市場(3)から続く。
5)市場の進化・・・外観の変化
このブログが参考にする「世界の美しい市場」は65の市場を紹介している。それぞれは古くからの魅力的な市場である。ページごとに現れるカラフルな写真につい見入ってしまう。
ここにいくつかの市場を紹介する。建物の外観はテント張りの夜店から近代的なドームまで、さらに路面電車でアクセスできる市場もある。
下の写真はバンコクのタラートロットファイ・ラチャダーの夜店である。この夜店の発祥地がタイ国鉄の倉庫だったので、タラート(市場)、ロットファイ(鉄道)と呼ばれる。タイ国政府観光庁のデータには店舗数は約1,000とある。
タラートロットファイ・ラチャダー(バンコク)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.116-117
ちなみに、2000年から12年まで筆者はバンコクと日本を行き来したが、この市場を訪れる機会はなかった。しかし、バンコクには同じような夜店があちこちに現れる。
たとえば、バンコクの繁華街、シーロム通りでは暑さがおさまる夕刻から舗道の両サイドに夜店が立ち並ぶ。さらに、シーロム通りと交差する幅20mほどのパッポン通りやタニヤ通りは道全体が夜店になる。勤めを終えた市民や観光客で夜店と軒先を夜店に貸す商店は共に活気を帯びる。一陣の風とともに通り過ぎるスコールに備えて夜店はさまざまな色のテント張りである。店の数は分からないが、シーロムの中心地におびただしい数の夜店が夜9時頃まで出現する。
余談になるが、BTS(バンコク高架鉄道)北端のウィークエンド・マーケットは世界的に有名な観光スポットである。幅約100m、長さ約300mの敷地に小さな店舗が、27区画(Section)にわたって並んでいる。インターネットでは、その数を“15,000以上”とする記事が多いが、筆者が配置図で求めた店舗数は約8,500だった。他に、配置図に載らない屋台などを含めると店舗数は1万店を超えるのかも知れない。1店舗3人とみれば、3万人ほどの人が働いていると推定できる。営業時間は土日9:00~18:00であるが、金曜日も営業する店があるので注意されたい。
次は中東の代表的な市場である。
中東の市場にはバザールという語がふさわしい。デジタル大辞泉はバザール(bāzār=ペルシャ語)を次のように定義する。
1 南アジアや中近東、バルカン半島などに見られる都市の市場。ふつう屋根をもつ歩廊式の建物内に商店や工房が並ぶ。
2 デパート・大商店などの特売会。また、特設売り場。
下の写真は、イスタンブールのバザールである。1461年に完成、今日まで増改築を重ねてきたので建物が複雑な迷路になったという。007の映画に出て来そうなイメージである。
グランドバザール(イスタンブール)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.84-85
「世界の美しい市場」によれば、現在の店舗数は4,000、年間来場者は9,000万人で世界最大の市場という。このバザールの店舗は店構えもしっかりしている。写真左上はアラジンの魔法のランプに似たトルコ・ランプ、左下は大小のカラフルな陶器である。見るからにイスラムの市場、店の物陰に古代文明の遺品が眠っていそうな感じがする。
次はロンドンである。同じく「世界の美しい市場」によれば、14世紀からのロンドン最古のマーケットである。生鮮食料品店やレストランを中心とするアーケード街であり、「ハリー・ポッターと賢者の石」のロケ地にもなった。ビクトリア様式の豪華なアーケードは1881年にサー・ホレイス・ジョーンズがデザインしたという。
レドンホール・マーケット(ロンドン)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.22-23
次は2014年にオープンしたロッテルダムの市場である。トンネル型の天井に描かれた壁画は芸術作品を思わせる。1.1万㎡のドームに生鮮食料品、チーズ類を始め、レストランが軒を並べるという。
マルクトハム(ロッテルダム)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.40-41
下の写真は、バルセロナの蚤の市である。この市場も14世紀から始まったが2013年にリニューアル、オープンした。建物の設計者は地元建築家フェルミン・パスケスである。ヨーロッパの蚤の市らしく、品物は日用品、雑貨、アンティーク、何でもありのガラクタまで多様である。写真は3階の見晴らしがいいフード・コートである。写真右に超高層ビル、トーレ・アグバール(高さ144m)が見える。
エンカンツの蚤の市(バルセロナ)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.11-12
ヨーロッパでは市場のリニューアルが進む一方、アメリカやオーストラリアには、市場と路面電車の風景もある。
下の写真は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフである。写真の路面電車は普通の市電だが、近くにケーブル・カーの駅もある。筆者の経験では、ケーブル・カーの駅は観光客で長蛇の行列になることが多い。
フィッシャーマンズワーフ(サンフランシスコ)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、p.68
下の写真は、ファーマーズマーケットの時計台と路面電車である。路面電車のレールは100mちょっと、無料で乗車できるが子供だましである。野菜、肉、魚、果物が中心で、フード・コートの屋台にはあらゆる種類の食べ物が並んでいるという。
ファーマーズマーケット(ロサンゼルス)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.66-67
下の写真は、ちょっとレトロな路面電車(トラム=市電)が走るメルボルンのマーケットである。南半球で最大規模の市場といわれビーフ、鮮魚、野菜を始めとする食品が豊富とのことである。
クイーンヴィクトリアマーケット(メルボルン)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、p.110
筆者の最後の航海は、ブリスベーン、シドニー、メルボルン、アデレードだった。ブリスベーンを除く寄港地では、1966年当時も市電が走っていた。メルボルンの市電はコストの問題で一時は経営が危なくなったとインターネットにある。しかし、今では市中心部にFree Tram Zone(無料区間)を設け、市民の足として活躍している。アデレードのトラムにも無料区間があるが、シドニーのトラムには無料区間はない。将来のコンパクト・シティーの参考になる。
なお、筆者のホームタウン、京都市は市電を1978年秋に全廃したが、あの判断はあまりにも近視眼的だった。反面、アメリカの連邦交通省は1970年からLRTの研究を始め、たとえば車社会最右翼のヒューストンでさえも2000年頃から路面電車の工事が始まり、2016年にはヒューストン大学にまで線路が伸びてきた。現在も路線ネットワークを拡張中である。【参考:ヒューストン再訪(4)---LRT(路面電車)】
世界を見渡すと、テント張りの原始的な市場が時の流れに乗って立派な建物に進化し、さらに建物自体に芸術・文化の要素が加わる。この変化は、初期のホミニン(ヒト族)の知的能力が石器造りという「実用的な行動」から小像や洞窟壁画の制作という「非実用的な行動」に進化したのに類似している。人類は、実用的な行動⇒非実用的な行動⇒芸術創作⇒想像力や記憶⇒数学や物理学の発達と云うパス(経路)を辿ってきたと「最古のの文字なのか?」(G.von ペッツインガー著)は指摘している。
ソクラテスが指摘したように、自給自足ができない人類は市場とははじめから切っても切れない仲にある。その市場の変遷を見ていると、人類の将来が幻のように浮び上ってくる。その幻の中で、テクノロジー、とりわけSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)の重要性に思い当たる。
この辺りで市場を切り上げて、ジブラルタルのThe Rock頂上のカフェテリアに移り、コーヒーを飲みながら少子高齢化社会と日本の姿を考えたい。
続く。
5)市場の進化・・・外観の変化
このブログが参考にする「世界の美しい市場」は65の市場を紹介している。それぞれは古くからの魅力的な市場である。ページごとに現れるカラフルな写真につい見入ってしまう。
ここにいくつかの市場を紹介する。建物の外観はテント張りの夜店から近代的なドームまで、さらに路面電車でアクセスできる市場もある。
下の写真はバンコクのタラートロットファイ・ラチャダーの夜店である。この夜店の発祥地がタイ国鉄の倉庫だったので、タラート(市場)、ロットファイ(鉄道)と呼ばれる。タイ国政府観光庁のデータには店舗数は約1,000とある。
タラートロットファイ・ラチャダー(バンコク)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.116-117
ちなみに、2000年から12年まで筆者はバンコクと日本を行き来したが、この市場を訪れる機会はなかった。しかし、バンコクには同じような夜店があちこちに現れる。
たとえば、バンコクの繁華街、シーロム通りでは暑さがおさまる夕刻から舗道の両サイドに夜店が立ち並ぶ。さらに、シーロム通りと交差する幅20mほどのパッポン通りやタニヤ通りは道全体が夜店になる。勤めを終えた市民や観光客で夜店と軒先を夜店に貸す商店は共に活気を帯びる。一陣の風とともに通り過ぎるスコールに備えて夜店はさまざまな色のテント張りである。店の数は分からないが、シーロムの中心地におびただしい数の夜店が夜9時頃まで出現する。
余談になるが、BTS(バンコク高架鉄道)北端のウィークエンド・マーケットは世界的に有名な観光スポットである。幅約100m、長さ約300mの敷地に小さな店舗が、27区画(Section)にわたって並んでいる。インターネットでは、その数を“15,000以上”とする記事が多いが、筆者が配置図で求めた店舗数は約8,500だった。他に、配置図に載らない屋台などを含めると店舗数は1万店を超えるのかも知れない。1店舗3人とみれば、3万人ほどの人が働いていると推定できる。営業時間は土日9:00~18:00であるが、金曜日も営業する店があるので注意されたい。
次は中東の代表的な市場である。
中東の市場にはバザールという語がふさわしい。デジタル大辞泉はバザール(bāzār=ペルシャ語)を次のように定義する。
1 南アジアや中近東、バルカン半島などに見られる都市の市場。ふつう屋根をもつ歩廊式の建物内に商店や工房が並ぶ。
2 デパート・大商店などの特売会。また、特設売り場。
下の写真は、イスタンブールのバザールである。1461年に完成、今日まで増改築を重ねてきたので建物が複雑な迷路になったという。007の映画に出て来そうなイメージである。
グランドバザール(イスタンブール)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.84-85
「世界の美しい市場」によれば、現在の店舗数は4,000、年間来場者は9,000万人で世界最大の市場という。このバザールの店舗は店構えもしっかりしている。写真左上はアラジンの魔法のランプに似たトルコ・ランプ、左下は大小のカラフルな陶器である。見るからにイスラムの市場、店の物陰に古代文明の遺品が眠っていそうな感じがする。
次はロンドンである。同じく「世界の美しい市場」によれば、14世紀からのロンドン最古のマーケットである。生鮮食料品店やレストランを中心とするアーケード街であり、「ハリー・ポッターと賢者の石」のロケ地にもなった。ビクトリア様式の豪華なアーケードは1881年にサー・ホレイス・ジョーンズがデザインしたという。
レドンホール・マーケット(ロンドン)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.22-23
次は2014年にオープンしたロッテルダムの市場である。トンネル型の天井に描かれた壁画は芸術作品を思わせる。1.1万㎡のドームに生鮮食料品、チーズ類を始め、レストランが軒を並べるという。
マルクトハム(ロッテルダム)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.40-41
下の写真は、バルセロナの蚤の市である。この市場も14世紀から始まったが2013年にリニューアル、オープンした。建物の設計者は地元建築家フェルミン・パスケスである。ヨーロッパの蚤の市らしく、品物は日用品、雑貨、アンティーク、何でもありのガラクタまで多様である。写真は3階の見晴らしがいいフード・コートである。写真右に超高層ビル、トーレ・アグバール(高さ144m)が見える。
エンカンツの蚤の市(バルセロナ)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.11-12
ヨーロッパでは市場のリニューアルが進む一方、アメリカやオーストラリアには、市場と路面電車の風景もある。
下の写真は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフである。写真の路面電車は普通の市電だが、近くにケーブル・カーの駅もある。筆者の経験では、ケーブル・カーの駅は観光客で長蛇の行列になることが多い。
フィッシャーマンズワーフ(サンフランシスコ)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、p.68
下の写真は、ファーマーズマーケットの時計台と路面電車である。路面電車のレールは100mちょっと、無料で乗車できるが子供だましである。野菜、肉、魚、果物が中心で、フード・コートの屋台にはあらゆる種類の食べ物が並んでいるという。
ファーマーズマーケット(ロサンゼルス)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、pp.66-67
下の写真は、ちょっとレトロな路面電車(トラム=市電)が走るメルボルンのマーケットである。南半球で最大規模の市場といわれビーフ、鮮魚、野菜を始めとする食品が豊富とのことである。
クイーンヴィクトリアマーケット(メルボルン)
出典:「世界の美しい市場」エクスナレッジ、2017年5月、p.110
筆者の最後の航海は、ブリスベーン、シドニー、メルボルン、アデレードだった。ブリスベーンを除く寄港地では、1966年当時も市電が走っていた。メルボルンの市電はコストの問題で一時は経営が危なくなったとインターネットにある。しかし、今では市中心部にFree Tram Zone(無料区間)を設け、市民の足として活躍している。アデレードのトラムにも無料区間があるが、シドニーのトラムには無料区間はない。将来のコンパクト・シティーの参考になる。
なお、筆者のホームタウン、京都市は市電を1978年秋に全廃したが、あの判断はあまりにも近視眼的だった。反面、アメリカの連邦交通省は1970年からLRTの研究を始め、たとえば車社会最右翼のヒューストンでさえも2000年頃から路面電車の工事が始まり、2016年にはヒューストン大学にまで線路が伸びてきた。現在も路線ネットワークを拡張中である。【参考:ヒューストン再訪(4)---LRT(路面電車)】
世界を見渡すと、テント張りの原始的な市場が時の流れに乗って立派な建物に進化し、さらに建物自体に芸術・文化の要素が加わる。この変化は、初期のホミニン(ヒト族)の知的能力が石器造りという「実用的な行動」から小像や洞窟壁画の制作という「非実用的な行動」に進化したのに類似している。人類は、実用的な行動⇒非実用的な行動⇒芸術創作⇒想像力や記憶⇒数学や物理学の発達と云うパス(経路)を辿ってきたと「最古のの文字なのか?」(G.von ペッツインガー著)は指摘している。
ソクラテスが指摘したように、自給自足ができない人類は市場とははじめから切っても切れない仲にある。その市場の変遷を見ていると、人類の将来が幻のように浮び上ってくる。その幻の中で、テクノロジー、とりわけSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)の重要性に思い当たる。
この辺りで市場を切り上げて、ジブラルタルのThe Rock頂上のカフェテリアに移り、コーヒーを飲みながら少子高齢化社会と日本の姿を考えたい。
続く。