すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

ノラいもんの世界

2017年07月14日 | ぐり5歳~6歳
上の子も だぢづでどのダ行が ラ行に聞こえていたらしく、 だいすき → らいすき、 おめでとう → おめれとう、 なんて小学校に入ったあとも書いてました。

ムスコも スネオ がいまだに 「チュメヨ」 です。


 掃除機をかけてくれてます。 けっこうじょうず。


コトバが遅かったため (3歳でまだ『ママ』 すら出てなかった) 検診で引っかかったり、 発達の教室に通ったり、 いまも理解が浅いのは そのせいかなとおもうこともありますが (いまは会話には不自由してません)、 いいこともあって、 まわりの子が 下ネタやきたないコトバ、 死ねうざいキモイなどの悪意のあるコトバを発していたあいだ うちのムスコはまだぜんぜんしゃべることができなかったので、 その時代をスルー。 わるいコトバを口にすることないまま 成長してしまいました。 もはや 5歳にもなると だれもそういうコトバを口にしないので、 ムスコも言う機会がないようです。

買っちゃいました。 ジュウオウジャーのドデカイオー。

悪意のあるコトバをいうのも 成長にひつような過程だし、 言われるとイヤだとか 世の中にはじぶんに悪意をもっている人もいる、 ということを学習する場でもあります。


そのいっぽう、 コトバには言霊があって、 そのヒトの思考をかたちづくるんですよね。


わるいコトバには わるいココロがひそんでいて、 それはつまり悪意。 最初はママや先生の困った顔が見たい、 とかそんな素朴ないたずら心からはじまり、 だんだん 相手が傷つくのがわかっていて ぶつけるようになり、 そのうち その 「相手が傷つく」 というところさえ忘れて カンタンに口にするようになり、 そのヒトのモノの見方や考え方を構成するようになります。

発するだけで 人が傷つくのなら、 そのコトバは すでに凶器とおなじですよね。 本心がちがうところにあったとしても 凶器をふりかざした時点で その外観だけがすべてになってしまいます。

 これでジュウオウジャー完全形です。 でかいわ~


ムスメの通学路で 交通指導をしてくれているおじいさんが 見守っているこどもから言われて悲しかった台詞というので 「いくらもらって その仕事してるん?」 というのをあげていました。 

その方は定年後のボランティアでやってくれていて 学校からもそういう説明を何度も受けているはずなんですが、 まあ、 たとえお金をもらってやってる仕事であっても フツーは言っちゃいけないことですよね。 


その子に悪気はなくて 純粋に疑問なんでしょうけど、 その子の考えの枠組みに 「仕事 = お金のためにやること」 という定義だけがあるからこそ出てくる台詞なのかなと。

つまり、 その子のおうちでは 仕事について そういうハナシしかしていないってことですよね。 やりがいとか社会的役割とか プライスレスな部分はすっとばして。


こどもは まわりで話されているコトバから その子なりの世界を構築していって、 その世界を他人にもぶつけてきます。 親が仕事に対して 否定的なことしか言わなければ 子も仕事を否定的にしかとらえられなくなり、 親や友達がだれかの悪口を言えば 子も悪意をもって まわりを見るようになります。




悪意には 社会に出れば いっぱい出会うはずなので、 せめて こどものうちは 善意や感謝にあふれた美しいコトバで 世界が満たされていることがだいじじゃないかとおもいます。
コメント (2)
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