小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

日本に言論の自由はあるか

2018年02月28日 01時28分29秒 | 思想



日本に言論の自由はあるか。
これは相対的な問題です。
一般的に言って、
社会的立場上、言いたいことが言えないというケースは、
山ほどあります。

しかし北朝鮮や中共に比べればずっとましでしょう。
また、かつてに比べれば、
ITの発達普及によって、
より多くの人がSNSなどを利用して、
言論を発信できるようになりました。
マスメディアの流すウソ情報も、
以前より少しは見抜かれるようになったと思います。

しかし果たしてそれで、
言論が社会をよりよくするのに貢献したかと言えば、
首をかしげざるを得ません。

膨大な情報が超スピードで乱れ飛ぶので、
受け手は何を信じてよいやら。
疑心暗鬼にかられることが多くなったのではないか。
また、この情報インフレの状態は、
真に価値ある情報の重みを相対的に軽くしてしまいます。

そもそも私たちは何が真に価値ある情報なのかを
判定する価値尺度を見失っているのではないか。
いくら精魂込めてオリジナルな発信を繰り返しても、
どれもみな同じというように受け取られてしまう。
初めから「ワンノブゼム」という先入観で受け取られるのです。
要するに「暖簾に腕押し」の状態が支配しています。

もちろん、だからといって、
闘いをやめるわけにはいきません。
取り上げる問題の軽重、調査能力や思考能力の卓越性
これらによって、
ゴミ情報の山から脱け出す戦略が必要です。

また、今の日本では、
露骨な言論弾圧が行なわれているわけではありません。
しかし、
マスメディアの洗脳などは一種の間接的な言論弾圧です。
金銭の力と既得のネットワークの力、
時間帯の支配と情報入手の安直さ、
それらを利用する特定の権力集団の執拗な意思、
これらによって、
ウソを真実と思いこまされ、
理路をいくら尽しても、
聞く耳を持たない人々が大多数を占めているからです。

こうした権力集団は、自分たちの意思を通すためなら、
多少とも邪魔と思える情報に対して、
できることを何でもやってきます。
さらにサイバー攻撃という、
ITの素人では防ぎようのない武器も、
最近では頻繁に使われています。

筆者が少し前に経験した例をお話ししましょう。
筆者は水道の民営化に反対しています。
それで、反民営化論を自分のブログに掲載し、
それをFB画面上で公告しました。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/17802bf252decb3fac028a02d88c051b
あわせて、概略同じ趣旨の論考をある媒体に投稿しました。
すると、ほぼ同時期に次のような三つの反応が現われました。

(1)FBのコメント欄にある人からの反論が載りました。
  これは、筆者の論点にまともに答えていず、恐ろしく煩瑣な行政資料を駆使して、
  結論としてはただ、水道の自由化は心配ないというものでした。
  筆者は論点をいくつか絞ってブログ上とFBコメント上で反論しました。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/7c294b8c9958967f03113a05b02c0c9b
  するとさらに膨大な資料を積み上げて、コメントを寄せてきました。
  資料には論点と関係のないものも多数ありました。
  結論はただ、自分はこの政策を、憲法に規定された生存権を保証するものとして信ずるというものでした。

(2)他の媒体への投稿は、大幅に改竄され
  日本語として論旨が通らない形になっていました。

(3)ブログ記事は残されましたが、
  なんとワードで書いた草稿がそっくり消されていました。
  ちなみに他の保存データには何ら損傷はありません。

(1)の書き手は、筆者の想像に過ぎませんが、
  普通の市民ではなく、
  行政官僚に何らかのかかわりのある人の手になるものでしょう。
(2)についてはしかるべく対処して解決しましたが、
(3)については、だれが操作したのか、
  何の証拠もありませんからどうしようもありません。

陰謀論にハマるのは好きではないのですが、
これらは偶然に起きた反応とはどうしても思えません。
もし何らかの統一的な意図がはたらいているのだとしたら、
自分も特定の権力から危険視されるようになったのかと、
苦笑を禁じえないわけですが、
筆者自身の小さな「災難」の有無にかかわらず、
何となく不気味な空気の流れを感じずにはおれません。

日本に言論の自由はあるか。
高度情報社会はますます互いの疑心暗鬼を高めていくでしょう。
当たり障りのないことだけを言っている自由は保障されていますが、
事と次第によっては、
言いたいことが言えない状態、
言っても何の効果もない状態、
が深まっていくことが懸念されます。
警戒しつつ、
しかしけっしてビビらず、
発信のための言葉を磨きましょう。