ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

つまらないことを決めたがる

2013-02-06 | 子育て日記
中学校の学校説明会で校則の話しがでた。
まあ見事にくだらない。

「髪を結ぶなら耳より低い位置にしてください」「三つ編みはいけません。編み込みは・・・あとでまたご報告します」


馬鹿じゃないかと思った。


こんな世界に子供たちは入っていくのかと思うとかわいそうになった。


自分が中学高校のころ、生徒手帳の文言を見ながら呆れてよく笑った。暇人だと思っていた。


髪を結ぶ位置が高いと悪くて低いと良いって意味がわからない。


昨日「叩けないから校則で縛る必要が出たんだ」という話しがでて、そんなもん叩けた頃から続いているじゃないかと言ったけど、叩くことと校則は結びつかない。
叩く代わりに校則が使われることはそれこそ押さえつけという体罰じゃないか。


叩いて育てないから人殺しをするような子がいるんだと言われた。


叩いて育てたら人殺しをしないのか?そんなことはない。余計暴力的で、叩けばすむと思っていくじゃないか。叩かれて育った子は叩かれない子より人格が上なのか?人の痛みがわかるのか?

そんなことはない。叩かれていても人の痛みや思いやりがわからなくて残念すぎてビックリするような人はいる。

中には本当に殴られて当然のことはある。
その痛みや思いやりがなくて、本当に失礼で傷つけられて、残念で悔しくて・・・そんな思いが巡った時、本当に殴ってやりたくなる。殴らせられてる自分だって傷つくし、その力には思いがいっぱい乗っかっている。


だけど自分の言い分をわからせるための手段に手を出すのは、話して聞かせる才覚がないと自覚があるからじゃないか。

言葉がわからない子であっても私は「言ってもわからない」とは思ったことがない。
言ってもわからないと思って言わないから余計わからないんだ。
猫だって、犬だって、日本語はわからなくても怒りや悲しみや喜びはちゃんと理解している。
産まれてすぐの赤ちゃんだって、しかめっ面で見つめたら泣き出すんだ。
私が前の旦那のことで悩んで、ものすごく泣いたことがあった。
そのあと一生懸命笑って息子の世話をしたのに、4ヶ月の息子はその日初めて夜泣きをした。
私のせいだと思った。言葉で言わなくても私の感情を知っているんだと思った。

わからないと馬鹿にするからいつまでもわからない子のままで、手を出したくなるような手のつけられない感じに育つんだ。

私は息子が7ヶ月のころに「お母さんはお父さんとお別れするの。お父さんがいないけど、お母さんだけでいい?」と相談した。

息子はまだハイハイだったけど、私の頭をヨシヨシとしてくれた。ビックリした。
涙が出た。こんなに小さいのにと私は足元にも及ばないような気持ちになった。


猫にも虚勢施術の話しをした。「お母さんね、お前が赤ちゃんをこれ以上産んだらみんなをかわいがってあげられそうにないの。お前は赤ちゃんを産めなくなるんだけど、お母さんの子供には変わりないんだからお母さんのことを信じてね。」と言った。
引っ越しのことも言った。

理解してるのかわからない。ただそんなに自分が完璧でもないのに、誰かに手を挙げられるような人間なのかわからないのに、その相手があって自分が生きていけるのに、そんなことを自分のおかげのような気持ちでいるからいつまでも見下してしまう。

相手を変えたいと思っても自分が変わろうとしないくせに、どうして都合よく相手だけが変わってくれると思うんだ。

どうして規則で縛り付けたり、叩かなきゃわからないと決めつけるんだろう。

自分は叩かれて育ったからか?それじゃそんな自分は周りの人間を幸せに出来るような大人になったのか?自分は非の打ち所がない完璧な人格者だと自身が持てているのか?人生に失敗なんてしたことがないのか?だれからも捨てられていないのか?


イエスキリストも、お釈迦様も、誰かを叩いて諭そうとしたなんて聞いたことがない。

人間がそう思っているだけじゃないか。
コメント (3)
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