京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

慈尊院 和歌山県九度山町

2024年11月25日 08時14分00秒 | 日記
 真田屋敷跡に続いて慈尊院へと来ました。







平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師空海が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。(当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。


県の指定文化財です。
ご本尊は大日如来さまが安置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。

現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。









しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。

弥勒堂
国の重要文化財に指定されています。
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。

お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。




「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。

しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。

母親想いの弘法大師は時折山を降りられ、御母公さまにお会いに来ていたそうです。





慈尊院」の名の由来

慈尊院の本尊である弥勒菩薩さまは、別名「慈尊」といい、そこから慈尊院と呼ばれるようになりました。 

お母様の命日が2月5日であることから、毎月5日は弥勒縁日となっており、ご近所の方々がお参りになられるそうです。



高野山町石道

九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。

その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。








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