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船乗りが見た時代の変化---日本のバリアフリー遅れ

2024-12-30 | 地球の姿と思い出
1.迫りくる高齢社会
太陽の高度が低い冬至のころ、朝の陽光は部屋の奥まで届く。明るく暖かい太陽の贈り物は万人に平等、ありがたい。その感謝の念は太陽への憧れでもある。

先日、一年毎のレントゲンによる心臓肥大チェックで総合病院を訪れた。

1年ぶりの病院、昨年と同様、月曜日の10時過ぎだったが、受付ロビーの人の多さに驚いた。よく見ると、先客の半数近くが60歳越えと思しき人びと・・・“歳を取ると病院通いが多くなる”という世間話が脳裏をよぎった。

次のレントゲンの待合室も昨年と違い満席で車椅子の人もちらほら、心電図や他の診察室も人の流れが盛んだった。街の盛況ではなく病院の盛況に複雑な気持ちになり、高齢化社会の到来を肌身に感じた。

さて今回は、避けて通れない高齢社会に対する筆者の雑感を紹介したい。その一つは、バリア・フリー化が遅れたままで超高齢社会を迎える日本に何が起こるか?など、心配だが簡単に結論が出ない問題を考える。しかし、近未来に対する閉塞感と焦燥感だけでは万事休す、ではなく、遠い未来への一縷の願いにも触れたい。

ではまず、高齢社会の動向をグラフで見てみよう。
 
2.日本の高齢化
世界保健機構WHOは65歳以上の人口が20%超えの社会を“超高齢社会”と定義している。高齢化の道をたどる日本は、65歳以上の人口が2006年に20%を超えた。また、2024年の高齢化率は29.3%、1位のモロッコ35.79%に続く世界2位になった。(筆者の記憶だが、モロッコはSTEM教育に熱心な国とか)

ここで日本の高齢化率を少し詳しくみると表1.のようになる。表1.は1945年(終戦)と2045年(100年後)の日本人口の年齢構成を示している。2045年の高齢化率は38.0%、人口の約4割が65歳以上の高齢者になる。

ここ数十年の人口動態を見れば分かるが、日本が少子高齢者社会になるのは当然の流れ、慌てず騒がず冷静かつ合理的な対応が必要である。

 

表1.へのコメント
①表1.の最も大きな変化は、1945年と2045年の65歳以上の人口に表れている。その変化は、1945年の65歳以上の人口370万人が100年後には10倍の3,704万人になる。この変化は、戦後から今日までは戦争もなく食料・医療事情が改善した結果による長寿化である。長寿化はありがたいが、その側面には超高齢社会の問題が隠れている⇒この問題は今回の主題、次回のバリア・フリー(2)を参照されたい。
②参考だが、表1.の出典データによれば、2045年から2105年の60年間は、65歳以上の人口の高齢化率は39~41%の範囲で推移する。(ただし、2105年の先はデータなし) したがって、日本の超高齢社会は一過性でなく長期にわたることを覚悟すべきである。腰を据えた長期的な対応が求められる。

その危機にはいろいろあるが、その一つはバリア・フリー化の遅れである。

何事もなく平穏そうな街を高架鉄道の駅から見渡せば、数知れないエレベーター無しの5階建て集合住宅や小さなビルが見える。しかし、この光景は筆者の目には“未成熟な日本文明”と写る・・・階段はつくったがエレベーターを忘れた(目をつぶった)。

足が不自由な高齢者や病人、重量物の運搬にはエレベーターが必要である。この現実は自明、説明を待たない。日本も早くエレベーターによるバリア・フリーが完備した本物の文明国に成長して欲しい。

3.バリア・フリーの二つの事例
ここでは、参考のために二つの事例を紹介する。一つは1900年に開通したパリ地下鉄のバリア・フリー計画、もう一つエレベーターとスロープでバリア・フリーを確保するヒューストン大学の事例である。

1)パリの地下鉄
最近、パリの地下鉄がバリア・フリーで難問に直面していることをインターネットで知った。ここにその記事を紹介する。

【以下は記事のコピーである。】
パリ地下鉄、車いす利用が容易な駅は1割未満 パリ・パラリンピック
2024/8/28(水) 11:35配信 AFPBB News

【8月28日 AFP】フランスの首都パリを擁するイルドフランス(Ile-de-France)地域圏の知事で、同地域圏の公共交通機関を統括するバレリー・ペクレス(Valerie Pecresse)氏は26日、同市の地下鉄システムを車いすユーザーが利用するのは不可能に近い状態にあると認めた。

 パリの地下鉄1号線は1900年に開通。鉄道路線では、RER(イルドフランス地域圏急行)を含めて16路線以上に300以上の駅があり、1日当たりの利用者は欧州連合(EU)で最多の400万人を超える。だが、車いすでの利用が容易な駅は29駅しかない。

 ペクレス氏によれば、パリ市内中心部を走るバスはすべて車いすでの利用が容易なのに対し、地下鉄、路面電車、RERなどの公共鉄道網では25%にとどまっている。

 こうした状況についてペクレス氏は、パリの地下鉄の大半で近代的なバリアフリー化は可能だとし、「すべての人にメトロ(地下鉄)を」と題する案を提示した。ただし、完成には20年かかり、150億~200億ユーロ(約2兆4000億~3兆2000億円)の投資が必要になるとみられる。

 一方、9月8日まで開催されるパラリンピックの期間中は、障害のある来場者が競技会場を移動する手段として約100台のミニバスを配置するなど、いくつかの対策を講じていると説明。また、移動の準備に役立つスマートフォン用アプリも提供するとしている。(c)AFPBB News 以上
【記事のコピーの終わり。】

パリ地下鉄のバリア・フリー化に20年と3兆円、20年という期間は、今後の日本社会にとって貴重な参考事例になる。

2)ヒューストン大学(UH)のバリア・フリー
当ブログでは、たびたびヒューストン大学(UH)の記事を紹介してきた。それらの記事は、1966年の留学をきっかけに2016年の最後の訪問までの見聞を紹介するものだった。(2016年以降は脳梗塞で海外旅行を断念)

以下、筆者の見聞でUH(州立大学)のバリア・フリーを紹介する。

【UHキャンパスの概要】
キャンパスの面積=約270万㎡(縦横盈約1.6km、外堀を含む東京の皇居230万㎡よりやや広い)
1966~2016年:この期間、屋外駐車場の立体化が進み、代わりに新校舎が増えた。しかし、キャンパス
敷地本体の広さは1966年以来ほとんど変わりなし。
 キャンパス内の校舎数 134棟(2016年)
 学生総数  16,000人(1966年) ⇒ 40,000人(2016年)   

UHのバリア・フリーに対する筆者の感想
◇校舎内には大型エレベーターが完備(1966~2016) 校舎入口のスロープ化も2003年頃に完了
◇1966~2016の間、キャンパス内にはエスカレーターが1台もなかった。また、大学直営ヒルトンホテル(8F 1990年代に完成)もエレベーターだけ、エスカレーターなし
◇アメリカはベトナム戦争(1964‐73)を経験、戦争で負傷した学生への配慮も感じた。
◇筆者は「エレベーター完備・エスカレーター無し」に移動の安全を守る大学の信条を学んだ。

この項は次回のバリア・フリー(2)に続く。

最後に;
筆者の孫はかねてからの夢がかない今年9月からアメリカの大学でComputer Scienceを専攻、今は冬休み、電車・バス・航空機で各地の知人やクラスメイトを訪問、日本人だが第一言語は英語、言語バリア・フリーで交流の輪を広げている。筆者は順調なすべり出しに一安心。

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