船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

海の色---世界の美しさ

2010-09-03 | 地球の姿と思い出
成田を離陸して約15分、水平飛行に入ったとき、私はグレープフルーツ程の球体を思い浮かべる。地球を1億分の1に縮小すると、ちょうどグレープフルーツ程度になるからである。

1億分の1の世界では、地球は半径 6.37cmの球、飛行高度 12,000mは、僅か 0.12mm。富士山の高さは 約0.04mm。背丈 160cm 程度の人間は、0.000016mm(1.6mmの十万分の1)になる。

500枚コピー用紙のパッケージから紙の厚さを推定すると、A4コピー用紙の厚さは約0.086mm程度である。地球を、1億分の1の球体に置き換えると、富士山はコピー用紙の厚さの半分ぐらいの厚さに等しい突起になる。

多くの宇宙飛行士は、地球は美しい天体だという。美しさに加えて、その表面の滑らかさは鏡面仕上げに近い非常に完成度の高い球体と考える。

その美しい球体の表面は、いろいろな表情と姿をもっている。たとえば、海。

このブログの背景は南国の「ビーチ」である。ベージュの砂浜は、緑色の渚から紺碧の水平線に続いてゆく。空には白い雲と心地よい風が吹くサンゴ礁の海である。半ズボンとサンダル履きが似合う風景である。

また、北国の海、北海は暗い雲に覆われた鉛色の海面を思い出す。霧に包まれた灰色の海は陰気だが、そこから立派なロブスターが陸揚げされる。蒸しロブスターを前に骨太な男女が談笑するレストランを思い出す。外は寒いが、暖炉の火は絶えることなく夜は静かに更け行く。

さらに、赤道無風帯では、大きな太陽、まったくの無風に海面は鏡のように静まり返る。その静けさに時が止まったと錯覚する。唯一つの動きは、本船(自船)が広げる白いレースのような波である。しかし、その白さはたちまち濃紺の海に吸い込まれて、鏡の表面のように静止する。水深とともに濃くなっていく海の青さは、神秘的としか云いようがない。赤道無風帯の海は、深さのある3次元の青さ。如何なる画家も表現できない“自然”そのものである。その波に見入っていると、動と静が混在して時を忘れる。

最後にもう一つ、ほのるる丸の船尾で見た夜光虫のトンネルが印象的だった。星明りの紅海を航海したとき、スクリューに巻き込まれた夜光虫が緑色に輝いていた。その輝きは水面下3、4メートルに直径4、5メートルの緑色のトンネルになって、3、40メートル後方の黒い海まで続いていた。まぼろしのように 海中遠くまで続く緑色のトンネルは、今も鮮明に頭に残っている。

まだまだ話は尽きないが、さまざまな表情を持つ海は化粧なしの地球の素顔である。このブログは素顔の世界、大きな指輪に派手なイアリングおまけに付けまつ毛、まるで満艦飾でペンキ塗りたてのような厚化粧とは別の世界である。私は、海の素顔が汚染されることなく、いつまでも美しくあって欲しいと願うものである。

ここまでは、自然な地球の姿に触れてきた。次回は、各地で出会った人々を含む話に進んでいく。

なお、9月4日から11日まで、「生産管理の理論と実践」の英語版の話でバンコクに出張、その間にラヨーンの工場を見学する予定である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする