生まれた子猫の家族募集のポスターを作った。
家に帰って息子に見せた。
案の定ふてくされた。
そしてポスターを輪ゴムではじいたりして、最後にはどこかに隠してしまった。
「残念ながらそれはデータがあるから何枚でも出せるんだよ」
というと淋しそうだった。
「ネコはね、野良猫になってしまったらどんなに長生きでも5年くらいしか生きられない。ネコが長く元気でいてくれるためには人間と共存するしか人間の世界ではやっていけないの。でもうちで全部は面倒見られない。おかあさんはあんたが7歳の頃からお利口さんに一人でお留守番をしてくれてありがたいと思ったし、だからネコちゃんのことを大目に見たけど それはカフェだけのことなのよ」
そういった。でも子猫を生ませたのはカフェが雌として生まれ、母猫に捨てられそれでもうちで力強く生きてるこの子にもお母さんになるチャンスをあげたかったからだ。
まあ4匹も生むなんて思っていなかったけど予測の範囲でもあった。
一匹くらいなら残してあげたいと思っていた。
息子は一人っ子だ。
ちょうどカフェのお母さんになる猫たちが生まれたころ、私は彼氏とそんなに上手くいっている自覚がなかった。
2ヶ月3ヶ月、会わないことはけっこうあって、本人の身辺も複雑で、だから彼にとって私の子供がたったの7歳でひとり留守番してることがそれから何年も続いていても平気なんだろうと思っていた。
実際、それをいたわるような言葉をかけられたこともなかったし、そのうち次第にあほらしくなってきた。
私たち親子は動物が大好きで、息子は特に猫が好きだ。
少しアレルギーがあったけど、私は息子のためにも動物アレルギーを治したかった。
彼氏のために猫を飼わないでいることが「なんで私たちはあの人を考えて生活しているのに一方的なんだ」と思うようになって、とうとう最初のネコ もーちゃんがきた。
もーちゃんはみかん達を産んでくれて、息子は家に帰るのが楽しそうだった。
私も同じだった。
よく、朝早起きをして縁側で三線を弾いていると みかん達は私のまわりに集まって聞いてくれた。
なんか幸せな時間だった。
そのころ、私は将来のことを考えて腹をくくれずにこのままで良いのだろうかとよく思っていた。
そんな私の心を「よし。自分で生きて言ってやる。こうやってまったりして年をとる選択肢もあっていいかもしれない」という心の強さを身につけられたのも、みかん達がいてくれたからだった。
私は彼氏を待つという気持ちが薄れて、自分のペースで生きていくと言う方向に切り替わった。
だからいらつかなくなったし、不安も減ったし楽しいことの目が向くようになった。
あの頃のおろおろした部分を持っていた自分にとって、猫たちの支えと猫たちのおかげで楽しそうにしている息子をみられたことは大きかった。
だから、カフェも同じなんだ。
息子にとって「僕の妹」と言っているカフェの子供達がどんな存在なのかわかる。
生きものが好きな子供の気持ちは私にはよくわかる。
私もそうやって囲まれて育ったからだ。
ただのネコじゃない。家族になっているんだ。
だからこそもらい手が見つからなければ保健所へ連れて行くであろう施設に渡せない。
みんなが愛情をもらい、みかんが息子を元気づけたように愛情をあげられるネコになって欲しい。
力になれなくてゴメンネ可愛がってくれる飼い主が見つかりますように
だけどみんな可愛くて、良い人にもらわれて欲しいなあ。
こうしは嫌みたいだけどね。ハハハ