当たり前だが赤いジャガイモを植えたので赤い花に赤い実で梅雨に入ったということで腐る前に収穫をした。
子供にさせた。 ジャガイモを育てたというのは私もあまり経験がなかったので軽く興奮した。 今回の赤いジャガイモを、店で売られているところなんて見たことがない。 もちろん食べたこともない。 で、いきなり育てるなんてまるで外国人の子供を渡されたようなうろたえぶりだった。子供に収穫させれば何となく何か感じるものもあるだろうと、「おまえが収穫してみるか!」と偉そうに言ってみた。 毎日の宿題の日記にでも書いてくれるだろうと思っていたら、まんまと昼休みをネタにしていてムキになって「え~それかあ!!そっち書くのか!!うそお」と結構ショックを受けた。 赤いジャガイモは今はよしずの内側で陰干しされている。
毒リンゴでなく毒ジャガイモみたいだがうさん臭くて楽しみだ。 きっとサツマイモのような味だろうと思い込みが働きそうな見た目。 カレーみたいに「赤」を無視した料理に使うのはもったいない。 ポテトサラダに使ったらビビるだろうか。 赤いポテトサラダ… 不気味だ。 とにかく楽しみだ。
鹿児島の知覧町のもっと先に坊津という町がある。
そこはふだんあまり(というか全く)いかないが、夏になるととても恋しく感じる海がある。
私は両親とも奄美大島の出身なので、綺麗な海の話をよく聞かされた。
特に父親は大人になるまで住んでいたので泳ぎも上手かった。
どんなところだろうとテレビに映る南の海を見て「こんなかな」とよく思ったりした。
たまたま友達と坊津に海水浴へ行った夏。入口までは結構がっかりしていた。
なぜかというとあまりに何もないからだ。
「ここが観光地なんだろうか」これが本音だった。都城から車で4時間近くはかかったのに後悔すらしていた。
それは海に出るまでの気持ちだった。
海を見た瞬間、「なにこれぇ!!!!」と大声で笑った。
奄美大島か沖縄か!というような南の海がずっと広がっていたのだった。
どこまでも浅瀬で透き通った海がほんとに綺麗だった。
入ってみると宮崎の海と違って、首まで入っても足のつま先まで綺麗に見える。
潜ってみた。(私は素潜りなんて一度もしたことがなかった。)
潜りたくてどんどん進んで、耳が痛くなるまで進んだ。
真っ青なコバルトブルーのルリスズメがたくさん泳いでいた。
こんな目の前で、熱帯魚が泳いでいる海が本土にあるなんて思わなかった。
それからしばらくして、熱帯魚を買うことにした。
もちろんルリスズメだ。
いろいろ調べて準備に1ヶ月くらいかかったかもしれない。
あの坊津は今どうなったいるだろう。
やっぱり遠いのでなかなか行けない。
でも、「きっとこれがまともな海なんだ」と思う場所だった。
友達の中でも人生の半分以上を一緒にいる仲良しがいる。
その友達から最近お願いごとをされた。
今中学生になる自分の子供が 学校へ行かないから私に理由を聞き出してくれというのだ。なぜ私にそんな頼みをするのかと言うと、まあ実の母親には何も話さないということだ。
この子は弟もいて、二人とももう小学生の頃から登校拒否を何度もやっている。
私もだがこの母親も一人で子供を育てている。
私たちのような立場のものは、なぜか似た者同士で集まってしまうものかもしれない。だからお互いに悩み事があると助け合おうと自然とやれる。
この子供達のことは、私の息子より付き合いが古い。
自分の子供のようにしかることもよくあった。
でも、実の母親にはかなわない。だからこそこの一連の悪さは原因がお母さんとの関係にあると私は思っている。
なぜ私に素直になれて、親に素直になれないのかは私もよくわかる。
感情的になって、意味不明に怒りまくる自分の親より 落ち着いて聞いてくれる他人の方が話せるときがある。
自分自身も小学生のころ登校拒否をしたことがある。
先生がバイクで探しにきて、教室でものすごく怒鳴られたので「あんたが嫌いだから学校に来たくないの」と言った。それから口もきいてくれなくなった。
でも、中学生になって年上の友達がたくさんできた。同級生も増えた。
そして何より大好きだった絵を描くということを部活でできるようになって、美術の先生が個人的に指導してくれるようになった。
それから私は担任という存在にあまり関心がなくなった。
正確に言うと、担任に認められようが嫌われようが私の人生のほんの針の目ほどのできごとだ。そんなことより大切な事や大好きなものがある。と思うようになっていた。
先生を否定してはいない。私は先生を振り回していたのではなくて、私が振り回されていた方だったと思っただけだ。
現に美術の先生に対しては今でも尊敬している。師匠だと思っている。
話しは戻るが友達の子供には、私のような心の切り替えが起こるのかわからない。
でもたぶん学校に行かない理由が本人もわかっていないかもしれない。
誰でも思う時期があるが、「学校へ行って何になるんだ」という感情。
きっかけは甘ったれかもしれない。大人でもずっと休みが続くと仕事する気持ちに力がいる。子供はもっとそうだろう。
親もいっしょに気合いを入れてあげたい。
会話もなく、朝ご飯も作ってあげず、送り出そうという気遣いもせずに子供が心を入れ替えて学校に行くだろうか。
もしこの子が、理由がわからずに学校へ行かないのなら学ぶという意味、学校の存在価値を私は説明しなければならないのかもしれない。
私が今振り返ってみて学校生活をどう思っているのか。
絶対に「みんな行っているのになんであんたにはできないの?」というような減らず口は答えにならない。
私が大人になってから思うのは、「相手は変わらない」ということ。
金遣いの荒い旦那でも、飲んだくれの父親でも、登校拒否の子供でも。
相手の心を入れ替えさせようという努力はほとんど無駄だ。
でも自分が変わることはできる。歩み寄ることはできる。
それは相手にのぞむより簡単で早くて、自分の気持ち一つでできることからやれる。
結果相手が自分の望む状態に近づいてくれることがある。
相手を変えようとする前に、自分を変える方が先なのかもとよく思う。
簡単ではないときもあるけれど、本気で相手を思うなら自分ができることをやろうとするだろう。
この子は子供だ。大人のように割り切ることもできないし理屈じゃないことがたくさんある。
こんな難しい年頃のこの子達に私は何と言ったらいいだろう。
この子が私の話しを聞いてくれるのは、私が自分のことを信用していると信じてくれていることと、みんなやってるから当たり前だという説明が嫌いだから私の分析で説明するのでその都度真剣にぶつかってくれる。
でも本当に今回の問題は難しい。頭の回転が良くないとやり込められそうだ。
学校に行かないということは頭が悪いやつの話しじゃない。まわりに難癖を付けて逃げ癖がつく大人の始まりのような気分だ。
「嫌だから逃げる」という人生を切り開く力がないやつの話しのようで、私が親ならとても先には死ねない。
学校は勉強をするだけの場所じゃない。経験という引き出しを増やす場所だ。
学ぶということのなかには関係ないことの方が多い。
それにはシナプスを増やすという効果と、社会の間口を広げることができる。
偏見や差別も出て来ることがあるけれど、大切なのは可能性があがることだと思っている。そんなものいらんという子もいるだろう。
ただ親として、「私がいなくてもちゃんと世の中を生きて行ける子になって欲しい。私いつか先に死んでしまうから生きる術を身につけて欲しい。」という気持ちが「学校へ行きなさい」になるのだろう。
その友達から最近お願いごとをされた。
今中学生になる自分の子供が 学校へ行かないから私に理由を聞き出してくれというのだ。なぜ私にそんな頼みをするのかと言うと、まあ実の母親には何も話さないということだ。
この子は弟もいて、二人とももう小学生の頃から登校拒否を何度もやっている。
私もだがこの母親も一人で子供を育てている。
私たちのような立場のものは、なぜか似た者同士で集まってしまうものかもしれない。だからお互いに悩み事があると助け合おうと自然とやれる。
この子供達のことは、私の息子より付き合いが古い。
自分の子供のようにしかることもよくあった。
でも、実の母親にはかなわない。だからこそこの一連の悪さは原因がお母さんとの関係にあると私は思っている。
なぜ私に素直になれて、親に素直になれないのかは私もよくわかる。
感情的になって、意味不明に怒りまくる自分の親より 落ち着いて聞いてくれる他人の方が話せるときがある。
自分自身も小学生のころ登校拒否をしたことがある。
先生がバイクで探しにきて、教室でものすごく怒鳴られたので「あんたが嫌いだから学校に来たくないの」と言った。それから口もきいてくれなくなった。
でも、中学生になって年上の友達がたくさんできた。同級生も増えた。
そして何より大好きだった絵を描くということを部活でできるようになって、美術の先生が個人的に指導してくれるようになった。
それから私は担任という存在にあまり関心がなくなった。
正確に言うと、担任に認められようが嫌われようが私の人生のほんの針の目ほどのできごとだ。そんなことより大切な事や大好きなものがある。と思うようになっていた。
先生を否定してはいない。私は先生を振り回していたのではなくて、私が振り回されていた方だったと思っただけだ。
現に美術の先生に対しては今でも尊敬している。師匠だと思っている。
話しは戻るが友達の子供には、私のような心の切り替えが起こるのかわからない。
でもたぶん学校に行かない理由が本人もわかっていないかもしれない。
誰でも思う時期があるが、「学校へ行って何になるんだ」という感情。
きっかけは甘ったれかもしれない。大人でもずっと休みが続くと仕事する気持ちに力がいる。子供はもっとそうだろう。
親もいっしょに気合いを入れてあげたい。
会話もなく、朝ご飯も作ってあげず、送り出そうという気遣いもせずに子供が心を入れ替えて学校に行くだろうか。
もしこの子が、理由がわからずに学校へ行かないのなら学ぶという意味、学校の存在価値を私は説明しなければならないのかもしれない。
私が今振り返ってみて学校生活をどう思っているのか。
絶対に「みんな行っているのになんであんたにはできないの?」というような減らず口は答えにならない。
私が大人になってから思うのは、「相手は変わらない」ということ。
金遣いの荒い旦那でも、飲んだくれの父親でも、登校拒否の子供でも。
相手の心を入れ替えさせようという努力はほとんど無駄だ。
でも自分が変わることはできる。歩み寄ることはできる。
それは相手にのぞむより簡単で早くて、自分の気持ち一つでできることからやれる。
結果相手が自分の望む状態に近づいてくれることがある。
相手を変えようとする前に、自分を変える方が先なのかもとよく思う。
簡単ではないときもあるけれど、本気で相手を思うなら自分ができることをやろうとするだろう。
この子は子供だ。大人のように割り切ることもできないし理屈じゃないことがたくさんある。
こんな難しい年頃のこの子達に私は何と言ったらいいだろう。
この子が私の話しを聞いてくれるのは、私が自分のことを信用していると信じてくれていることと、みんなやってるから当たり前だという説明が嫌いだから私の分析で説明するのでその都度真剣にぶつかってくれる。
でも本当に今回の問題は難しい。頭の回転が良くないとやり込められそうだ。
学校に行かないということは頭が悪いやつの話しじゃない。まわりに難癖を付けて逃げ癖がつく大人の始まりのような気分だ。
「嫌だから逃げる」という人生を切り開く力がないやつの話しのようで、私が親ならとても先には死ねない。
学校は勉強をするだけの場所じゃない。経験という引き出しを増やす場所だ。
学ぶということのなかには関係ないことの方が多い。
それにはシナプスを増やすという効果と、社会の間口を広げることができる。
偏見や差別も出て来ることがあるけれど、大切なのは可能性があがることだと思っている。そんなものいらんという子もいるだろう。
ただ親として、「私がいなくてもちゃんと世の中を生きて行ける子になって欲しい。私いつか先に死んでしまうから生きる術を身につけて欲しい。」という気持ちが「学校へ行きなさい」になるのだろう。