先週、都城で盛大にオペラが開催された。私はチケットをもらったので母や子供も一緒に見に行った。
田舎でめったにないジャンルだからか見に来たお客さんがびっくりするほどバラバラな服を着ていた。ジャージの上下できた人もいれば、きちんと着物で来た人もいる。
未就学児は入場不可にもかかわらず赤ちゃんと来る人がいたりと、空気を読まないにもほどがあると思いながら上演が始まった。
本物のオーケストラの演奏のうえに出演者の主要なメンバーはすべて一流の人間で 終わるまでには3時間近くもあったというのにほとんどのお客さんが帰らなかった。
曲も一度は聞いたことがあるものが多くて少しも飽きなかった。
私の息子は「トムとジェリーで聞いたよ」と言っていた(あのアニメはためになる)
母は、カーテンコールのとき感動で泣いていた。
立ち見も出るほどの盛況ぶりで、いくら出演者の身内もいたと言ってもすごい人数だった。(チケットの割当があったらしい)
私の母は、めったに褒めるということをしない。その母が「チケットをくれた人にお礼を言ってて。また次も行くからと言ってね。」と言ったので相当な感激ぶりだろう。
職場にオペラの裏方をやっていたおばちゃんが来たのでそのことを伝えた。
「あれは赤字覚悟の大仕事だったからすぐ来年とかできないと思うの。でもありがとう」と言っていた。
現実にチケットのお金が助成金などの絡みなのかかなり安く、素人集団なのかと軽く考えていたほどの金額だった。
でも舞台が終わってみると「こんなすばらしいものをこんな格安で提供してくれて、ほんとにオペラが好きな人たちなんだな。なんて良心的でかっこいいアーティストだろう」と思った。
儲けようという意図が見えなくて、地元の人に喜んでもらおうとでも思っているのかこっちが遠慮してもう少し払った方が良かったんじゃないかと気を使いたくなるような気分だった。
何日かとても心が潤っていた。
こういう気分になることが伝わるということなんだな。バンドで歌う時、仕事で絵を描いているとき、自分の気持ちを相手に届けたいということは相手の気持ちの中に存在感を残すことなんだな。
と、あらためて思った。
目立ちたがりやで自己中な表現の人の方が大勢いる。
すごいと思われたいとか、そんなことがパワーになっている人もたくさんいる。
それはいいことでもあるけど、押しつけにならないバランスがいる。
オペラの上演があったあと少しして音楽仲間から電話があった。
「あの舞台は赤字で裏方ではどろどろと喧嘩があったりと大変だったようだよ」と誰から聞いたのか、この潤っていた私の心に水を差すことを言った。
「演出側の事情は知らない。でも見ていた人は感動したんだ。あの舞台を失敗のようにいうならどうやったら成功というのか教えてもらいたいもんだね」と頭に来たので言った。
いろんなことがある。でもお金というものを中心に置くと幸せに終われるものも損得になってつまらないものに代えてしまう。
あの上演をまた見たいと待っている私の母のような人のために アーティストとしての気持ちでのぞんでもらえたら、次の機会も赤字かもなんて気にならないように倍の金額を出してもいいのにと思う。
田舎でめったにないジャンルだからか見に来たお客さんがびっくりするほどバラバラな服を着ていた。ジャージの上下できた人もいれば、きちんと着物で来た人もいる。
未就学児は入場不可にもかかわらず赤ちゃんと来る人がいたりと、空気を読まないにもほどがあると思いながら上演が始まった。
本物のオーケストラの演奏のうえに出演者の主要なメンバーはすべて一流の人間で 終わるまでには3時間近くもあったというのにほとんどのお客さんが帰らなかった。
曲も一度は聞いたことがあるものが多くて少しも飽きなかった。
私の息子は「トムとジェリーで聞いたよ」と言っていた(あのアニメはためになる)
母は、カーテンコールのとき感動で泣いていた。
立ち見も出るほどの盛況ぶりで、いくら出演者の身内もいたと言ってもすごい人数だった。(チケットの割当があったらしい)
私の母は、めったに褒めるということをしない。その母が「チケットをくれた人にお礼を言ってて。また次も行くからと言ってね。」と言ったので相当な感激ぶりだろう。
職場にオペラの裏方をやっていたおばちゃんが来たのでそのことを伝えた。
「あれは赤字覚悟の大仕事だったからすぐ来年とかできないと思うの。でもありがとう」と言っていた。
現実にチケットのお金が助成金などの絡みなのかかなり安く、素人集団なのかと軽く考えていたほどの金額だった。
でも舞台が終わってみると「こんなすばらしいものをこんな格安で提供してくれて、ほんとにオペラが好きな人たちなんだな。なんて良心的でかっこいいアーティストだろう」と思った。
儲けようという意図が見えなくて、地元の人に喜んでもらおうとでも思っているのかこっちが遠慮してもう少し払った方が良かったんじゃないかと気を使いたくなるような気分だった。
何日かとても心が潤っていた。
こういう気分になることが伝わるということなんだな。バンドで歌う時、仕事で絵を描いているとき、自分の気持ちを相手に届けたいということは相手の気持ちの中に存在感を残すことなんだな。
と、あらためて思った。
目立ちたがりやで自己中な表現の人の方が大勢いる。
すごいと思われたいとか、そんなことがパワーになっている人もたくさんいる。
それはいいことでもあるけど、押しつけにならないバランスがいる。
オペラの上演があったあと少しして音楽仲間から電話があった。
「あの舞台は赤字で裏方ではどろどろと喧嘩があったりと大変だったようだよ」と誰から聞いたのか、この潤っていた私の心に水を差すことを言った。
「演出側の事情は知らない。でも見ていた人は感動したんだ。あの舞台を失敗のようにいうならどうやったら成功というのか教えてもらいたいもんだね」と頭に来たので言った。
いろんなことがある。でもお金というものを中心に置くと幸せに終われるものも損得になってつまらないものに代えてしまう。
あの上演をまた見たいと待っている私の母のような人のために アーティストとしての気持ちでのぞんでもらえたら、次の機会も赤字かもなんて気にならないように倍の金額を出してもいいのにと思う。