先日、バイクで旅をしてきました。8月1日午後7時に秋田を出発して、帰宅したのが6日の深夜2時半でした。
3泊6日のロングツーリングでした。
行く先々は何処も気温が高くて、バイクの走行には適した気候とは言えませんでしたが、休憩をとりながらの旅でしたのでなかなか楽しい旅でした。
実は、最近自分のブログの更新が進んでいないと自覚しているのです。
書く題材がないのかというと、そうではなくて、色々と構想していることはあるのですが、なかなか文章にしようとの気力がわいてこないのです。
これは明らかに「脳力」の低下なのです。
ブログなんて所詮は「日記」なんだから、「その時々にあった事を書けばいいじゃん、」と言われそうですが、それさえもなかなかできないのです。
マンネリを打破するのと新たなブログネタを探すのも含めて、バイク旅に出たわけです。日常とは違った行動をしようとの目論見もあったわけです。
結論を言うと今回のバイク旅は、大変有意義なものでした。
1796キロの長旅でした。旅の疲れがなかったかと言われれば、疲れはありました。
古希を目前に控えたロートルライダーには体力的にはきついと感じることがなかったわけではありません。
でも、旅で出会った人たちとの何気ない会話や、旧友との語らい、そしてレアな所の探訪、などが気分転換にはとても役に立ち、心地よい疲労感をもたらしてくれました。
今日は旅で出会った人で、特に印象に残った事柄を二つ紹介してみたいと思います。
一つは「世の中には豪の者がいるものだな」ということです。
秋田を出発してから最初に休憩をとった山形県の「道の駅あつみ しゃりん」で出会ったライダーのお話です。
秋田を発ってからほぼ休みなしに走ってきたので、休憩室で休もうとしたら、先客のライダーがいたのです。
歳のころは50台前半ぐらい、250ccのオフ車に乗っている人でした。バイクは福岡ナンバーでした。
九州からのバイク乗りは東北には珍しいのです。
何日ぐらいでここまで来たのかなと思い、尋ねてみました。そしたら彼の答えはこうでした。
「福岡を一昨日に発ち、その日は鳥取で泊まり、今日の朝に鳥取から走ってきた。」とのことでした。
鳥取から山形県の温海まで一体どのぐらいの距離があるのか、見当が付きません。
15時間以上も走り続けて、「さすがに疲れが眼に来たので、休むことにした」と彼は言っておりました。
「50の歳を超えてからは無理がきかなくなった。疲れが眼に出て、ヤバイと思い休むことにした。」
そしてまた、彼は言葉を続けます。「もう少し若いころには36時間走り続けたこともある。」そうです。
話を聞いてているうちに、彼は唐突に言いました。
「サハリンに行きませんか?」と言い出したのです。
「サハリンって、樺太のサハリンですか?」と尋ねました。
「北海道からサハリンにフェリーで渡るんですよ。サハリンはいいところですよ」とのお話でした。
彼はまたいろんな話をつづけました。あま人が行かないところを旅するのが好きなのだそうで、中南米のボリビア、ペルー、それにキューバにも旅したことがあるとのことでした。ボリビアは特にヤバかった、またキューバはとても良いところだ。と言っておりました。
豊かではないが人々の気持ちがおおらかで、旅人にも優しいとのことでした。キューバのいたるところが「自動車博物館にある車が現実に生きている」とも言っていました。
彼の話はまだまだ続きそうなのですが、ぼくの旅は始まったばかりです、出発することにしました。
「今から夜通し、走るんですか? 気を付けていってください。」の言葉を背に僕はそこから発つことにしました。
周りに明りのない夜の道の駅から見た星空がきれいでした。
夜空いっぱいに広がる満天の星空。そして西の夜空には水平線の上に北斗七星が浮かんでいました。
さて、次に印象に残ったのは名古屋から群馬県の安中市へ向かう高速道で出会った若者の二人組の方です。
ともに400CCに乗っておりました。三重県から来た人たちでした。
サービスエリアのバイク駐車スペースに彼らのバイクがありました。
お互い、どこから来たのか、どこへ向かうのかの話になります。
「ぼくは松本から軽井沢を経由して群馬県に行く途中です。」と言います。
彼らは長野県の美ヶ原高原を目指しているとのことでした。
美ヶ原高原から霧ヶ峰高原は松本への途中でぼくが走ってきたコースなのでした。
「途中まではご一緒になるかもしれませんね。」
彼らは僕より15分ぐらい早くサービスエリアを出発しました。
ゆっくり、一服着けてから僕も出発しました。
30分ぐらい走った頃でしょうか、先行した若者組の2台のバイクが見えてきました。
ぼくは、追い越し車線を走り、彼らに左の手を振り、先に行くよの手振りであいさつを送り、追い抜いていきました。
そしたら彼らも付いてきたのでした。
ぼくのその時の巡航速度は125キロから130キロぐらい。
ぼくはそのままの速度で小一時間ほど走りましたが、いつの間にか後ろを走っていた彼らのバイクはバックミラーに写らなくなっていました。
次のサービスエリアで小休止していたところ、二台のバイクが入ってきました。
さっきまで僕のバイクに追随していた彼らでした。
「オジサン、飛ばしていましたね。付いて行かれませんでしたよ、ぼくらは。」と彼らに言われました。
「このバイクは何CCですか。」
「250CCです。」ぼくは答えました。
「250CCであんなに飛ばして走ってなんともありませんか?」彼らの質問は続きます。
「ハイ、まったく平気です、バイクも人もなんともありませんよ」と僕は答えました。
ヘルメットを取ったら白髪頭のオジンライダーだったので、彼らは少し驚いた様子でした。
そして、「疲れない乗り方ってありますか」の話題になりました。
高速道での疲れない乗り方で気を付けている自分なりの走り方をお話ししました。
ぼくの高速走行はこのような走り方です。
上半身を軽く前傾させ風の抵抗できるだけを軽くするようにする。また、そのために両方の下肢は車体に沿わせて大きくはみ出さないようにする。
そして一定の速度で走る。貰い事故を避けるために、他の車両と混走はなるべく避ける。
そのため、前後を車に挟まれた時には、追い越し区間があれば、速やかに先行して車との車間距離は大きくなるようにする。
追い越しは速やかに行うようにして、車との並走時間をできるだけ短くする。
そのような走り方をすれば、巡航速度が一般の車両よりも早くなり飛ばしている走りになっているのです。
飛ばしているライダーは自分では「飛ばしている」とは実は感じてはいないのです。
バイクでの走りは車で走るよりも神経を使い、しかも単調になりがちなので、向かっていく先で何を観たいのかどんな景色なのかなどに思いを巡らせながら走ると疲れが少ないような気がします。
また、バイクにはラジオもカーステレオも付いていませんが、ライダーの頭の中には実はそれらの物はあるのです。
そうなんです、退屈な時には声に出してカラオケでの十八番なども歌いながら走ったりしてもよいのです。
ともあれ、若者二人組に「オジサン、飛ばしていましたね、でもコーナーでの走り方も安定している。」とのおほめの言葉をいただきました。オジンライダーとしては大満足でした。
秋田を出発した時の家族の「気を付けて行ってこい」の言葉。
友から貰ったハンカチーフをお守りがわりにして、汗を拭くたびに無事で帰ることを自分に誓い、そして旅の途中での友からのメールなどは心の支えになり、何事もなく秋田に帰ってきました。
1796キロのバイク旅は体力的にはキツイものもありました。
でも、バイクに乗ることは機械を操作することだけを行えば良い<定常行動>なのです。
「走る、曲がる、止まる」を繰り返せば目的地までバイクは人を運んでくれるのです。
行った先々での出来事などををブログの記事にするのに実は苦労しているのです。
旅先での人との出会い、旧友との親交、帰りを待ってくれているだろう友や家族、これらがあって1796キロのバイク旅を無事に終えることが出来ました。
飛行機や電車での旅行では味わえない旅でした。
みんなに感謝を言います。
「ありがとうございました」と。
さて、旅先での見たりしたことの記事は、次回以降に続きます。
旅のお供は画像のZZR250です。
早朝に立ち寄った野尻湖で撮ったものです。
別荘地なので早朝ジョギングをしている以外には、あたりにはほとんど人影は見当たりません。
3泊6日のロングツーリングでした。
行く先々は何処も気温が高くて、バイクの走行には適した気候とは言えませんでしたが、休憩をとりながらの旅でしたのでなかなか楽しい旅でした。
実は、最近自分のブログの更新が進んでいないと自覚しているのです。
書く題材がないのかというと、そうではなくて、色々と構想していることはあるのですが、なかなか文章にしようとの気力がわいてこないのです。
これは明らかに「脳力」の低下なのです。
ブログなんて所詮は「日記」なんだから、「その時々にあった事を書けばいいじゃん、」と言われそうですが、それさえもなかなかできないのです。
マンネリを打破するのと新たなブログネタを探すのも含めて、バイク旅に出たわけです。日常とは違った行動をしようとの目論見もあったわけです。
結論を言うと今回のバイク旅は、大変有意義なものでした。
1796キロの長旅でした。旅の疲れがなかったかと言われれば、疲れはありました。
古希を目前に控えたロートルライダーには体力的にはきついと感じることがなかったわけではありません。
でも、旅で出会った人たちとの何気ない会話や、旧友との語らい、そしてレアな所の探訪、などが気分転換にはとても役に立ち、心地よい疲労感をもたらしてくれました。
今日は旅で出会った人で、特に印象に残った事柄を二つ紹介してみたいと思います。
一つは「世の中には豪の者がいるものだな」ということです。
秋田を出発してから最初に休憩をとった山形県の「道の駅あつみ しゃりん」で出会ったライダーのお話です。
秋田を発ってからほぼ休みなしに走ってきたので、休憩室で休もうとしたら、先客のライダーがいたのです。
歳のころは50台前半ぐらい、250ccのオフ車に乗っている人でした。バイクは福岡ナンバーでした。
九州からのバイク乗りは東北には珍しいのです。
何日ぐらいでここまで来たのかなと思い、尋ねてみました。そしたら彼の答えはこうでした。
「福岡を一昨日に発ち、その日は鳥取で泊まり、今日の朝に鳥取から走ってきた。」とのことでした。
鳥取から山形県の温海まで一体どのぐらいの距離があるのか、見当が付きません。
15時間以上も走り続けて、「さすがに疲れが眼に来たので、休むことにした」と彼は言っておりました。
「50の歳を超えてからは無理がきかなくなった。疲れが眼に出て、ヤバイと思い休むことにした。」
そしてまた、彼は言葉を続けます。「もう少し若いころには36時間走り続けたこともある。」そうです。
話を聞いてているうちに、彼は唐突に言いました。
「サハリンに行きませんか?」と言い出したのです。
「サハリンって、樺太のサハリンですか?」と尋ねました。
「北海道からサハリンにフェリーで渡るんですよ。サハリンはいいところですよ」とのお話でした。
彼はまたいろんな話をつづけました。あま人が行かないところを旅するのが好きなのだそうで、中南米のボリビア、ペルー、それにキューバにも旅したことがあるとのことでした。ボリビアは特にヤバかった、またキューバはとても良いところだ。と言っておりました。
豊かではないが人々の気持ちがおおらかで、旅人にも優しいとのことでした。キューバのいたるところが「自動車博物館にある車が現実に生きている」とも言っていました。
彼の話はまだまだ続きそうなのですが、ぼくの旅は始まったばかりです、出発することにしました。
「今から夜通し、走るんですか? 気を付けていってください。」の言葉を背に僕はそこから発つことにしました。
周りに明りのない夜の道の駅から見た星空がきれいでした。
夜空いっぱいに広がる満天の星空。そして西の夜空には水平線の上に北斗七星が浮かんでいました。
さて、次に印象に残ったのは名古屋から群馬県の安中市へ向かう高速道で出会った若者の二人組の方です。
ともに400CCに乗っておりました。三重県から来た人たちでした。
サービスエリアのバイク駐車スペースに彼らのバイクがありました。
お互い、どこから来たのか、どこへ向かうのかの話になります。
「ぼくは松本から軽井沢を経由して群馬県に行く途中です。」と言います。
彼らは長野県の美ヶ原高原を目指しているとのことでした。
美ヶ原高原から霧ヶ峰高原は松本への途中でぼくが走ってきたコースなのでした。
「途中まではご一緒になるかもしれませんね。」
彼らは僕より15分ぐらい早くサービスエリアを出発しました。
ゆっくり、一服着けてから僕も出発しました。
30分ぐらい走った頃でしょうか、先行した若者組の2台のバイクが見えてきました。
ぼくは、追い越し車線を走り、彼らに左の手を振り、先に行くよの手振りであいさつを送り、追い抜いていきました。
そしたら彼らも付いてきたのでした。
ぼくのその時の巡航速度は125キロから130キロぐらい。
ぼくはそのままの速度で小一時間ほど走りましたが、いつの間にか後ろを走っていた彼らのバイクはバックミラーに写らなくなっていました。
次のサービスエリアで小休止していたところ、二台のバイクが入ってきました。
さっきまで僕のバイクに追随していた彼らでした。
「オジサン、飛ばしていましたね。付いて行かれませんでしたよ、ぼくらは。」と彼らに言われました。
「このバイクは何CCですか。」
「250CCです。」ぼくは答えました。
「250CCであんなに飛ばして走ってなんともありませんか?」彼らの質問は続きます。
「ハイ、まったく平気です、バイクも人もなんともありませんよ」と僕は答えました。
ヘルメットを取ったら白髪頭のオジンライダーだったので、彼らは少し驚いた様子でした。
そして、「疲れない乗り方ってありますか」の話題になりました。
高速道での疲れない乗り方で気を付けている自分なりの走り方をお話ししました。
ぼくの高速走行はこのような走り方です。
上半身を軽く前傾させ風の抵抗できるだけを軽くするようにする。また、そのために両方の下肢は車体に沿わせて大きくはみ出さないようにする。
そして一定の速度で走る。貰い事故を避けるために、他の車両と混走はなるべく避ける。
そのため、前後を車に挟まれた時には、追い越し区間があれば、速やかに先行して車との車間距離は大きくなるようにする。
追い越しは速やかに行うようにして、車との並走時間をできるだけ短くする。
そのような走り方をすれば、巡航速度が一般の車両よりも早くなり飛ばしている走りになっているのです。
飛ばしているライダーは自分では「飛ばしている」とは実は感じてはいないのです。
バイクでの走りは車で走るよりも神経を使い、しかも単調になりがちなので、向かっていく先で何を観たいのかどんな景色なのかなどに思いを巡らせながら走ると疲れが少ないような気がします。
また、バイクにはラジオもカーステレオも付いていませんが、ライダーの頭の中には実はそれらの物はあるのです。
そうなんです、退屈な時には声に出してカラオケでの十八番なども歌いながら走ったりしてもよいのです。
ともあれ、若者二人組に「オジサン、飛ばしていましたね、でもコーナーでの走り方も安定している。」とのおほめの言葉をいただきました。オジンライダーとしては大満足でした。
秋田を出発した時の家族の「気を付けて行ってこい」の言葉。
友から貰ったハンカチーフをお守りがわりにして、汗を拭くたびに無事で帰ることを自分に誓い、そして旅の途中での友からのメールなどは心の支えになり、何事もなく秋田に帰ってきました。
1796キロのバイク旅は体力的にはキツイものもありました。
でも、バイクに乗ることは機械を操作することだけを行えば良い<定常行動>なのです。
「走る、曲がる、止まる」を繰り返せば目的地までバイクは人を運んでくれるのです。
行った先々での出来事などををブログの記事にするのに実は苦労しているのです。
旅先での人との出会い、旧友との親交、帰りを待ってくれているだろう友や家族、これらがあって1796キロのバイク旅を無事に終えることが出来ました。
飛行機や電車での旅行では味わえない旅でした。
みんなに感謝を言います。
「ありがとうございました」と。
さて、旅先での見たりしたことの記事は、次回以降に続きます。
旅のお供は画像のZZR250です。
早朝に立ち寄った野尻湖で撮ったものです。
別荘地なので早朝ジョギングをしている以外には、あたりにはほとんど人影は見当たりません。
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