5.ラテン語
ラテン語の辞書を一冊持っているだけで、ラテン語そのものの知識は何もない。しかし、ラテン語には次のような思いがある。
ニューヨークの北東にハートフォードという町がある。ある時、その町の美しい住宅街の教会で、友人の紹介で慈善団体の午後のミーティングに参加した。
歓談が進むにつれ、気品のある気さくな婦人から、「ところで、あなたはラテン語を解するか?」と問われ、残念ながら「ノー」と答えた。そこで話はラテン語とヨーロッパ文化に及んだ。
ご婦人の解説によれば、ラテン語はローマ帝国の公用語で、多くのギリシャ語を語源とする「書き言葉」である。その書き言葉は、古典ラテン語と呼ばれ学問や思想の用語として今も生きている。たとえば、医学用語は、ローマ時代ではラテン語一言語主義であったが、現在ではラテン語・英語・現地語を併記する三言語主義が主流になっている。このような背景で、ラテン語は欧米の知識層の素養の一つになっているとのことだった。その婦人の気品と教養に接して、淑女とはこのような人のことだと思った。
一方、ラテン語の「話し言葉」は、ロマンス諸語としてフランス語、スペイン語、イタリア語、ルーマニア語などに分岐した。たとえば、フランス語はラテン語の一つの方言といえる。また、ドイツ語、オランダ語、英語などのゲルマン系の言語にも、ラテン語が語源になっている言葉が多い。英語のAbacus(ソロバン)やAppendix(付録、盲腸)などはラテン語に等しい。
それから数年後、サンフランシスコ郊外の小さな本屋で、ラテン語辞典の半額セールを見つけた。書店のおばさんに、「あなたは何をする人ですか」と問われ、「システム技術者」と答えたら、「アメリカ人でもなかなか買わないのに、日本人が買うのは驚き」と云われた。こちらは、半額が嬉しかった。
いつの日か、この辞書を頼りにアレクサンドリアの図書館や考古博物館を訪ねてみたい。それが夢であり、その実現を夢見ている。
6.タイ語
タイの日系工場に出入りし始めて早や十数年がたった。仕事やホテルでは、英語が通じるのでタイ語を覚えない、また覚えなくても生活に支障はない。
耳から入るだけのタイ語は、何年たっても上達しない。ひげ文字に似た文字、おまけに、母音が7つもあると云う。そこで、タイ語の勉強を諦めた。しかし、難しいから逃げ出す自分とタイの人々と同化できない自分に後ろめたさを感じる。
しかし、日本人の工場長の中には、工場の管理にはタイ語が必須と「読み」「書き」「会話」を正式に習う人もいる。その熱意には敬服する。もちろん、タイ語を正式に習った人は上達も早い。
生活に支障がない程度のタイ語とは、「直進(トロン・パイ)」「右折(リァウ・クワ)」「左折(リァウ・サーイ)」「近い(カイカイ)」と「通りの名前」を頭に入れておけば問題ない。これだけで、タクシーでどこへでも行ける。地図の「通りの名前」だけは、地元の人の発音を覚えておく。観光案内の地図にある英語の「通りの名前」は使わない。
たとえば、「ボスタワー・パラムシー・カイカイ・カルフール(ラマ4通りのカルフール近くのボスタワー)」で、間違いなく目的地に到着できる。行き先をはっきりと告げ、余計なことは言わない。目的地が近づけば、リァウ・サーイなどと指示する。
なお、タクシーが危険な地域では、バスに乗る。どこの国でも公共バスが最も安全な乗り物である。(ただし、時間は不正確) 言葉が通じなくても、乗客は善良であれこれと助けてくれる。その助けに感謝・感激することも多い。また、その感謝・感激はその國の印象として、いつまでもこころに残る。当然だが、バスが危険な地域では、独りで出歩いてはいけない。
最後の世界共通語(数式、楽譜、コンピュータ言語など)は、次の「ことば(5)」に続く。