小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

教育ドラマの風評被害

2015年05月10日 22時26分19秒 | エッセイ
教育ドラマの風評被害(SSKシリーズ19)



 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。

【2013年9月発表】
 私はほとんどテレビを見ないので知らなかったのですが、少し前に「35歳の高校生」というドラマがあって、けっこう視聴率が高かったそうですね。大学のゼミ学生から聞きました。このドラマの中に、高校教師がビルの屋上から飛び降り自殺し、「現代の高校は教育現場などではない。敗者になった者には人権すら認められない。今の高校は地獄そのものだ」という遺書を残した場面があったとか。前後の文脈がわからないので確実なことは言えませんが、こういうセリフを安易に書き込む脚本家って、「教育現場」なるものをどれくらい調べたのでしょう。
 これと前後した時期に朝日新聞の意識調査があり、「高校生活が楽しい」と答えた生徒が9割近くいたそうです。9割ってほとんど全員ということですよ。しかもこの割合は過去最高とか。
 私はドラマの表現に疑問を感じたので、ゼミ学生たちに、君たち、高校生活どうだった? と聞いてみたところ、大半が楽しかったと答えました。「今の高校は地獄そのもの」という表現となんと乖離していることでしょう。
 ある特定の現場状況の中で、必死で努力したのに報われず、絶望して自殺する熱血教師が出てきたとしても、それ自体は個別現象ですから、別に不思議はないでしょう(まれでしょうが)。まあ、ドラマは誇張しないとドラマにならないのでその点については寛容になるとしても、しかし「地獄そのもの」はあんまりなんじゃないの。皮肉をかませるなら、その教師の教育に対する過剰な思い入れが自ら悲劇を招きよせたのかもしれませんね。大人の対応ができなかったのかも。
 私は、意識調査結果をそのまま鵜呑みにして、今の高校には問題はないなどと言いたいのではありません。「楽しい」と言ったって悩みがなかったことにはならないし、嫌なこともいっぱいあったに決まっているし、「楽しさ」が高校教育の「正しさ」を証明するわけでもありません。また意識調査も個別事情を捨象したメディア表現なのでそんなに信用できないという見方も可能です。
 でもなんでしょうね。この極端な差。一般的に教師の「人権」は他業種に比べて相当保障されているし、生徒は大人社会の厳しさから免除されているので、適当に学校生活を過ごしていれば平均的には「楽しい」はずです。しかも特定の子どもが「敗者」のレッテルを張られることに対して戦後教育は過敏なほどに神経を使ってきました。
 この種のドラマの致命的な欠陥は、その扱う世界がいま大体どんなふうかということをきちんと感性的にとらえずに、初めから学校全体を「社会問題」として頭でとらえて、そこにもっぱら否定的なバイアスをかけて見ている点です。いじめ自殺などが大騒ぎになったので、テレビ局もこれは受けると踏んだのでしょうね。
 メディアが大騒ぎのもとを作り、その大騒ぎをまたメディアが利用して、教育に対する単純な反体制理念をお茶の間に流す。お茶の間の視聴者はドラマ表現を見て「これが教育の現実」と思い込むクセがあります。そこにつけ込む脚本家、テレビ局はたいへん質が悪くレベルが低い。これを風評被害と言います。