ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

26日

2009-12-26 | 家族のお話
今日はばあちゃんの命日だ。
ふと、車を運転しているときに思い出した。
私がよそにいた頃ばあちゃんが危篤だと電話が来た。
もうあれから15年くらい経つ。

私の職場の仲間が「落ちついて帰るんだよ慌てちゃいけないよ」と言った。
私は車を運転しながら途中の山道をふと見上げると、カラスがたくさん飛んでいた。
そして「じいちゃんが亡くなるときもカラスがいたな」と思った。

私は8歳の頃両親が離婚したために、病気のときなどはばあちゃんが看病してくれた。
ばあちゃんはその後重度の痴呆症になって自分のこともわからなくなった。
私を娘だと勘違いしていたので、いちいち訂正するのも可哀想になって私はそのうち「おかあちゃん」と母が呼ぶのと同じように呼ぶようになった。
ばあちゃんは私を母の若い頃と間違えていた。でも私を見て喜ぶので素直に私も嬉しかった。

ばあちゃんが危篤と連絡があったときは正直「そんなに具合が悪かったのか」と思った。「なんでもっと帰らなかったんだろう。もっとばあちゃんに会っていればよかった」と何度も思った。

病室についたとき親戚のおばちゃんが「あら、あんたよかったね。間に合ったよ。」と言った。
そのとたんばあちゃんの血圧が急に下がり始めた。
「あら!あら!あんたが来るまでばあちゃんは待ってたんだがね。あんたに会いたかったんだわ」とおばちゃんが言った。
温かい空気がそばを通った気がした。
そして私は「じいちゃんだね。待って、ばあちゃんをまだ連れていかんで。まだ生きられるって」と言った。
弟といとこは私の隣で大泣きしていた。あんなに振り乱して泣いている二人を見たのは初めてだった。
おばちゃんが「もうダメやが。もうこりゃいかん」と言うので私は「そんなことそばでいわんでいいがね!」と怒鳴った。
そしてとうとう血圧は元に戻らなかった。

その夜、ばあちゃんの隣で思った。
「私が死んだらどうして欲しいだろう。生きている人間にどうして欲しいだろう。」
次の日の昼間ばあちゃんに白装束を着せることになった。
私は前の晩決めたことをした。私が死んだらして欲しいこと。
「ばあちゃん。ばあちゃんの手も、顔も、全部絶対忘れない。こんな手だったね。この感触を絶対忘れない。ばあちゃんの体がこの世に存在して生きていたことを私は忘れない。」そういって何度もばあちゃんの手を撫でた。
死後硬直で固くなった顔も何度も何度も撫でた。

そしてその夜にいとこたちとばあちゃんの隣の部屋で寝ていると、あの温かい空気が私の上に乗っかってきた。
金縛りにかかった。
すると私の左手の甲を誰かが撫でている。
ばあちゃんの手の感触だった。「ばあちゃんが来た」と思っていた。
そして私の右の耳元で「がんばりなさいね」とばあちゃんの声がして、金縛りは溶けた。
線香の番をしていたおばさん達のところへ走って行って「ばあちゃんがきた。ばあちゃんが来たの!頑張りなさいねって」そういうとみんな「まこち!あんたは感がいいからじいちゃんのときもだったし。」とみんなが涙を出していた。
じいちゃんも亡くなってからたまに私の目の前に現れていたけれど今では全く出てこない。

私はその後もしばらくばあちゃんが亡くなったことをかなり引きずった。
親が亡くなったようだった。
なぜこんなに悲しいのか。きっとそれは心残りだからだ。
もっと会えばよかった。もっと世話を焼けばよかったと私の中にあるからだ。
逆を言えば死を受け止めたいなら、生きている間にその人との時間を大切にするべきなんだ。
私は今もばあちゃんを感じる。成仏はしている。
夢の中でばあちゃんがよく出てきた。二人で花畑をよく歩いた。
たぶん花を見に行くことが好きだったから、そんな夢を見せたのだろう。
たまに、自分の娘のことなど気を揉んでいる。
私がばあちゃんを心配していたとき、じいちゃんが一度だけ「ばあちゃんのことは心配するな」と出てきたことがあった。
ああ、じいちゃんに会えたんだ。そう思ったし、亡くなっているのにそうやって言われることが(私の体質もあるだろうけど)悪いけど笑ってしまった。
だって、亡くなってもやっぱり家族で私は孫で二人は私たちを守ってくれているからだ。生きていた頃と同じように。

今日、こうやってばあちゃんを思い出すことは私がばあちゃんと約束した「生きていたこと忘れない」その一つになると思う。
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たまには褒められてうれしいか。

2009-12-26 | 私のお仕事(本業)
社長が私にクリスマスプレゼントをくれた。
変な意味ではない。純粋にそうしたかったのだろう。
珈琲豆だった。

私はよく子どもを遊びに連れて行く。
あとたまに猛烈に凝った料理を作ったり、英語など得意な科目は私が教える。
社長はそれをわかっている。
私が会社の友達にいろいろ話しているからそれで聞いているんだろうけれど、社長は「あなたは一人で子供さんのためによくやってる。いろんなところに連れて行ったりお菓子を作ったりして喜ばせて頭が下がりますよ。いいおかあさんなんですね」と言われた。
いつも、会社のことでは振り回してくれる社長なのでいろんな葛藤を持つものだけどでも普通に人間として一人一人を見ているんだなと思った。
それに私はまだ足りないと思っている。でも社長は褒めてくれた。
私は素直に嬉しかった。

社長はもっと若い頃、家族には苦労したようだ。だからこそ私が一人で子どもを育てる姿に関心があるようだ。
会社では私がたった一人の母子家庭で、社長にとまりやすいこともあるのだろう。

社長が私の名前でコーヒー豆を予約してくれていて、そのカードを持って「これは私からのプレゼントです。子どもさんがいらっしゃってもいつも頑張ってくれているから」
新年会で息子を連れて行ったときはお年玉をくれたこともあった。
私は褒められてご褒美をもらうなんてことはそんなにない。当たり前だからだ。
自分もそう思っていた。出世したときも友人が昇進祝いをしてくれたけれど、身近な人間からとくにおめでとうと言われたりもしなくて、自分でもまわりに期待していなかったのでがっかりもしなかった。

私のことを認めてくれているのは私の息子、そして会社のみんな、社長、そして友人。そうやってわかってくれている人間がいるだけで報われる気がする。
私は頑張れる気がする。幸せ者だなあと思う。
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本音をぶちまけている夢

2009-12-26 | 夢の話

今朝、猛烈に本音で今まで言いたかったことを本人に向かって言ってる夢を見た。
夢で見るくらい溜まりにたまっているんだろうけど、せめて夢ででも言えたらいいのにと思っていたから本当に嬉しかった。

私は大体思ったことははっきり言う方だ。
ただ、言ったら壊れることがあるとひたすら引きずって我慢している。
その後逃げたくなる。
で、逃げる。または捨てる。

私にどうにもできないことやなかなか伝わらない相手は結局相手にしなくなるんだけど、今日見た夢は私が嫌がることを言われてしまうのだけど守って欲しい人が何もしないで私をただじっと見ているだけといういつもと同じパターンだった。
大体私にやせ我慢をさせる。私に耐えさせているので、それをまた夢で見るなんて不吉な。でもこれは夢だ。
で、私はその嫌なことを言った相手にばっさり言った。
「しゃべり方いつも変ですよね。人の気持ちがわからないでよく平気で生きてますね。」
私はすっきりさっぱりついでにもうそりゃそのまま立ち直れなくなるんじゃないかってくらい怒り続けた。
すると、夢だからいろんなことが起こる。
その相手がしわしわになってしぼんで、顔が80歳くらいのおばあさんになった。
私に言われてどんどんしわしわになる。
それでも私は怒っていて、「私がそんな顔にしたんじゃないですよ。いつも人が嫌がることを言ってまわりを見下ろして馬鹿にしているから、自分がしたことが返ってきただけです。あなたに本物の愛があるのですか?あなたが愛しているのは自分だけじゃないですか!」とおばあさんになってしまっている相手に言っていた。

私が怒っているのを誰も止めない。まるで私に言わしているように。
私は最後に「あなたは努力家で儲かることには頭が回ります。それはすごいと思いますけど無神経が息して歩いているようで私は好きなことさえ嫌いになりそうです。もう私に近づかないでください。」と言って目が覚めた。
よほどたまり続けたのだろうがこんな夢を見たことがない。

本人に言ってないのに言ったような気分になっていた。
人は心が傷つくと、眠っている間に魂が天国へ里帰りして心が修復されるのだと思う。だからぐっすり良質な眠りの後は「まあいいか」という気分になっていることがある。
今回の夢のことは私が現実の世界では手出しができないが、本当はたまらなく嫌だと思っていることで自分一人で整理していることだけど あまりに大きな重荷になりつつあったんだろう。
私の防衛本能と魂を助けてくれる次元とが荒療治をしてくれたような気がした。

私だけに跳ね返って来る問題ならとっくに捨ててしまっているか、正面から闘っている。あの夢のように。

しがらみとはほんとうにやっかいだ。

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