日本語を哲学する22
次に、文学表現において、「沈黙」が美学的・芸術的な観点から見てきわめて効果的な役割を演じているケースについて考えてみよう。
まずわが国の短詩形芸術の代表である短歌や俳句では、それぞれにその質は大きく異なるが、いずれも言葉の贅肉を意識的に削ぎ落として、限られた定型の文字数のうちに「こころ」を歌いこむ(詠みこむ)という点では共通している。「沈黙」あればこそその作品の価値が支えられるのである。
短歌の場合には、景物や事実のみを歌いつつ、「嬉し、哀し、はかなし、さみし」などの思いを直接に表出せずに伝える類の歌に、ことにその特徴があらわれる。ここでは、そういう歌いぶりの面からのみ、秀歌と思える例をいくつか挙げてみる。たとえば実朝の『金槐集』より――
夏山に鳴くなる蝉の木がくれて 秋ちかしとやこゑもをしまぬ
ものゝふの矢なみつくろふこての上に 霰たばしるなすの篠原
五月やま木のしたやみのくらければ おのれまどひてなく郭公(ほととぎす)
実朝の歌は「自分だけがこれを感じ取っているのではないか」という孤独感をにじませた歌が多いが、ここに挙げた三首も、そういう繊細な感性を突き詰めたものが感じられる。
一首目。姿も見せずに「こゑもをしま」ず鳴きしきる蝉たちよ、お前たちは秋(死のメタファー)が近いからこそそうするのかという呼びかけは、それがそのまま自分の心境とシンクロしていることがすぐにわかる。しかしそうはっきりと言わずにむしろ素直に感じたままを表現することで、かえって歌人の「こころ」が見えてくる仕掛けになっている。
二首目。著名な歌である。戦いを控えて勢ぞろいする「ものゝふ」たちの武装した姿を霰が激しくたたき、これから命をかける厳しい雰囲気がいや増さるという情景だろうか(別の解釈も可能である)。鑑賞する側にまで武者震いが伝わってくるようだ。しかし歌人の歌い方はことさらな情をこめずに淡々と目に映るさまのみを描写している。それでこそこの歌の厳粛な印象が鮮やかに刻み付けられる。
三首目。「木のしたやみのくら」さと、「郭公」の鳴き声とは直接のかかわりはなかろう。だがそれをあえて有情の「まどひ」として連結させているのは、歌人の独特な感性であって、そのリリシズムには、ただしどけなく情に流れるのではない、抑制された知性がうかがわれる。
次に、西行の『山家集』より――
かりがねはかへるみちにやまどふらむ こしの中山霞へだてゝ
ながめつるあしたの雨のにはのおもに 花の雪しく春のゆふ暮
西行の歌は、景物を歌いつつひそかにそれに心を託すのではなく、むしろそれを強い自意識のもとに心象風景として囲い込んでしまうものが多く、じっさい「心」「わが身」「思ふ」などの句がセンチメンタルと評してよいほどに頻出する。だから、ここでの「沈黙」による美学の例としてはふさわしくないかもしれない。しかし、その西行でさえ、上に挙げたような歌が散見されるので、やはり一見単なる自然詠と見えて、そこに彼自身の心情が黒子のように歌全体を支えているのがわかる。だからこそ、ここに例示する意味があるとも言えるのである。
一首目。心が曇ってこれからどう人生の帰路を求めてよいのか決めあぐねている歌人自身の「まどひ」が、「かりがね」の渡りの道を塞ぐかに見えるはるかな山の霞という喩によって巧みに表現されている。
二首目。朝降った雨で濡れている庭のおもてを、「ゆふ暮」には(おそらくはその雨によって)散ってしまった桜の花びらが一面に覆っている。「ながめつる」というからには、歌人は朝から夕までじっとひとところで時を過ごしていたのかもしれない。実際にそうではないにしても、ここには、同じ空間におけるそういう時の移り行きがそのまま歌いこまれている。濡れた庭を散った花びらが覆っているさまは、それだけでもうつくしく情趣が深いが、そこに「あした」から「ゆふ暮」までの時の流れを重ね合わせたところに、歌人の世をはかなむこころがさりげなく映し出されている。
次に俳句についても一言しておこう。
言うまでもなく、俳句は情景のワン・ショットのうちに、「声」や「静寂の余韻」や「語られなかったもの、語れば野暮になるもの」を豊かに内蔵している。鑑賞者のほうもそれを感じ取る極意のようなものが要求されるので、一見形だけはすぐに整えられて安直なように見えながら、じつは難解な芸術形式と言えるだろう。
ここでは、絵画的(あるいは写真的)な美の印象を強く焼き付ける蕪村の句を取り上げてみよう。
菜の花や 月は東に 日は西に
さみだれや 大河を前に 家二軒
月天心 貧しき町を 通りけり
第一句。日が沈むころに出る月は満月か、それに近い月である。薄暮が迫る広野にいっぱいに咲く菜の花。天界と地上とを一気に視野に収めた雄大な句である。この雄大さを絵や写真に収めるのはとても難しい。しかし、一人の人間にとっては、くるりと首を回すだけで一瞬にしてそれを視野に入れることができるのだ。「自然にじかに接している生身の人がいる」という事実の重要さを、この句は「沈黙」によって教えていると言えるだろう。
第二句。これも作者の視点とその心をよく想像させる作品である。水かさを増した大河の前に心細そうにたたずむ小さな家が二軒。危ないな、大丈夫かなと心配している蕪村の位置は、家々よりも少し高いところにあるだろうか。しかしその心は、あまり豊かではないであろうこの村の家々の住人の生活意識へとまっすぐに通じてもいるのだ。まったくの写生的な句でありながら、そういう人間的な共感を直ちに呼び起こす効果を醸し出している。さらに蕪村の胸には、世間の荒波に直面しながら、か弱くひっそりと、それでもけなげに生き抜こうとする一対の男女の姿が去来していたかもしれない。同じく五月雨を詠んだ芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」よりもはるかに優れた句であると私は思う。
第三句。「貧しき町」を通っているのは、中天にかかる月だろうか、それともこの風景のさなかをそぞろ歩きしている俳人自身だろうか。私には、その両方であるように思える。
月明かりに青く照らされることで、町の貧しさがいっそう心に沁みとおってくる。俳人自身が町の路地を通りぬけていなければその感興は胸に強くは響いてこないだろう。だがいっぽうで、先の「さみだれ」の句と同じように、鳥瞰的な視点から「貧しき町」への思いをあれこれと巡らしている蕪村がいるとも考えられる。その場合には、彼は町を優しくゆっくりと見守る月にそのまま同化しているのである。この二重化された視点が短い句のなかに凝縮されているのだが、そのこと自体は句には明示されていず、沈黙のままに鑑賞者の味わいの力にゆだねられているのである。
次に、文学表現において、「沈黙」が美学的・芸術的な観点から見てきわめて効果的な役割を演じているケースについて考えてみよう。
まずわが国の短詩形芸術の代表である短歌や俳句では、それぞれにその質は大きく異なるが、いずれも言葉の贅肉を意識的に削ぎ落として、限られた定型の文字数のうちに「こころ」を歌いこむ(詠みこむ)という点では共通している。「沈黙」あればこそその作品の価値が支えられるのである。
短歌の場合には、景物や事実のみを歌いつつ、「嬉し、哀し、はかなし、さみし」などの思いを直接に表出せずに伝える類の歌に、ことにその特徴があらわれる。ここでは、そういう歌いぶりの面からのみ、秀歌と思える例をいくつか挙げてみる。たとえば実朝の『金槐集』より――
夏山に鳴くなる蝉の木がくれて 秋ちかしとやこゑもをしまぬ
ものゝふの矢なみつくろふこての上に 霰たばしるなすの篠原
五月やま木のしたやみのくらければ おのれまどひてなく郭公(ほととぎす)
実朝の歌は「自分だけがこれを感じ取っているのではないか」という孤独感をにじませた歌が多いが、ここに挙げた三首も、そういう繊細な感性を突き詰めたものが感じられる。
一首目。姿も見せずに「こゑもをしま」ず鳴きしきる蝉たちよ、お前たちは秋(死のメタファー)が近いからこそそうするのかという呼びかけは、それがそのまま自分の心境とシンクロしていることがすぐにわかる。しかしそうはっきりと言わずにむしろ素直に感じたままを表現することで、かえって歌人の「こころ」が見えてくる仕掛けになっている。
二首目。著名な歌である。戦いを控えて勢ぞろいする「ものゝふ」たちの武装した姿を霰が激しくたたき、これから命をかける厳しい雰囲気がいや増さるという情景だろうか(別の解釈も可能である)。鑑賞する側にまで武者震いが伝わってくるようだ。しかし歌人の歌い方はことさらな情をこめずに淡々と目に映るさまのみを描写している。それでこそこの歌の厳粛な印象が鮮やかに刻み付けられる。
三首目。「木のしたやみのくら」さと、「郭公」の鳴き声とは直接のかかわりはなかろう。だがそれをあえて有情の「まどひ」として連結させているのは、歌人の独特な感性であって、そのリリシズムには、ただしどけなく情に流れるのではない、抑制された知性がうかがわれる。
次に、西行の『山家集』より――
かりがねはかへるみちにやまどふらむ こしの中山霞へだてゝ
ながめつるあしたの雨のにはのおもに 花の雪しく春のゆふ暮
西行の歌は、景物を歌いつつひそかにそれに心を託すのではなく、むしろそれを強い自意識のもとに心象風景として囲い込んでしまうものが多く、じっさい「心」「わが身」「思ふ」などの句がセンチメンタルと評してよいほどに頻出する。だから、ここでの「沈黙」による美学の例としてはふさわしくないかもしれない。しかし、その西行でさえ、上に挙げたような歌が散見されるので、やはり一見単なる自然詠と見えて、そこに彼自身の心情が黒子のように歌全体を支えているのがわかる。だからこそ、ここに例示する意味があるとも言えるのである。
一首目。心が曇ってこれからどう人生の帰路を求めてよいのか決めあぐねている歌人自身の「まどひ」が、「かりがね」の渡りの道を塞ぐかに見えるはるかな山の霞という喩によって巧みに表現されている。
二首目。朝降った雨で濡れている庭のおもてを、「ゆふ暮」には(おそらくはその雨によって)散ってしまった桜の花びらが一面に覆っている。「ながめつる」というからには、歌人は朝から夕までじっとひとところで時を過ごしていたのかもしれない。実際にそうではないにしても、ここには、同じ空間におけるそういう時の移り行きがそのまま歌いこまれている。濡れた庭を散った花びらが覆っているさまは、それだけでもうつくしく情趣が深いが、そこに「あした」から「ゆふ暮」までの時の流れを重ね合わせたところに、歌人の世をはかなむこころがさりげなく映し出されている。
次に俳句についても一言しておこう。
言うまでもなく、俳句は情景のワン・ショットのうちに、「声」や「静寂の余韻」や「語られなかったもの、語れば野暮になるもの」を豊かに内蔵している。鑑賞者のほうもそれを感じ取る極意のようなものが要求されるので、一見形だけはすぐに整えられて安直なように見えながら、じつは難解な芸術形式と言えるだろう。
ここでは、絵画的(あるいは写真的)な美の印象を強く焼き付ける蕪村の句を取り上げてみよう。
菜の花や 月は東に 日は西に
さみだれや 大河を前に 家二軒
月天心 貧しき町を 通りけり
第一句。日が沈むころに出る月は満月か、それに近い月である。薄暮が迫る広野にいっぱいに咲く菜の花。天界と地上とを一気に視野に収めた雄大な句である。この雄大さを絵や写真に収めるのはとても難しい。しかし、一人の人間にとっては、くるりと首を回すだけで一瞬にしてそれを視野に入れることができるのだ。「自然にじかに接している生身の人がいる」という事実の重要さを、この句は「沈黙」によって教えていると言えるだろう。
第二句。これも作者の視点とその心をよく想像させる作品である。水かさを増した大河の前に心細そうにたたずむ小さな家が二軒。危ないな、大丈夫かなと心配している蕪村の位置は、家々よりも少し高いところにあるだろうか。しかしその心は、あまり豊かではないであろうこの村の家々の住人の生活意識へとまっすぐに通じてもいるのだ。まったくの写生的な句でありながら、そういう人間的な共感を直ちに呼び起こす効果を醸し出している。さらに蕪村の胸には、世間の荒波に直面しながら、か弱くひっそりと、それでもけなげに生き抜こうとする一対の男女の姿が去来していたかもしれない。同じく五月雨を詠んだ芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」よりもはるかに優れた句であると私は思う。
第三句。「貧しき町」を通っているのは、中天にかかる月だろうか、それともこの風景のさなかをそぞろ歩きしている俳人自身だろうか。私には、その両方であるように思える。
月明かりに青く照らされることで、町の貧しさがいっそう心に沁みとおってくる。俳人自身が町の路地を通りぬけていなければその感興は胸に強くは響いてこないだろう。だがいっぽうで、先の「さみだれ」の句と同じように、鳥瞰的な視点から「貧しき町」への思いをあれこれと巡らしている蕪村がいるとも考えられる。その場合には、彼は町を優しくゆっくりと見守る月にそのまま同化しているのである。この二重化された視点が短い句のなかに凝縮されているのだが、そのこと自体は句には明示されていず、沈黙のままに鑑賞者の味わいの力にゆだねられているのである。