天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

時節柄(ホタル狩りの夕べ)

2015-06-07 07:09:05 | 日記
 わがふるさとも梅雨入りし、蒸し暑くなく雨も続かずたいへん幸福なのですが、縫い間にホタル狩りに行ってきました。文字どおりアドレッセンス期は、ホタルを10匹かそこらは狩っていましたが、さすがにそんなことはせず(する気にならず)飛び違う様を鑑賞してきました。
 ホタルを見るなら清流のもととの暗黙の了解で、私の居所の近くの府ノ谷というところにやってきました。来週ホタルまつりということで、少し前にやってきましたが、6時前くらいから、細い川の堤塘にスポットを定めひたすら待っています。この地区は、耕作放置田がまだ見当たらず、幸せな気持ちになります。草ぼうぼうで荒れ果てた耕作地の上を一つ二つとホタルが飛ぶのは耐え難いところです。
 駐車場で出会った方が、まず、ありがとうございますと挨拶され、どのあたりがいいよ、とか、マムシに気を付けてとかいろいろ教えていただきます。ホタル狩りの車が往来して、地元にメリットもないのに、ていねいなアドバイスに感謝します。
 私は、田んぼの光景を見るのが大好きですが、今の時期は、田植えが終わってすぐですが、早速オタマジャクシが泳いでいます。畦を傷めないように、そっと覗きますが、何種類かのオタマジャクシが慌てて逃げていきます。土ガエルとか、山ガエルとか何種類かのカエルがいるようです(ここは宇佐川という地元では有名な清流の上流なのです)。
 薄暮の中で、カジカガエルの声を聴きながら、ひたすら待っていると、水際の草の中で確かにぴかっと弱い光が見えます。ひたすら待っていると、水際の広葉樹の葉裏から、光の明滅が始まり、一匹、二匹と飛び違い始めます。風もなく、そのうち、数えられるだけかぞえても、
十匹、二十匹と群舞となります。しかしそれは、ふわっとした緩やかな飛び方で、ふと手にとってみると、手のひらをゆっくり這い回り、指先に達したかと思うと、ふっと飛び立ってしまいます。待っていると、幾らもやってきます。村上春樹の、「螢」という名短編で、主人公が放したホタルが、しばらく這い回ったのち、ふっと何かを定めたかのように飛び立っていく描写がありますが、そのふっと飛び立つさまを見守ると、その光の軌跡と一緒に、愛しいような哀しいような何とも言えない喪失感が残ります。
 かつて、自然や動物、昆虫を祖霊のようにとらえた私たちのいつかあった日常に帰れるようです。ひたすら、必死でホタルを追っかけた、私の幼少期(一応はあったぞ)には、思いもよらない感覚ですが、そばで、見守る涼を求めるおとなたちも同様なことを考えていたかも知れません。
 場所を変えて、農道を歩きながら、少し広くなった川で、ホタルの乱舞を見ました。
 街灯の光りも届かないところで、数を増し、緩やかに飛ぶホタルたちが、群れをなすかのように集まり飛び違う様は圧巻でした。「火垂る」というのはこんなとこかなとは思いますが、すべて弱っちい平家ボタルですから、とらえてみれば、「よく生きてきたね」と、いとしさが募ります。(独特のにおいがします。この匂いは好きです。)明るいホタルも、やや暗いホタルも、やはり、それぞれの風土で違ってくるものでしょう。

 無芸のわたしで、写真もつけずに毎度申し訳ありません。
 おすすめするとすれば、ホタルまつりとかないときに、(今回一週間前です。)行かれることをおすすめします。ここは、山間部なので、ところどころ道路が狭いところがあり、軽自動車がおすすめです。興に乗って、あぜ道とか踏みつぶさないように。マムシはみませんでしたが、青大将(大きめの無毒のへび、アルビノは、ほらあの岩国市のしろへびです。)の大きな抜け殻は見つけました。
 初夏の楽しみに、皆さんも是非どうぞ。
 もうしおくれましたが、ここは山口県岩国市の北部になります。市域から、車で一時間くらいのところです。 
 
 

三橋貴明さんに会ってきました

2015-05-30 23:59:33 | 日記
 本日、地元青年会議所主催の記念講演で三橋貴明さんに会ってきました。
 彼は、深い、渋い声であり、ビアードというか、あごひげと、縁付き眼鏡と、白皙の顔が印象的でした。

 近年、年のせいか、十把からげる(?)癖がついて、いつも、三橋貴明さんと中野剛志さんをセットで考えてしまいます。彼らはほぼ同世代ですし、3.11の同じ年に、中野氏が刊行した、「国力とは何か・・経済ナショナリズムの理論と政策」という新書は、被災地の人たちと、心ある全国の国民大衆にむけた、この危機をいかに脱出するのかという理論と手法を懸命に模索した、現職の官僚としての最大の良心的な著作だったと思います。それは今も変わっていません。また、三橋氏は、同時期の著書で、「若者よ、被災地の現場にし立ってみよ、これが原点だ、ここから、私たちの全てが始まる(不正確な孫引きかも知れません。出典をなくしました。)」との言説があり、かれら二人を、新世代の最大のイデオローグと、最良最高のアジテーターと勝手にかんがえてしまいました。実は、アジテーターではなく本当はイデオローグかも知れません。彼の、経済資料分析と洞察には定評があるようだし、しかし、語りは周到かつ合理的で、聞いていて、よーく理解できます。きょうの講演を聞いた後の率直な感想を云えば、やはり、「語りの人」なのでしょう。
 経済がわからない私としても、いずれ、三橋さんの理論とその論拠について、わたくしの責務として、つたないながら、考察してまいりたいと思います。
 80年代ポストモダンは、A某とか、当時から反発しか感じませんでしたが、第二の敗戦期と称されるこの今の時期に、日本の国情に根差した(ナショナリティを思想的に媒介にした)、若い理論家たちが出てきたことは、日本国民にとっても大いなる喜びではないでしょうか。

 ところで、主催の青年会議所の方々は、バブル期のことだったかもしれませんが、「飲み屋には顔が利く」と称されておりました(それ以外はわかりません。)。
 本日の主催者として良い講師の選択には敬意を払いますが、そちらの事情で、今日の行事が立て込んではいましたが、しかし、主催者として講師と会場との質疑応答の機会くらいは持つべきではないでしょうか?
 それは、講師と真摯に講演を受け止めた聴衆に払う最低限の礼儀でありはしないでしょうか? 

乙女のワルツについて

2015-05-11 21:46:40 | 日記
乙女のワルツ (阿久悠作
詞、三木たかし作曲) について
   「つらいだけの初恋 乙女のワルツ」とのサブタイトルがありました。
                                 H26.5.11

 好きといえばいいのに いつもいえぬままに
 月が上がる小道を  泣いて帰った
 白く咲いてる野の花を つんで願いをかける
 どうぞ 愛があなたに届くようにと

 好きな人はいつしか 他の人をつれて
 遠い街に旅立つ 何も知らずに
 駅のホームのはずれから そっと別れをいって
 
 それで 愛が悲しく 消えてしまった
 小雨降る日はせつなくて ひとり涙を流し
 つらいだけの初恋 乙女のワルツ
  
 「ワルツ」と言われると、「三拍子!」と、反射的に口走る私は、典型的なオヤジでしょうか?
 折あらば、いつも、空で、指を三角に振ってしまいます。ほとんど条件反射です。
 ワルツといえば、古いところでいえば「星影のワルツ」、ジャズの器楽曲ですが「ワルツ・フォー・デビー」いずれもこれでもかという名曲ですが、親しみやすく、甘く、また悲しい曲です。
極め付きは、先日、隣の小学校の校長先生からタダ券をもらったチャリティピアノコンサートの連弾で、「美しき青きドナウ」を聞きましたが、微細なさざ波の音から始まるこのワルツを生音で聞いて「あー、そうだったんだ」と、心から嬉しかった気がしました。
中島みゆき大先生の、「あばよ」、「この空を飛べたら」、「地上の星」、近いところでは「麦の歌」とか、中島みゆきさんには三拍子がとても多いですよね。殊に、加藤登紀子が歌った「この空を飛べたら」は最初にラジオで聞いたとき(1977年)、うちのめされたような気がしました。早速、貸しレコード屋で借りて、カセットテープにおとして、必死で覚えた記憶があります(今は両方とも、時代遅れになっつまいましたね。)。
当時テレビで視ていたのですが、中島みゆきの愛好者の老ピアニスト夫婦が、彼女の新しい曲が出るたびに、二人で弾いてみて、「なんて美しい日本語なんでしょう」と語るエピソードがありましたが、その気持ちは、私にはよくわかります。
 ワルツは、なぜ、心に響くのか、素養がなく深追いができませんので、今回は、表題曲についてのみ論じます。
 私、実は、カラオケが本当に好きですが、最近は、カラオケでうたうべく手書きのリストを作り、今日のテーマとして、私のアンソロジー(名詩選、選集)を幼児期から現在に至るまで順番に、周囲のひんしゅくを買いつつ熱唱します。
「カラオケの選曲は、その人の生活史を語る」が私の持論なのですが、皆に受けたときは、私の束の間の人性が肯定されたようでありうれしく、しかし、その選曲が皆に支持されるかどうか、というのは、とても恣意的で、偶発的なのですが、実際のところ、残念ながら、この歌はあまり皆に受けませんでした。
 この曲は、1975年(私、大学の二回生でした。)に、伊藤咲子という歌手に歌われました。
 知っている方は知っていると思いますが、彼女は「スター誕生」というアイドル発掘番組のオーディションで幸運な(?)芸能界デビューし、作詞、作曲とも、「スタ誕」の審査員をしていたコンビだったと思います。(山口百恵、桜田淳子、森昌子、ピンクレディなど、うざいほど数多くのロールモデルがいます。)
 デビュー当時見ていても、素直でかわいらしい子であり、のびやかに歌う上記の歌は、彼女の年齢でしか歌えないようないい歌でした。その後、彼女は、同期のアイドル歌手と浮名を流しましたが、職場恋愛の禁止(?)というアイドルの不文律に、うまく立ち回ることができず、不遇な時代が長かったと思います。その後、愛を貫いた彼女は、バラエティ番組でいじめられていた(毅然としていた。)ような記憶があります(ヤな話ですね。)。
 阿久悠の作詞はとてもいい出来で、当時の15歳の彼女が、「いつも会うのに、好きと云
えずに、苦しくて泣いてしまう、野の花をつみながら、願い(愛の呪い)をかける、自分を意識してくれない相手はいつか去ってしまう、出発の汽車(電車ではない、断じて汽車だ)の時間を聞き出してホームの陰で見送った。それから時間が立ち、小雨が降るとか悲しげな天気の日は、当時の自分を思い出し、涙を流す、あまり時間の経たない今はつらい思いだけがやってくる。以上、冷静に、身もふたもない解説をしますが、これらの歌詞の意味はとてもよく理解できます。若い女の子のいじらしさ、悲しさが、私たちの胸に直截に響く、これは、誰にも普遍的である(?)ような、いい詩と、切ないメロディです。
 当時の世相というか、彼女の明るい歌声、若さゆえの悲しみというか、私の心にも訴えるものがあり、思い出して、私のカラオケ・アンソロジーに入れさせていただきました。
 カラオケ練習のため、ユー・チューブで、デビュー当時の彼女の歌を聞いていましたが、2003年再デビューした「乙女のワルツ2」で、熟女となった彼女の歌を聞きました。これは、被災後の、宮城県の石巻町での独唱ですが、崩れた風呂屋のタイル画の前で、汗みずくになった彼女が、「この年になってようやくこの歌が歌えるようになりました」と、彼女の中で加齢により(?)深化された、彼女の「乙女のワルツ」を歌います。
 「与えられた歌」を「自分で選んだ歌」として、ボランティアで歌う彼女は感動的です。
 私は喜んで歌いますが、皆さま方、殊に女性の方、のびやかに、いじらしく、また、明るく、悲しく、いとしく、せつないワルツを歌ってみようじゃありませんか。
今思えば、つらくもない初恋などつまらない、また、挫折のない青春などつまらない、と。