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幻のコンパクト・シティー(4)---バリア・フリーとセルフ・サービス

2021-05-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(3)から続く。

(5)自由な移動への願望
数年前(2016/10)に脳梗塞で歩行が困難になった。バランス感覚を司る小脳の梗塞で歩行どころか、ベッドの端に腰を掛けても激しい目まいに襲われた。

まず頭に浮かんだのは、今後は自立歩行が困難、ベッドの足元に揃えられた靴を見て、この靴を履いてこの病室を出ることもないだろうと覚悟した。昨日までの自由歩行、その「有り難み」が身に染みたが後の祭りだった。

しばらくすると車椅子で検査やトイレに行けるようになった。しかし、そのたびごとに介護師さんや看護師さんの助けが必要---自分の不自由ばかりか、周囲の人の助けがなければ動けないことに気付いた。

この時、数ヵ月前(2016/7)に訪れたヒューストン大学(UH)のキャンパスを思い出した。

(6)「なぜエスカレーターがなくエレベーターだけなのか?」
当時は気にしなかったが、1966年に入学したUHのキャンパスにはエスカレーターがなかった。

           UH学生センターStudent Center1F
           
           出典:University of Houston HP, Campus Map

上の写真は現在の学生センターの1階である(Student Center:地図中央)。この建物にも昔からエスカレーターはなかった。

下の地図はUHのキャンパス地図(UH Campus Map)である。

           UH(University of Houston)キャンパス地図
            
           出典:University of Houston, Campus Map(建物クリックで建物の写真表示)
           
【キャンパス地図の概要】
①キャンパスの面積=約270万㎡(縦横約1.6km、日本の皇居230万㎡よりやや広い)
 (現在、上の地図には134棟の建物があるが、筆者の知る限りではエスカレーターを見たことがない。
  2016年夏にiD Techに参加する孫と一緒に筆者たちが泊まった学生センター向かいの8階建てヒルトン
 にもエスカレーターはなかった。)
②建物出入り口はスロープと自動開閉ドアでバリア・フリーになっていた。
 (古い建物の観音開きドアも自動開閉になっていた。)
③障害のある学生専用のセンター(Center for Students with DisAbilities:紫色建物)は専門的な支援
 を学生たちに提供する施設である。
 (センターのコンピューター実習室では、障害のある学生へのIT教育に力を入れている。失読・書字/計算障
 害の学生にも対応している。アメリカは障害者へのコンピューター支援先進国だった。)
④車椅子利用者の移動はUHキャンパスだけでなく、市内の公共交通機関とも連携している。
 (METRORail(路面電車)、METROBus(バス)、METROLift(マイクロバス)は車椅子乗車に対応)
          
           METROLift(マイクロバス)への乗車サービス 
            
           出典:METROLiftのHP
           筆者コメント:METROLiftに電話すると利用場所までマイクロバスが迎えに来る。
           利用料は路線バスと同じ、1.25ドル/回、回数券、定期券あり。

UHキャンパスにはエスカレーターがないが、ヒューストン市内のショッピング・モールにはエスカレーターが随所にある。しかし、必ずその横に大型のエレベーターがあり、エスカレーターに不安のある人や車椅子の人が利用する。

ちなみに、1960年代はアメリカのベトナム戦争時代だった。筆者の勝手な想像だが、戦争で負傷したが大学で新しい将来にチャレンジしようとする人もいただろう。そのようなケースへの対応が「なぜエスカレーターがなくエレベーターだけなのか?」だったと筆者は自問自答、納得した:「大学の姿自体」が貴重な先生だった。

(7)セルフサービス
古い記憶になるが、船乗りの頃、ドイツのハンブルグからタクシーで繁華街に向かうことがたびたびあった。タクシーはベンツの武骨な箱型車だったが、エルベ川を渡るとき川岸のエレベーター・ステーションで頑丈なリフト(車専用エレベーター)を呼び出し、地下トンネルでエルベ川を対岸に渡った。この時、リフトの操作はタクシー運転手のセルフサービス、セルフサービスだから深夜でもいつでも自由に川を渡れる仕組みだった。リフト内の蛇腹式引き戸を開け閉めするドライバーの後ろ姿を今も思い出す。

個人主義のセルフサービスは「据え膳」より「自由」を好む。しかし、その「自由」は「自分の身は自分で守る」、「自分の道(人生)は自分で決める」、「他人の道は妨害しない」などに通じる。しかし、「他人への善意ある支援」か「見て見ぬふり」は重要な分岐点になる。この分岐点において筆者は「他人への善意ある支援」の方向に舵を切る。その先には「見て見ぬふり」の代りに「行動」がある。

幸い、UHのキャンパスは障害のある学生が電動車椅子で単独で自由に行動できる世界、言い換えれば「他人への善意ある支援」を前提にするセルフサービスの世界だった(注:電動車椅子は高価だが補助金がでる)。もし彼らにトラブルがあれば通りがかりの人が手助けをする世界でもあった。この時は見て見ぬふりはNG、黙って手を差しだす勇気の出番になる。

(8)デジタル化の遅れにバリア・フリーの遅れを追加
ここで日本に目を移すといろいろなことが見えてくる。

2021年5月の日本では、エレベーターなしの低階層集合住宅やアパートが意外に多い。エレベーターの有無は屋上に機械室がないので直ぐ分かる。

また、人が集まる駅や大型商業ビルにはエスカレーターが完備しているが、エレベーターは小ぶりである。小ぶりなためか、地下商店街などの片隅に身を潜めているように見える。今流に言えば、ビルの片隅でなく、人流が多い正面などに多目的トイレとともに堂々と配置して欲しい。

ここで、急に知人の後悔を思い出した:彼は30年ほど前に5階建ての立派な集合住宅を買ったが、その公営住宅にはエレベーターが付いていなかった。彼いわく“買ったときは思いもしなかったが、足腰が弱くなるにつれて、5階もの階段を毎日上り下りするのが辛くなってきた”と。もし筆者なら深刻な問題になる。

参考だが、エレベーター関連の法令を調べてみると、高さ31m超えの建物に非常用昇降機(エレベーター)設置を義務付ける建築基準法や複雑なバリアフリー新法、さらに地方自治体条例などがある。資料によると、高さ31mの建物は10階建てのビル相当とか、素人の筆者には理解できない「エレベーター設置義務」である。詳しい内容については、次のエレベーターの設置義務は法律や条例に従う(設置届についても解説) を参照されたい。

「エレベーター設置義務」については素人の出る幕ではないので筆者は退散するが、足腰が弱る高齢社会においては大変な問題だと思う。

今まで筆者は日本社会のデジタル化の遅れに気を取られていたが、バリア・フリー化の遅れにも気付いた。バリア・フリー化もデジタル化と同様、高齢社会の基本的なニーズである。【参考:2040年頃には65歳以上の人口が4割近くに増加する。】・・・もし高齢者の3割に歩行障害があると仮定すれば、その数は1,100万人(3,700万人x0.3)、2045年の日本人口9,700万人の一割以上の数字になる。そのとき日本に何が起きるか、想像するだけでも先は暗い。

続く。

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