ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

プロジェクトデコポンの夜3度目ね。

2018-03-08 | 地域活動のこと
昼間デコポンを大量に購入。
プロジェクトのミーティングでお土産にする。

山崎さんちの2階の部屋でまちの活性化について作戦会議は続く。

今回はネタをいろいろ考えていた。
キーワードだの仮説、見込み、継続性、周知、話題性・・・・そりゃもうビジネス学科だの法学部だのでているのだからゴツゴツぶつかる。

キーワード全てを説明できるものを3つ程考えたので伝えるとそのうち一つが大盛り上がりした。

思い出すなあ。中学の頃。


当時の私の中学には美術の存在がうすくて部活もなかった。


絵を描くことがずっと好きで、絶対美術部に入るんだと思っていた私の落胆は大きかった。


「先生。どうして美術部がないの?」


「そうだね。無いんだから作ればいいよ。」



「あ、そうなの?作ってもいいんだね。」



それから早かった。体制を作るまでに一月もかからなかった。

会計係も作った。顧問と副担は2日くらいでつくった。

部員がいなかったのでよその部活からスカウトした。フラフラしてた子も引っ張って入れた。


最初は3人。だから美術同好会。 次は5人。だから美術クラブ。

そして10人になった。美術部。

生徒会がお金をくれた。


それまではあるもので絵を描いた。部費を貯金して少しずつ道具を買った。


初めての油絵。


せっかくの制服に絵の具がついた。知ったことか。うれしくてうれしくてたった10分の休み時間すら部室へ行った。

みんなでピカソ展へ行く。電車で勉強がてら行って帰りに城山から桜島をパステルで描いた。初めてのパステル。

遠くに行かないときは市役所の展望台から絵を描いた。
些細な景色に敏感だった。
全員、夕日を初めて見た人のように夕日を見て、緑を初めて知った人のように感動するような毎日だった。

お金がなくてたった6色から油絵を描いていた。それでも毎日楽しくて、1年の頃からすでに部長だった私は部長のくせに誰よりも下働きが好きで全く嫌ではなかった。

あのとき、私のわがままにいつもついて来てくれた周りのみんな。あの人達がいたから部になれた。

今でも友達でいてくれる。

私のプランはあのとき、私を助けてくれた人達へ恩返し。

学校の友達や先生だけじゃなく、画材を提供してくれた人たちや文房具屋さんもいる。
そのお礼を今の美術部員達といっしょにアートで恩返し。そういうプランを作った。

あの頃たった3人から始まった美術部は50人になりました。
市内でもトップクラスのレベルだと聞いている。最初の部長としてたまに行くとみんなに温かく迎えられる。


このプロジェクトで30年前の感謝の気持ちを伝えられるんじゃないかと思うとこの私のわがままにのってくれたまわりの人たちに感謝している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする