船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

ことば(3)---フランス語とスペイン語

2011-05-26 | ことばとコンピュータ
3.フランス語
商船大学では、航海科はフランス語、機関科はドイツ語が必須だった。フランス語は外交官が使う社交語、したがって、フランス語と聞くと豪華客船のサロンに並ぶフルコースの食卓を連想する。他方、ドイツ語と聞くと、U-ボートの狭い艦内を連想する。

フランス文学とフランス語会話は、英語と同様にそれぞれ1年生から3年間も必須単位だった。フランス文学の内容はすべて忘れたが、フランス語会話は今も覚えている。ベロー先生はパリー・ミッションの神父さんだった。

商船大学で一番悩ましかったのはフランス語会話の試験だった。一年生の試験は、毎週月曜日の一時間目、そのため日曜日の夜は枕を高くして眠れなかった。先生の「ミナサンノコフク(幸福)ノタメニ、シケンヲシマス」は今も耳に残っている。

暗記試験で覚えたフランス語のテキストは、今も正確に口から流れ出す。一旦流れ出すと最後まで止まらない。なぜ今も忘れないのかが不思議でならない。たぶん、脳細胞の一部が癒着して、そこを刺激するとその記憶全体が活動し始めるようだ。ただし、フランス語、特にシャンソンを聞けばある程度理解できるが、会話は全くできない。しかし、ベロー先生と彼のフランス語は80歳を超えた筆者の頭の中に今も生きている。歳月と共に風化する思い出はもともと本物ではない。

フランス語はウィーン生活で役立ったが、それ以外にもシャンソンの歌詞や歌手、7月14日はパリ祭とか、フランスの文化と歴史に興味を持った。銀座のシャンソン喫茶「銀パリ」には上京のたびに出入りした。フランス語ほど快い響きの言語と歌は、他にはないと今でも信じている。

十数年も前、高校のクラス会(京都市)の便りに、国語の先生が80歳のプロの女性シャンソン歌手としてデビューされたとあった。あの先生は、われわれ高校生に日本文学を教える一方、筋金入りのシャンソン気違いだったと思うとおかしくもあり、感心する。いつか機会があれば先生のシャンソンを存分に拝聴したい。このような先生の近況を聞くにつけ、この日本もまだまだ多様な社会、特に余すことなく人生を謳歌される先生に勇気付けられた。

4.スペイン語
商船は、中南米、スペイン、ポルトガル、フィリッピンなどスペイン・ポルトガル語圏を航海する。

広大なスペイン語圏を考えると、スペイン語の知識も重要と考えた。そこで、われわれ学生は、スペイン語の講座を大学にお願いした。正式な単位には加算されないが、要望は認められた。通常の時間帯に講座が開設され、一学年(航海科60人)の全員が受講した。あの頃の国立大学は度量が大きかった。

貿易実務をスペイン語でこなせる専門家に1年間教わった。授業の内容はさることながら、先生は中分け(センター分け)で身だしなみに一分の隙もない端正な紳士だった。なぜか他の先生たちとは違った雰囲気、あの先生は本物の紳士だったと今も思っている。ちょうどあの頃、われわれ全寮制の学生は、数百メートル先の大学に作業服で通っていた。中にはサンダル履きの学生もいたので、時どき芦屋市の婦人会からみっともないとクレームがついた。筆者も朝の登校時に母の手編みセーターが派手だと学生課から注意された。

日本人にとってスペイン語は、日本のローマ字風に発音すれば相手に通じる。また、相手の言葉も聞き取り易い。確か、辞書には発音記号がなかったと記憶する。美辞麗句を気にしなければ、スペイン語やポルトガル語は日本人にフレンドリーな言葉である。

仕事では関係がなかったが、サントドミンゴ港の少年とその家族やアメリカの知人が所有するカラカス(ベネゼェラ)の豪華な白いアパートなど、スペイン語系の懐かしい思い出は尽きない。

停泊中の休日、静かな岸壁で近くに住む少年とカニ取り、少年の案内で家族と歓談、甘い花の香りが漂う岸壁の公園では人びとは遅くまで歓談する。エメラルド・グリーンの入り江に面した岸壁では、昼はトラックやクレーンが主役、夜は屋外が快適、音楽や屋台、それを囲む人びとが主役になる。時には、子猫ほどの野ネズミも出る。

歌も言葉とリズムで変化する。静かなシャンソンもコンチネンタル・タンゴ風に編曲すると舞踏会風のリズムに変化する。また、スペイン語の曲は情熱的、ポルトガルのファド風(fado)にアレンジすれば哀愁を帯びたリズムに変化する。他方、イタリアのカンツォーネ風ではなぜか絶叫型の情熱的な曲に変化する。世界各地にはその地独特の気候、言語、リズムがあり、文化という名の雰囲気に包まれる。

歌詞も、歌手のその時の気分で変化する。たとえば、「黒」という歌詞(単語)の発音はノワール(仏noir)、次の繰り返しではブラック(英black)、またいつの間にかnoirになっている。気付かないほどの些細な変化だが、そこにリズム感と柔軟性に富む多言語社会を感じる。筆者にとって多言語社会とは、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語などの辞書が別々に存在するのではなく、どの単語からでもアクセスが可能な一つのデータベースである。もちろんそこでは通貨や度量衡換算も含む世界共通システムである。この点で、翻訳ソフトに応用するAIも多言語システムをベースとしなければ的を得た翻訳ができないという課題がある。

最後に、英語、フランス語、スペイン語の紳士という言葉とそのニュアンスを紹介する。

英語:Gentleman=穏やかな人
フランス語:Homme comme il faut=世に必要な人
スペイン語:Caballero=男らしい騎士

それぞれ、その国らしい表現である。商船大学の階段教室で、国際法の先生から「いつか君たちも"Homme comme il faut"になって欲しい。」といわれたのを今も覚えている。懐かしい思い出であるが、努力はするものの満点は難しい。

次回のラテン語とタイ語は「ことば(4)」最後の世界共通語は「ことば(5)」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする