福井新聞で 平野啓一郎さんと姜尚中(カン・サンジュン)さんが新春対談されてました。
平野 「僕は最近、個人というものをもっと小さい単位の『分人』というのに分けて考えているんですね。 人は人と接するときにそれぞれちがう顔を持っている。(中略)相手ごとの人格を全部『分人』として肯定する。 アイデンティティーを一つにせず、仕事仲間といるときの自分や、家族といるときの自分とかに複数化することで、その中のどれかを寄る辺にして生きていけるのではないかと。」
姜 「その複数性は僕もそうだと思う。 明治の人たちも、人格は一つに統合されていなければならないと考えて、近代的自我に苦しんだ。 夏目漱石がノイローゼになったのも、自我の呪縛から抜けきれなかったから。」
平野 「人が自殺しないためには、何らかの形で自分を肯定しないと駄目だと思ったからです。 自分を分割できない一個の存在だと思いすぎると、何らかの人生の挫折が取り返しのつかない大きなことになってしまう。 一つで大失敗しても、 もう一回立ち直るときの足場を考えられるようにと。」
姜 「個人も、国家も、同一性といわれているものに強くしばられて、硬直化している。 そういう重荷を捨てて、もうちょっと生きやすくしたいというのが、新しい年の僕のメッセージですね。」
というわけで わたしはもう今年 役員の務めは 放棄しました。 もともと 得意分野じゃないんだもん。 自分をイヤになりたくないんだもん。
わたしが読書するのって 自分を肯定したいからなのかなあ
平野 「僕は最近、個人というものをもっと小さい単位の『分人』というのに分けて考えているんですね。 人は人と接するときにそれぞれちがう顔を持っている。(中略)相手ごとの人格を全部『分人』として肯定する。 アイデンティティーを一つにせず、仕事仲間といるときの自分や、家族といるときの自分とかに複数化することで、その中のどれかを寄る辺にして生きていけるのではないかと。」
姜 「その複数性は僕もそうだと思う。 明治の人たちも、人格は一つに統合されていなければならないと考えて、近代的自我に苦しんだ。 夏目漱石がノイローゼになったのも、自我の呪縛から抜けきれなかったから。」
平野 「人が自殺しないためには、何らかの形で自分を肯定しないと駄目だと思ったからです。 自分を分割できない一個の存在だと思いすぎると、何らかの人生の挫折が取り返しのつかない大きなことになってしまう。 一つで大失敗しても、 もう一回立ち直るときの足場を考えられるようにと。」
姜 「個人も、国家も、同一性といわれているものに強くしばられて、硬直化している。 そういう重荷を捨てて、もうちょっと生きやすくしたいというのが、新しい年の僕のメッセージですね。」
というわけで わたしはもう今年 役員の務めは 放棄しました。 もともと 得意分野じゃないんだもん。 自分をイヤになりたくないんだもん。
わたしが読書するのって 自分を肯定したいからなのかなあ