◆動乱期の甲府をみる~武田氏滅亡~◆
6月26日、遊亀公民館展示室にて「甲府を学ぶ」(全6回)の第1回が開催されました。
こちらは開府500年を記念して開かれる歴史講座です。
「甲府を学ぶ」(全6回)についてはこちら
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/bunkashinko/kofu-rekishikouza30.html
シリーズ初回は、帝京大学文化財研究所の数野雅彦先生をお招きし、
「動乱期の甲府をみる~武田氏滅亡~」をテーマに講演していただきました。
定員をゆうに超えて、会場は140人もの聴講者で満席に
受付で資料と一緒に開府500年記念のティッシュと飴が配られました。
市の担当課より先生の紹介などがあり、いよいよスタートです
まずは、武田氏滅亡を紐解くカギとして、「落ちない城」と称される
上田城の真実や乱取りの世界、殿様と家臣の怪しげな関係についての
お話がありました。
群雄割拠の戦国時代、天下一と称された武田軍。
しかし、信玄の死後を継いだ勝頼は、結局、非業の最期をとげます。
いったい、どんな状況で武田家は滅亡へと向かっていったのか。
数野先生はオリジナルの年表を使い、説明してくださいました。
年表は「天正6年8月、武田・上杉両氏が同盟を結ぶ」からスタート
本拠地を韮崎に移し、新府館(しんぷやかた:「新府城」)の築城に着手するも
「この年あたりから、織田・徳川両氏に内通する家臣が出始める」
「木曽義昌謀反」「小山田信成の離反が明らかに」など
勝頼の立場で眺めれば、なんとも悲しい思いがしてしまいます。
長篠の戦いで大敗北をきし苦悩しつつも必死で立て直しに奔走していた勝頼。
一時は武田家最大の版図を獲得しつつも、
金の産出が減り、重税を課したため、求心力を急速に失くしていったと先生は説明されます。
他にもさまざまな史料を読み解きながら、勝頼が信頼を失っていった理由や
開府以来の初の敵進入の事態、織田勢の寺社焼き討ちの実態等々
わかりやすく解説してくださいました。
熱心に耳を傾ける参加者の皆さん。
最後の質疑応答でも積極的に質問が飛び交っていました。
先生は最後に「甲府にプライドをお持ちの方はどのくらいいるのでしょうか?」
と皆さんに聞かれました。
最近、勉強なさっている水晶の事例を挙げながら
“プライドを持って生きること”を皆さんにおすすめされていました。
甲府の一市民であることに胸をはって誇りを持って過ごせるよう、
さらにいろいろな学びを深めてゆきたいと思いました
数野先生、どうもありがとうございました。
「まなび奨励ポイント制度」の推奨事業になっているため、帰り際にスタンプをついてもらう方も見かけました。
「まなび奨励ポイント制度」についてはこちら
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/shogaigakushu/kyoiku/gakushu/manabinet04.html
先生が講演中に紹介された「甲府歴史ものがたり」についてはこちら
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kaifu500/torikumi/kinenshi.html