友達がお兄さんと二人で会社をしています。
彼は言います「2代目の社長に何がわかるんだ。俺は兄貴と苦労してここまで来たんだ」と。
もう必ず二言目にはそんな言葉が出るんです。
そしてお兄さんはなくなりました。ひとりぼっちになってもやっぱり言います。
「親の財産で生きていけるやつと一緒にするな」と。
でもどうしてそんなに目の敵にするのでしょう。
私には「俺だって甘えたかった。俺だってラクしたかった。たいした苦労もせずにすんで俺と同じや俺より上なんて許せない」と聞こえます。
自分がなしえていないから、自分が理想としているところにいないから、低い次元とチューニングがあってしまっているような気がします。
そうして自分が悪いとか自分がまだ足りないとかそういう心は本心の中にはまだ生まれていないのか、それとも「これでもまだわからないのか!」と促されているのに気がつかないかなのでしょう。
自分が選んでしまってる。祈っても本を読んでも縁起を担いでも、要は自分のことを許せない自分がいるものです。
本当にやりきれていると言えるのかとか、弱さや誘惑とかに負ける自分。
楽しいことばかり選んだり、ラクをすることばかり選ぶ自分。
人の粗探しをして難癖をつけて逃げる自分。
本当はそんな自分を良心や高い次元の自分が許してないはず。
もし、自分が思っているとおりになしえていたらどんな相手が来ても大きな気持ちで見られるはず。むしろ可愛いやつだと思うはず(口に出すと嫌みですが)
イライラすることを通り過ぎれば投げやりになってきます。
そう感じたらいっそ旅行にでも出かけて見たり、尊敬する人と話をしたりしてやる気の補充をほかの何かに依存してもいいかもしれない。
物欲の奴隷になって目先の地位やお金を追いかけるのはむなしい気がします。
実は何でもバランスよく持ち合わせているのですよね。
心は錦。ですね。