カサブランカ(3)から続く。
前回は、アラビア文字の数字やパンナム航空への懐かしさで遠い思い出ばなしに脱線した。
6.IT時代の幕開け
これも1966、7年頃のヒューストンの話だが、50年代に宇宙開発と共に発達したコンピューターは、60年代には大学や臓器移植の医療機関で活躍した。同時に、大学の理系科ではプログラミングが必須単位、専門知識を教えるコンピューター・サイエンス学部は女性学生が8割以上だった。
70年代には世界各地で、一般企業もコンピューターを導入し始めた。先進・後進国を問わず雨後の竹の子のように業務システムが乱立した。当時は、事務処理を機械化する手造りシステム、いわゆる“合理化システム”だった。
電子計算機は人類にとっては新しいテクノロジーの産物、使い方に不慣れのせいか、コンピューター化の弊害もあった。設計と試作の自動化により試作品の山を築いたり、標準化に反して類似部品が製品コストを押し上げた。しかし、この種のシステム・トラブルは技術的&運用性&経済性の評価で、次第に改善していった。
他方、後進国では感情的な風評もあった。70年代のインドでは、コンピューターに職が奪われると労組が反対した。各地に大掛かりなコンピューター輸入反対デモが起こった。
労組の指導者たちは、既存の仕事がなくなることを恐れるだけ、新しい高付加価値の仕事が生まれることに頭が回らなかった。案の定、数学に強い国柄のため80年代後期には、欧米のシステム開発の良き外注先になった。また、英語圏からのコール・センターの仕事も増加、インド訛りの英語を矯正する専門学校も繁盛し、多くの若い女性が職を得た。コンピューター音痴に根差すトラブルは今も昔も変わらない。
筆者も日本企業のシステム部門を担当していたが、PA001やPA002便でイラン、東南アジア、アメリカへの出張が多くなった。システム支援のついでに、乞われてアメリカの現地会社でシステム要員の採用にも立ち会った。人事担当者から面接相手の性別を尋ねないようにといわれたのを今も覚えている。70年代初頭のアメリカでは、雇用や教育の人種・性別の差別がない“Equal Opportunity"(機会均等)を指向していた。
“合理化システム”の開発は、現状分析で始まり現行業務の省人化を達成する。システム開発側とユーザー側が協同で現状を見直し、問題点を見付け、解決策を考える。この作業はお互いに“教え・教えられる”ことである。開発後、新システムへの移行では従業員を教育する。時には、簡単なコンピューター入門教育が必要なケースもあった。
7.教育の「叱咤激励」型と「個性尊重」型
一歳で父を亡くし、以来母が小学校の先生になって、祖母と共に4人の子供を育てた。姉が2人と兄が1人、全員学費が安い国公立卒、筆者は末っ子のためか、のんびりと2浪、アメリカ留学には誰からも反対はなかった。
私費留学のアメリカでは、自炊とアルバイトは時間のロスと考えて、勉強に励んだ。奨学金を意識したわけではないが、入学2年目から助手として採用されて報酬を受けた。さらに、学費の減額、図書購入費の割引、研究室の貸与などかなり優遇されたので、修士課程を卒業後も博士課程に在学、勉学を続けた。
日本流の「デキる子」ではなかったが「努力家」で「自分の道は自分で開く」タイプ・・・商船大学の遠洋航海で訪れたシアトル(北米)とハワイの日系移民の生き方に感銘を受けた。
65歳の頃、仕事の必要性で約2ヶ月間アメリカの大学で聴講した。また、この頃から7年間、バンコクで仕事の合間に日系企業の日本人社員に年数回、1回3時間の生産管理とシステムの無償セミナーを続けた。
筆者が経験した日本とアメリカの学校教育には大きな違いがあるので、それぞれの特徴を次のように整理する。
日本の教育・・・日本の小学校から大学までの経験(60~70年前)
先生の「叱咤激励」が記憶に残っている。また、大勢の生徒が運動場に集まる光景が目に浮かぶ。日本の教育は「多量生産システム」に思える。
小、中、高校までは1クラス50人が6~8クラス、商船大学は30人、航海科と機関科共に2クラス、1学年120人だった。参考だが、航海と機関に1人ずつ沖縄からの留学生を受け入れていた。当時の沖縄はアメリカの統治、国際法の国旗掲揚権により、沖縄の船舶は日章旗でなく米国旗を掲揚していた。
「多量生産システム」の運用方針は「叱咤激励」であり、「暗記」を重視する。暗記は記憶力を重視することになり、その副作用として「カンニング」という行為が生まれる。筆者の記憶では、教科書と先生の教えを覚えることが勉強だった。教科書を覚える、数式を覚える、法律の条文を覚える、覚える=暗記であり、教えられたことをその通りに応えると正解だった。このシステムは、生徒の頭の中に画一的な知識を効率的に刷り込ことができる。
また、頭の教育だけにとどまらず、体操でも同じことがいえる。たとえば逆上がりが不得意な生徒も皆と同じようにできるように「叱咤激励」される。
ここで忘れてはいけないが、日本にも「個性尊重」型の教育がある。たとえば、筆者の家庭教育、結果は2浪だったが、2浪したため今日までの貴重な人生を得たと満足している。
アメリカの教育
経験の時期:アメリカの大学院(50年前の卒業と15年前の聴講、孫のインター(6年前~現在在学)
アメリカの大学とインター(ナショナル スクール)の小中学校に共通する印象は「個性尊重」である。このタイプの教育では、生徒の独創的な考え方(Originality)を高く評価する。大学の試験では、参考書の持ち込みはOK、日本では暗記を勉強だと誤解していた。
次に、大学と小中学ともに、プレゼンテーション(Presentation=発表)とコミュニケーションの能力および文章力を重視する。インターは母語の能力を重視する(母語を軽視すると外国語は上達しないと筆者も同感)。
「個性尊重」型の教育の典型的な例はアメリカのiD Tech Campである。ゲーム設計では、先生は生徒の発想を尊重しながらゲームが完成するように生徒を指導する。少人数で個別指導、しかし全員で遊び、一緒に昼食をとる。そこで専門知識と人との協調性を教える。
「個性尊重」と言えば、ソクラテスの“好きこそ物の上手なれ”という言葉を思い出す。彼は「人には得意と不得意がある。人が自分に合った品物を作るとき、簡単により良いものを多量に生産できる」と指摘した。【参照:想像の旅---アレクサンドリアの図書館(2)2017-08-25】
インターでは、まず先生が生徒の得意とすることを褒めることから始まる。そこで、生徒は満足感と自信を持つ。同時に、次回への意欲を持ち始める。
先生の褒め言葉⇒子供の満足感と自信⇒次回への意欲⇒先生の褒め言葉⇒・・・
ここにポジティブ(前向き)なフィードバック・システム(Feedback System=結果を次に反映させる)が成立する。筆者の孫は、今回ボストンの先生に褒められて、次回のiD Techは上級のクラスを望んでいる。
また、インターの父兄面談では、大抵の父兄は先生に子供の長所を褒められてHappyな気持ちになると云う(筆者の娘や他の父兄談)。日本の学校のように、父兄まで「叱咤激励」されることはないらしい。さらに、インターでは子供が試験で好成績を取ると先生、時には校長先生からお褒めのe-mailが家庭に届くこともある。そこで、子供は家族からも褒められて、ますます前向きになる。
なお、アメリカにも職業訓練や資格試験には「叱咤激励」型の教育があると考えるが、筆者には経験はない。運転免許の筆記はぶっつけ本番の〇X式、実地試験は自分の車に試験官を乗せて試験場がある住宅街を走行、合格した。
ここで筆者の意見を付け加えると、日本の「叱咤激励」型の学校教育では「落ちこぼれ」がでる。しかし彼らの中にはアメリカの教育で価値ある人生を切り開く人もいると思う。筆者も日本の入試で2年も「落ちこぼれた」が、アメリカの大学で水を得た。
続く。