コンパクト・シティーの姿(5)から続く。
1.日本人口の右肩下がり
「世に在るものには寿命がある。生き物はもちろん、身の回りの品物や食べ物にも寿命がある。」(日本の将来---5.展望(23):日本の工業製品:ものの寿命、2016-03-25より) たぶん、「盛者必衰の理・・・」は国家やこの地球にも当てはまると思う。
過去には戦争、疫病、気候変動などで消滅した国も多い中、日本はこの地球に現れてすでに久しい。しかし、その人口は2008年に1億2800万人のピークを記録、その後は人口減少に転じた。つまり、右肩上がりの人口は2008年に右肩下がりの時代に変化した。
思えば日本の歴史は人類史上ではユニークな存在だと思う。人類史に根強い男尊女卑を尻目に、平安の女流文学はこの地球に今も優雅に輝いている。また、日本建築、刃物、工芸品、衣類や食品の加工技術は、多様な道具で独特の「美」と「文化」を生み出す存在、インバウンドの外国人たちにもファンが多い。
また、教育面では国民の向学心は高く、江戸時代の寺子屋は現代アメリカのSTEM教育に匹敵する児童教育だった。さらに、近年は自然科学系のノーベル賞で日本人は人類に貢献している。最後になるが、正直でまじめな国民性は大昔から変わりない。この国民性を育てたのは、金(カネ)や地位でなく好奇心や探究心に根ざす向学心である。
参考だが、平安京の推定人口は12~13万人、平安時代(900年)の日本の人口は約550万人*との説がある。頭数(アタマカズ:Head-count)は少ないが、その存在価値は大きい。【参考*:「第1節 日本の 人口 の変化 - 内閣府ホーム」】
ここで観点を変えるが、組織論にみる企業のライフ・サイクルは幼年期→成長期→成熟期→衰退期という。このサイクルでは、衰退期の次に来るのは消滅と思われるが、実際には、衰退期で業務体制を革新、新たな成長期に進んでいくケースも多い。しかし、PA001(西回り)とPA002(東回り)の世界一周便で有名だった大手航空会社パンナム(Pan Am,US)は65年弱で消滅した:1927設立-1991倒産。
参考だが、世界の長寿企業ランキング(周年事業ラボ)によれば、日本には創業100年企業が33,075社、200年企業が1,340社である。100年と200年企業数はそれぞれ世界1位、100年と200年の2位から10位は欧米企業である。また、別資料(10MTV)によると日本には創業1000年超えの企業が7社ある。もちろん、世界最古で業種は建築、華道、旅館、宗教用具製造業である。7社のうち2社は聖徳太子関係である。
話しを戻すが、すでに紹介した「タスク・フォース:日米3つのケース」では、成長期と成熟期を通じて「継ぎはぎだらけ」になった「レガシー・システム」を「タスク・フォース」でコンピューター・システムと業務を改革した。その改革を突破口に、新しい世界に進んでいったが、そこには全責任を背負う社長の一貫したリーダーシップがあった。
その改革には、社長の優れたSTEM感覚、最新IT技術の導入と業務改革、次世代を担う人材育成、物流ネットワークの再編成もあった。物流ネットワーク、つまりサプライ・チェーンは製品受注、生産、倉庫、顧客をカバーする24時間ノンストップのグローバルな物流ネットワークだった。
アメリカの2ケースでは、物流だけでなく、財務諸表もコーポレート(全社ベース、国際会計基準ベース)とローカル(現地ベース=現地公用語⇒現地国商法ベース)を2本立てで一元管理、各国の事業所の財務状況も透明になった。月末の財務諸表(月末締めから4~5日遅れの一山の書類)がオンライン画面で閲覧できるようになった。「経営視界の改善(Improvement of Management Visibility)」は社長が持ち歩くパソコンの画面で実現した。
(1)医療品のサプライ・チェーン
ふたたび話題を変えるが、この先の議論にも関係するのであえてここで日本の医療品のサプライ・チェーンに触れておく。
現在の新型コロナウイルスでは、サプライ・チェーンの欠陥で基本的な医療品が欠品している。
下の表は日経新聞文(電子版)を引用した医療品の海外依存度である。信じられないことだが、70%から100%も外国に依存する医療品も存在する。わが国の防疫は無防備すぎる。
上の表を見たとき、筆者は戦慄を覚えた。なぜならば、緊急時にはいかなる国も、自国民の守ることを優先する。これは人間社会の原則である。
上の表は、政府が医療品の調達を民間企業に丸投げした結果である。「国民の生命と安全を守る」ための医療品だが、民間企業は有事の供給リスクより、ビジネスの黒字幅が大きいサプライヤーとの取引を増加する。
そこで、医療品のような重要品目については政府が内製率(国産率)と備蓄量を見て、仕入れ量をコントロールする。それが国家戦略であり、そのために国民は税金を払っている。国民の生命にかかわる場合のコントロールは、”要請”でなく”強制”が当然である。
今回は新型コロナウイルスでマスク、消毒用アルコール、防護服から体温計のボタン電池、スプレー・ボトルまでも品切れ、医療現場は窮地に陥った。武器弾薬やミサイルでなく、たかが不繊布マスクさえ何か月も品切れ、社会的なストレスも大きい。
緊急事態に直面してさまざまな不備と盲点が明らかになった。たとえば、予算と人材の関係らしいが地震や台風の災害が多発する日本だが、病院船が1隻もないと知り驚いた。この他、軍事、食料、国境・沿岸、宇宙衛星、コンピューターなどの防衛は大丈夫かと次々と疑問が出てくる。(衛星守備は約20人の「宇宙作戦隊」が2020/5/18に発足)
産業経済のグローバル化で”内製率”も死語になったが、国家のあり方を再チェックする時代を迎えた。衰退期特有の無気力には自信をもってノー!(No!)である。
筆者の記憶に新しいサプライ・チェーンのトラブルは、バンコクの大規模洪水(2011年)である。幸い筆者はバンコクで足止めされなかったが、チャオプラヤー川の洪水では日系企業451社*の工場が浸水した。東西200km南北数百kmの浸水は、今回の新型コロナ禍に比べ非常に限定的だったが、上流の降雨が1~2週間後に音もなくじわじわと田畑や街に迫ってくる。防御のすべがない危機には誰でも恐怖を感じる。【参考:2011年タイ洪水とその被害】
あの時、ある会社のタイ工場が浸水した。浸水した工場の製品の一つは、その工場限定の特殊品、そのために業界のサプライ・チェーンが窮地に陥った。対策として、タイ工場から数十人のタイ人社員が日本の本社工場に駆けつけ、問題製品の組み立て方法を日本人に伝授、窮地を脱した。その工程は高度な熟練が必要な作業だったと聞いた。窮地を救ったのは、手先が器用なタイ人女性社員だったと記憶している。
もう一つの記憶は、日本のある家電工場で体育館ほどの広さの建物に機械がずらりと並んでいるのを見た。ひと気も照明もない廃墟のようだったが、機械だけでなく、工具、金型、検査具も備えていた。わざわざ案内された訳ではなかったが、通りかかりの一角、緊急事態に備えていつでも稼働できる代替工場だった。50年も昔の話、しかし幻のような工場が強く記憶に残っている。あの幻の工場は、事あるごとに覆いを取り払うとFS映画の怪物のように直ちにフルスケールで稼働し始める。
「(2)今、筆者がやりたいこと」に続く。