4月7日に新型コロナ対策として緊急事態宣言が発出され、3週間がたちました。
この間に筆者から見て、じつに下らない・間違った・腹立たしい主張や行政措置があふれかえりました。
これには大きく分けて、二つの流れがあります。
一つは、消費税減税や財政出動にブレーキをかけようとするもの、もう一つは、国会議員や公務員の所得を削減させようとするものです。
今回は、初めの流れを扱います。
筆者が触れ得た限りで、一つ一つ批判して、その考え方を潰していきたいと思います。
まず初めの例。
https://president.jp/articles/-/34145
これは緊急事態宣言よりも前の4月1日に、東京財団政策研究所の森信茂樹氏が「コロナショックに『消費減税』をしてはいけない4つの理由」と題して発表したものです。
《第1に(中略)消費税を減税するには、経過措置の規定など多くの改正法案作成作業が必要となる。補正予算を組むだけで対応できる給付金と比べて、はるかに時間を要する。》
消費税を5%に減税するならたしかに時間がかかります。
しかし私どもは、消費税をゼロにすること(当面でも廃止でもよい)を提案しています。
ゼロにするなら、国会さえ通れば、あとはレジの消費税記録の機能をオフにするだけで済むので、手続き上も極めて簡単です。
そしてその経済効果は計り知れません。
何しろ国家が吸い上げている1割がなくなるのです。
たとえば年収200万円の人はほとんど消費に使ってしまうので、20万円分だけ消費を増やすことができます。
生産者・事業者のほうも、その分だけ売り上げを伸ばすことができるでしょう。
《第2に、減税までの消費の手控え、元に戻す際の駆け込みなど、余分な経済変動、不安定化が生じる。》
「余分な経済変動、不安定化」とは屁理屈を考えたものです。
だいたい、いままさに多くの事業者・従業員が倒産や失業の憂き目にあっている時に、「元に戻す」際の心配をしてどうするのですか。
そんな程度の「経済変動」は、かえって増税の際に起きたではありませんか。
しかし昨年の10月の増税の最終結果は、▲7.1%というもの凄いGDPの落ち込みでしたよ。
《第3に、新型コロナ問題が広がる中で、経済的な被害の少ない方がおられる。(中略)つまり消費税減税は、お金持ちほど優遇されるということになる。》
あのね、中略部分であなたも言っている通り、消費税はもともと貧困層に厳しく富裕層に優しい逆進性を持っています。
貧困層は消費性向が高く、富裕層は低いからです。
消費税が減税またはゼロにされることで一番助かるのは日々の暮らしに追われる貧困層なのですよ。
中略部分で、森信氏は「お金持ち」の買い物の例として車やマンションを挙げています。
高い車やマンションを買うことで消費税がかかろうがかかるまいが、富裕層だったらそんなに気にするはずがないでしょう。
第一、車やマンションは富裕層だけのためにあるのではありません。
中間層、中の下くらいの人たちが、なけなしの資金と高いローンでささやかな車や家を買おうとしても、高額の消費税のために諦めてしまう可能性を考えたことがありますか。
《最後に、消費税の持つわが国における政策的な意義である。消費税は、全世代型社会保障の切り札で、とりわけ幼児教育・保育の無償化など、わが国の働き方改革、少子化対策を進めていくための貴重な財源となっており、すでに使われ始めている。》
これは民主党政権や安倍政権が消費税を正当化してきたウソ八百です。
増税分など、財務省の財布に入ってしまえば、あとは何に使われるかは、勝手次第。
もし増収分を何かに充てているとすれば、たぶん国債と利子の返済の足しにしているだけです。
そもそも税収で国の歳出を賄っているという考えが間違いなのですよ。
いいかげんに政府が垂れ流してきたウソの上塗りはやめませんか。
次です。
https://drive.google.com/file/d/1rIVefx56JpIcmVqhWNzACl3269mb8WHK/view
これは4月6日に政策研究大学院大学の林 文夫氏が「政府コロナ緊急経済対策の批判と私の提案」と題して発表したものです。
《政府がすべきことは、損害額である家計所得の損失を確定し、保険金を各個人に支払うことだ。(中略)
では損害額はいつ、どう確定するか。私の提案は、確定は来年の確定申告時、損害額は、2020 年の申告所得から「ショックがなかったときの所得」を差し引いた額とする。》
浮世離れしたことを言う人です。
世帯当たり30万円給付の話が出た時にも、線引きの難しさが一つの理由となって、個人一律10万円となったのに、家計所得の損失をどうやって計算するのか。
世帯ごとに割り出さなくてはならず、大変な手間がかかるでしょう。
それに、申告に任せるなら、「ショックがなかったときの所得」をいくらでも誇大に計算できます。
それをどうやって予防するのか。
「確定は来年の申告時」とはまた悠長な話です。
繰り返しますが、自粛で倒産、廃業、失業の危機に直面しているのは、いまなのですよ。
《いうまでもなく、企業は、規模の大小にかかわらず、個人が所有している。個人が補償されるのだから、企業への現金給付は、企業の所有者に重複して補償することになるので、不公平だ。》
これはとんでもない話です。
企業は企業主の家計だけではなく、経営のために営業所の家賃、従業員の給料、リース料など、多くの固定費を負担しています。
会社は社長個人の所有物ではありません。
この人は、法人の所有と個人の所有との区別もついていないらしい。
《政府による保険金支払いの財源は、消費税率の少なくとも数年間にわたる引き上げだ。赤字国債を財源にするのは、将来の現役世代が負担することになり、効率性の原則に反する。》
ほら、やっぱり財源を気にしてる。
しかもそれを消費税率の引き上げによって果たすというのです。
消費税を今後も引き上げる計画が財務省や一部の学者・エコノミストにあることは、コロナ以前から知られていましたが、コロナショックによって、貧困層の莫大な増加が見込まれる現在、追い打ちをかけるようにその考えを持ち出すとは、血も涙もないとしか言いようがありませんね。
そして、「赤字国債を財源にするのは、将来の現役世代が負担することになり」という財務省発の決まり文句。
国民がどんなにこのデマに騙されてきたか、わかっているのか。
《コロナショックは、マクロ経済学でいう供給ショックの一種だ。供給ショックによる不況に対しては、需要刺激策は限られた効果しかない。しかもこのショックは感染が終息すれば確実に消失する。(中略)終息後はリベンジ消費で飲食店や行楽地に人々が殺到する。経済は放っておいてもV字回復する》
どうして需要刺激策に限られた効果しかないのか。
いま消費増税によって需要が極端に縮小したところにコロナショックがやってきました。
この過剰な自粛要請によって生じているのは、供給のストップである以前に需要のストップです。
いや、この際両者を「マクロ経済学」などという煙幕を張って、供給と需要に二分するレトリックでごまかすこと自体が非常に欺瞞的です。
需要のストップが同時に供給もストップさせているのが、いま起きている事態です。
つまり市場が成立しないという国民経済全体の危機なのです。
それをまあ、終息後のリベンジ消費などと妄想を膨らませていますが、そのリベンジのための消費力はどうやって回復させるのですか。
林氏の頭の中は、アダム・スミスの「神の見えざる手」でいっぱいのようです。
この際、お古い「経済学者」には退陣していただきましょう。
次です。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2020042100003.html?page=3
4月22日付朝日新聞編集委員の原真人氏。
《もし給付が2回、3回と続けざるを得なくなると、必要財源も25兆円、38兆円……と膨らんでいく計算だ。財源はいずれ増税して工面するとしても、当面その全額を赤字国債(新たな政府の借金)に頼らざるを得ない。米国や欧州各国も巨額の対策費が必要になっている点では日本と同じだ。ただ、財政が相対的に日本より健全な分だけ、新たな借金はしやすい。(中略)今後のコロナ対策(所得補償や休業補償)費用が膨らめば、指数はさらに悪化する。日本国債の暴落が起きてもおかしくない状況だ。たしかに日銀がお札(電子的発行も含め)を刷りまくって国債を買い支えれば、国債価格の下落は止められる。だが、次は日銀が信認を失うリスクが高まる。そのときは円暴落だ。円が暴落すれば、物価が数百倍、数千倍となるハイパーインフレとまでは言わなくとも、物価が一気に何倍にもなるリスクは非現実的とは言えない。》
これが有名な朝日新聞経済部の原氏です。
一読、この人のご説が、いまや古典と化した財務省べったりの緊縮論であることは瞭然としています。
そもそも使っている用語がそれを表していますね。
「政府の借金」「財政が日本より健全」「国際の暴落」「日銀の信任」「円の暴落」「ハイパーインフレ」と続きます。
いまコロナのような緊急事態で、飲食業やこれに関係した各業界のみならず、あらゆる民間企業、特に中小企業は、市場の崩壊の危機に悲鳴を上げています。
そんな中にあってさえ、政府の財政危機を訴えるその古典主義を崩さない頑迷さ。
こういうのを「蛙の面に水」と言います。
日本は変動相場制を採用して独自通貨発行権を持つ国ですから、必要に応じていくらでも円や国債を発行できるので、過度のインフレに気をつけること以外に財政問題はありません。
ちなみにご心配の円や国債の暴落(つまり超インフレ)については、その兆候が仮に見えれば、そのときこそ、政府、日銀の得意技である政策金利の調整や増税によって容易に解決できます。
と、何度言ってもわからないのでしょうね。
何しろこの人は経済がまったくわかっていないのですから。
今度書いていることを読んで、その事実をまた発見してしまいました。
そう、「米国や欧州各国も巨額の対策費が必要になっている点では日本と同じだ。ただ、財政が相対的に日本より健全な分だけ、新たな借金はしやすい」と言っている部分です。
えっ!? 欧州各国の財政が相対的に健全ですって?
欧州各国はユーロ圏の支配下にあって、金融政策の自由がなく、ために緊縮を強いられ、ギリシャ、イタリア、スペインのようにすごい失業率や借金で苦しんでいることも知らないの!
つまり原氏は一国の経済を考えるのに、「政府の負債」のGDP比のことしか頭にないんですね。
日本の場合、「政府の負債」つまり国債の累積額は、実は借金ではなく、財政支出の累積額のうち、税金で取り戻せなかった分の履歴にすぎません。
帳簿上、一応日銀からの「負債」という形を取りますが、これは政府が通貨発行権を使って拠出した貨幣供給残高です。
だから本来返す必要なんてないんですよ。
でもユーロ圏諸国では、ユーロは外貨と同じですから、イタリア政府がユーロで(たとえばドイツから)借金すればまさにそのまま「借金」です。
嗚呼、朝日新聞経済部編集委員・原氏よ、せめて欧州各国と日本の財政事情の違いくらいは理解してね。
《昨年話題になった「MMT」(現代貨幣理論)。政府の借金はいくら膨張しても問題ない、というその考えに賛同する政治家や学者はいまもいる。それを支持する国民もけっして少なくない。増税も社会保険料の負担増もなく、社会保障が充実できる。いいところ尽くしに見えるこのMMTは、政治的プロパガンダにするのにもってこいなのだ。コロナショックに乗じて、再びこれが盛り上がることも予想される。現実には、コロナ後、世界経済が正常化したとき、日本の財政悪化に市場の注目が集まらないとは言えない。弱い国家を投機の標的にしようという勢力は常に存在する。いちど標的になれば、国家といえども抵抗は難しい。》
そら出ました、MMT。
「増税も社会保険料の負担増もなく」とか言ってるところに、この人がMMTなど理解していないことがよくわかります。
増税は必要な時がありますよ。
さっき言ったように、インフレが過熱気味になった時に景気を安定させるためにやるのです。
MMTはもちろんそれを認めています。
社会保険料の負担増もありますよ。
高齢社会で、年金の支払額が増えますから、特別会計の中から捻出します。
でも少子化で国民からの年金料が減ったら、通貨発行で補えばよい。
福祉国家としての義務を、税金や年金料の増額や支払時期の延期などで国民に押し付ける必要などないのです。
そうして、今のように国民が困窮している緊急時こそ、MMTの出番なのです。
原氏は、机上で学んだ間違った「経済学」と、財務省の陰謀の穴にハマって、ただ財政は税収という限られたパイの中で処理し、そして国債の発行は「国の借金」だから必ず返さなくてはならないもの、と思いこんでいるのですね。
だから、こんなに国民が苦しんでいる時にも、平然と、「ハイパーインフレ」の心配などにうつつを抜かしていられるのです。
最後に一言。
「弱い国家を投機の標的にしよう」とありますが、「弱い国家」って何ですか。
抽象的で意味不明です。
日本政府は中国に次いで、世界第2位の外貨準備国で、ユーロ圏全体をはるかに上回っています。
こういう重要なファクターも「強弱」概念に含めて語ってくださいね。
次です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takerodoi/20200421-00174484/
慶応大学教授・東京財団政策研究所上席研究員・土居丈朗氏が4月21日に発表した論考。
彼のアホぶりは夙に有名ですが、以下のグラフを掲げて、「ワニの口」が塞がらなくなったことだけを
嘆く、まさに「開いた口が塞がらない」論考です。
《時系列で国の一般会計歳出と税収の金額を折れ線グラフを、いわゆる「ワニ口グラフ」と呼ぶ。記事冒頭のグラフがそうである。ワニの上あご(赤線)が歳出総額で、下あご(青線)が税収である(2018年度まで決算ベース、2019年度以降は補正後予算ベース)。この両者で描かれる形がワニの口に見えることからその名が付いた。(中略)2020年度補正後予算ベースでみると、一般会計歳出総額は128.3兆円と断トツで過去最高額となり、上あご(歳出総額)が上に突き抜けて、もはやワニの口は崩壊したかのようである。(中略)2020年度補正予算で、「ワニの口」はもはやその体を成していない様になってしまった。》
これはもう、歳出総額と税収との開きばかりを気にしている、ただの事務屋さんと言うべきで、経済学者と呼ぶのははばかられますね。
でも、財務省は、こういう知的肩書を持った人の存在を必要としているのでしょうね。
グラフを睨みながら、「ワニの口が塞がらない!」と叫び続けてそれ以外のことは目に入らない。
あるべきコロナ対策、長年にわたる緊縮財政の結果起きている医師や感染症病棟やベッド数や保健所の削減、過剰自粛による実体経済の崩壊の危機、今後間違いなくやってくる第2世界恐慌――こうしたことはどうでもいいらしい。
こういう緊縮真理教の信者には、今後あまりメディアに出てきてほしくないと思います。
特にこうした緊急時には、百害あって一利なしですから。
土居氏に一つだけ教えてあげましょう。
ワニの口が開いたということは、国債が大量に発行されたことを意味しますから、国民にとってきわめて慶賀すべきことであって、国債の発行残高は、そのまま国民の預金になっているのです。
「政府の赤字は民間の黒字」――よく噛みしめてください。
それにしても、慶応大学経済学部という名門で、この人は何をどんなふうに教えているのか。
学生がかわいそうだな――ふとそんなふうに思ってしまいます。
【小浜逸郎からのお知らせ】
●新刊『まだMMTを知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(徳間書店)好評発売中。
https://amzn.to/2vdCwBj
●私と由紀草一氏が主宰する「思想塾・日曜会」の体制がかなり充実したものとなりました。
一度、以下のURLにアクセスしてみてください。
https://kohamaitsuo.wixsite.com/mysite-3
●『倫理の起源』(ポット出版)好評発売中。
https://www.amazon.co.jp/dp/486642009X/
●『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)好評発売中。
http://amzn.asia/1Hzw5lL
●『福沢諭吉 しなやかな日本精神』(PHP新書)好評発売中。
http://amzn.asia/dtn4VCr
●長編小説の連載が完成しました。
社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
https://ameblo.jp/comikot/
今のコロナ禍は経済のパラダイムを根本的に変える好機であると、私は強く思えるのです。そうした中、小浜さんも含め貴方が批判しているコメンテーター達の殆どが、従来型の経済思考の範疇から逸脱出来ていないのが残念であり、今後益々此の国の行末を混迷へと誘うのではないかと心配です。
未だに経済立国への渇望に憑りつかれ続けているのでは、米帝軍需産業や世界金融資本に我が国の富を好いように簒奪されて行くばかりでしょう。小浜さんなら神戸市外国語大学名誉教授村田邦夫氏の「史的覇権システム論」を御存知だろうと思いますが、もしお分かりでなければ、氏の考えにアプローチ出来る「阿修羅」掲示板投稿の一節を紹介しますので参考にされてみては如何でしょう。
2020 年 4 月 25 日フラデ・最悪三千万人の生活が破綻する。だから、食糧危機対策の為にも農業ニューディールが必要なのである。
投稿者 ポスト米英時代
このまま自粛など続けていたらコロナ死亡者の百倍も経済自殺者が出てもおかしくなく、軽症者ホテルをたっぷり用意した上で経済を再開しなければ駄目で、それでも輸出入は細っているから内需を徹底的に拡大しなければ駄目で、鉄も車も電機もその他も柱を農業にする位の発想の転換が必要で、それでこそ雇用も守れるし自給率百%オーバーも達成できる訳で、内部留保を全部吐き出す位の積もりでコロナ大恐慌に挑まねば駄目である。
以上の阿修羅掲示板に村田教授は以下の様にコメントしている。
私もあなたの主張に賛成します。残念ながら、多くの日本人には絵空事にしか映らない、響かないかもしれませんが、こうした発想とそれに基づいた政策転換が待ち望まれるでしょう。
以下に私のブログ記事を張り付けさせてもらいますので、もし御時間がありましたらお目を通してください。今回の記事は、私のブログの主題と同じタイトルで述べています。
以下貼り付け、始め
日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える
今回は、以下のくだりにあるように、箇条書きにして話を要約している。次回から、ここで述べたことを下敷きとして、話を展開していきたい。ただし、これまでの拙論や拙著でも論じたものではあるが、やっと私自身に、「これだ」「これしかない」という、まさに「可能性」と「方向性」について、納得できるものを得たので、ここに報告した次第である。
今のコロナ危機に際して、またこれからも起こりうるウイルス危機に対処するためにも、私は日本の今後の在り方について提言しておきたい。
結論から先に述べるならば、日本は「農・林・水産業を中心とした国造りを目指すことをこれからの基本方針とすべきである。
そこにはまず何よりも、環境問題への対応・配慮が求められているとの理由が存在している。その理由は、21世紀の、また22世紀における生命維持活動において、絶対に必要不可欠であるとの事情も絡んでくる。
私たちの生存を考えるとき、食糧確保の問題を無視したり軽視することは許されない。また中国やインド、そしてアフリカ諸国の今後のさらなる「重厚長大」型の産業振興路線政策の推進の下で、農業従事者の減少とそれに伴う食糧生産の推進と維持における物理的な困難さが予想される。と同時に、地球的規模での食料争奪戦が今後ますますその熾烈化の度合いを深めていくことは、容易に予想されることだろう。
たとえ、お金があったとしても、国家がその食糧を確保して、国民に等しく分配することは、これまたかなり、実現不可能な問題であることは、今次のコロナ危機に際しての日本国家、政府によるマスクや消毒剤の確保と手配、さらにはコロナ感染患者に対する対応を見ても、とても期待できないことは明らかではあるまいか。
今回のコロナ危機は、今後もたびたび、それこそ手を変え品を変えて、日本と日本人に襲い掛かってくるのは避けられない「現実」として、受け止め、それに向き合う覚悟が必要となることを、改めて私たちに確認させたのではあるまいか。そのためには、私たちは、自らの手で、それこそ「革命」を引き起こす決意をもって、今からその準備を周到にしておかなければならない。
幸い、この危機において、私たちはいろいろなことを学ぶ機会を得た。そもそも、国家は、その本来の意味において、機能しているのだろうか。すなわち、国民の生命と財産を保障するという意味で、まったく有効に動いてはいない。
日本政府は、安倍政権は無用の長物そのものではあるまいか。内閣だけではない、国会も、その議員も不要である。わざわざ東京で政治を行う時代はもう去ったのではあるまいか。47都道府県が政治の実権を握る時代となったことが、コロナ危機で証明されたのではあるまいか。
国家の政治は、日本の防衛に限定して、国連との調整は、全国の47都道府県の「連合政治会議」(仮称)が協議すればいいのではあるまいか。防衛問題も早急にその会議が引き受けた方がいいだろう。
私たちが、この間の日本の政治・外交・防衛を見るにつけ、はっきりと了解した出来事は、もう「官僚」は不要だということではないか。彼らの能力では、もはやどうにもこの国を動かせないということが、森友・加計問題を始めとして、そしてこのコロナ危機での厚生労働省や総務省、その他の官庁の亀のような動きののろさ、そして何よりも、「公僕」としての、国民に対する不誠実極まりないなめ切った態度に、それは如実に示されているのではあるまいか。
彼ら官僚は、官僚の誇りを持つべきなのに、その矜持さえも無くし、無能な政治家を使って、その背後で国民に見えない形で、彼ら官僚の、官僚による、官僚のための「政治」を、白昼堂々と行っているのだ。
こうした政治が奉仕する日本の、また米国を始めとした覇権連合諸国の財界や経済界の意のままに動かされる、日本と日本人に甘んじたままに生きることを、私たちは何ら恥じ入らないのか。私たちの子供や、その孫や、またその子供たちに、このような日本社会の惨状を、私たちの「遺産」として、引き渡すことに、良心の呵責を感じないで済まされるだろうか。断じて許してはならないのではあるまいか。
私たちの子供たちの世代がいま直面している問題を、私たち親世代が知らないとするならば、もうあなたは親をやめた方がいい。過労死、職場における上司や仲間たちからの不当なイジメ、非正規労働問題をはじめ、枚挙にきりがない。また私たちとその親が抱えている問題も、どうにもやりきれない者が、これまたたくさんある。その大きなものに、介護の問題がある。親は自らの尊厳さを死の間際まで取り戻すことがかなわず、またその子供たちも、自らの親不孝を悔いたままで、やがて、また親たちと同じ末路を辿るのではあるまいか。
こうした問題は、私たちが当然としてきた日本の産業構造の高度化と切り離して考えることはできない。同時に、この日本の高度化問題は、世界の産業の高度化問題と結びついているのである。簡単に言えば、明治維新以降の日本は、農林水産業の第1次産業に「特化」した国造りであった。それが「あの戦争」の敗北以降、今度は第2次産業に特化した国づくりを推進していくが、いわゆる「重厚長大」型の産業の下に、高度経済成長を実現して、「分厚い中間層」の形成の下での成長と繁栄と自信に満ちた日本社会が登場した。
その夢の時代も、あっという間に過ぎてしまい、お隣の中国が重厚長大型産業の国造りに邁進するための「世界の工場」役を引き受けるのと呼応する形で、日本は、先進国では遅咲きの「金融・サービス化」経済に特化した国造りに着手するのである。
こうした産業構造の転換は、私の言う「システム」とその「関係史」の「段階」において、世界の各々の国が引き受けざるを得ない「役割」であり、その意味において、日本の金融・サービス化経済の下での国造りは、覇権国の興亡史と連動した世界資本主義システム、世界民主主義システムに見る変容と転換と、相互に補完する関係にあるのである。
何度もこれまで述べてきたように、先進国は富の二極化が引き起こされ、分厚い中間層も解体されていく。世界資本主義システムにおいて、先進国はごく一部の富裕層は、金融・サービス化経済の恩恵に与るのだが、その反面、大多数の持たざる者は、生活の困窮の度合いを深化させていく。資本主義システムにおいて、先進国とそこに暮らす者は、「低度化」の段階に甘んじざるを得なくなるが、それが先に述べた格差問題や貧困問題に象徴されるのである。
こうした先進国における世界資本主義システムに見る低度化の問題は、世界民主主義システムにおける民主主義の発展に見る「低度化」の問題と連動しているのである。すなわち、もはやかつての分厚い中間層を形成し、それに支えられていた時代の「民主主義」を「取り戻す」ことはできないのだ。私たちがいま手にしている、手にできるのは、「低度化」の段階の「民主主義」なのである。その民主主義の下では、雇用崩壊や貧困問題、そして格差社会とそれに伴う問題への対応と解決は、一層困難なのである。
私が悔しいというか、腹立たしいのは、政治学者や経済学者が、ほとんど「民主主義」の勉強をしていない、ということである。クルーグマンのようなノーベル経済学賞の受賞者も、またクリントン政権下で活躍したライシュ氏も、彼らの日本語訳著作にある、もう一度ニューディール期の、また50、60年代の米国に戻れるかのような話を展開しているが、まったくお話にもならない無責任な議論なのである。これは、、フランスのピケティの『21世紀の資本』においても、また同じような、「素人」の話を、すなわち、民主主義を取り戻すことが大事だ云々の話を、繰り返しているだけなのである。
それゆえ、もはや「民主主義を取り戻す」ことなどできないという前提から、議論を始め直すべきなのである。そして、今のコロナ危機が最後のチャンスとなるかもしれない。何度も言うのだが、日本の環境問題や原発問題や産業廃棄物問題、さらにこれからの深刻化する雇用問題と食糧確保問題、また日本のすぐ横に次期覇権国として台頭する中国と、これまでの覇権国であった米国との狭間で生きていかなければならないという外交・防衛問題を、地政学的問題とも重ねて考えるときに、私は日本のこれから以後の選択肢は、トルストイが『イワンの馬鹿』で述べている生き方以外にはない、と言わざるを得ないのである。
それが、国内の日本の代表的な多国籍企業と結びついた権力集団であるハゲタカと、国外の覇権連合勢力が主導するハゲタカから、身を守る唯一、残された生き方である、と信じて疑わないのである。農業研究者が残した有名な格言がある。土に立つものは倒れず、土を耕す者は飢えず、土に生きる者は滅びず、である。
以上、張り付け、終わり
ありがとうございました。
村田邦夫氏の言葉に小浜さんならどう解釈され、「ことばの闘い」を為されるでしょうか。
従前から腐った主張を続けていた方々が、いよいよトチ狂ったコメントや施策を盛大に放出し、いよいよやっぱり性根まで腐っていたのかと見受けられ、やるせなくも切ないです。
昔から小生は、昭和恐慌後の日本で、どうして暗殺やクーデター事件などが頻発したのか、今一つ肌感覚で解らないように感じていましたが、今ならはっきり解ります。恐慌が起きても、今世のような愚言愚策を弄する為政者や財界人などが後を絶たず、国民の間に絶望と怒りが募ったからだったんですね。
当時、大正を通じて、政党政治、普通選挙が浸透するなど、デモクラシーが相当程度進んでいた筈なのに、昭和恐慌の際には、これらは安全弁として有効に機能しえなかった。
五・一五事件で犯行に類した将校らに対し、国民からは、「赤誠の青年を助けよ!」と助命嘆願が政府・軍部に殺到したというのも、誠に無理からぬ心情からであったろうと察せられました。
やっと解りました。
しかし、恐らく戦後の我々は、そんな度胸も武器(拳銃どころか刀剣すら)もなく、すっかり分断され、かかる鬱憤が一体どういう形で発散されるのだろうと、憂慮に堪えません。ナチスのような全体主義の勃興を心配される方もおられますが、小生はどちらかというと、猟奇的な犯罪事件が多発する暗い世になるのではないかと危惧しています。既にその兆候は、障碍者福祉施設や小学生登校路、新幹線車内での無差別殺人事件や、アニメ会社への放火事件などで、現れ出ているからです。
前回の恐慌では、救世の経済学であるケインズ『一般理論』が世に出たのが1936(昭和11)年。それ以前からケインズ博士は活発な議論を行っておりましたが、この理論が現実に間に合ったのか、微妙なところです。
奇しくも、そのケインズ経済学を継承したMMTが本格的に日本に上陸したのは、ぎりぎりのここ一両年ほどのこと。世紀を跨いで、世が救世の学問を求めたのか、救世の学問が世を呼び寄せたのか、誠に奇な縁と思います。
果してMMTは、救世の施策となって日の本に威力を発揮しうるか、ここが分け目の勘所と思います。
安倍内閣や与党幹部、財務省は今、「まぁ国民も一律十万円給付で落着いた」と勝手に受け止め、「これ以上はビタ一文も負からん」(何を負けてやる積りか分りませんが)と梃子でも動かない気でいるのでしょう。しかし、どうせ今後陸続として発表の続く経済統計の数値は、底が抜けたように最悪が続き、沸騰する世論を前に、対処を余儀なくされるものと思料します。
その時こそ、我々が押して押して押し捲り、先生の指摘されるような「インテリ愚民」を追い落すべき時が訪れるのだと思います。
小生は、秋が熟すまで、「自粛」ではありませんが、巣籠りして英気を養い、刃を研ぎ、その火蓋を切る波が寄せるのを静かに待とうと思います。
追伸
今度は知事会から、いきなり九月入学導入への提言が出て、マスコミも政府も、上や下への大騒ぎ。求めもしてないのに、またネタを提供してくれたかと呆れ果てていましたが、少し落着いた感もあるので、歌を詠むには少し様子を見ようかと思います(笑)
こういうのを「ショックドクトリン」というそうですが、私はそんな横文字を使わずに、平たい日本語で「火事場泥棒」といえば良いのにと思います。
因みに、身内に文教関係者がいるのですが、「遊んでるんじゃない!現場が分っているのか!」と怒り心頭でした。