わがふるさとも梅雨入りし、蒸し暑くなく雨も続かずたいへん幸福なのですが、縫い間にホタル狩りに行ってきました。文字どおりアドレッセンス期は、ホタルを10匹かそこらは狩っていましたが、さすがにそんなことはせず(する気にならず)飛び違う様を鑑賞してきました。
ホタルを見るなら清流のもととの暗黙の了解で、私の居所の近くの府ノ谷というところにやってきました。来週ホタルまつりということで、少し前にやってきましたが、6時前くらいから、細い川の堤塘にスポットを定めひたすら待っています。この地区は、耕作放置田がまだ見当たらず、幸せな気持ちになります。草ぼうぼうで荒れ果てた耕作地の上を一つ二つとホタルが飛ぶのは耐え難いところです。
駐車場で出会った方が、まず、ありがとうございますと挨拶され、どのあたりがいいよ、とか、マムシに気を付けてとかいろいろ教えていただきます。ホタル狩りの車が往来して、地元にメリットもないのに、ていねいなアドバイスに感謝します。
私は、田んぼの光景を見るのが大好きですが、今の時期は、田植えが終わってすぐですが、早速オタマジャクシが泳いでいます。畦を傷めないように、そっと覗きますが、何種類かのオタマジャクシが慌てて逃げていきます。土ガエルとか、山ガエルとか何種類かのカエルがいるようです(ここは宇佐川という地元では有名な清流の上流なのです)。
薄暮の中で、カジカガエルの声を聴きながら、ひたすら待っていると、水際の草の中で確かにぴかっと弱い光が見えます。ひたすら待っていると、水際の広葉樹の葉裏から、光の明滅が始まり、一匹、二匹と飛び違い始めます。風もなく、そのうち、数えられるだけかぞえても、
十匹、二十匹と群舞となります。しかしそれは、ふわっとした緩やかな飛び方で、ふと手にとってみると、手のひらをゆっくり這い回り、指先に達したかと思うと、ふっと飛び立ってしまいます。待っていると、幾らもやってきます。村上春樹の、「螢」という名短編で、主人公が放したホタルが、しばらく這い回ったのち、ふっと何かを定めたかのように飛び立っていく描写がありますが、そのふっと飛び立つさまを見守ると、その光の軌跡と一緒に、愛しいような哀しいような何とも言えない喪失感が残ります。
かつて、自然や動物、昆虫を祖霊のようにとらえた私たちのいつかあった日常に帰れるようです。ひたすら、必死でホタルを追っかけた、私の幼少期(一応はあったぞ)には、思いもよらない感覚ですが、そばで、見守る涼を求めるおとなたちも同様なことを考えていたかも知れません。
場所を変えて、農道を歩きながら、少し広くなった川で、ホタルの乱舞を見ました。
街灯の光りも届かないところで、数を増し、緩やかに飛ぶホタルたちが、群れをなすかのように集まり飛び違う様は圧巻でした。「火垂る」というのはこんなとこかなとは思いますが、すべて弱っちい平家ボタルですから、とらえてみれば、「よく生きてきたね」と、いとしさが募ります。(独特のにおいがします。この匂いは好きです。)明るいホタルも、やや暗いホタルも、やはり、それぞれの風土で違ってくるものでしょう。
無芸のわたしで、写真もつけずに毎度申し訳ありません。
おすすめするとすれば、ホタルまつりとかないときに、(今回一週間前です。)行かれることをおすすめします。ここは、山間部なので、ところどころ道路が狭いところがあり、軽自動車がおすすめです。興に乗って、あぜ道とか踏みつぶさないように。マムシはみませんでしたが、青大将(大きめの無毒のへび、アルビノは、ほらあの岩国市のしろへびです。)の大きな抜け殻は見つけました。
初夏の楽しみに、皆さんも是非どうぞ。
もうしおくれましたが、ここは山口県岩国市の北部になります。市域から、車で一時間くらいのところです。
ホタルを見るなら清流のもととの暗黙の了解で、私の居所の近くの府ノ谷というところにやってきました。来週ホタルまつりということで、少し前にやってきましたが、6時前くらいから、細い川の堤塘にスポットを定めひたすら待っています。この地区は、耕作放置田がまだ見当たらず、幸せな気持ちになります。草ぼうぼうで荒れ果てた耕作地の上を一つ二つとホタルが飛ぶのは耐え難いところです。
駐車場で出会った方が、まず、ありがとうございますと挨拶され、どのあたりがいいよ、とか、マムシに気を付けてとかいろいろ教えていただきます。ホタル狩りの車が往来して、地元にメリットもないのに、ていねいなアドバイスに感謝します。
私は、田んぼの光景を見るのが大好きですが、今の時期は、田植えが終わってすぐですが、早速オタマジャクシが泳いでいます。畦を傷めないように、そっと覗きますが、何種類かのオタマジャクシが慌てて逃げていきます。土ガエルとか、山ガエルとか何種類かのカエルがいるようです(ここは宇佐川という地元では有名な清流の上流なのです)。
薄暮の中で、カジカガエルの声を聴きながら、ひたすら待っていると、水際の草の中で確かにぴかっと弱い光が見えます。ひたすら待っていると、水際の広葉樹の葉裏から、光の明滅が始まり、一匹、二匹と飛び違い始めます。風もなく、そのうち、数えられるだけかぞえても、
十匹、二十匹と群舞となります。しかしそれは、ふわっとした緩やかな飛び方で、ふと手にとってみると、手のひらをゆっくり這い回り、指先に達したかと思うと、ふっと飛び立ってしまいます。待っていると、幾らもやってきます。村上春樹の、「螢」という名短編で、主人公が放したホタルが、しばらく這い回ったのち、ふっと何かを定めたかのように飛び立っていく描写がありますが、そのふっと飛び立つさまを見守ると、その光の軌跡と一緒に、愛しいような哀しいような何とも言えない喪失感が残ります。
かつて、自然や動物、昆虫を祖霊のようにとらえた私たちのいつかあった日常に帰れるようです。ひたすら、必死でホタルを追っかけた、私の幼少期(一応はあったぞ)には、思いもよらない感覚ですが、そばで、見守る涼を求めるおとなたちも同様なことを考えていたかも知れません。
場所を変えて、農道を歩きながら、少し広くなった川で、ホタルの乱舞を見ました。
街灯の光りも届かないところで、数を増し、緩やかに飛ぶホタルたちが、群れをなすかのように集まり飛び違う様は圧巻でした。「火垂る」というのはこんなとこかなとは思いますが、すべて弱っちい平家ボタルですから、とらえてみれば、「よく生きてきたね」と、いとしさが募ります。(独特のにおいがします。この匂いは好きです。)明るいホタルも、やや暗いホタルも、やはり、それぞれの風土で違ってくるものでしょう。
無芸のわたしで、写真もつけずに毎度申し訳ありません。
おすすめするとすれば、ホタルまつりとかないときに、(今回一週間前です。)行かれることをおすすめします。ここは、山間部なので、ところどころ道路が狭いところがあり、軽自動車がおすすめです。興に乗って、あぜ道とか踏みつぶさないように。マムシはみませんでしたが、青大将(大きめの無毒のへび、アルビノは、ほらあの岩国市のしろへびです。)の大きな抜け殻は見つけました。
初夏の楽しみに、皆さんも是非どうぞ。
もうしおくれましたが、ここは山口県岩国市の北部になります。市域から、車で一時間くらいのところです。