天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

ライトノベル「魔法高校の劣等生」24(エスケープ編)前編(佐島勤、角川電撃文庫)は、とても面白いです。

2018-04-11 20:42:44 | 読書ノート(天道公平)
かつての、3.11後、脱原発(あれは反原発、反科学技術ですね。)・反核運動に、愚かしく名を連ねた、ベビーブーマー世代の村上春樹(1949生まれ)、若いはずの平野啓一郎(1975年生まれ)その他の数多くの文学者たちの、サヨク史観、つまらない政治的・社会的発言を見ていると、私は、かつての80年代の反核運動を支持し、また湾岸戦争反対運動に署名連座した、文学者、評論家の発言を連想してしまいます。
「よい小説家が、決してよい表現者ではない」という苦い認識は、「またかよ」と、そのどうしようもない既視感と、つくづく、いい時代の村上春樹、いい時代の平野啓一郎の著書を思い出し、失望と、幻滅によって、わが老人性うつ病が、悪化してしまいます。

ということで、最近、殊に、小説を読む気がうせてしまい、年下の友人に勧められた、ラノベ(ライトノベルの略称、和製英語で、若者向けの娯楽小説という意味づけが適当らしい。)を、読むこととなりました。
標記の小説は、当初の一巻が、2011年(平成23年)に出版され、このたび、2018年3月に、24巻が刊行されるまで続いてきたわけです。その中で、数度、劇場アニメ化された作品で、若者たちにとても人気があるようです(累計790万部出版)。この本は、気分転換に読めばいいのかも知れない、と思われます。
その想定については、それは、ラノベではお定まりらしいところですが、科学技術と「魔法」が並存する世界であり、その魔法が、軍事・政治・社会・経済に大きな影響を与える(逆に魔法抜きでは現実社会が成り立たない)社会となっています。
この小説が新しいのは、その魔法を発動する手順が、「魔法式」というものを唱える(のだろう)ことにより、また、それは機械装置により当該手順がルーティンワークとして代行することが一般的になっています。したがって、高度・広範囲の魔法を引き起こすのは、魔法士において、複雑な魔法式の組上げと、それを組み合わせ発動するセンス(知能・資質)が必要となります。その種類や、程度の差において数多くの魔法があるようです。
しかし、その魔法は、強大なものであり、攻撃的な能力であれば、特定の空間を指定し、遠隔地から、当該軍事拠点を完全に破壊することができるほどのきわめて強烈なものです。そのため、当該優秀な魔法士(?) は、全世界で20名足らずしかいないので、各国が戦略的に、秘匿し、軍事的に高度利用することとなっています。
いわば、優秀な破壊能力を持つ魔法士は、軍事制圧の道具となり、当該魔法士を生み出す家系は、その血統が国家の庇護を受け、また道具とみなされ、また同時に、生まれながら優れた種族(多く遺伝子操作で生まれてくる。)として、魔法士以外の大衆から羨望と憎悪を向けられることとなります。
主人公は、その魔法士の日本国10大ファミリーの筆頭の家に生まれ、そのあまりにも強大な魔法力(?) と、優れた知能、体力により、実母から疎まれ、その能力を制限されることとなり、幼少時から召使のように育てられ、唯一、同居する妹のみに愛情を感じる設定となっています(妹と相互に、強度のシスコン、ブラコン(お互いに男女間の情愛を感じる。殊に妹の方から執着が強い。)であるので、兄の方はさまざまに振り回される。)という設定です。)。
それこそ、ラノベの「妹萌え」(明確な意味が分からないが、アドレッセンス(発情期)の少年が、付き合うのが易しいと思われる、未成熟、幼女、近親者を好む傾向でしょうか。)のパターンであり、出版社の、こうすれば売れるという、戦略なのかもしれません。

彼は、早くから、身内一族を含めた闘争と血族の情愛のなさで過ごしてきたため、早熟であり、「俺にかかる、俺の愛の重さだけが、俺の世界をきつく支配する(「暴徒感受Ⅱ」、著者名不明)」、といった、きびしい態度と処世で、周囲に接しています。それも、若者たちのヒーローとして受け入れられることが、なんとなく、理解できるところです。
しかしながら、彼も、妹をくびきとして、自己の魔法一族の業務(仕事、氏族を代表しての役割り・仕事)に厳しく組み込まれており、家長(おば)に絶対服従で、また、その命により、国家より要請があれば、世界に20数人くらいしかいない戦略魔法士(二つ名が   という。)として、外国の魔法士の攻撃に対し、日本国の防衛のため、日本国軍の魔法軍団の特任士官として、その強大な魔法力によって、対抗することとなっています。
このラノベのいいところは、個人と国家、氏族(一族なのか。)などの、現実世界(社会)の認識と、それぞれの思惑、世界規模での利害の衝突、紛争など、冷静に、きちんと描けているところです。その認識は、現在の、日本国の政権与党の国務大臣たちより、その国際・現実認識がよっぽどまし、ということです。
これは、著者が、現代の安易なグローバリズムを明らかにバカにしており、時事問題を上手に利用した、彼の、現実媒介能力を賞賛できるような、質の高い作品です(彼はラノベの作家には珍しい50歳代という実年齢とのことです。)。
作中の極東の勢力地図は、大亜細亜連合(現実は中共覇権国家)、新ソビエト連邦(現実はロシア国家)、USNA(現実ではUSA)らしき国家が、さまざまな局面で、角突き合わせ、それぞれの利害や、限定された極地戦ながらその水面下の戦いを、冷静に、なるほどというレベルで描いており、各国の支配層の思惑と、魔法士の暗闘を面白く描きます。
また、異種の人間として、日本国での、大衆との距離、優れたものにかかわる社会的な孤立、また、魔法士、異なった氏族にかかわる暗闘など、その度ごとに入れ替わる、味方・敵とわかれた戦いは、面白いものです。
何より、それほどの力のある魔法士が、魔法高校(明治期の旧制高校のように、ほぼ同位置に、全国で8校ある。)中で、実年齢(16歳)で普通に高校生活を送る恋愛遊戯や、魔法競技大会で活躍する学園ドラマが描かれます。
それこそ、魔王というべき優れ勝ったその力と、それが現実に似た高校生活を送るというミスマッチが、受けるところなのでしょう。これも、ラノベのパターンです。
しかしながら、彼の在学中にも、大亜細亜連合(中共覇権国家)や、USNA(USA)から、国家戦略から、間接的に、刺客や、工作員が送り込まれ、暗闘・戦争(大亜細亜連合の横浜上陸という戦争があった。)を繰り返すのですが、兄一筋の、優れた魔法士である妹(美少女の生徒会長)が、嫉妬したり、同僚の女の子と恋のさやあてを演じたりと、孤独な主人公も、次第に特定の友人たちと友情を深めることとなるという、学園ドラマの定番です。
彼の能力(魔法)は、遠隔地からの操作でも、世界規模で、座標を決めた限定的な地点で、あらゆる物質を溶解消去する限定的に行使する核融合のような能力であり、他国に多大な脅威(魔法なので放射能汚染もない。)があり、抑止力として日本国防衛に多大な恩恵をおよぼしています(かつて、日本国に侵攻してきた大亜連合の戦艦全体を相手国の軍港で殲滅したことがあります。)。
しかし、現実は、パワーバランスで成り立っている、厳しい世界情勢であり、世界の列強、仮想敵国新ソビエト連邦(実際はロシア)はもちろん、同盟国のUSNAも、あるいは大亜連合など、すきあらば、あらゆる国家が、自国に多大な脅威があるということで、彼の排除を狙います。防衛力を担う危険分子を、合法的に排除するための、からめ手からの戦略です。
USNA(USA)の高官が、ロシア共和国との密談を経て、「テラフォーミング計画(多国籍で優秀な魔法士のチームを作り上げ、地球近くの太陽系惑星に働きかけることにより、当該惑星の資源を活用する計画)」を打ち出し、それへの、優秀な魔法士の協力を勧奨し、「人類の繁栄への協力と国境を越えた資源の平和利用」(明らかにグローバリズムの論理ですね。)を計るものです。そのため、公式に日本政府に協力要請を行います。いわゆる、「毒まんじゅう」(将棋のはめて )の手法ですね。
このあたりは、米欧の数パーセント特権層が、国境を越え、他国の社会制度、科学技術、利権、経済力を取り込み、実効支配しようとする、TPP条約の戦略とよく似ています(このあたりは著者がまさにそれを視野に入れ意識的に書いているのだと思われます。)。
そして、お約束の、無考えで、自国の自力防衛に無自覚な、日本政府及び政府首脳(先に大亜連合が仕掛けた侵略戦争で痛い目にあったはずなのに)は、浅はかにも、自国の防衛を担う重要な魔法士を、よく考えもせず宇宙開発というでっち上げられた共同幻想(宇宙開発)に、人身御供として、差し出そうとします。
「安い正義」(世界理念をまとった共同幻想)に目がくらみ、国民の将来にどのような影響を与えるかを考えもせず、大多数の国民の利害を軽視し、自国に有益な人材を疎んじ、また、魔法士も一人の人間(国民)であり、職業選択の自由をはじめ、自己の人性を選ぶことができる意思とその選択を尊重することも、配慮もなしにです。
ということで、無考え(バカ)で、弱腰の日本政府は、(重複しますが)日本国民の安心安全と、日本国の防衛に、彼がいかに必要かを全く考慮せずに、対外圧力及びUSNAに無原則に協力するという恥知らずな見解で、政府として、非公式に主人公に協力への「要請」を、します。同時に、魔法協会(国内の魔法士の利害と社会利害関係を調整する機関)に圧力をかけ、世紀の愚策を推進(TPP問題とか、現実的にいくらもありそうでしょう。)します。
それでは足りない、と思ったのか、USNAの工作員は、自国の民間機関を利用して、彼の実名を公表するという、露骨で卑怯な手段をとります。
「国境を越えた、人類の進歩と共存」、「経済的な平等、そして世界平和」(どこかで聞いたな。まさしくグローバリズムの世界理念)という美名の下に、予定通りに、宇宙に、特定国の有力魔法士を長期間追放し、日本国などの防衛力と抵抗力をそぐという思惑です。

そのとき、彼は、鬼手というべきか、対抗上、有力な手段を発表します。
魔法力と科学力を統合した、「魔法による重力式常温核融合炉(?) 」の発明であり、当該装置を孤島に設置し、海水資源を無限活用できる、海水資源回収・活用事業を提案します。
これは、以前から、魔法士に対し、魔法士を兵器として利用することや、宇宙への強制移住などを妨げるために、彼が編みだした、生き延びる手段であり、他人に人性を左右されない画期的な試みであり、それを、「惑星開発計画」と同様に、世界を視野におき、大規模に、効果的に発表します。
それは宇宙資源の利用などと比べて、はるかに現実的であり、自国の支援や、経済産業界の投資・支援を呼び込むための、有力なカウンターというべきものです。彼の魔法高校の同級生の実父など、優れた企業家たちも上手に利用します。その上で、マスコミを上手に使うなど、冷静に、日本国政府及びUSNA政府の思惑をかわしつつ上手に利用します。
同時に彼は、「魔法士として、社会に敵対しない」、「社会の恩恵のもとにその存在はある」、ときわめて理性的で、強調的なせりふを言明します。また、「世界を無理やりひとつにしても、(国家間の)戦争が内乱に変わるだけだ」という、名言も吐きます。
このあたりは、著者の考えが明快で、いかに優れた出来物でも、社会、国家に敵対しても勝ち目はない、その中で居場所を探す、というよく考えられた戦略であり、よりしたたかに、彼と妹と親しい友人という味方を守っていく、こととし、彼ら以外の「全世界」に対抗します。このあたりは、ライトノベルの若者たちに受けるのがとてもよく分かるときです。同時に、優れた魔法士として、年上にも同級生にも、数多くの女魔法士にモテモテなのはお約束ですが。
このあたりのながれは、当初から、想定・視野に入っていた、というのは、著者の後書きですが、前巻の、「孤立編」あたりから、「常人より優れ勝った人間がどのように生きるべきなのか」、という問題提起と、彼を取り囲む、家族、一族、学校、社会、国家に至るまで冷静に丁寧に描かれ、その思惑と、彼の考えや現実の戦いでの相克と、その結果に思わずにやりとしてしまいます。
その中で、主人公は、自分の能力だけを頼りに、その最小限の友人たちの少ない味方たちと一緒に、ときによっては国家・政府・学校長などの世俗的な権威に決して怖じず、戦い、大きな成果を挙げていきます。
 また、おそらくそれは、現在の覇権国家中共の横暴、北鮮の独裁国家、夜郎自大の南鮮の愚かな与太話におたおたし、それ以上の愚かな政策を行うわが国の政府・国務大臣、あるいはサヨクバカの野党の政治家とマスコミ、あるいは腐った財務省の役人どものありさまを、若者たちが日常的に見て、不信感と無力感また怒りを強く感じているのが前提であり、それにひきかえこの本はと、ラノベを読む若者たちの溜飲が下がることは確かでしょう。
 ラノベの読者たちを想定すれば、今の、若者たちを含め、皆、学校(殊に高校)でいかにヒーローとして(後ろ向きのヒーローを含め)、周囲に認められ、評価されるか(他者承認)が命のようなところがあり(大学生が主人公のラノベは極めて少ないし、出来が悪い。)、その気持ちや感情は、いい年をした私にもよくわかります。かつて、「学校の怪談」が、こどもたちや大人を巻き込んで、あれほど皆に受けたように、学校には、夢や挫折などプラス・マイナスさまざまな感情が澱のように累積しています。
 このたび、新ソビエト連邦の戦略級魔法士が、USNAの高官に使そうされ、彼に個人的に攻撃を加え、手ひどく反撃されました。その戦いで、彼の仲間の一族で兄弟のボディーガード役を与えられたのメイド役の女の子が、手ひどい怪我を負いました。
 下巻(4月中旬発売)では、他の魔法士の動向を含め、今後、どのような展開になるのか楽しみなところです。

「京都ぎらい」及び「京都ぎらい官能篇」(井上章一著・朝日新書)について その2

2018-04-06 21:08:38 | 読書ノート(天道公平)
京都市、錦小路商店街です。
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 このたび(2018年)、好評であった「京都ぎらい」に続いて、「京都ぎらい官能篇」(井上章一著・朝日新書)が刊行されました。
 当初の「京都ぎらい」刊行以来、著者はテレビなどで売れっ子になり、私も、ついあの顔と声を思い浮かべて、この本を読んでしまいました。
その中で、まずベストセラーになった自作を扱う書店のポップ広告で、「本当は好きなくせに・・・・」というキャッチコピーが心外だ、という言明があり、前作の著作で、それなりの覚悟(社会的孤立と仕事がなくなる恐怖など)と、決意性で臨んだ著者としては、周囲の反応の鈍さと心無さに憮然とするようで、私も、その気持ちはよく理解できます。
 しかし、「京都・それにまつわる全て」それが嫌いかといわれると、それは、私も同様で、京都の自然、夏のむし暑い酷暑、冬の陰鬱な寒くて暗い自然はとても嫌いですが、その他の京都の自然・文物、すべておしなべて嫌いというわけではないのです。
 また、大阪の知人の感想ということで、「京都も宇治市もおんなじやろ」という感想があった、という感想もあり、これには、ある程度同意します。私には、京都での、長年にわたる幼少児からの屈辱的な(?) ・成育・生活体験がないからでしょうか、読めばそうかよ、と思うのですが、京都市中心(洛中)と京都周辺の差異が不明確なのです。そんなものが、よそ者に分かるわけがない、なかなか、知識として同調することが難しいのです。
 しかし、私、大阪も決して好きでないのですが、私の「大阪ぎらい」は次の機会にまわします。
 このたびは、著者の思春期の体験(浪人時代)から始まり、1970年代初頭にかけ、まだまだ京都観光がブームになっていなかった頃、著者が歩きながら暗記勉強をやっていた際、(教養ある)一人旅のおねえさん(当時は女性のモラトリアム(猶予)時間は短いからお気の毒です。)から、地元の、古寺、名刹の案内を頼まれたというチャンスの話があり、「私もあやかりたかった」と、心底思いました。
 そして、その後、晴れて京都大学に入学して、合ハイ(合同ハイキング)やダンスサークル(社交ダンスでしょう。)に明け暮れたという記述がありました。
 わが体験と比して、私はそんな体験は全くなく、女っけはほとんどなく、周囲を見ても、ときにヘルメットをかぶるジーパン姿のむさいような女ばかりで、ひたすら、暗い青い春を過ごしていたわけです、そんな優雅な体験は皆無に近く(イケ面の友人たちを見ても、そんな男たちはほとんどいなかったし、決して特に私個人が劣っていたとは思えない。顔の造作は別にしても、当時はまだ髪もあり、痩せていた。)、それも「愉しいキャンパス生活でしたね、うらやましい」、と思うばかりです。
 著者は、学生運動に触れた記載もないので、そんなくらい話は無縁のこととして、こちらとすれば、「洛中人(強い)>宇治市民(弱い)」と同様に、「京大生>私大生」という、京都の(?)鉄の規範の図式を連想するばかりです。合ハイなら、京大生なら、数多い京都中の女子大・女子短期大の女の子はついてきただろうし、地方から来た娘なら、「京都に住んではるんですか?すてきやわー!」と、京都弁で迫ってくれることがあるとすれば、京都ネイティブの男としては、対人(女性)関係の初期値も高かったろうに、と思われます。その意味で、あなたも、「結構めぐまれていたんじゃないの」と茶々を入れたくなるかも知れない。
 どうも、ここは、演繹して、「洛中人(強い)>宇治市民(弱い)>地方人(もっと弱い)」という図式を想起すべきかも知れない。
 まあ、「地方の人」なら、努力して京大へはいればいいじゃないの、という自己努力の欠如といえばそれまでですが、このような、社会的存在での個々の差異(そうとしか言い様がない。)は、あるいは差異に伴う各人の不公正、取り扱いの利益・不利益はいくらもあるところです。
 それを言い出せば、運・不運から始まり、たとえお金、時間に余裕があるにしても、努力してもだめな人もいくらもあることなので、かといって、想定されたコースを外れた人が社会生活を送れないというわけでもないので、それこそ、それぞれの「知恵」の違いとして理解すべきものでしょう。
 どうも、近代(東京遷都以降)以降、「東京」標準となったので、「京都一番」の勝手は変わったかも知れないところです。だから、何世紀をも越えた、出自に基づく洛中の方々の排他性と特権意識(洛中の家もちと借家人との社会的関係はまた全く違うということですが)は、これらは、新秩序に対する、おん念に根ざした感情(ル・サンチマン)なのかもしれません。
 しかし、皆、選んで、東京都・京都府に生まれるわけには行かないので、われわれ「地方人」としては、著者の自宅から、学校通学、それもうらやましい限りです、というならば間違いない、ところです。みんな、それぞれ、おしなべて、それぞれ異なった人性をおくっているというところですが。

 話を戻すと、著者の怒りの矛先は、「生まれた場所による理不尽な差別」ということであり、つまらない差別(区別)は、国境も時代も越え無限の公平・不公平の連鎖を生むので、仕様がない、最後はたまたま「生まれ」、だけで、過度に「思い上がるなよ」、とののしるぐらいですかね。
 著者に拠れば、江戸っ子の夏目漱石(彼は伝統ある江戸の名主の出身らしい。)も、京都来訪時に、京都人をバカにしていた、という記載もあるので(著者も地元びいきでどうもなんとなく腹立たしいらしい。)、京都人のこの感覚(著者を含む。)も、先のルサンチマン、東京に首都をうばわれた、京都人の、目下(と思われるもの)への、優越感で保証するという、不健康な心の動きなのでしょうか。
私の例を引けば、京都に住んでいたときは、「東京のやつらに負けてたまるか」、と思っていましたので、今思えば、「おらが正義」は、バカらしく、愚かしいものであり、また、その反面、自分の居住地や、その環境を賛美し、また過剰に執着(?)するのも、実は、根強い、健全な心の動きかもしれません。
 ということで、「官能篇」には全く触れておりません。

 先に述べた、桂離宮の建築様式を真似た(?) 町家(まちや)が、現在は「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」という、町の美術館となっており、多くの人が訪れているそうです。
かつて、京都で、数奇屋つくりという建築様式は、近世ではお金持ちの妾宅であった、という指摘をした著者の原稿が、雑誌に掲載する際に、宮内省の検閲(?) で掲載許可(したがって写真が使えなくなる。)が降りず、差し止めになった、という意味の発言がありました。
 京都在住の「表現者」としても、京都の洛中の有力者や、社寺、官庁など、その意向を過剰に意識せざるを得ず、なかなか、やりにくいらしい。
 いわば現在の官庁の、禁忌の自主規制というか、伝統文化の貧困というか、古代からのおおらかな時代の、政権、為政者、それにまつわる女性たちの心の動きや秘密から、また近代以降の遊郭、女性との交誼(?) を含め、それを、きわめて強く禁忌の対象にしている、らしく、誰がそれを決めるか知らないが、硬直化した、つまらない、「想像力と識見の欠如」である、という認識を新たにしました。
 歴史の改ざんなのか、隠蔽なのか、愚かしい話ですね。これも、宮内省官僚の自己満足なのか、つまらない話です。
 いずれにせよ、著者は、この「官能篇」においても、一貫して、「京都ぎらい、しかし、(私の生まれて育った)嵯峨野と宇治は好き」というパターンで、自分の議論を進めています。
 これはわれわれも、われわれの郷里は、仮にそこが鄙(ひな)であるにせよ、それぞれの実態を知ったら、「京都きらい、○○は好き」と思いながら、われわれの祖父・父のように、「ここが、日本国で、いや、世界中で、一番いい」と、それぞれ、さほどの根拠なく自慢した、郷土の、社稷、歴史、風土、気風を、称揚したほうが健全でありましょう。
 どうも、つまらなくなったので、このあたりで、失礼させていただきます。

 しかしながら、われわれ地方民は、先の東北大震災で、東京都住民のあまりに多くが、首都圏第一主義(先の東北大震災で、常日頃、電力・食料・労働力などあれほどお世話になっていながら、災害に際し、首都圏住民の多く(多寡は問わない。)は、被災地にろくに共感も支援もしなかった、その利己主義、自己中心主義)のあまりにも心無さと無慈悲な振舞いを見せ付けられました。心ある都民はなぜ、当時、その卑劣な自分中心主義をたしなめなかったのか。
 わたしたち、地方に在住の日本国民としては、時に、東京都及び東京都居住住民の傲慢さに対し、その傲慢さを指摘・指弾する必要があるわけです。
 それが、歴史的にも、現実的にも、代表的な地方都市としての京都府及び京都府民の役割りではないかと、思われるところです。

「京都ぎらい」及び「京都ぎらい官能篇」(井上章一著・朝日新書)について その1

2018-03-14 19:21:10 | 読書ノート(天道公平)
宇治平等院です。58歳で、初めて訪れました。まこと、「京都(宇治市)しらず」です。
 京都の私大で学生時代を始めたとき、まず、学籍番号が近い友人たちが最初に顔見知りとなりましたが、彼らの多くは、大阪・神戸からの電車通学者であり、山口県出身の私は「毎日大変だろうに」と思っていました。彼らは、見ていて、無理をせず、なかなか、つましい生活でした。中には、付属高校出身で自家用車通学のお金持ちもおりましたが、「類は友を呼ぶ」のか、私は、極端なお金持ちには出会いませんでした。例の、私と同年の大阪出身の百田尚樹も同じ学生であった筈ですが、彼が当時、どのように通学していたのかは知りません。
 この本の著者の強い感情をみていると、どうも、私は、京都の、表層だけを生きてきたようです。
 著者は、京都のいわゆる洛中ではない、宇治市の在住者ですが、優秀であり京都帝大(今の京大)出身であるにもかかわらず、生まれた場所だけで、生誕以来、事あるごとに、洛中の在住者から差別されてきた(折に触れ「いけず」(言葉などによる意地悪、侮辱)をされたり、言われた。)ということです。言い方を変えれば、京都は洛中(その線引きは彼の言葉で類推するしかないが)以外は皆、被差別地区ということです。
著者に言わせれば、オヤジに対する、ハゲ、デブという言説は、ハゲは個々に責任がないので(悪いのは先祖ですか?)不当でしょうが、デブは個々の自己意識が介在し、自己責任かどうか微妙なところですが、まあ、嫌がらせ、婉曲な差別ということとなります。しかし、地域を限定し、父祖・出自にまで及ぶという、これらは、根の深い実体的な、立派な(?) 差別ですね。
 当然、不当な差別であるので、「憾み骨髄」というか、彼の言葉で言えば、その洛中に住む人間たちの思い上がりは、「瘴気(しょうき:を感じるような」とか、実名を挙げ、彼が受忍した幼少時からの「ルサンチマン(弱者の怨念)」に形を与えることとして、実名を挙げて、今も続く彼らの増上慢ぶりを、個別に告発していきます。これは勇気が要ることでしょう。この本の出版後、彼が出入り差し止めになった団体や組織、袂を分かった社会的関係は数多いものかもしれません。
 そういえば、それは、差別者、旧京都町衆によって挙行される、時代祭りや、葵祭りなども、私の在学中は、アルバイトの学生の日当は、旧帝大京大と、私大(私大のランクがあるかどうかは知らない。)で、差がありました(現在は知らない。)。それは、京大生はこの仕事、それ以外はこれ、というように恣意的に振り分け、職能給ということとなれば、事実関係は隠蔽され一応の理屈はついたかも知れないが(京大生に確認したことはないが)、これも立派な差別ですね。納得できない人は当時もいたでしょう。
 一般大衆は、運・不運には関係なく、冷酷(合理的)に、社会的な能力・達成差を平然と差別(区別)しますが、私も怒ってよかったのかも知れない。いずれにせよ、当該お祭りは、お金を積めば、華々しい役はもらえる(出自は前提条件かも知れないが)らしく、「なんかなあ」と思い、本気で見物に行ったことはいっぺんもないところです。
 著者に添って考えれば、現在の町衆であろうと、いかに専門分野で業績を上げた高名な文化人であろうと、洛中に住むネイティブ(原住民)のその実態は、本当は、多くが、傲慢な俗物であるということです。私にいわせれば、心底、陳腐な「いなか者」ということになります。
それは、私のように、古代から存したという都鄙(とひ:まちといなか)の区分けで、地域的に明らかにいなか者(首都からの距離という基準で)に属する差別でありむしろ遠すぎて誰も知らないから、教えてもらわなければ何も感じないところです。
 しかし、そういえば神戸から学校にやってくる男が、「うちの親が、神戸から西はろくな人間が住んでない、(血迷って)結婚なんてやめといてや。」といわれると、述懐していました。どこが起点になるかはか知りませんが、知区割りというか、それぞれ、一方的な序列というものはあるものですね。こんなあきれたような話は、むしろ、著者のような、とてつもなく歴史が古い京都近くに住まう、京都市に行き来し、都に奉仕するような立場の、周辺の居住者の方が、はるかに屈辱的な経験をするようです。
 そういえば、この本の中で、洛中の老舗の嫁かずの娘が、嫁き遅れ(?) となり、「東山を西に見る(地区の)男しか(縁談の)話がない、(私もしまいやわ)」と泣きごとをいうという逸話があり、笑えます。笑えるというか、京都人の偏狭ぶりと、中華思想と、その通俗ぶりにあきれます。いわゆる「京都人ジョーク」というやつですね。
 今思えば、私は、地方からでてきて、左京区の叡山電鉄沿いの上高野というところに住んでいましたが、どうもここは極限で、当時、彼らの世界とは、何の脈絡も、関係もなかったわけですね。個人的には、社会的関係を取り結ぶことなくて、幸せなことでした。そういえば、わが下宿は、「八瀬遊園」のすぐ近くで、何せ、天皇家の棺は、八瀬童子という、異界の鬼の子孫ような(?) 方々に担がれるということでもあり、大原地区に通じる、それこそ辺境の地でした。私の下宿は、夜になると、縁接する高野川(下流で鴨川になる。)から、かじか蛙の鳴き声が聞こえてきたほどです。
 わが、家主は、広い農家の余剰の部屋、住屋の二階(しっかり本間の4畳半が4部屋あり、別棟の離れに、2部屋と、計5人間借りで住んでおりました。昔風の、漆喰まで塗った、立派な農家でしたが、家の構造は、農家のことで、風呂は外風呂、トイレは簡易トイレのことで、大きな小便つぼと、大便のほうは、板が四角にきってあり、なんせ、10ワットくらいの暗い電灯一本だけで、トイレを汚すヤツはいくらもいます。木のきんかくしもついており、さすがにショックで、まだ、「戦後は終わっていない」と感じたところです(これらは別に書いたことがあります。)必要に迫られて使いますが、時に小便でぬれた四角い穴をまたぐのは、悲しいことでした。
 また、家主は、お百姓さんで、当該下宿生の糞便は、肥やしとして熟成し、皆の好きな京野菜を育てる元となっていくわけです。家主は、百姓のみならず夜警の仕事をしており、火の元に厳しく、夜中に騒がなければ優しい、田舎の人でしたが、ごみも出してもらえたし、時に優しい言葉もかけられ、「いけず」を言われたことはありません。どうも、そこの娘は、下宿していた京大生に見初められ、筑紫の国に嫁入り(昔であれば配流(はいる)かもしれない。)したそうです。実は、彼らも、被差別区域に住んでいたわけです。
 私、学生時代に、町医者で、かつ評論家の故松田道雄氏の、「京の街角から」という、一連のエッセイ集を読みましたが、京都の洛中の中の、いわゆる、表通りから入り目立たぬ路地(「ろうじ」と読みます。)の奥で営まれる京都の市井の人々の四季とそのつましく懐かしいような暮らし向きが趣深く描かれていました。この本を読んで、「京都に住みたいなー」と思ったのは、私だけではないはずです。
 彼は、評論家としても瑕疵のある人でなく、むしろ知の殺し方を心得、いわゆる洛中地区外の人々について、粗雑な書き方もなかったので、会ったことはないが(会って誘導すればポロリともらしたかどうか分からないが)、教養ある周到な方でした。したがって、京都人とは、これでもかとばかり、著者が指摘する方々や、また、私が現地で見た、世俗的な権威だけを、あるいは歴史の古さを全肯定する、俗な方々ばかりではないわけです。
 このたび、必要があり、再度、大ベストセラーになった、この本を読み返しましたが、確かに興味深いものでした。このたび、続編も出ましたので、あわせ考えてみたいと思います。
 この本の初版が、2014年であり、それからますます有名になったのか、もともと建築学者である著者が、桂離宮(皇室の別荘:日本建築の典型、究極の日本建築として有名)について、言及し、「もともと嫌いだったが(これは、どうも京都の料亭と同じようなつくりであると、言明していました。料亭がまねたのですね。)、しかし、年をとって許せるようになった」、などとコメントしていました。また、歴史番組(「英雄たちの選択」)などにも登場し、京都の街角で、史跡の表示を目にしながら、達者な(?) 京都弁で、洒脱に、京都の文化人として、地元の人らしく、われわれの思いもよらぬ興味深い意見を述べていきます。
 しかしながら、著者自身、嵯峨野生まれ、宇治市居住ということで、自意識の内に、朱線が、明確に引かれているかのようであり、屈辱の記憶とともに、それは存在意識を、思考、社会的意識を厳しく峻拒するようです。彼の親しい友人でさえ、地域差のくびきから逃れえず、「いけず」な言動をし、いわゆる「地縁」(歴史を踏まえたものであろうが)に過剰に執着するようです。
 仮に、在日外国人や、被差別の出身者からそれ(差別の実態)を指摘されたら、実際のところ、後ろめたいものだから、恐れ入るのでしょう(「差別の証拠があるのかいな」とまでは言うのだろうか。)。
 たとえば、洛中に住んだ被差別者が地区外の人々を差別するなら、どうなるのでしょう。前に、「パッチギ」(200年井筒和幸監督)(つまらない映画だった。井筒監督は北鮮の代
弁者という記述もあったが、映画監督としては、前作の「岸和田少年愚連隊」(主役ナインティナイン)が、いい時代のナインティナインの好演と、脇役も厚く、テンポの速い笑える活劇でありとてもよい出来だったのに、この映画は「なんやこれは」という駄作でした。)という映画で、在日朝鮮人の学生たちと、偏狭な排他主義を採る、右翼学生たちが、(私にとって懐かしい)鴨川の河川敷で乱闘するシーンがありましたが、彼らも「俺らは、宇治のいなか者とは違う」と思っているかも知れず、現実的にそれがないことはない、訳でしょう。著者の記述で、京都でのプロレス興行で、京都出身のプロレスラーがあいさつをしたら、会場から「お前は宇治市の出身やろ、京都と違う」というヤジが飛んだそうです。
 また、洛中に何代前から住んだら、「差別する側」に廻れるかわかりません(京都ではたぶん、無理だろう)が、例の、関東圏の「江戸っ子」、「山手線内っ子」と類比しても、異動が少なく歴史が古く、また執着が強い京都では、その線引きが容易なのかも知れません。実際のところ、それは、階級が固定化した西欧などにはいくらもあることかも知れませんが。
 ひるがえって思えば、なぜ京都では、出自や、序列が固定化されているのか、と思えば、たぶん土地の所有の異動や住民の移動が少ないからなのですね、東京など人間や生産物(?) の移動が多いところでは、さすがに、ここまで意識の固定はないのでしょう。「存在は意識を規定する」訳でもあり、最初、「京都はええなあ」と思っていても、三日経って実態が分かれば、嫌になるかも知れず、伝統や地縁とかには負性もあることをよく考えるべきです。ちなみに私は、京都の、夏の盆地特有の、高湿度高温の気候と、冬の曇り空ばかりの陰鬱な気候は到底なじめず、今は、瀬戸内海の晴れの多い温暖な冬の気候が好きです。

 著者は逆に、「洛中幻想」に対抗し、「宇治市」に、自分の根拠を置き、後醍醐天皇の鎮魂の寺と目される、天竜寺を拠点に、「南朝加担共同幻想」に入り込むように思われます。しかしながら、後醍醐天皇は、武士政権に対する貴族朝廷の反動革命(本郷和人氏にそんな記述がある。)を引き起こしたようなものであり、武士に冷たく、忠臣、楠一族や、北畠顕家などを便利に使いまわした人でもあります。全く関係のない、鄙のわれわれとしては、その著者に思いいれのある、地縁の幻想には、加担しかねるところなのです。
 あまりも、地縁を媒介にした、「おらがえらい高い意識」というのは、不健康であり、前にあった「県民ショー」と同様で、笑い話のうちならいいが、度を過ぎれば、愚かしく有害なものですね。そういえば、旧長州人(山口県民)は、旧会津(福島県の一部)にいけば、あらゆる場合で敵視される、という逸話(どうも本当らしい)があったところです。
一時はやった、「アメリカ人ジョーク」とか、「イギリス人ジョーク」、「日本人ジョーク」に至るまで、ときに笑ってやる努力も必要かもしれません(当たっている場合は、お互い、腹は立つが)。
 嗤ってやれば、理不尽、不合理に対処する術はあるかも知れない。
 しかし、現実的な脅威である、南鮮、北鮮、中共の、露骨で、醜悪な、政治的他国民族蔑視政策は、私たち日本国民は、決して許すわけにはいかないが。
 いずれにせよ、国民は、おごり高ぶった貴種は嫌い、他国の腐った独裁者も、思い上がった民族主義者も嫌い、間違いなく、謙虚で、人格者であり続ける貴種のほうを好むでしょうから、今上陛下の下で、「われわれは皆平等」と言っていたほうが、ずいぶんましだし、争いも少ないのかもしれません。

「壬申の乱と関が原の戦い ---なぜ同じ場所で戦われたのか」(本郷和人著(祥伝社新書)についての読書ノート、そして与太話に及ぶ

2018-02-28 19:34:02 | 読書ノート(天道公平)
 本郷和人氏は、最近、テレビでよく見ることが多く、人気のある(?) 歴史学者であろうかと思われます。色白のめがねの先生ながら、あごひげを生やした風貌で、本来「武家の歴史」が専門であるならば、意識的にその武将らしい容貌を目指しているのかもしれません。ただ、その黒プラスチックフレームの丸めがねが、大江健三郎氏のめがねと酷似しており(テレビは、ほぼそれで出ている。)、まるでバカサヨク(パヨクというのか。)のようであり、それは、たとえば気持ちの奥底では、手放しで、同型の眼鏡のジョンレノンなどを好きなのかどうか、もし、好んで着用するのであれば、どうも思想的近親性を著わすように見えるので、「止めたら」、と申し上げます。
しかし、著者は、精力的に新書など出版され、天皇制の歴史を扱ったり、ついては現代の情況論にも言及していることでもあり、われわれしろうとに、歴史家として、歴史を平易に知らしめる努力をされているように思われます。
 私、歴史には全く素人ですが、現在の世界情勢の現状を見ていると、われわれ「庶民」でも自国のその歴史ととても無縁ではおられず、またわが国の歴史を知らずして、適切な国際・外交問題など語れないような情況であり、無知とか、無関心とかいえない、現在は、厳しい段階と思われます。
 われわれが抱く日本国の歴史も、われわれが何の気なしに教わったことも、実際は、ずいぶんバイアス(特定の思想によってゆがめられた認識)がかかり事実とは乖離しているようであり、朝日新聞の組織的な虚偽で下劣な報道など、改めて、敗戦後の「占領軍史観」の罪深さと、それに積極的に迎合し悪乗りするサヨク学者、サヨク文化人たちの曲学阿世ぶりに、腹立たしい限りであり、私は非力ながらも、鉄槌をくだしてまいりたいと改めて決意します。
 先に、日本国の歴史がとても好きな人と知り合いましたが、彼は「本気で」歴史が好きであるらしく、「古事記」と「日本書紀」の違いを話してくれ、とお願いして、しっかり叱られました。歴史家(?) というには、どうも、専門家(?) として、専門外とか、しろうとの容喙(ようかい:口をはさむこと)など許してくれないところがあって、「思惟の手段」として、あるいは単に好奇心で歴史を学びたいというのは、なかなか理解してもらえない、ところです。
 著者は、自分で書いているように、「武士」の歴史の専門家であり、専門外においても、しろうとを対象とする新書などで、多くの歴史本を出しています。
われわれが読む歴史書は、結構、はやりすたりがあるらしく、それは私にも覚えがありますが、私が30代の頃(かれこれ30年前ですが)中世史において、亡き網野善彦氏の著書ですが、絵図面などを駆使して、農耕民から外れた職能民などの(非農耕民)や中世の被差別民までのさまざまな職種の人々とその実相を論じた興味深い著書で、歴史の見直しというか、大ブームを起こしたところです(私はそのように承知しています。)。しかし、それが極端に傾くと(ブームになると)、偏頗な左翼史観ではありませんが、あたかも、歴史は、権力者(為政者)によってではなくて「大衆」、「被支配民」の動静によって動いているというような、硬直化した極端な言説となります。
そこで、本来の「歴史」の原動力とはなにか、という問いに戻るとすれば、この著者の主張とすれば、当時あれほど膾炙した、「被支配民」史観からの歴史のみならず、政変の参画やと直接武力を担う「武家」の視点からの歴史もあるだろうということです。それがバランスの取れた事実に近い考え方だと、思われます。
 その意味で、この本では、日本国の現在にも多大な影響を与えたと思われる歴史的に重要な政変(戦争)を取り上げます。
最初に「律令制下の行政区画」の図面が添えられ、しろうとにはありがたいところです。殊に、広い東北地域は、出羽と陸奥の二国だけであり、あらためて、西日本と比べ、中央の直接統治や何より関心のなさという、西国に比して、その冷淡な扱いと支配の不均衡が目につきます。
 古代の重要な政変「壬申の乱」(大海人皇子、大友皇子との内戦、勝者の大海人皇子は天武天皇となり、これ以降「天皇」、「日本国」という名称が位置づけられた。)、中世の「青野ヶ原の戦い」(貴族の政治権力の代表者後醍醐天皇勢力と武家の政治権力室町幕府が最期に戦った内戦)、最期の内戦「関ヶ原の戦い」(武門の覇者豊臣家と徳川家が覇権を争った戦い)という三度の重要な戦争について、なぜ、いずれもが、ほぼ同じ場所で戦われたというのかについて、大変興味深い考察がされています。
 古代では、山間の狭隘地である軍事拠点、不破の関につながる、和蹔(わざみ:関ヶ原の古名)という場所(戦略上の重要ポイント)で戦い、大海人皇子が勝利し、この場所がその後につながっていく東国との戦略拠点となったと論じられています。当時の国家は、不破の関、それに連なる鈴鹿の関、愛発の関などのライン以西の西日本でしかなかったことが理解できます。東国は、当時、別の国家だったのですね。
 中世においては、後醍醐天皇の意を受け、陸奥から立ち上がり、鎌倉を攻略・経由した、神速の勢いの高畠顕家と、足利家の執権高氏などの決戦が行なわれたのも、京都側から防御しやすい青野ヶ原(現の岐阜県大垣市、残念ながらこの本には当該位置図がついていない。関ヶ原近接の一連の地形らしい。)になりますが、それぞれその戦争の実態は、足利側は、本来の幕府由来の御家人ではなく、楠木氏、赤松氏などに連なる悪党(もともとは寺社などの私兵)勢力がその主流でありその故に強かった、という記述がされております。
 高氏が敗残した行き場のない悪党を引き取ったのではないか、という話や、高畠顕家(神皇正統記を書いた北畠親房の息子ですが)は、天才的な軍事の指揮官とされていたが、実際は文官貴族で、文武両道の戦の天才といったものではない、と私が読んだ小説本(歴史小説)とは全く違うようです。実際は、戦上手で、荒事を厭わない新興武門勢力が歴史を動かしたのですね。建武の新政以来、天皇勢力が、これらの一連の戦いで、強者で実力のある武門勢力に、その実態的な政治権力を奪われるという、歴史の潮目があるわけです。
 最期の、関ヶ原(関ヶ原=不破の関)に連なる戦いですが、犬打つ童も知っているような、「天下分け目」の戦いです。つい最近も、NHKBSの番組「英雄たちの選択」で、徳川家の宿将、井伊直政の論考をしていましたが、東軍と西軍、それに連なる戦国の大名たちの思惑と、武門の意地など、著者の言う、戦略と戦術の差が論評されていたところです。
 そして、古代から近代に至るまでに、当該地域がいかに、その時々の、国内の勢力地図を左右する場所であったのかがよく理解できます。そして、古代からの「都」(みやこ)と「鄙」(ひな;いなか)という対立の発想の根強さ(今でも、それぞれの地方住民の「共同幻想」を呪縛していますね。)現在の歴史という学問が、兵たんの規模や優劣、兵士の数、それぞれの軍事的・経済的拠点、またそれぞれの味方の勢力や利害の考察など、大規模に、周到にくみ上げられていることがよく理解できます。
 また、同時に、後輩の歴史学者(ベストセラー「応仁の乱」の著者)を敢えて批評して、誰が敵で誰が味方か混迷を極めた場合においても、その戦争(政争)の勝者と敗者、またそれがいかなる変革・変換を促したかについて、時代的な・巨視的な、また何より現実的(経済的側面、個々の利害・感情の相克など)の視点を忘れるな、という教訓を語らせています。実は、この気鋭の歴史学者は、NHKBSの「英雄たちの選択」にも出ており、その受け答えの軽さに、「何だ、こいつは本当に考えてしゃべっているのか」、と思った覚えがあります。
 著者は武家の研究者ではありますが、地勢的に関ヶ原一帯が戦略拠点になり、また時代的に武士勢力が政治の中心になるのも歴史の過程であろうかと思いますが、「それも一つの特殊な要素である」こととして、その視点は柔軟で、流動的な発想を持っています。
 もし、歴史に「普遍性(それがあるものであれば)」や、その「本質性」があるのであれば、という意味で、著者の希望により、哲学者、西洋哲学、ヘーゲル研究者の竹田青嗣氏、西研氏と対談しており、日本史だけの研究者だけにとどまる(それをかてに更に自己の考察に深みを目指していくことかも知れないが)つもりではないようです。その点では、この本の跋文(「戦場の地点がすべてを物語る。久しぶりに面白い歴史書を読んだ。」)を書いた、磯田道史氏とも通底するものがあるかも知れません(ところで、磯田氏は、推薦をしたことだけで本が売れるほど人気の歴史家なんでしょうか)。
 著者に添ってたどっていけば、「関ヶ原の戦い」以降、東と西の分岐点、関ヶ原はその戦略的重要性を失う、ということとになり、それはなるほどと思われます。その後、徳川政権は、新開地江戸に拠点を移し、海外進出を考えることもなく、鎖国により、内政重視の政策で、武士勢力も安定し、それによる経済的安定も出てきて、住民の大虐殺や、宗教戦争も生じなかったという、江戸期の長期にわたる安定が招来されるのです。
 そのあと、明治以降について、江戸期の封建的停滞を打ち破る、「当然のグローバリズムの招来」として称揚するかと思いましたが、著者は、慎重に言及するところです。これらの一連の戦いは、西側の中央政府に対する東からの脅威であることが共通(幕末の黒船来航も含め)していると語り、壬申の変では、その前題に白村江の戦いの惨敗、青野ヶ原の戦いでは元寇による幕府の疲弊と混乱、関ヶ原の戦いでは、朝鮮戦役の敗北など、他国との戦争、侵略戦争などがその遠因にあることが前提です。明治維新、大東亜戦争の敗北など、日本国内の騒乱のみならず、時代が変われば、日本国・内外から、いくらでも戦争が起こる可能性があることも、著者の視野に入っているようです。読者とすれば、著者が、今後も、つまらないイデオロギーや風潮に足をすくわれないように願うばかりです。
 江戸期においても、軍記ものの読み本は、しろうとにも大変好評であったということであり、現在の私たちにも、「事実の歴史を知りたい」、「歴史というものは興味深い」と江戸庶民と同様に実感できるところです。また、封建・反動時代の代表であるかのような260年の江戸期のあり様が、決して、軽薄なグローバリゼーションの信奉者などによって、誹られるものではないことをも認識し、現在の日本国の国力や国民性のその安定性はわが国の「誇るべき歴史」であることを再度認識し、私たちは、現在のグローバリズムという米欧から仕掛けられた「国難」に対処すべきでしょう。
 ついでに与太話をひとつ、私、昔(1970年代から1980年代ころまで)、新幹線で東京に行く際に、関ヶ原(現在の岐阜県大垣市ですか)を通過する際に、晴れた日を見たことがなく、常に、薄暗い曇天か雨の陰鬱な天気でした。例の、「つわものどもの夢のあと」かも知れず、気味の悪い思いをしたことがあります(しかし、晴れない日はない、ということでもあります。)。ためしに友人に聞いたところ、「天気が悪いところだよね」ということでした。
わが、愛読書、水木しげる氏の、「ゲゲゲの鬼太郎」にも、「妖怪関ケ原」という利害の異なる妖怪仲間同士により、正邪(?) をめぐった天下分け目の闘いがあり、しっかり、「東西の、天下分け目の合戦」というのは、つくづく日本人の心に根付いているわけですね。
 そういえば、昔、京都に住んでいた時は、私は「東京の奴らのいうことなんか聞けるかよ(自分らが世界の中心のような顔をしやがって)」と思っていました。皆もそうであったらしく、(酒を飲むととても盛り上がったが)、集合的無意識というのか、共同幻想というべきか、その敵愾心・対抗心は、とても根強いものですね(笑い)。

「真説・企業論」(中野剛志著)を読んで

2017-07-15 08:28:20 | 読書ノート(天道公平)
先に、「富国と強兵」という大著の出版があり、それに比べると、この本は、著者にとって余技に当たるものかもしれない、と思われます。
 しかしながら、能力ある「経済ナショナリズム」の専門家として、あるいは象牙の塔に住まない(浮世離れした学者でなくまた曲学阿世の使徒でない。)無原則に時流に迎合しない(御用経済学者でない)、またいわゆる俗流(役にたたない)経済学者ではない、著者においての、大変興味深い、面白い読み物となっています。
 まず、われわれが気をつけなくてはならないのは、われわれがいかに数多くの「誤った共同幻想」のとりこになっていはしないか、ということです。 
 彼の執筆の動機は、最初に、自己の部局の若い同僚が、「ベンチャー企業を立ち上げるために辞職したい」と相談したことから始まります。優秀な部下であるので、慰留したいところですが、決意が固く、引き止められなかった、という話です。ここから、著者の疑問が沸き立ちます。
「米国の若き頭脳が、あるいは国境を越えた他国の優秀な若者たちが、自己の優れた能力を、米国の制度・国家の支援の基に、産学協同のシリコンバレーで、たとえばスティーブジョブ様のように実現していく」、というような神話が、あるいは、誰にも都合のよい「共同幻想」が、果たして信ずるに足る「幻想」であるのか、ということです。
彼は大変頭のよい学者ですあり、また周到な理論家でもあるので、(私も) 読み通しはしましたが、著者自身のあとがきの列記を読めば、もうそれで、この本の意義は十分に尽くせると思いますので、それを記します。それ以上付け加えるところはないですね。これは、社会科学の著作家としてとても大事な論じ方だと思われます。また、これらの教訓の反目を経営に生かせば、企業経営に役立つ(文中でイノベーションはどのようにしておきるか、気鋭の日本人学者によって行われたという実証的な周到な研究についても触れられています。)と読めるようになっています。以下、列記します。

1 アメリカはベンチャー企業の天国ではない。
・アメリカの開業率は下落し続けており、この30年間で半減している。
・1990年代は、IT革命にもかかわらず、30歳以下の起業家の比率は低下ないしは、停滞しており、特に2010年以降は激減している。
・一般的に、先進国よりも開発途上国の方が起業家の比率が高い傾向にある。例えば、生産年齢人口に占める起業家の比率は、ペルー、ウガンダ、エクアドル、ヴェネズエラはアメリカの2倍以上である。日本の開業率も、高度成長期には現在よりもはるかに高かった。
・アメリカの典型的なベンチャー企業は、イノベーティブなハイテク企業ではなく、パフォーマンスも良くない。起業家に多いのは若者よりは中年男性である。
・ベンチャー企業の平均寿命は5年以下である。うまく軌道にのるベンチャー企業は全体の3分の1程度である。
2 アメリカのハイテク・ベンチャー企業を育てたのは、もっぱら政府の強力な軍事産業育成策である。
・シリコンバレーは軍事産業の集積地である。
・アメリカ政府は、軍事産業の育成の一環として、ハイテク・ベンチャー企業に対して公的な資金の供給を行ってきた。
・ITはハイテク・ベンチャー企業の隆盛をもたらしたが、そのITは、インターネットをはじめとして、軍事産業から生まれたものである。
・ベンチャー・キャピタルというビジネスモデルは、軍に由来する。
3 イノベーションは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる。
・イノベーションを起こすには、そのための資源動員を正当化する理由が必要になるが、そうした理由を共有できるのは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係である。
・個人を活かすのは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係である。
・イノベーションの推進力となるのは、営利目的を超えた組織固有の価値観である。
・イノベーションを推進する最大・最強の組織は、国家である。
4 アメリカは1980年以降の新自由主義的な改革により金融化やグローバル化が進んだ結果、この40年間、生産性は鈍化し、画期的なイノベーションが起きなくなる「大停滞」に陥っている。
・金融化は、企業の短期主義を助長し、長期的な研究開発投資を忌避する傾向を強めた。
・金融化により、ベンチャー・キャピタルは投機により短期的な利益を追うようになり、もはやリスク・マネーを供給する主体ではなくなった。
・グローバリゼーションは、人材や技術のアウトソーシング(オフショアリング)(註、生産や技術開発まで海外に移転させるもの)に拍車をかけ、アメリカのイノベーションを生み出す力は空洞化した。
・オープン・イノベーション(註、外から異質なものを取り組み、内部資源と組み合わせる試み、とされているが、現実は決してそのようには動いていない。共同作業が前提のイノベーションは外から人材を入れたなどとの安易なものでは動かない。)は、企業の短期主義の結果であり、イノベーションを阻害するように働く。
・短期的な利益追求はイノベーションを阻害する。にもかかわらず、アメリカのビジネス・スクールは、短期的な利益率の向上ばかり教えている。
5 日本は、1990年代以降、アメリカを模範とした「コーポレート・ガバナンス改革」(註、企業経営をめぐる一連の構造改革、具体的には商法改正によるストック。・オプション制度の導入、自社株の目的を限定しない取得・保有の合法化など)を続けた結果、アメリカと同様に、長期の停滞に陥っている。
・日本の「コーポレート・ガバナンス改革」は、アメリカのビジネス・スクールで洗脳された官僚たちが主導している。
・日本の「コーポレート・ガバナンス改革」は金融化やグローバル化を推進し、日本企業を短期主義的にする結果を招いている。
・「コーポレート・ガバナンス改革」によって、日本はイノベーションが起きない国へと転落する。
・一般に流布しているベンチャー企業論は、戦後復興期に丸山真男、大塚久雄、川島武宣、桑原武夫といった知識人たちが広めた「近代化論」の焼き直しである。
 以上が、ベンチャー企業とイノベーションについての「恐るべき実態」なのです。
(註  は、天道の付記です。)

以上のように記されておりますが、「貧すれば鈍する」というか、「弱り目に祟り目」というか、かの「失われた30年目」において日本国の採用している苦し紛れの経済政策はため息が出るような実態ですが、視野のない、愚かな日本国は、ビジネス・スクールにしなくてもよい人材派遣をし、誤ったアメリカに倣ったばっかりに、1970年代までの、世界に誇る自前の「日本的経営」の成果を、着々と、放棄しつつあるのですね。

以下、この本で扱われた「迷妄の共同幻想」について、キーワードを基に、感想を述べさせていただきます。著者にも、今までも十分に言い尽くされた、用語であるかもしれませんが、それは素人の強みで、中央突破するばかりですが。
「第二の敗戦」、私が、この言葉を最初に聞いたのは、吉本隆明の著書からですが、「平成大不況」の代名詞となったこの言葉は、流行語としては、いいような悪いような、ぬゑ的な、玄妙な言葉ですね。しかし、どうも過剰な意味合いを付するとすれば間違うようです。

私は、卑俗化してしまいますが、いわゆる、「第一の敗戦」が、占領軍により、戦前の社会組織や価値観がことごとく覆され、戦前の経済体制が完膚なきまで破壊されたこととすれば、戦後、懸命に、押し付けられたアメリカ流の経済体制・慣習に抗いつつ、日本国独自の、経済秩序及び労働慣習(分配の公平、終身雇用、企業内教育の完備等)を引き続き継承し、高度な技術力と開発力で、その後世界規模で成功し西欧ビジネスのロールモデルになった誇るべき「日本式経営」であった筈が、バブルの崩壊以降、なぜか世界一の地位を返上したわけです。なぜ、バブル不況になったのかについて、十分な分析が行われず、そうなれば、苦し紛れに、犯人探しとして、今までの日本的経営、よい労働環境、労働慣行(終身雇用、個々の雇用企業に係る帰属意識の強さ)や労働力の質(独創性のなさ(私はそれを認めない。)、集団主義とか西欧人などに比べての個々の能力の相対的低さ(私はそんなものも信用しないが)など)が槍玉にあげられ、その価値観の強烈な否定が、ついには国民経済、大多数の国民の気持ちに混乱を与えると同時に自信を喪失せしめ、その後「第二の敗戦」という言葉に、定着してしまったというところでしょうか。
ところで、当時(1990年代から後のころ)、素人観測としても、昨日まで、労働者を切り捨てない温情主義、協調主義、優秀な労働者もそうでない労働者にも機会を与え、それなりに仕事場を与え、分配も比較的公平で、職域間の軋轢も生みにくい「日本的経営」として、世界的にほめそやされた、日本式経営が、一夜を明けると、なぜ、これほど、「悪平等」、「個人の能力が評価・発揮されない」、したがって、「世界市場で実績が上がらない」などと、そしられ、おとしめられたのは、率直、きつねにつままれたような感覚でした。
実際のところ、バカな話でしたね。中共などの後進国では、「昨日の価値が今日は否定され、国民が生命の危険さえ脅かされる」事件は頻繁にあった現象かもしれませんが、少なくとも、近代国家を経由した日本では、そんなバカげたことはあってはならないことですね。
当時から、「規制緩和」とか、「構造改革」とか、政・官・民連合の、有害な誤った政策で、無意味に踊らされた国民が、結果として、財産ひいては将来の安全にも多大な被害を受けましたが、政府・為政者が、「常に国民をだます」ものであるとはいいませんが、先が読めず、「愚か」であったのは確かであり、「郵政改革」から始まり、農協・日本国の農業解体等にいたるまでの「負の道行き」を、きちんと批判できなかった、あるいは認識できなかった、自分をも、省みて、今後は、より老獪で智恵の働く大衆になることと、します。

著者は、1990年代当時からの景気後退は、何も日本企業の実績が上がらなくなったのではなく、当該不況の招来は、世界の景気動向を読み違え、アメリカに迎合し、超低金利政策を固定化した金融政策の失敗と切り捨てていますが、現在における、何をなすべきか迷っているような無策の日銀当局、リーダーシップを発揮できず財政政策による景気浮揚を断じて行わない政府、財務省をよく見ていれば、それもよく得心がゆきます。
いずれにせよ、先の「第二の敗戦」ではないですが、流行語のように語られ、「規制緩和」とか「グローバリズム」とか誰もが自分で100遍唱えればひとり歩きの「真理」や「信仰」となる「雰囲気」とは愚かしくも怖いものです。

 引き続き、「ではの守」について言及します。
 他の方々の著書でも、おなじみの言葉ですが、「アメリカ(USA)では・・・」、「ヨーロッパでは・・・・」、と他国を引き合いにする、あの語調ですが、かの名作「おそ松くん」の中でも、イヤミ氏は、「おフランスでは・・・ザンス」と貧困大家族のおそ松家に常時教えを垂れており(実際は詐欺師だったが)、それは無考えな人間の、宿あといえば宿あですね。しかしながら、この場合では、他国の状況を詳しく分析せずに、わかりやすい部分部分を拡大し、自分の都合のよいように牽強付会するさまは、今も昔も、迷惑な話です。このたびの、「シリコンバレー幻想」なども、国家・国民に被害が大きいだけに、その走狗となった方々を含め、詐欺に近い、罪作りな話です。
 実際のところ、日本国の歴史をひもとくまでもなく(われながら偉そうですが)、私の知るかぎりであれば、わが若き日、日本の知識人の一部というのは、「知的密輸入業者」と、蔑称されていました。80年代のポストモダンの旗手(?) 達の現在を見ていれば、それが実証されますが、軽佻浮薄な私にしても「何かあるのかも知れない」と、当時、当該代表的な著書を購入はしたはずですが、その経緯自体、恥ずかしく、アホな話でした。今思えば、それぞれの国民思想家の思想は、その国情や、わが国との差異、相互の膨大な歴史的な累積の分析を抜きにしては(ひとたび始めたら膨大で厳しい作業でしょうが、それに耐え切ることが本来の知識人でしょうが)、何の意味もないことが、われわれのようなものにも、よく理解できました。
 自国の現象を、他国の思想家から勝手に借りてきて皮相な手法・イデオロギーだけで裁断し、いかにもわかったように振舞うのは、語学自慢の特権ですが、重ねて、アホな話ですね。
 
 ところで、中野氏は、ただの経済学者だけでなく、経済史、経済思想史のみならず、近代思想史もその思惟の射程にある人ですが、彼が指摘するには、太平洋戦争の敗戦後、敗戦国日本の知識人たちが口をそろえて何を行ったのか、「日本の近代批判」ですね、政治思想史丸山真男、法社会学川島武信、経済史家大塚久雄、文芸評論家桑原武夫、口をそろえて、先進国西欧の進んだ達成に比べ、日本国は封建的で、合理性がなく、遅れていた、いまだに前近代であると、「それで負けた」と強く主張し、近代以降、戦時体制に至るまでを批判しました。これは非常に既視感のある光景であり、それが現在の、「今までの日本的システムではだめだ」という、規制緩和、グローバリズム推進勢力と重なってくるといいます。これは、本当にそのとおりで、不死鳥のように、あるいは姿・形を変えたぬゑのようによみがえり、軽薄に浅薄に、我が正しいと主張するのですね。今も、今後も、その衣鉢を継ぐものもよく監視していたほうがいいですね。いまだに、無自覚に丸山真男などのを支持する人達もいることですから。

 あとがきにある、100年続く老舗に、過去に学ぶ謙虚な姿勢や、技術革新(イノベーション)もないはずはない(なければつぶれている)、というのは至言ですね。若者よ、むしろ、「老舗の初代を目指せ」というのは、実に良いアドバイスですね、合点がいきました。

 ところで、わが歴哲研(私たちの任意研究会)では、皆で、ユーチューブで観覧(「日本の未来を考える勉強会」、衆議院議員、あんどう裕氏たちのグループです。氏のHPで見れます。)しましたが、著者も講師を務められた(これは自民党の国会議員の有志の勉強会であり、他にも、藤井聡氏、青木泰樹氏、島倉原氏、会田卓司氏、三橋貴明氏という気鋭の優秀な(御用経済学者、御用エコノミストでない「良心的な」という限定詞がつきますが)講師たちばかりですが、とても見ごたえがあり、二重の意味で、国民の一人として幸せでした。)(中野氏については、美津島明氏のブログ「貨幣と租税」で視聴可能です。きわめて興味深い。)。
 その後、この研究会の達成を踏まえて、適正な経済政策(財政政策)を採るよう、政府・党に、要望書を提出したとのニュースを見て、自民党の一部にも、心ある政治家・議員(大多数の国民の利害を察し働くことができる具眼の士)もおられる、ということを認識しました。大多数の立場につく、国民一人として、とてもうれしいことです。これが、流れとなって、デフレを排し、国民経済に活気を取り戻し、われわれの孫子に希望を与えらえる状況になることを希みます。