より料金の安さを優先させる中、 8万3,000近くの保険会社が乱立し、派遣料金の値下げ競争が起きていた

改正案では届けたでだけで派遣会社を設立できた制度を廃止全て許可制にする。数を絞ることで派遣会社の交渉力が上がり、労働者の処遇改善に結びつくところまで進むかどうかが焦点だ。
こういう論点よりもっと大きい要素は、人材不足がおきて企業が人で不足で悩むような時代が来るほうがこれらの問題の早期解決につながるだろう。

失われた年金記録

2014年02月10日 | Weblog
失われた年金記録

「1年間できれいに整理して解決する」と当時の厚生大臣がきっぱり言ったのに、
未だに2,000万件以上の年金が、誰のものか不明であると言う。
国を挙げての大掛かりな年金探しも未だに1,000万件単位が不明で解明されていない。

僕は二件年金喪失の目にあっている。一見は片付いたが、これを解決するのに、 3年ほどかかった。その間3年間に該当なしの葉書を4枚受け取った。
これは今から50年昔の件だから、自宅のアルバムにその片鱗が残っていないかと思いついて、関係するアルバムを年金機構に送ったら、やっと年金が見つかったとして1件が解決した。
後の1件は目下調査中である。これは地域の社会保険事務所の調査では不明ということで、第三者委員会に届を出している。
当時の会社名、所在地、職種などははっきりしているので分かりそうなものだが、役所と言う所はどうも簡単にはいかないらしい。あと何年かかることやら。こんな仕事振りでは3,000万件を解明することは、ほとんど不可能に近い。
大見得を切った大臣は不明を恥じているだろうか。
大臣とはいうものの 、なべて政治家というのは信用の置けない人物が多い。

2014年02月09日 | Weblog


地下鉄で6人がけの座席が珍しく女性ばかりが並んだ。左端から右端まで、順番に眺めたが、どれ1つとして同じ顔がない。丸い豊かな顔から細面のキツネ顔まで微妙に違う。そして面の違いだけではなく顔のパーツがこれまた違う。もう少し鼻が下向きだったら、鼻の穴まで見えなくてもよいものを。目と鼻、眉、唇など一人ひとり微妙に違う。

いったいこの顔は誰が作ったのか。人工的にこれだけ精巧で微妙に違い、またパーツの配置が微妙に違ってできるものだろうか。作者はきっと神様である。

似た感じ、イメージの似た人はいても、同一人は地球上唯一の存在である。生物のパーツを決める原因とか差ができる自然の法則など一切知らないが、顔は個人を表す代表的象徴だ。この顔にそれぞれ個性がある。
その美醜は自分以外の人の美的感覚だ。

顔をあげると向かい側の席の若い女が微かに微笑んだ。
何が面白いのか。 1人笑いなんだ。僕もつられ笑いで頬が緩んだ。


童謡

2014年02月08日 | Weblog
童謡

童謡と言うものは3世代も4世代にも共通するものであってほしい。
時代と言う風雪にさらされて、なお歌いつがれる童謡のいくつかの名曲は永遠不滅であれと願う。
例えば  お正月、はとぽっぽ、春よ来い、桜さくら、めだかの学校、金太郎、どんぐりコロコロ、こいのぼり、ウサギとカメ、桃太郎、むすんでひらいて、春が来た。など。
少なくとも私の世代、子どもの世代、孫の世代までは伝承されるものが何曲かある。
こういう事は同世代でも共通して歌えるというメリットがあり、そしてそれぞれの歌が幼き日に歌った記憶と結びついている。
歌い継がれる名曲の作者は作詞も作曲も当代を代表するような作家によって作られたものばかりである。童謡こそ心の故郷である。


疎遠

2014年02月07日 | Weblog

疎遠

何事でもそうだが、遠ざかれば疎遠になる。
僕にとって歌と疎遠になることは最も困ることである。常に頭の中で,音名でメロディーを鳴らしていないで、音に疎遠になると,頭の中の操作ができなくなる。それは作曲できないというところに行き着いてしまうから、聞こえようが聞こえまいが、常にことを意識して音に触れるように努めている。

同様のことが詞ついても言える。言葉から離れて疎遠になると言葉が浮かんでこない。思いつくままに言葉を口にしてはみるものの、語彙不足は否めない。
だから意識的にも無意識的にも言葉にふれるように努めている。
以上のような塩梅で、ものごとに疎遠になることには気をつけなければならない。
特に物事に触れることが疎ましく、何事も面倒臭く興味も関心も示さないようになる年頃においては。

退潮が気になる

2014年02月06日 | Weblog
退潮が気になる

従軍慰安婦についての発言には、物の道理を考えれば現実論だと思う。だが一方では何か受け入れがたい気分になる。おそらく感情が受け入れないのだろう。男性でもこうだから女性ならばなおさらのことである。
こうした発言を境にして彼の人気には翳りが、見えてきた。

っ張ることがあったなら、それは国家的損失である。
なんとしても、もっと大きな舞台に席を移して活躍してもらいたいものである。

10-38春よ来い

2014年02月05日 | Weblog
春よ来い

春は早く来てほしい。待ちどうしい。
冬の終わりなんて、もう早春だ。
三寒四温を経て春は近づいてくるが、自然界の動植物がちゃんと春が来るのを知っている。

特に植物は皆敏感に春が来るのを表す。よく観察すると、かすかな陽光のぬくもりを受けて、微かに緑の新芽をのぞかせている。
三寒があると春まだ遠いと人は思うが、人の思いよりも早くまたは遅く、木や草はちゃんと春の訪れをキャッチして、春の受け入れ体制を作っている。

そんな自然界の衣替えにも影響されて一足先に心は春景色に染まる。春は長い方が良いなぁ。一年で良い1番良い季節だから。


節分

2014年02月04日 | Weblog
節分

2月3日は節分である。暦によると今日から今年の運勢が始まる。連綿と続いたこの行事で寺や神社は賑わいを見せている。
現在は去年祈願をかけたお礼やお守りを寺や神社に返す習わしがある。うまくできていて、 1年と言う期限を切って、回転するところが面白い。
寺や神社では豆まきをするところがある。たいていは有名人が招かれて、豆をまくとお参りにきた善男善女がワット拾いに走る。境内には露店が出て鬼のお面やたこ焼きや厄除け饅頭などを売っている。
自分の運勢を暦で見ると真っ黒の星である。早速厄除けのお札を買う。家に持って帰り、台所に祀ってある三宝荒神さんの横に建てておく。
夜は言い伝えに従って、東北東に向いて恵方の太巻きの丸かじり。一気に食べたので喉につかえた。お茶を飲んで口に入れた太巻きを胃へ落とす。
正月と違って福笹は関係ない。今年は黒星の災難除けをしたので何かほっとする。
今日のように晴れて暖かいと、もうそこには春が来ている。

知と情

2014年02月03日 | Weblog

知と情

橋本市長が言う従軍慰安婦についての見解は僕は知的な方面から考えると、全く同感で、現実であると思う。しかし韓国が馬鹿のひとつ覚えのように従軍慰安婦ついて主張することはちゃんちゃらおかしい。
ベトナム戦争に参加した韓国軍30万の行動をよく見て、ものをいったらどうかと反論したい。
戦争には従軍慰安婦つきものであるというのが世界共通の見方である。それが現実である。にもかかわらず橋本氏が世界的に批判を受けたのはなぜか。

それは感情的な反発にによる批判だと思う。いくら正しいことだとわかっていても、情的には受け入れられないことがある。従軍慰安婦はその典型である。だから現実的に正しいことだと主張ても、批判が起こるのだ。それは知的、感情的、いずれかの受け止め方の問題である。

赤ちゃんポスト

2014年02月02日 | Weblog
赤ちゃんポスト

安部総理は、ポスト設置に反対した。理由は設置するとモラル低下を起こすという理由だったと思う。
10年ほどたってポスト設置によってどれだけ、命が救われたか。中には生まれた直後は赤ちゃんポストに入れたが、状況が改善されて預けた子供を引き取りに来た例もある。
ポストという施設がなければおそらく消されていた命が、ポストのおかげで救われたのである。安部さんが懸念したモラル破壊は起こったか。現実には起こっていない。結果からすると、彼の判断は間違っていた。国民の命に心配りが足りなかったのだ。生命の畏敬という哲学が足りなかったのだ。
ここに命と向き合う基本姿勢がある。一国の総理たるもの、どんな理由があろうとも一人ひとりの命を支えていく、責任がるのではないか。国のリーダーが国民の命を大切にしないならば、リーダーたる資格はないと思う。

赤ちゃんポストを設置された当事者、それをバックアップした熊本県。地味だが心温まる話を提供してくれた。命の大切さとはこういうものだと、行動でもって教えてくれた。

日テレが近頃これに関するドラマを作り、全スポンサーが下りるという事態がおこった
奥深いところが何もわかっていないで、話題性に目をつけて、反発を食らう浅薄なドラマを作り上げて、批判を浴びて、内容変更するという事態になっている。物言いがついて内容を変更して続けるというのは、どうかと思う。テレビ局の企画が社会に受け入れてられない証拠である。 これもまた生命への畏敬の念を欠いたところから来るお粗末なものだ。

2014年02月01日 | Weblog


ふっとその気になる。そうすると体が動くようになる。気が起こらないと何事も動かない。
気と言うものはどこでどうなるのか。自分の体験では、気というものは自分の力で起こす場合と、無意識に起こる場合の二通りがあるようだ。

自分の力で気を引き出そうといくら決めても全然起こってこない場合もあるし、ある日ある時、ふっと思った瞬間に、気が立って驚くことがある。
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これは創作をする場合に、よく経験することである。例えば作詞など気が乗ったら言葉がすらすら出てくるのに、筆が止まった瞬間から気が散ったのだろうか、言葉が全然出てこない。いくら気張っても言葉は見つからないし浮かんでこない。こんな時は作業をここまでで、一旦諦めて放置し、次に気が回ってくるまで待つに限る。気が乗ってくると一瞬
をのがさないことが大切だ。