小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

誤解された思想家たち・日本編シリーズ(18)――福沢諭吉(1835~1901)その2

2018年02月24日 19時37分54秒 | 思想


 福沢は、人間は個人としてすべて平等であるなどと説いたことは一度もありませんし、そんなことが可能だとも考えていませんでした。
なるほど彼は、『学問のすゝめ』二編に「人は同等なる事」という項を設けて、平等について語っています。しかしそこには大きな留保がつけられています。

ゆえに今、人と人との釣り合いを問えば、これを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは、有様の等しきを言うに非ず。権理通義の等しきを言うなり。(中略)権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。

 この「権理通義」という独特の言葉ですが、これは、いまの言葉で言えば、個々の人間が共通に持つ法的人格という観念です。この共通性を認めるかぎり、福沢が言う通り、生命、身体、財産、名誉は、どの人も同等に守られなくてはなりません。
では、こういう観念が成立するために何が必要かといえば、文明が一定の成熟段階にまで達していることです。
この文明社会は、古き共同体では自明とされていた社会了解が崩壊したところに初めて生まれてきます。
福沢は、自分がまさにその境界点に立っていることに自覚的でしたから、法の下での平等という観念を時代にふさわしい形で摂取して、人はみな「権理通義において同等」であると唱えたのです。
しかし一方、彼は、その観念が、人間生活の現実の「有様」を見る目まで曇らせてはならないと考えました。

いかに牽強付会の説を作るも、人の身体の強弱には天賦あり、心の強弱には天賦なしとの口実はなかるべし。ひっきょう、世の教育論者がその教育奨励の方便のために事実を公言するをはばかり、ついに天賦論を抹殺して一般にこれを忘れたるものなり。もとより愚民多き世の中なれば、無天賦論の方便も、時としては可ならんといえども、事実を忘れて、これがために遠大の処置を誤るは、憂うべきの大なるものというべし。》(『時事小言』第六篇・明治十四年)

 ちなみに、ここで使われている「天賦論」というのは、人は生まれつき不平等だという意味です。
人の賢愚は生まれつき決まっている。そんなことは誰でも知っているのに、世の教育者たちは認めようとしない。彼らは「生まれつきの能力はみな同じで、努力次第で誰でも出世できる」という神話を植え付けようとする。そういう神話を方便のために使うならわからないではないが、事実そのものを忘れてしまうと、優れた人材の養成という「遠大の処置」を誤ると警鐘を鳴らしているわけです。
これによって、福沢が天賦平等論など少しも信じていないことがよくわかると思います。
すると世のさまざまな格差が生じたのは、学問をしたかしないかによるのだという『学問のすゝめ』の論理が、じつは意識的に使われた「方便」だったということになります。
なぜ彼がこの「方便」を用いたのかについて、もはや多言を要しないでしょう。旧弊を打ち破って、一国の独立のために優れた潜在能力を自由に解放させる必要を強く訴えたかったからです。

 福沢は民権論者から国権論者へと変節していったという誤解も根強くあります。
こういう二元論でものを見ることがそもそも福沢誤解のもとなのです。
国権論という言葉を民衆を抑圧する権力と解釈せずに、国際社会に対峙する国家主権の確立論と受け取るなら、彼は一貫して国権論者でした。
その確立のために、極端な民権論も極端な民権抑圧論も共に百害あって一利なしなので、互いに猜疑と激情と暴力を捨てて、政府はもっと寛容に反対論者に耳を傾け、民権運動者は、国家統一の重要性をもっと認識せよと、ひたすら官民融和の論陣を張ったのです。
そのため彼は『通俗民権論』(明治十一年)から『藩閥寡人政府論』(明治十五年)に至るまでの一連の政治論で、しつこく国会開設の効用を説きました。
官に対しては多事争論恐れるに足らずと言い、民に対しては、衆の暴力に訴えず言論に訴えてこそ政府も耳を貸すだろうと、それはまるで周旋屋のような役割でした。
彼の議論はある角度からは民の側に立って官を攻撃しているように見え、別の角度からは官の立場から民権論者を批判しているように見えます。
しかしこれは、彼がコウモリ的にふるまっていたのではなく、まさになぜそうするかという確固たる目的があったからです。
その目的とは、西洋列強に対して独立主権国家としての面目を示すことに尽きます。西洋に負けない軍備を整え、それを背景に対等の外交関係を築き、富国強兵を真に実あるものとするためには、弾圧と反権力ごっこをしている時ではないというのが、この時期の福沢の痛切な状況認識だったのです。
 彼の脳裡には、英国議会の二大政党制がその国権独立の維持を保証するイメージとしてありました。たしかにやや理想化していたきらいがあったでしょう。
しかしひるがえって現代日本の政治を見る時、福沢の「一身独立し、一国独立す」の悲願がとうてい果たされていない惨状に、何ともやりきれない思いを抱くのは、筆者だけでしょうか。

 福沢の強い危機意識の表現は、今の日本が突き当たっている国際環境にそのままスライドさせることができます。
にもかかわらず、今の日本人のほとんどは、福沢の期待した「気概」をまったく喪失しています。この腑抜けた「危機意識の欠如」「焦燥感の欠如」こそが、現在の日本の体たらくを招いているのです。悪いのは外圧ではなく、外圧を外圧と感じないほど鈍感になってしまった日本人自身なのです。
 国会議員たちは「もりかけ」問題だの、不倫問題だのと、小さなスキャンダルの追及に血道を上げ、今目の前に迫っている国際的な外圧を取り上げようともしません。
リベラルを自称する知識人たちは、ジャーゴンの世界に潜り込み、総合的な視野を失っているので、大局的な問題に関して国民に勇気をもって自分の判断を示すことができません。
マスコミの大部分は、官僚の仕組むウソやアメリカのメディアの報道をそのまま垂れ流すか、幼稚な反権力イデオロギーや「人権」至上主義や空想的平和主義で国民を洗脳するのに暇(いとま)がありません。

 こんな体たらくになってしまった原因は、様々考えられます。それは別途検討すべき課題として、少なくとも必要とされるのは、かつての「気概」を一刻も早く取り戻すことです。
 いま私たちは、福沢の時代から百五十年を経て、新しい激動の時代に見舞われています。それは、近代国民国家が、資本主義の頂点としてのグローバリゼーションという激しい波濤に翻弄されている時代です。
この揺さぶりに対する舵取りを誤ると、その先には、革命や戦争や亡国の危機が待ち受けているでしょう。
 そして日本。
日本はまさにそのかじ取りを誤りかけています。
すぐ近くには、図体のとてつもなく大きな新興帝国主義国家が、発展途上特有の粗略で強大なエネルギーを外に振り回して私たちを脅かしています。この暴れん坊は、グローバリズムを国是として取り込み、したたかな手口を駆使しながらユーラシアの東端にある日本を飲みこもうとしています。
これに飲み込まれたくないなら、私たちは、だらしなく緩みきった褌を締め直すために、近代国民国家存立の大切な初期条件とは何であったのかを呼び戻してみなくてはなりません。その時、最も頼りとなるのが福沢の思想なのです。
福沢諭吉はただの「古典」ではなく、現代の思想家です。あなたに、いま、呼びかけているのです。


【小浜逸郎からのお知らせ】
●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(仮)を脱稿しました。出版社の都合により、刊行は5月になります。中身については自信を持っていますので(笑)、どうぞご期待ください。
●『表現者』連載「誤解された思想家たち第28回──吉田松陰」
●「同第29回──福沢諭吉」
●月刊誌『正論』2月号「日本メーカー不祥事は企業だけが悪いか」
●月刊誌『Voice』3月号「西部邁氏追悼」