
真理は
通じる
人を審判するな。
そうすればあなたたちも審判されない。
あなたたちが審判するそのままに、あなたたちが審判され、
あなたたちが量ったそのまま、あなたたちも量られるのだ。
聖書のマタイ福音7章1-2節は、蒔いた通りに収穫されるようになるという釈迦の因果法とつながるところがある。今、自分の考えと言葉、行動を、一度振り返って見させてくれるすばらしい経本の言葉だ。
私は僧侶だが、聖教の言葉の中のにある、ある句節は私の人生の道標としている。はじめて聖書を読んだのは大学生の時、比較宗教学の勉強をしたことからだった。学校の授業の中、キリスト教の歴史と聖書の解析学について勉強をすることになって、ある瞬間、聖書を学問としてだけ読んで学ぶのだけでなく、釈迦の言葉を読むように、その真理の言葉に心で共感し始めた。
おそらく真理というものはひとつの宗教の垣根にだけ縛られいるものではなく、誰でも、頷く心で受け入れることのできる普遍的な内容であるようだ。
一度フランスのブルゴーニュ地方東部に位置するターゼという小さな田舎の村に、若い僧と一緒に行く機会がありました。この小さな田舎の村には特定のキリスト教の教派とは関係く、生涯を独身で生きながら神の教えを体で実践する修士が暮らしています。一年に10万人を超える全世界の若者が、カトリック、プロテスタントの区別なく祈って実践するために訪れる場所としても有名なところです。
私と何人かの僧が美しいテーゼ共同体に到着するなり、修士たちが私たちをとても暖かく迎えてくれました。温和な微笑みを浮かべ白い修士服を着たその人たちの姿は、天使のようにとても崇高で美しかった。私たち僧が着る淡い灰色の僧服もまた修士の服の色ととても合って、僧と修士は差別なく、すぐにみなひとつの家族になったようでした。
テーゼで時間を送るほどに、互いの宗教は違っているが修士と私たちの生きる姿、修行の方法、志向するところがどれぐらい似ているのか知ることができた。
修士は言葉を発しない聖なる沈黙の修行を通して自分の内の神と会う時間を持つという。それは仏教で行う修行とも別段、違いなく見えた。
また、修士たちはみな結婚でもしたように指輪をはめていた。気になって訊ねると、修士の誓約をする時、神と約束の証として指輪をはめるのだと答えた。私の横にいた若い僧はにっこり笑って言った。
「私たち僧は戒を受ける時、はじめからその証を燃臂といって前腕に刻んでおきます。」
修士や僧やが生涯独身で暮らすという共通点があるが、人が考えるように寂しく生活するのではありません。同じ道を行く修行者同士が友であり、師匠であり、家族であってくれるので絶対に一人ではありません。だから、修士たちの顔にはほのかな喜びがにじんでいました。まるで僧が茶を飲みながら心の交流をしている時のような姿と似ていました。
ある人はテーゼ共同体とか寺のようなところの暮らしは抑圧され、厳格で苦行についていかなければならないものではないかと思うが、そうではありません。共同体の生活には、単純だけれども素朴な美しさ、心の静かな平和と楽しみがあります。世俗的な成功を追う人が見ると何でもないことにも簡単に幸福を感じることができるからです。季節が変わる自然の姿を見ることも楽しく、普段に食べる食べ物が少し変わっても新しくよいことです。
このように、他の事を問わない宗教人の姿を見ていたら、私の心の中の聖書の句節が浮かび上がりました。
イエスが十字架にかけられて亡くなる前に言った言葉、
「私の意志のとおりにでなく、父の意思通りになさることを望みます。」
私たちは生きながら、どれだけ多くのものが、自分の基準に合って成ることを願うか。思いのままにできないことが天地なのに、自分が望む通りにならなかったと、どれだけ挑戦するか。こういう時、私は死までも受容するイエスの言葉を思い浮かべます。そして自分自らが作っておいた欲の相をおろそうと自らを励まします。
テーゼで修士たちは、私たち僧をキムチで接待しました。韓国から僧が来るというので、フランスのテーゼの修士たちが直接集まって何日か前からキムチを作ったのだと聞きました。他の国籍、他の人種、他の宗教を持っている訪問者にもこのように繊細な配慮と愛で迎えようとする心。その心を抱いて私たち僧はテーゼを立ちました。帰りの道で私の心は、まるで遠くにいる親戚に会って帰ってくるような気分になりました。その方々が私たちを迎えるために、それぞれに集まって座って白菜を混ぜてキムチを作っている姿を想像すると微笑んでしまいました。そうです。会ってみると互いに似ているところがたくさんあります。何だと表現することができない深い繋がりと、すぐに感じる親密感。文化と言語が違い、互いに表現し実践する方式に差があるだけ、私たちは大きな違いがありません。真理を求める人はこのように通じて、自分たちも知らないうちに互いに似ていくのではないかと思いました。
あ、フランスパンと一緒に食べるキムチが思い出されます。