息子のクラスで私は副学級長になり、ぼんやりまったりとした時間が過ぎた。
小学校の後半からずっとなにかの役員になり、中学では重たい役が多くて高校では解放されたかった。
が、甘かった。
まあおかげで学校と密接になれるけど。
仕事と家事と子育てと、そして学校の役員。
去年はこれに部活の手伝いがあって、子育て期間の中でこれ以上に忙しいことがあるだろうかという役回りだった。
行き詰まると必ず「そういうめぐり年なんだろう」と思っては観念していた一年だった。
息子の受験が終わって絶対楽にさせて欲しいと心からのお願いは叶わず。運が悪いんだから良いんだか、また役員になった。
母が「お前が小さい頃、そんなに忙しかった覚えはない」と言った。
それはある意味私はほったらかされていただけだ。
それでも確かに今の親は忙しい。
先生の仕事が多いとはいえ、子どもは減った。学級も減ってる。しかも昔より塾の勢いが凄い。
高いハードルの受験を支えているのは塾じゃないか!教師の免許も持たない塾の先生が日本の学力を支えているじゃないか。
そこに甘んじて、それでいて受験のハードルは高いんだ。
なんだか役員にしても、役割にしても、いるものといらないものが選別されずに、前の人がやっていたから続けているという状況に親も先生も振り回されていないか。
そんなことをしみじみ思う