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祈りは、神の愛をもっと得ようとするのではなく
元々、私たちをいつも愛してくださったということを悟ることです。
衆生だった自分が釈迦になることではなく
元々、釈迦だった事実を悟ることです。
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祈りは祈る対象に
「これをやってください、あれをやってください。」で始まって
「ありがとうございます。」に展開する。
「あなたと同じになりたい。」で昇華されて
結局は言語を超えた完全な存在それ自体となる。
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祈りが深くなると
自分が言う行為より
その方の声を聞くようになり
その方の慈悲心を瞬間、瞬間、感知するようになります。
自分が少なくなって、その方の存在が大きくなって、
言語を超えて完全な存在の中から
その方の愛と慈悲が自分の中にいっぱいに満ちてきます。
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宗教を信じることと行動が深くなるほどに
「自分」という自我意識が低くなって
その低くなったほどに、自分の中の神聖が入って満ちる過程に転換されます。
まだ、自我の拡張のために救助的な祈りをしたのだったならば
これからは自分を下ろす祈りをしなさい。
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祈る時に、時には
「どうか、自分が望む通りに成らせてください。」という祈りも必要ですが
「どんなことが起きても、自分がみな受容できるように
自分の心の器を広げてください。」と祈ることもいいです。
ご覧ください、現金を差し上げますから私の願いを聞いてください
どうか、釈迦と神様とかけひきをしないでください。
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受容するようにしてください。
思ったとおりに事が上手くいかなくても
怒らないで自分を下ろして受容してください。
抵抗するほどに不幸になり、
受容できなかったら受容できるようにしてくださいと祈りなさい。
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因縁がなければ切実に祈りなさい。
因縁が作られます。
宇宙はとんでもない仲人です。
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一体自分が持っている人生の問題をどうやって解くべきかわからないですって。
そうならば、祈りなさい。
周囲四方、集めて本当に答えを求めたら、
自分の中の仏性が、自分の中の精霊が
知恵の門を開き教えてくれます。
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僧が祈りを長い間できる理由は、
他人が上手くいくことを本当に祈る心こそが
自分の心から穏やかで幸福にさせてくれるからです。
今、結婚の司祭の準備をしている私が
一番先に喜び幸福感を感じるように。
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衆生は
自分が望む通りに事が運ぶことを願い、
釈迦は
本人の前にいる人が望むように事が運ぶことを願います。
だから釈迦は毎日よい一日ですが、
衆生は何とかよい一日です。
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衆生はいいことをすると、その痕跡を必ず残そうとして、
聖人は何も後を残さず、いいことだけします。
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聖者であるほど
本人が罪人だと告白します。
自身をだますことができないからです。
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聖者になるということは
他の人のために聖者になるということです。
ピエールデルジュ
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聖職者と先生はどうしても言葉が多くなってしまうが
年をとった聖職者と先生はもっと、もっと、もっと、
言葉が多くなるようです。
どうか、年をとっても自分の話だけ多くする聖職者にならないようにしないと、、、
自分の言葉ばかり多い教授にならないようにしないと、、、
決心して、また決心します。