退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

止まってみて、はじめて見えること

2014-07-06 23:56:48 | 韓で遊ぶ

エピローグ 

自分自身の
完全感と貴さに
気づくことを





あまり忙しくていつも追われているような時
悩みが次々と思い浮かぶ時
人から傷つけられて苦しい時
未来が真っ暗で不安ばかり募る時

少し止まってみなさい。
ほんの1分でもいいから止まってみなさい。
人生を現在に停止させておいて
ちょっと深く息を吐いてみてください。

今、どんな音が聞こえますか。
今、体は何を感じますか。
今、空はどんな感じですか。

止まれば、はじめて見えます。

自分の考えが
自分の苦しみが
自分の関係が

止まりながら、それから
1歩ずつ離れるので
それに巻き込まれて生きなければならなかった
普段より鮮明によく見えます。

そして、止ってみると自分の周囲がまたはじめて見えます。
自分をいつも助けてくれる家族と同僚の顔
毎日過ぎているけれど見ることができなかった町の風景
聞こえるのにちゃんと聞けなかった相手の話

自分が今やることを少し休むと
自分の内、外の全体が静かに姿を現します。
人生の中の知恵は自分が何かをして勝ち取るものではなく
止まった後の自然に現れることに
ただ静かに気づけばいいことのようです。

そうやって現れたことに続けて気づいてみると
ある瞬間、わかります。
心の中にはいつも不足して完全でない自分だけがいるのだけではなく
それを静かに眺める観照者がまたいるという事実をです。
太古の静けさで心の中を眺める方がいるということをです。
あるがままを見ながらすぐにわかるその方がすなわち知恵だということをです。

その観照者と親しくなってください。
その方が自分の心の中のどこにいて、どのように考えているか。
普段に知っていたことで想像しようとしないで
沈黙の中ですべての考えや相をみな下ろして
祈りと瞑想と参禅を通して観照するその方を見ようとしてください。

太古の静けさの中に
顔のないその方の顔を見た時
すでに完全な本来の自分に出会ったのです。
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