小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

MMTの就業保障プログラム vs ベーシックインカム

2019年09月18日 22時52分11秒 | 思想



現代貨幣理論(MMT)を体系的に論じたランダル・レイ氏の『MMT現代貨幣理論入門』には、政府が雇用の安定と貧困の解決を目的として提供する「就業保障プログラム(JGP)」というアイデアがやや詳しく紹介されています。
これは簡単に言えば、政府自らが最低賃金を決めて労働者を雇い入れ、不況時に失業者が増大しないようにするシステムです。
政府の提供する仕事は、インフラの整備や社会福祉事業など、公共性の高いものが中心となるでしょう。
しかしそれだけではなく、ふだん民間が行なっているさまざまなプロジェクトについても、不況時には政府もタッチして、失業者に就業機会を提供することになります。
世界恐慌時代のニューディール政策がそのモデルの一つです。

こういうと、いわゆる「小さな政府」論者は、すぐクラウディングアウト(金利高騰による民間需要の圧迫)を心配するでしょう。
しかしJGPはあくまでその時々の最低賃金で雇用することが条件ですから、もし少しでも景気が回復して、それよりも高い賃金で雇う企業が現れれば、労働者はそちらに自動的に移っていきます。
そしてまた景気が悪化すれば、政府が財政支出を行なって、失業者を吸収するわけです。
いわばJGPは、景気循環の波をできるだけ抑えて完全雇用の実現を目指すための労働者のプールなのです。

このアイデアは、いくつかの点で優れている、と筆者は思います。
レイ氏の説明に従って、その利点を挙げてみましょう。

一つは、このアイデアが、「小さな政府」がよいのか「大きな政府」がよいのかといったイデオロギー的な対立の不毛さから自由な、柔軟なシステムだという点です。
JGPの雇用は、景気後退時に増加し、景気拡大時に縮小します。
景気過熱時にはインフレ圧力を弱め、不況時にはデフレ圧力を弱めます。
つまり景気後退時には、「大きな政府」になり、景気拡大時には「小さな政府」になるわけです。
その意味で、アメリカで言えば、民主党だけではなく共和党にも受け入れられる要素を持っています。

また、これは政府が直接雇用しますから、医療、育児、社会保障、病気休暇など、きちんと整った福利厚生とセットになっています。
ここに属する労働者は、パートタイム労働や季節労働を含め、その期間、一種の公務員になるわけですね。

次に最低賃金ですから、民間の雇用者は、これより少しでも高い賃金を支払えば労働者を引き抜くことができるので、雇用者どうしの低賃金競争を制限することができます。
また一般企業は、福利厚生や労働条件の面でも、少なくともこのプログラムと同程度の水準を提示しなければならなくなります。
ブラックな扱いを受けている労働者は、そこから逃れてJGPを選択することができるわけです。

為替レートとの関係ではどうでしょうか。
貧困層に所得をもたらすと、消費が増え、その結果輸入が増えるので、輸入物価が上昇して通貨安となり、インフレが加速することを心配する向きもあるでしょう。
しかしこの心配は、フィリップス曲線を盲信した主流派経済学の一部からくるものです。
フィリップス曲線では、失業とインフレとがトレードオフの関係になりますから、一国の経済の安定のためには、ある程度の失業やむなしという考え方になります。
しかしレイ氏はこれに対して、次のように答えます。
物価と為替レートの安定を達成するための主要な政策手段として貧困と失業を利用することに対しては、強い倫理上の反対論がある。》
また、《むしろ、就業保障プログラムは国内外における通貨価値に(最低賃金という――引用者注)土台を提供するがゆえに安定させ、実際にはマクロ経済の安定性を高める
為替レートへの圧力が万一強まって、それを最小化したいのであれば、国は貿易政策、輸入代替政策、ぜいたく税、資本規制、金利政策、取引高税などを依然として利用することができる
つまり、貿易赤字の増加を解決するために、貧困層や失業者にすべての負担を押し付けるのはおかしいということですね。

このアイデアに対しては、このほか二つの批判があるようです。

一つは、政府の雇用の増減の幅が大きくなりすぎて、制御不能になるのではないかというもの。
不況時に多くの雇用を創出したのに、好況になったらそれがみんな民間の雇用に流れてしまうのでは、多くのプロジェクトを中止しなくてはならなくなるのではないか。
これはもっともな心配です。
しかし、アメリカでは、労働者プールにおける雇用の一般的な増減幅は、好況時の800万人から不況時の1200万人までの400万人と推定されており、好況時でもほとんどのプロジェクトが継続できるように、労働者プールに十分な数の労働者を確保しておくことは可能であろうと、レイ氏は述べています。

もう一つは、例によって「財源」をどうするのかという議論です。
政府が福利厚生とセットで賃金を払って労働者を直接雇用するとすれば、当然、相当の財政出動を覚悟しなくてはならないからです。
しかし、MMTをよく知る人なら、この議論は「うんざり」でしょう。
というのも、MMTは、自国通貨を発行できる国では、財源を税収に求めることを認めていないからです。
原則としてインフレ率以外に財政支出には制約がなく、債務の累積によって財政破綻することはありえないというのがMMTの最も重要な指摘です。
債務残高は、過去の財政支出のうち、税金で取り戻せなかった分の記録に過ぎず、それはそっくり民間の貯蓄になっています。

また、税の機能は、歳出を賄う点にあるのではありません
それは、国民経済を安定化(インフレ、デフレのコントロール)させること、所得の再分配によって極端な格差をなくすこと、自国通貨納税によって一国の経済活動に信用をもたらすこと、公共性を害する経済活動を処罰することの四つです。

さらに進んで、中央政府は、中央銀行の準備預金口座に必要金額を電子記録として書きつけるだけで財政支出が可能となるので(つまり貨幣の創造)、MMTでは、利払いを伴う国債の発行すら、あまり思わしくないとされています。
国債とは、準備預金口座に必要な支出を書き込む作業の代替機能に過ぎないのです。
「ザイゲン、ザイゲン」と騒ぐ人たち(ほとんどの行政関係者、政治家、エコノミスト、マスコミがこれに当たりますが)は、これらのことをまったく理解していません。

さて、MMTの就業保障プログラムとは別に、ベーシックインカムというアイデアが一部で盛んに議論されています。
これは、個人単位で、全国民に一定額を支給するというものです。
働いている人も働いていない人も、子どもも高齢者も、富裕層も貧困層も、ハンディのある人もない人も、一律同じ金額が支給されます。
政府が、生活できるだけの最低保障をするから、あとは自由に生活設計をしろというわけですね。

この考えはどうでしょうか。

メリットとして、貧困対策、少子化対策、地方の活性化(地方のほうが物価が安いので)、多様な生き方の実現、非正規雇用問題の緩和、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、などが挙げられていますが、どれも説得力がありません。

まず、真剣に貧困対策を考えるなら、富裕層にも支給するというアイデアはおかしいですね。
また、子どもにも支給されれば結婚や出産へのハードルが外されるというもっともらしい理屈は、これまでの子ども手当などの対策が一向に効果を上げていないことで反証済みです。

地方の活性化は、インフラの整備というポジティブな政策によってこそ実現するので、物価が安いぶんだけ活性化につながるなどというのは、なんとも屁理屈めいています。
物価の安さは、同時に生産活動の沈滞をも表しています。

また、多様な生き方といえば聞こえはいいですが、引きこもりやニートもその一つということになりますから、そういう生き方を助長してしまうでしょう。

非正規雇用やワーキングプアの問題は、デフレのために雇用者が人件費を削減する動機から出ているので、デフレを前提とした上で、ベーシックインカムがその緩和に役立つという発想は、本末転倒です。
支給された金額が消費に使われずに貯金されてしまったら、デフレ脱却はいっそう遠のくでしょう。

社会保障制度の簡素化と行政コストの削減。じつを言えば、これがベーシックインカムという発想が出てくる本音の部分をあらわしています。
というのは、このアイデアは、もともと社会保障を極小にせよという新自由主義的な考え(小さな政府)から来ていて、高齢者、障碍者、病者など、特殊条件を抱えた人々に対するきめ細かな対応をやめて一本化してしまえばよいという粗雑な発想に基づいています(左派系の人たちは、一応社会保障制度との抱き合わせを主張しているようですが)。
ミルトン・フリードマンの「ヘリコプター・マネー」と共通していますね。
貧困? 失業? カネをばらまきゃいいじゃないか、というわけです。
じっさいフリードマンは、「負の所得税」という言い方で、ベーシックインカムとよく似たことを提案しています。
それぞれに特別な条件を抱えていて、ベーシックインカムではとても足りないという人はどうすればいいのでしょうか。
新自由主義得意の、「あとは自己責任で」というのでしょうか。
また、行政コスト云々については、MMTがそれを心配する必要がないことを証明してしまったのですから、何らメリットにはなりません。

ベーシックインカムのメリットとして、ブラック企業の抑止効果を唱える人もいるようですが、おいおい、それは反対だろう、と言いたいですね。
「お前は最低限食っていけるんだから、ウチじゃあ、そんなに給料出す必要はねえ。それでも働きてえなら、こんだけの仕事をいついつまでにこなせ」と考えるのが、ふつうの雇用者心理ではないでしょうか。

このアイデアの最もまずい点は、人々の勤労意欲を殺ぐことです。
楽をしたがるのが人性というもの。
もし働かなくても最低生活が保障されるなら、好き好んでつらい労働に従事する人はいなくなるでしょう。
ローマ時代末期の「パンとサーカス」と同じような状態が出現します。
筆者は、楽をすることが道徳的によくない(「働かざるものは食うべからず」)と言いたいのではありません。
働かなくても食っていけるのなら、多くの人が生産現場から手を引き、当然、社会全体の生産力、生産性は低下します
つまりかえって貧困化が進み、亡国への道を早めるでしょう。

MMTの提唱する就業保障プログラムと、ベーシックインカムとの決定的な違いは、前者が必ず政府による雇用を条件としているのに対して、後者が、働くか働かないかを問題にしていない点です
もちろん、どれか一つの政策に固執する必要はないので、状況に応じて、複合的に組み合わせて用いることは可能であり、それを許容する寛容さを持ち合わせることは大事なことです。
たとえば、給付型奨学金制度などは、ベーシックインカムの部分的な適用と見なすことができますから、大いに推奨されるべきでしょう。

ただ、思想として見た場合、どちらが優れているかといえば、就労を条件とするJGPのほうが、人間的自由の獲得の条件としてやはり立ち勝っていると言えるでしょう。
ベーシックインカムは、かつて救貧のために方法を見出せなかった時代の、富裕層による上からの慈善事業の現代ヴァージョンです。
もし誰もが勤労の対価を受け取り、それによって社会に参加しているという実感を抱けるなら、それが結果的に一人一人の誇りを維持する一番の早道と言えるのではないでしょうか。

昔の偉い思想家も、次のように述べています。
各人が自分の欲求を満たすという主観的な動機にもとづいておこなった労働の投与が、全体としては、たがいに他人の欲求をも満たす相互依存の生産機構を作り出す。これは、「共同の財産」である。もしそういう共同の財産のネットワークが市民社会にきちんと整っているなら、それによって、だれもが自分の労働を通じて社会から一人前であるとして承認される。それは、慈善や憐憫に頼るような奴隷的なあり方とはちがった、人間的な自立と自由とを実感できる道である。》(ヘーゲル『法哲学講義』――ただし一部筆者改訂)
人生の要訣はただ働くにあり》(福沢諭吉『民間経済録』


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