天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

わが闘病記(広大附属病院に入院して)その3

2022-02-17 11:37:26 | 時事・風俗・情況
例のバビロン屋上公園から見た、梅のつぼみです。
色々、すこしづつ、時間は動いていきます。
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 入院検査・治療から、通院治療になって、色々疑問だったのだが、その後一定期間の治療を通じ、このたび、なんとなく、私にも伝わってきたことがあった。
 それに、ついて考えてみたい、結果、それが、自分の首を絞めることにならねば良いが。
 私の、病棟での主治医は、○○先生という。
 昨年10月、検査・治療入院が終わり、第一次(私はそう考えた。)の治療方針が決まり、退院後、私は、本来、外来の先生に引き継がれるはずだったらしい。
 大学病院は、ただでさえ、たくさんの患者を抱えているだけ、それでないとやっていけないだろう、とその時はそう考えていた。

 病棟での先生が、患者の引継ぎするにあたり、外来の先生と協議をしてもらった。
 しかし、その過程で、いろいろあったのか、今までの、病棟の先生が、私を、引き続き、外来で担当してもらうことになった。
 こちらは、今までの履歴に立ち会ってもらったので、私の気持ち、思惑では、願ったり、ではあった。
 病棟の先生は、化学療法により、患部が縮小すれば、切除手術をした方がいい、という、一貫した考えである。
 わが家族は、黙示の承認をしている。

 しかし、私には、今のところ、そうは考えられない。
 化学療法で、患部が縮小し、それに付帯する症状が軽減されれば、良いなと思っている。口には、出さない(出せない)が、そう思って、いろいろな局面で、私なりに努力をしている。
 最初に病棟主治医に、外来の先生の話を、外来主治医のとの協議を、間接的に聞いたとき、その中で、患者は手術を望んでいるか、という話になったらしい。それ以外はわからない。
 その結果で、病棟医が、引き続きの担当ということになったらしい、のである。
 それを外したら、今の私には、あまり意味がないが、先生は、私の、QOL(病者の生活の質を尊重すること)を十分に配慮してもらっているとは思う。

 本来、私は、斜に構える人間なので、「××と戦う」という、スローガンはあまり好きでない。
 たたかわないのは、正義ではないのか、劣っているのか、あるいは勇気がないのか、という、要らざる、心理的規制を生むからである。
 私は、優れ、勝った人間ではない。
 大した人性を送ってきたわけでもない。
 死んだとき、「あの人はいい人だったわね」、といわれるよりは、「いい人じゃなかったけど、悪い人でもなかったわね」、と言われたいくらいの、人間である。

 実際のところ、世間一般が、病者の皆が自己に臨むように、私の病気が寛解すれば、それに越したことはないのだ。
 しかし、一人の「患者さん」とすれば、そんなことがあるだろうか、と、実は、常に、疑わしく思っている。

 病院の外来受診から、検査を経て、外科に対して手術協議されるのは、普通の経路であろう、と思える。
 しかし、それには時間がかかるし、通院、送迎などの、家族の支援が受けにくいものにおいては、多大な負担になる。
 
 私の場合は、紹介状をもらって、横入りで入院させてもらえたのだから、それは、幸運であった。誰が担当になるかは、今思えば、運命だったのだと思う。
 なぜ、病棟つきの先生が、私の主治医になったか、病院の事情は、よくわからない。しかし、それが、どれほど、幸運だったかは、よくわかる。

 今朝がた、外来の検査を受ける前に、暇つぶしに、掲示板の病院報を持ていると、専門家別に、担当医者の名簿表示があった。担当部科に分かれ、索引順でないので、たぶん、序列記載なのだと思う。
 しかし、何度見ても、私の主治医の名前がない。なぜだろうと不思議に思った。

 外来治療が数か月続き、今では、私は、自分が、化学療法のベテランになったのではないか、と思っていた。
 同じ処置室で、五、六時間も、じっと点滴するので、いくら、偏屈な男でも、看護師さんと話くらいはする。
 一線を超えたら(例えば看護師に優しい(?)言葉を掛けられたら)、男どもは、打ち解け、自分の個人的なことを、妻以上に、看護師に対し、話してしまう。
 ジジイとして、その感覚はよくわかる。

 しかし、その反目も見た。彼女は、どうも、毎日点滴治療を受けている。それだけで、拘束される、厳しい病状なのであろう。
 彼女には、無口な夫がついている。
 いつも黙って何も言わないのだが、最初は、大人しいながら、暗く、私たちに対し、何か含むところでもあるのだろうか、と思えるようだった。
実のところ、妻が、その夫を、使う、使う、処方箋、もらいにもらって、お金払ってきて、毎日のことでしょ、早くしてよ、皆に迷惑でしょ、と言いたい放題である。
そして、ついでに、私に、ニコッと笑う。
 
 これは、後天性の失語症だ。それも、昔、浮気をしたとかの負い目では、ない、妻に屈服して、こうなったのだ。
 そうなれば、私もたやすくは笑い返せない。
 看護師は、明らかに、妻の味方だ。
 どちらかが、主導権を握り、状況を仕切らないと、次には進めない。
 これは、賢い選択と、若い看護師は、思っているかも知れない。
 決断も、知恵もない、ぐずな男ね、と思っているのが、ありありだ。
 どうも、いやなら、やめれば(捨て、捨てられということです。)いいのに、くらいは思っている。
 彼女たちは、常時、看護衣のうえに、プラスチックの袋をかぶっている、あれで、ストレスがたまらないわけはない、と私は思う。
 入院してわかったが、院内クリーニングの窓口があって、彼女たちも、そこで、病棟衣を利用している。コロナの影響が大きいだろう、いろんな、負担が強いられる。
 以前、入院していたときに、遠くて、家族の支援がむつかしい私が、取次店に聴きにいったら、私の不穏な空気を読んだのか、パンツとか下着はだめですよ、と言われた。
 なるほど、納得した。

 男の患者の現実は、ちょっと違う、と思う。
 男は孤独なのだ。仕事を辞めれば、職場以外に付き合いもなくなってしまっていた。
 皆が皆、女のように、社交が得手でない。また、その努力を嫌う。
 なかなか、始めた趣味も、上達しないので、面白くない。
 それも、入院時代に見たが、まだまだ、意欲のある親父は、館内図書館にへばりついて、漫画と、週刊誌を読みながら、窓口のパートのおばちゃんに付きまとう。
 あとは、しょうもない自己自慢だ。しかし、どこのサラリーマンだったかは、どういう役職だったが、決してカミングアウトしないが。

 閑話休題、今日は、「なんで、私の主治医は、医師掲載名簿にないの」と、看護師に、聞いてみた。
 つい、私が、彼女に対し、ありもしない親和性を信じ、感じたからなのか、または、彼女が、むつかしい人だったのか、「それは、主治医に聞いて見られたらどうですか」、という返答だった。
 それは、さすがに、この私の状況の中で、わざわざ、無法者の私でも聞けない。
 明解で、明朗な先生だが、私にも、それくらいの忌避と、状況を忖度する気持ちはある。それは、気のせいかもしれないが。
「えっ」、と思ったが、それは、看護業務とは別途の話である。
 その後、うわの空で、ぼやっとしていたが、あれは、「外来の先生の名簿で、入院棟の先生の名簿じゃないんじゃないの」、と最後に私は言われたらしい。
 むろん、そんな、つまらない親父の繰り言に、忙しい看護師がかかずらう暇はない。
 ただ、私は、好奇心で生きている男である。自分の疑問には、いずれ自分で答える。

 後知恵でわかったが、病院というのは、外来、入院部門で、それぞれ、分担が、明確に分かれるらしい。
 私が、今、化学治療を受けているのは、外来部門に属している。したがって、看護師たちが、直接、指揮指導を受けるのは、外来部門の担当医師からであるらしい。
 組織であるからには、部門ごとに、それぞれの考えがあるだろう。
 厳しい専門職の仕事であれば、それは当然に発生する問題ではある。
 逆に、医者によって、それぞれに、見解が違っていなければ、結局、逃げられない患者の不利益になる。
 組織は、逸脱や、前例に反することは、基本的に許さない。特に、ミスによる生死に係る職場や、トップダウンといいつつも、ボトムアップの傾向が強い職場は強く、厳しいと思う。

 どうも、病棟医の私の主治医は、直接、外来の看護師に、指示が出しにくい、ように思われた。
 それは、私の主治医の言動を考えればわかる、ことがある。
 だから、私も、患者の考えと、それぞれ駆け引き(?)があるから、外来に行くにしても、必死で考える。

 私は、信頼はしているが、今のところ、主治医の言う、治療方針の通りにはなれない。
 そして、外来の治療窓口のいう通りにもなれない。
 患者さんは、自分本位の自己都合で考えるから、おいおい、と思ってしまう。それは、病院の治療方針とは異なるかもしれない。
 しかし、それは患者の意見としては、聴いて欲しいわけである。
 選択の生じない、患者の自由などというものはありえない。

 先にNHKの医療教養番組を見ていたことがある。
 ほぼ、私は、Eテレと、衛星しか見ないので、地デジ、サテライトと、チャンネルを変えることもある。
 それは、視聴者の患者さんたちから来た、病気にわたる質問に対し、治療の第一人者が、答えるという番組だった。
 たぶん、皆忙しい、専門医の先生ばかりだから、直にこんな高度医療の最前線の話が聞けるのは、患者にも、また、極めて忙しい第一線の治療医にとっても、対世間に話ができるチャンスがあるなら、双方にメリットがあると思えた。
 この番組の、MCを務めていたのが、▲▲氏である。番組が番組なので、事前勉強は大変だったと思う。
 視聴者の意見も、取り上げなくてはならないので、センスも知性も要る。
 ただし、彼が、先生(?)に質問するとき、ちょっと、言葉が、不遜じゃないかなという感じを受けた。
 当然、双方は対等な関係である。
 しかし、一線級の臨床医には、きちんと言葉を尽くし、それなりの敬意を払ってもいいんじゃないの、と思ったわけである。
 彼らの、背後には、日々の激務の中で、懸命に治療法を模索し、医療の進歩に苦闘し、貢献している数限りない医者たちがいる。
 私たちが、彼らの存在に、感謝と、敬意を払うのは、当然のことである。

 言っちゃ悪いが、共産主義国家によって、権力に寄り添い、新鮮な臓器移植に特化した、中共の医師とは、天と地ほども違う。

 その後、このMCに似た(私には同一人物に見えた。)、フリーアナウンサーの▲▲氏が、出るインタビュー番組を見た。
 「こころネット」という番組である。
 皮肉でもなんでもないが、この番組は、「病気と闘う」ことをテーマにしている。
 彼は、血液性のガンを発症したらしい。
 彼は、ステージ4といっていたが、それはガンの特性で変わるらしいので、余命残年数は5年くらいなのか。詳細はよくわからないが。
 その際の、治療入院生活を語っていたが、病院のスタッフ、医師、薬剤師、栄養士とかいろいろ出て来る。聞いた限りでは、化学療法と、リハビリスタッフにより、とてもいい、治療入院をされたらしい。
 その番組中で、最初に、あろうことか泣き出した。治療入院が思い起こされて、万感、胸に迫るものがあったのだろう。
 しかし、私は、別のことも考える。自分のために泣くのは、恥ずかしいことである、というあのテーゼである。
 どうも、これは、生還を果たした、勇者の所業の報告なのだ。

 しかし、私の気持ちが、すっと、冷えた。

 自分の病気(宿命)に対置することは厳しい経験である、と思う。
 それは、個々の人間によって、様々な対処の仕方があるだろうと思う。
 しかし、ガンという病気は老化の現象として現れる、という、近藤誠先生の話もあった。
 理不尽だろうとどうだろうと、おのおの、寿命は、受け入れなくてはならない、筈である。

 幸い、私は、現在では、重篤な行状にまで至っていない。
 まだ、我慢できる状態である。
 病状が重篤になればくじけるだろう。
 偉そうなことを、言ったり、捨て鉢の態度も、愧じるだろう。
 つまらないことで、妻に当たるだろう。
 先行きはわからない、他人の態度に、容喙する必要はない。

 しかし、皆が勇者ではない。
 奇跡的に、寛解したのは、彼の勇気と努力、周囲のケアのたまものだろう。
 しかし、それを、保証してもらったのは、彼の社会的な地位と、病を支える、経済的基盤ではないか。
 貧困で、十分に医療措置も受けれずに、失職の不安の中で、孤独と孤立で、のたうち回り、訳も分からず、悩み、仕方なく、当面、耐えていく多くの患者たちは、勇者ではないのか?

 ただし、国民の大多数が、皆保険によって、キチンと、医療給付が受けられる、国民国家日本は、まさしく、正義ではある。それは、外してはならない。

 よくしたもので、彼が、病気から回復すると、周囲が、前と同じ(嫌な人間になった。)になったといわれたと、番組で、率直に述べていた。
 なかなかに自省に富む良い人である。
 彼の、アグレッシブな態度をみれば、それが(素がとても嫌な人間であることが)よくわかる。
 どうも、朝日放送か、何かに出そうな男である。こいつは、予断と、自己の偏見しか見えない奴だろう。

 人間、だれもが、おざなりの、定式化した態度で、病気を、自己の運命を受け入れることはできない。
 私には、幸い、もう少し、時間と、なにがしかの、闘病費用は残った、ありがたいことである。

 しかし、そうなった以上、それに割り込み、対抗するのは、私の好奇心と、私なりの、前向きの「知性」である。
 それがナシなら、私も耐えられない、「存在の耐えがたい軽さ」というやつだ。
 私は、ニーチェなどのように偉くもないし、激烈でもないので、これは、私にとって、ニヒリズムでもなんでもないのだが。
 
 今後、私の人性において、まだまだ、汚らしいもの、腐ったものはいくらも見るだろうが、反面、その対極にあるものも見ることができるであろうかと、今は、思っている。

若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その6)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズム迷走とどう戦うのか。)

2022-01-31 15:49:29 | 時事・風俗・情況
 
 遅ればせながら、令和4年正月の、妻の心尽くしです。
 昨年は、色々なことがあり、この日がよく迎えられた、と二人で、安堵しました。
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以前この件について、コロナを契機にした、かつての仲間との決別のいきさつを書いた。
「若者たちの未来のために死んでいくのは、私たち老人の本懐ではないのか。(その5)(あらゆるところで猛威を振るうコロナファシズム迷走とどう戦うのか。)」2021.3.25 付け https://blog.goo.ne.jp/koheitendo550815/e/1e163d1d5db3bebf6282255c7f4a7d95
 読み返してみて、当時のブログ原稿と、現在の状況が、ほとんど変わっていない、いや、ますます悪くなっていることに、愕然とした。

それは、職場における、「コロナ」解釈の食い違いによって、「見えない関係が見え始めた」ことに気付き、私の、仲間グループ(英会話同好会)の解散をした話である。
 これは、私の仕事に関わる個人的な「倫理性」と、常人の「倫理性」が真向から対立し、それに私がこらえきれなかったという話である。
 その後、この経験は、私のような人間にも結構応えた。
 彼女との活動は、かれこれ、10年以上は続いたので、悪い思い出だけではない。
 しかし、許せないことは、私にもある。
 それを検証する。
 私は、おおよそ、三年を超える、コロナ下の勤務で、再任用職員として、専ら、窓口業務をこなした。例えば、常時、不特定の市民に接する場面であり、救急消防職員のように、職務中に、コロナに、り患しても仕方がない、と思っていた。
 運が悪ければ、り患するかも知れないし、死病になっても、しようがないじゃないの、しかし、自分の仕事に手を抜かない、と、自分に決めていた。それは、おかしいだろうか?
 幸い、前述したように、地元の心ある化学会社(㈱トクヤマ)が、カウンターに設置する、プラスチックの衝立を寄贈してくれていたので、客が老人の時は、マスクをずらして、よく聞き取れるように、大声で、話をした。
 その件において、苦情を受けたことは、一度もない。
 ババアに絡まれたことはあったが。

 しかし、決別した彼女といえば、自己の被害を想定してからなのか、コロナ下での、客との接触を、心底嫌悪していた。
 それは前に記したした通り、彼女が実父母と同居し、巻き添えをくらわすリスクとの思いやりの考えだったかもしれない、とジジイは想像していた。
 彼女と議論をしたときに、じゃあ、なぜ行政職として工夫して、ネット申し込みと、本の個別引き渡しで、開架サービスをしないの、下松市図書館はちゃんとやっているよ、というと、理不尽にも、本気で怒った(彼女は周南市立図書館の会計年度職員である。)。
 その怒りは、どこから、来るのか、よくわからない。企画も提案も通りにくい、彼女の、会計年度職員という待遇で出すぎ、といじめられるのが、単に嫌だと思ったのか、これ以上、仕事とリスクを増やすなんて、と思ったのか、わかりにくいところだった。

 下松市の図書館は、閉館時間が6時半である。周南市の図書館は、閉館時間が一館を除き、5時半である。これはひどいと、かつて、彼女に言ったことがある。周南市の行政部門として、明らかに、市民サービスの努力を怠っている。
 だいたい、夕方5時半までに、職場を離れられる職場がどこにある。パートの母親でも、何をおいても、まず、こどもを迎えに行くだろう。それが、趣味、生きがい以前に、人の道だ、それに意識的でないだけで、失格だ。

 開館時間を言うならば、公立図書館は暇なじじいが、早朝から、新聞を読む場所ではない。
 聞き及べば、自分より前に他人が新聞を読んでいれば、なぜ、一番に俺は新聞が読めないのか、と怒るそうだ。腐ったジジイは、早く死ねよ、と、ジジイの私ですら思わないでもない。
 彼が執着する、その新聞が、ハイブロウな、朝日かどうかは、聞いていない。

 そのくせ、図書カードから、性別表記をなくそう、とか、フルタイムの図書館職員は、バカな、LGBTの信奉者だ(田舎ではLGBTとはそんなものです。脅迫に応じ性差を隠すだけ、それが正しい。それがすべてです。理念などない、ご機嫌取りです。都会もそうなのか。)。
 そして、浅はかで、短慮な、藤井律子市長に、おもねることは、決して忘れない。
 それが、彼等の脳中で、藤井市長の、ジェンダーフリーとか、共同参画とかに直結するんだろう。
 バカな政策だ、国レベルでは、それを国民分断政策に使っている、反目でも、立憲など、国内労働運動を奪い取った、在日・反日勢力がいくらもいるからな。国民国家について、きちんと考えたことがないから、まともな理念も、視野も、展望もない、ひたすら、反日、共産覇権勢力に迎合するばかりである。民主、社会党右派、左派の系列は、皆そうなった。
 笑い話だ。
 また、このたび、政府首班にも、日本国の地方自治にも、多国籍の住民の意見を反映さすべきという狂った政治家、茂木幹事長が出て来た、私は耳を疑った。
 さすがに、自分の使いかけの歯ブラシを、初対面の女性に差し出すという、変態の考えることは、常人にはわからない。
 痴性派の私にしても、彼の行為は、何の暗喩なのだろうか、わからない。
 じじいの想像力を駆使すれば、口唇期に退化したので、おねーさん、一緒に吸ってちょうだい、ということなのか。
 しかし、私の逸話であれば、社会関係的に、セクハラ、変態で、社会的に葬られるが、さすがに、政治家は常人とは違う。大したものだ。

 そこまでバカではないかと思うが、まさか、藤井律子さん、職員採用に、国籍条項を外したり、狂した武蔵野市長に連帯し、周南市民の利害に直結・相克する、重大な問題に、大きな支障と危険をもたらす、頭の空っぽな、政策を今後も継続するつもりはないでしょうね?
 市有地の売買に、なぜ、国籍条項を付け、他国の食い物にならないようにすべきなのかも、すでに私の立場で、何度も進言しました。
 だいたい、中共覇権国家の超限戦、山陰、山陽で積極的に進められる「日本買い」の実態をあなたは、知っているのか。周南市の市議会議員さんに進言しましたが、あなたの立場では、それを認識するのは当然のことです。
 徳山大学の外国人(中共・韓国しかいないが)の有害な学費免除は、周南市の将来に禍根を残します。

 仕方がない。
 せめて、藤井律子市長が、徳山大学の公立化のように、まったくの自己都合と、自己の利害のみで、国民分断、国家破壊工作に、手を貸していないことを、私たちは祈ろう。周南市民のために。

 閑話休題、私は思うのだが、この、コロナの閉塞状況で、家で読書するのは、人間としての楽しみであり、救いでもある。それのみならず、私のように、SNSにはまるのも、例外ではあるのだが。それは、人それぞれの、人間としての、フリーダム(積極性自己知性の選択活動)の表れでもある。
 それを認めず、長期間業務停止して、現実との折り合いを欠落しながら、自己の職責に、努力と改善を怠る行政職は、何度もいう、引退しろ。それこそ真正のバカだ。

 もともと、周南市の図書館は、吹き溜まりである。私のような無能な者がいうのも僭越(?)ではあるのだが、一般行政職で通用しなかった職員や、産休職員の配属が極めて多かった。定数減や、自己によって強いられたストレス、無能で悪辣な市長や上司に追い詰められた職員たちは、病気になれば、図書館行きの、モラトリアムルートがあった。甘い話ではあるが。
 みんな、喜んで、図書館に配属になった。せめて、楽ができると思ったのだ。
 図書館勤務の実務は、結構重労働らしいが、フルタイムの仕事とすれば、最良であるかも知れない。
 さすがに、私は申告しなかったが(すればよかった。私なりに戦い方があったかもしれない。)、人事課に対する自己申告に、出世(?)は外れても、「図書館に行きてえ」と書いた、男どもも多かった筈である。
 しかし、現在は、図書館の多くの事務は、会計年度職員に担われている。身分の不安定な彼らに、図書館業務の政策決定権には、容喙できないのだろうな、とは思う。

 私の居住する、下松市の、図書館長と話をしてみると、彼女たちは、行政職との人事交流はないのだといっていた。
 司書専業としては、いいことだと思うけど、行政職との人事交流がないと、図書館業務は、偏波とか、近視眼にならないのかな、と思ったことを話した。彼女は、いまいち、ピンとこないようだった。だって、ただの、市民が思うことを言うだけだもの。
 おそらく、彼女は、現在の図書館サービスの質を考慮すれば、行政職員としても優秀な人なのだと思う。しかし、私は、そんな優秀な人が、図書館長として、何代も続くとは思えないのだ。そんな準備は、あらかじめ、しておくべきであろうにと、ジジイは思うのだが。
 下松図書館には、色々、恩義を感じることがあり、実は、応分の喜捨をした。
 それを相談した時、妻は、なぜか怒ったが、知ったことじゃない。私は、妻に、夫として、家族として、すべきことはしたのであるから、残年数は、私の理念によって行動したい。

 しかし、私は、周南市立図書館にそんな思い入れはできないし、義理もない。本音とすればとても残念である。ウソではない。

 再度、閑話休題、その後、私には、女と男の差異とは、コロナの問題一つを取り上げても、まったく考えが違うのではないか、と思われはじめた。

 さる集会で、皆が並ぶ会場の前で、マイクを取り上げ話そうとしたら、遣りてババアに、まずマイクを消毒しろといわれた。こちらは、ある決意性をもって話す予定であり、場慣れもしていないので、完全に、逆上してしまった。
 その後「コロナ時代にそんな配慮もせずに人前で話すのは不見識だ」とまで、追い打ちをかけられた。
 私も、さすがに、衆人の前で、「くそババア、覚えていろよ」と、尻をまくることもできず、竜頭蛇尾の結果になってしまった。
敵を作っていた覚えはなかったが、どうも、裏うちでは皆、私に同情してくれたような塩梅だったらしい。しかし、コロナの威勢のもとに、皆、間違ってもそんなことは言わないが。
 彼女は、間違いなく、ここに参集している、大多数おばはんの、共通感情を掬い上げていたのだ。

 その後、私は、しばらく、憤懣やるかたない様態であったが、これは、似ている、図書館の彼女の思考及び言動がそっくりだ、と思いいたった。
 まさしく、男の倫理性と、女の倫理性の壁と差である。
 男は、自己の社会生活で、仕事を通じ、自分の経験と判断をもとに、最善の自己の倫理を通そうとする。それによって、自己が、多少被害を被っても、それはやむを得ないと思う。
 理は理で通すべきと考えるからである。

 女の本質は、畏友、Hさんに言わせれば、自己に対する生涯を賭けたナルシシズム(自己愛)だという。確かにそれはそうだと思う。
 この場合に則していえば、彼女たちは、コロナの影響で、まず自分の容貌、健康が第一で、自己が損壊(?)するのがまったく嫌なのだ。

 私は、還暦を過ぎ、年金受給者になれたので、自分が早く死ぬのは、運が悪いなと、思おうとしている。デブは、事情により止まったので幸せ(?)だが、ハゲは相変わらず、進行している。
 頬は垂れ下がるし、加齢の衰えで、相変わらず、貧相で、しお垂れた人性ではある。

 しかし、じゃあ、君たちはどうなのかと問う。長生きしてどうするの、そんなに自分が大事なのか、それこそ、傍目八目では、嫁かずか、離別か長期別居かは知らないが、君たちに、先行き、そんないい人性が続くとは、思えないがなあ、と茶々を入れたくなる。王子様に、死ぬまでお目に係れまい。
 そうだよ、君たちもきっちり衰えているよ、そこは、男であって敏感ではある。

 私も、さすがに近代人の自由の運用原理、「自由の相互承認」は、そうだろうと認めるので、君たちの人性の自己決定権の自由は尊重するが。
 それは、とても、あさましく、醜いという思いはするが。

 実は、うちの妻は女である(笑い)。
 男であれば困るが(更年期を迎え女になりつつある過程であるとは言え、私であれば、男同士で、がち、戦うかもしれない。)、前述した彼女たちとは違うとはいいたいが、しかし、違わない部分もある。
 周囲に対する「関係意識」が、私とは、ほぼ違う。
 私が、「仕事で病気になったらしょうがないじゃないの」といっても、即答はしない。孫や娘に、コロナが移ったらどうするの、といいたいらしい。どうも、無法者に直答しても、仕方がないと思っているらしい。
 彼女の論理は決まっている、再任用の職員なら、危険を回避すべきということである。

 そこは、彼女たちと、似通っている、まず、自分の存在と、自分の家族を、至上のものと、無限肯定する。それが大事なのだ。

 私とて、私の通院を契機に、孫どもが、ウイルスなどの空気感染を媒介にする病気になるのは望まない、彼らの親の判断で会えないのは仕方がない、と思っている。
 しかし、私は、まず、自己の成すべき仕事と責任を果たし、そのうえで、身内をかわいがりたいと思っている。
 その仕事が、身内への情と相克するなら、彼らに会わずとも、黙って、死んでいこうと思う。もし、巻き込むことがあれば申し訳ないが、そこは反社会的人格であるよりましでしょうと、自己弁護する。
 自己の成すべき仕事の責務と、家族との情愛が、どっちもできるという選択はある。それも、知恵ある男の仕事である。

 一般的に、男の優れた対立者である女性は、家族の将来にとって、それなりに、ありがたいものである、といいたい。
 しかし、灰になるまで、女性は、自らの帰属(自己愛の実現)の危機に敏感である。
 マイクを拭き、マスクをあて、検温して、それで、カタルシスが免れると思っている。
あの二人の背後には、「イワシの頭も信心から」、という、ババアどもの女性独特の信仰がある。自己利害のためには、命がけなのである。
 彼女たちに、過去の、インフルの致死率を説いても理解しない、できない。

 せめて、そのためには、加齢を取りやめ、持病を持つなよ、というしかない。
 無理なのだ。施設で、囲われない限りは、自分で家のそとへ出るのを控えるしかない。
 しかし、皆が外に出ることをやめられるのか。無理である。それは理屈ではないのだ、自己以上に、他人に強要しても、バカな話だ、ということを頑として認めない。
 太宰治のいうところの、百姓のクソ意地というやつである。

 ここからちょっと違うが、一部の自己愛だけの男どもを除き、多くの男は違う、身を盾に、危険を測りつつ、長年、社会で直接敵と競争、張り合ったのだから、それなりの知恵はある。
 皆、「しかたなかろ」と思っている。「私の方が先に死ぬから」と、妻に、とっくに主導権を渡している。
 先の例でも、多くの女性は、それを当然と思っているらしい。

 いずれにせよ、コロナ以降、個人主義が徹底し、ニヒリズムも横行し、みんな他人の境遇や不幸に冷淡で、思いやりと察しの文化も希薄になった、憂うべき事態である。
 ニヒリズムや、自暴自棄が日常となれば、他人を巻き添えに、死んでやる、という人間も出て来る。
 もっと、ひどい奴は、自分の感情で、他人に死ねと、言うだけならいいが、実行する。
 それらは、反社会的な性情、過度の攻撃性を持つ男がほとんどだろうが、貧すれば鈍すかもしれないが、本当は、それはわからない。
 せめて、制度の方から、彼らの数を増やさない、社会的弱者の国民を守る、セフティネットを構築すべきだある。
 ほら、男って、こんなもんだよ。

 私が、今、何より深刻と思うのは、下層サービス業に従事する、女性労働者が、失職、ただでさえ、安い賃金すらなしに、デフレによって、そして到来する、悪質インフレの中に放り出されていることだ。
 コロナ失職の中で、賃金や待遇に劣った、弱いひとり親家庭はさらに重責がます。どう生きていけばわからない、という状況になる。自殺者も出る(注意深く見ていると思うが、被庇護者を含めた巻き添え自殺もあるのだろうか)。
 昔読んだ、網野義彦の「中世の星の下に」などを読むと、中世ヨーロッパで、社会の最後の下支えをした人間は誰なのか、という話があり、それが、父親知らずのこどもを持った、最下層の女性だった、という記述があった。
 ヨーロッパの父権制(キリスト教)に支配された時代は、本当に、差別と排除がきつかった。日本国など甘いものであったらしい。
 しかし、当時、最下層の女性が自殺まですることがあったとは、資料があったとしても、とても信じられない。
 おそらく、皆が貧しい社会だったから、まだ我慢できたのだ。

 現在では、所得格差の拡大と、下層労働者の困窮は、一義的に、コロナを理由に、経済政策を放棄している、政府にある。
 しかし、本当のところは、日本国政府は、日本国を、中共、アメリカなどのグローバリズム強者に売り渡すために、外人経済難民を導入し、中小企業をつぶし、大企業の力を弱めているようにおもわれる。
 セフティネットすら制約し、奈落を、そこを見続ける多くの国民の困窮を決して見ない。国内での、棄民政策なのだ。

 国内では、新自由主義の竹中平蔵に主導された効率主義が、社会的弱者を、さらに弱め、中間層を弱者に追い落とす。その中に苦闘するものは、疑心暗鬼になった、誰も、信用できないというのが、大多数国民大衆の本音だろう。

 妻にそんなことを説いても、政治的意見の表明は、うちではできない。
 彼女が許さないからだ。

 しかし、目の前に生じた不幸や、理不尽な扱いに、直接心を動かされるのは彼女の方ではある。
 私は、決して理念の奴隷ではない。
 不幸な人が決して立派でないことも知っている(学生時代の友人が「貧乏人は汚い」ことを忘れてはいけない、といっていたがそのとおりだと思う。)。
 しかし、想像力と、倫理性を失ったら、あるいは、他者の不幸を思いやる契機を失ったら、私たちには未来はない。
 それは、男として、言わせてもらう。

 しかし、倫理を直接に、語らない彼女が、当然、一定の限度のうちだが、彼女が親切で、他人に慕われるのはよくわかる。
 私に対し、「最初のあなたは、ほう、この人は」、と、皆に思われるのに、次からは、それっきりじゃないの、ということも、私は笑って、「そうだな」、と、答えられる。
 それはありがたいことだ。
 身内の批判者は、ありがたい慶すべき存在だ。

 しかしながら、男には(それは女にはでもいい。)すべき仕事がある、理不尽を憎み、不合理を指摘しそれを下支えする、批評と知恵と判断力を持ち、それを鍛えることを忘れないことだ。
 何度も言いたいが、私たちは、自己利害をひとまずおいてでも、不正を憎み、自己の社会的役割を果たす、倫理性を持つことだ、とおもう。

 具体的な話をしよう。
 私が、泊りがけの通院から帰ってきても、彼女は私に近寄らない、風呂に入れ、洗濯をしろ、と距離を取った、指示をする。
 一時、コロナ下のもとで、医療従事者の家族が、食事は別、なべ料理も禁止という、家族対応を聞いて、私は、当時憤激した。ほかに、家族として、違ったソフトランディングはなかったのかと思えたのだ。
 しかし、どうもこれが現在の社会が強いる、最良の規定路線なのだと、妻は思っている。
 自己利害しか思わない女性たちと、まったく同一ではないが、私たち以外の家族の利害には、常に、細心の反応するのが、彼女の冷静な正義なのだ。
 男も、女も、お互いの、いい部分も、悪い部分もある。
 我慢できることは我慢するし、我慢できないことは我慢しないこともある。
 それが、「更年期になると女は気が狂い、男は(少し賢くなって)女になる」というのが、今のところは、私の考えである。
 やんぬるかな、そう呟いて、また考える。




わが闘病記(広大附属病院に入院して)その2

2021-12-12 14:49:50 | 時事・風俗・情況

診療棟の屋上に、日本庭園が設置されていた。植え込みと、ハーブやつつじが植えられ、患者たちの憩いの場であったことは確かである。
雀がやってきたので、よく、えさをやっていた。庭園は、自省を強いる。しかし、決して、今世と隔離した場所でなく、時に、鳥の羽毛が散乱していた。ここは、修羅場でもあったのだ。雀を横目に、カラスも、パンを求め、屋上で待機していた。娑婆も、なかなか厳しいところである。
*********************************************************
どうも、皆、ありがちなことかもしれないが、私も、60歳を超え、生き急いでいるような、気持ちに襲われる。
精神的にも、「わかものたちの未来のために死ぬのは私たち老人たちの使命ではないのか」とか、思うようにもなった。
どうも、一昨年から、コロナ性のうつ病や、ひたすら、縮小、縮減するしかないような、社会の雰囲気にどうしてもなじめない時期だった。
止むを得ず、いろいろ、社会的なことにも、身内に係ることについても、私なりに、手じまいしつつあった。
私には、とても、西欧人の考える「死ぬ瞬間」(ロス)に当たっては、死に立ち向かうような葛藤も、勇気も、恐怖も、決意、ひいては絶対者との約束も、あまり必要も感じなかったわけである。
なぜなのかと考えた。

病院に居る時、いわばそこは常に「××病棟」である。
しかし、後述するが、無益にあがいたり、病に取り乱す人はほとんどいなかった。
みな、穏やかに、自分の、避けがたい運命と、死の理不尽さに対峙し、静かに、こらえているように思えた。
終いには、これは、どうも、自らの死に対する、日本人の向き合い方の特性ではないのか、とも思えたのだ。
それを、翻って私に適用してみれば、最初は、当面、悪いところは治療するしかない、という、とても、消極的な考えだった。
戦うというような立派なことでなく、それは、きついことかも知れないが耐えるしかないと思っていたわけである。

最初に、病院で会ったのは、外来の担当医だった。青年の面影を残すような、まだ、若い先生だが、彼が、主治医であるという。
昔聞いていたように、今の若い医者は、「患者とまともに世間話すらできない」というのはどうも間違いだった。実は、もう少し年長で、そして頑迷そうな先生も同様に見た。

与えられた検査数値をもとに、様々な推理を行い、事実判断に思いを巡らす。今までの彼の経験から得た直観は当然のことだ。
こちらに対し、質問の機会は与えるし、医者の常識として、おかしいということ、素人の覚束なさ、言外の質問には、はきちんと説明する。
今まで、私は、医者の仕事は、開業医は、システム端末と会話するものだと思っていた、こちらを振りむきもせず、端末システムでマニュアルを作リあげるあれである。
 妻子に、言わせれば、医者が主治医になるためには、その前に、相当の努力と選別があるという。
 彼は、うちの息子とほぼ同年に思え、彼の、受け答えや、冗談が、快ろよかった。
 結果として、8月末に、紹介状を持って通院し、そのまま即検査入院となった。
 うちの家族とすれば、妻は自分の事故以来運転できないし、それ以前から、パニック症候群などというものだった、らしい。娘は、孫の世話が忙しくて、おいそれとは動けない、結論はあらかじめ、でている。
 そのまま、丸二週間、検査入院をした。
 そのようにお願いして手配をしてもらったわけである。
 さすがに、自分で覚悟はしていたので、それなりの準備はしていたが、これだけ長期間にわたるとはわからなかった。
 私は、特に個室を希望しなかったし、コロナ下での、拠点病院は、さすがに病床が不足している。どうも、外来医と病棟との様々な駆け引きもあるらしい。
 通院検査すらあるという話であったが、他県であるという理由で、主治医が押し込んでくれた。病院内で、相互の人間関係も良好でないと、こんなこともできない。
 こちらの事情を忖度していただいたのはありがたいことである。

 とてもびっくりしたのは、私の微細な個人データが、押しなべて、スタッフに病院のワークステーションで共有してもらっていた、ということだ。
 病気で困窮した人間に対し、プライバシー侵害もくそもない、患者にとって何が苦痛かというと、自己の病状を最初から、人を替え、他人に、何度も説明することである。
 最初はやむを得ないと思っても、重なれば腹が立つ、俺のことなどひとごとだろう、と思うようになる。
 しかし、自分の受け答えの記録が残っているので、私たちも次の質問にも進むことができる。なんと、合理的で、優れたシステムか、私は褒めちぎった、ことがある。
 それを聞いた看護師も嫌な気持ちではなかった、と思う。
 朝一番に、ふとスタッフの詰め所を覗いてみると、フロアーの丸いテーブルにスタッフが集まり、患者の対応を協議している。患者ごとに、加療のチームがあるらしい。
 ほぼ、前日に、翌日の加療予定をプリントアウトして持ってくる、至れり尽くせりである。
 病院スタッフは、押しなべてPHS電話(ポケベル電動型なのだと思う。)を持ち、不明点のやり取りをしている。これは電力会社が運営主体だったと思うが、上手な使い方だと思う。
 医者と、看護師の意思疎通が、何と早い、そして、逆に、スタッフがなんとも忙しい。
 手のひらに文字を書いた看護師を何人も見た。
 しかし、スタッフがよいと、患者が甘える。
 結局、皆が皆、看護師とはなじめない、患者のわがままをひとくさり聞くのか、聞けないことは聞けないのか、看護婦(あえて言う。)には、臨機応変の対応と、とっさの判断力が要る。
 それこそ、「治療できない病気はあるかもしれないが、看護できない病人はいない」(「看護のための精神医学」(中井久夫著)のだ。やはり、じじいを転がし、なだめるのは、女性に限る。
 私は、男の看護師が必要ないとなど、不見識なことは言わない。そこは相身互いで、それぞれの性別を超えた、入り混じった中でのチームワークがあると思う。
 しかし、実は、患者に甘いのは、男の看護師だ。彼らは、理不尽なことも、患者のわがままであろうと、ほぼ、断らない。ただ「優しい」だけなら、男の看護師は、はるかに優しい。
 彼らが、秘書のように、個人的な用を承ったり、歩ける患者に歩かせないことを何度も見た、聖人のようなものである。
 しかしながら、例えば私が望むように、言うべきことはいい、そちらのすべきことはしてくれという、看護師だっている。職業人として自立を求める、匙加減なのだ。お互いに自立している、そう望む方が、理想である。
 後から聞いたが、私のいた病棟は、フロアーで40床くらい患者がおり、それを20人の看護師で賄うのだそうだ。
 他の階層との、看護の交流はないという。
 おそらく、彼らの仕事はいっぱいいっぱいで、専門性が外れると、看護の統制がとれなくなるのだ。
 うちの妻に言わせると、職場が変わらないのなら、気楽でいいじゃない、という。
 しかし、人事異動がない職場はない、それこそ、何かの装置がある。そう思える、常に、緊張した職場であるのだから。

 私のフロアーは、東2F(東病棟二階)といい、消化器内科、口腔内科の患者さんばかりだった。
 シフトは、朝勤、夕勤、夜勤と三つのシフトである。
 おおむね、全部、システムで引継ぎを済ませる。間違いが少ない。

 看護師にもいろいろなタイプがある。
 この人は・・・、と思うこともあった。
 しかし、理詰めを理詰めだけを見せないで、人情で言葉を尽くし、かわすような上手な看護師は多かった。それこそ、コミュ力がないとやっていけない。
 資質なのか、職務を通じて得た、スキルなのか、それは見事なものだった。
 患者と、過度に親しくなっても、過度に冷たくなってもいけない。やはり、要は、さじ加減、それは、プロとして、人間として、患者と統一システムに対する、誠実さと信頼にあるのだと思う。
 そのあたりは、職業人としての私の経験と、累積ででも理解はできる。
 私は、私自身の理性と、経験を通じて、市民と対等であることを望み、仕事をやりぬいたのである。
 いずれにせよ、病棟が主に女性によって運営されている、ことは、日本国での、誇るべき達成であると思えた。
 こんな監護は、おそらく、西欧圏では無理である。やはり、思いやりと察しの文化は、そして、それを良かれと、今も、つなげていけるのは、日本国の独自である。

 コロナ以来、ある彼女は、近いけど、実家にも帰っていない、といっていた。
 さすがに、彼女たちがどんな家庭を営んでいるかは聞きそびれたが、コロナ下の非日常のような日常で、いつぞやのように、学校や保育園で、彼女たちの居場所がないのなら、あんまりな話と思えた。
 私たちも、コロナで、院内散髪などの利用ができなくなった。
 彼女たちにめったにない時間があるとき、看護婦が髪を洗ってくれた。あれは、男では無理だ。
 あれはうれしかった。普段口にしないこともつい、しゃべってしまう。あれは、チップでもあげてもいいのじゃないかとおもった。
 自宅のケアがない私は、郵便のことで個人的に助けてもらうので、菓子を買ったが、婦長さんに断られた。
 人には、仕事がらみであっても、ちゃんとお礼がしたいときもある。汲んでくれてもいいように思った。恩着せがましいことに付け込むなど、患者には毛頭ないのだから。
 それが、私の個人的な意見であることは当然であり、反論があることも当然であるが。

 そういえば、ひとたび退院した時に、近藤誠先生のコロナワクチンを扱った本を読んだが、ワクチン接種の最初の犠牲者は、九州の病院勤務の、彼女たち(女性)であったから、皆、嫌がりながら、関係の絶対性(社会的関係の被拘束性)で強要され、ワクチン接種後、副作用(決して副反応ではない。)によって、自分のアパートでそのまま、孤独死した看護婦もいた。
 わが娘のことなら、私は決して許せない。
 まだ結婚前で、ようやく社会人として、周囲に頼られ始め、責任を果たせる大人になって、あまりにも短く、さみしい死ではないのか。
 それ以降、ワクチン接種による悲しい結果をいくつもみた。
 皆、社会によって強いられた死である。ワクチン接種について、自己判断・選択のチャンスも利用できず、理不尽な死としか、言い様がない。

 ここの病院で、私の見聞した範囲では、内科医たちは、それほど、コロナに執着しなかった。
 看護師たちも同様で、きっちり病棟で、区切っている環境で働いている。
 そんな怪しげなものにかかずらっている暇はないのだ。
 徹底した、分業体制というのは、こういう職場をいうのだろう。
 他人の仕事をまず信頼し、できないなら、フィードバックし、まず仲間うちで協議する。そのうえで、法を超えるものは、医者に速やかに相談する。
 それこそ、リスク排除に努める努力だ。
 また、医者は医者で忙しい、勤務医が、9時、10時になって病棟に顔を出すことも珍しくない、私は、早寝、早起きが骨身に染み付き、9時前に、寝ることもある。彼に会いそびれたことが、幾度もあったかも知れない。
 ただ、彼らと、看護師の連携と良好な協力体制は、患者たちに力を与える。
 患者として、当事者として、病状が悪いなりにも、自分でどうにかしようと思うわけである。

 しかし、病状からいうと、最初の検査入院は最悪だった。
 内視鏡、カメラも何度も飲みこみ、120時間絶食(きちんと数えたぞ。)ということもあった。
 施術の前の、経口の麻酔薬で嘔吐がつき、だんだん、飲めなくなった。
 その後になって、検査の回数が減ったのがとてもうれしかった。皆、合理的に考えられた、織り込み済みのことなのだろう。
 内科医師が立ち会うが、医療過誤の防止のためなのか、室中に、緊張感がただよう。これが、彼らの社会的な使命である。彼らを職業人としてなさしめている、社会に誇る尊い仕事なのだろう。
 それを考えれば、私も、この年まで、自分が果たしてきた仕事に自負心と誇りを持てた。
 苦しいながらも、前途ある若者たちの働き場を観れるのも、非常にうれしかった。

 内臓内に、腸管拡大の人工物も入れた。施術は麻酔なので、痛くはなかったが、それから、調子がよくなり、鼻から、チューブを出すことにも耐えられた。
 その術式が、一回でどうにかなったのは、私にとって僥倖である。何度もは、なかなか耐えきれない。

 私より数代前の患者さんは、もっと、つらい覚悟で、施術に臨んだのだろう。
 粛々と行われる、その辛抱と、自制心に頭が下がる思いである。

 病棟の話に戻ろう。私は、四人部屋に居た。きちんと、レール付きのカーテンに仕切られた、割と広いスペースである。私は、別途の位置は選べないのだと思っていた。
 また、窓際がいいとか言い出したら切りがない。
 まともな患者として、できる限り、病院の看護体制に適合しようと思ったのだ。

 ある時、デイルームという、患者の昼間のユーティリティスペースで異様なものを観た。
 老人が、家族を相手に泣いているのだ。悲しい、悲しい、と何度もいう。もうすぐ、私は死ぬ、そればかりを繰り返す。家族は、どうも、彼の財産の話でもあるのか、機嫌を損なわないように、おとなしく聞いている。
 変わった人もいるものだと思った。
 しかし、見聞きしているこちらもやりきれない。
 あんたは冷たいから、と妻が言う。
 確かに、私は、同情心は薄い。特に、親父に。
 心ある女性を見なわらなくてはならない。
 よくしたもので、私の周囲には、少々は弱みを許してくれる女性も多い。
 それ以外は、事情が許せば、関係を断つが、具体的には、藤井律子氏、立憲民主の女どもなどである。脳のねじが緩んだ立憲民主の男どもも同様である(笑いを取りたい。)。

 しかし、ここにいる人たちは、皆、自分の運命と、いわば不運と、そして避けがたい死と向き合っている。
 私の隣のベットの人は、化学療法と、放射線治療を同時にこなしている。
 まだ、若い人だ。家でも、仕事でも、心配の種はいくらもあるだろう。
 しかし、何を飲んでも、何を食べても塩っ辛いだけという、唯一、インシュアリキッドという、経口の栄養剤だけは飲めるという。しかし、味はしない。
 おまけに放射線治療の副作用からか、口肺炎で皮がむけ、カンジタ菌の感染もあるという、隣のベットで、そんな話が問わず語りで聞こえてくる。
「食えるわけないだろう」、と、彼は、決して暴言も、弱音も吐かなかった。
 同じ病室で、過度に親しくすることも、過度に冷たくすることも私は避ける。
 同情心が薄いから、人の運命に無造作に入りこむことはさけている。

 だから、若いうちからそんな病状に耐えている人に対しても、爺さん、それはないでしょ、と思ったわけである。

 九月の検査入院で、病状報告と、治療方針が決まり、10月から、治療入院となった。
 今回は、さすがに、前の患者と同室ではなかった。
 私は、彼の運命がよい方に転ぶことを望んでいる。

 隣は、因島から来たという、高齢者がいた。
 礼儀正しい人で、場合によっては、向こうから、話しかけてくるようなタイプの人だった。私は、あいさつと、目礼だけでとどめた。
 彼も、化学療法と、放射線治療を同時にやっていた。
 前室の人の体験から考え、彼の苦しい病状は理解できた。
 彼がどのようにこらえているかも理解できる。

 そこへ、今度は、あの不満じじいが入ってきたのである。
 あれから、ここで、化学療法を繰り返していたらしい。
 当然、家族は入りびたる。
 一日、ため息をつきながら、何かぶつぶつ言っている。
 テレビカードを買ってきて欲しい、水を買ってきて欲しい、さすがに看護婦も、二回に一回は断るようになった。しかし、看護師は、聖人である。皆、かなえるし、頼まれずに、秘書のようにふるまうこともある。
 患者でも、男は男、皆、嫉妬深い、私の隣の心がけのいい老人も、同室の他人がかまわれると、嫉妬が我慢できなくなるらしい。
 しきりに、看護婦に話しかけ、彼女の関心を引こうとする。
 どうも、家ではとりあってもらえないのか(うちも同様だが)、病院では、若いおねえちゃんに、かまってもらえるのか、極端に態度が変わる患者もいる。
 男も、死ぬまですけべーである。吉本隆明が、じじいに、二回に一回は触らせてもいいじゃないかと、何かに書いていたように思う。
 私に意見はない。
 世の中はそのようにできている。
 しかし、患者は、さすがに、自分の生命線であるところの、病状自慢はしない。

 そのうち、甘えた、不満じじいが、カルピスを飲んでもいいか、と、糖尿治療中にもかかわらず、言い出した。わしの冷蔵庫には、ナッツでもなんでもはいっていると。
 思わず笑ってしまった。声を立てずにだが。
 私は、自分に同情する人間は嫌いである、自分の感情を、推し通す人間も同様である。
 若い娘じゃあるまいし、看護婦にしかかまってもらえない、こんな薄いカーテンで、閉ざされた環境で何を言うのか。
 さすがに、嫌われているという意識があるのか、病室ではおとなしくしている。
 携帯を手に、不満の長話をするのは、明らかにルール違反であるが。

 ある時、こらえかねて、私たちは、秩序維持の入院の誓約書を書いているんじゃないのか、と看護婦に聞いてみた。彼女は善処を約束した。
 機会のある時に、部屋を変えるか、あなたが変わるかとまで言ったが、そんなことを私は言うのではないと、丁重にお断りした。
 それより、同室のものに対する説明が先じゃないかといった。
 それがきっかけで、この話は、婦長まで話が行ったらしい。患者の行為、現場のすり合わせは、どうも、フロアーの婦長が統制するらしい。
 私は、婦長に言ってくれなどとは一度も言っていない。
 折を見て、同室者に対する説明と、本人に対し注意してくれとだけ言った。私には遺恨もなくが、配慮をもって看護を受けたいだけだからと。

 そのうちいなくなってしまった。
 彼の家族は来ていたらしいので、どこかにいたのだろう。
 財産の話も多かったので、いろいろあったのだろう。
 さすがに大学病院であり、問題行動を起こす患者は少なかったのだろう。
 世の中には、何より自分が大事という人はいるものだと思った。

 「自分に同情するのは、下劣な人間のすることだ」、これは、自分の言動は自分の責任で請け負うという強い決意性の話だが、自分に同情する人はちゃんといる。
 これは、病院の院内図書館にあった、「ノルウェイの森」(村上春樹著)の、主人公の友人、俗人の◎◎君が、主人公に言うセリフである。
 俺は、現世的には俗人で、人格も行為も低劣かもしれないが、自分の行為と、言動に責任はとるぞ、という、彼なりの、決意性の表明である。
 今回、久しぶりに読もうと思ったが、今となれば、とても読めなかった、その前の短編集「蛍、納屋を焼く、その他の短編」の秀逸さを思い出せば、病人にはとても読めない。

 その当時、私にも、まだ、余力があったので、遺言状らしきものを書きつつ、どうにかして、リハビリの部屋に通わしてもらいたいと思った。
 なかなか、前例がなかったらしいが、結局、寛恕いただき、通えることとなった。
 私の部屋は、日も差さないので、終日、あの親父と過ごすのはストレスフルである。
 止むを得ず、毎日、あちらこちらに行っていた。

 トレーニングジムにおいて、私の活動と、指導は彼の裁量になるらしく、指導員の先生が、デイルームに探しに来てくれた。
 人の親切というものは、ありがたい、ものである。
 どのように病院で過ごせるかは、何より患者にとって大きな問題である。
 例のQOL(生活の質)の問題である。
 どうも、それは、周囲に働きかけ、自分で獲得していくしかない。

 とにかく、考えを前向きにしようと思った。
 私の残年数など、今さら、考えても詮のないものである。
 いざとなれば何もわからないし、約束もない。

 閉ざされた場所に閉じこもれば、人は内省を強いられる。
 そのうえ、ちょうど、その時、自民党の総裁選が行われつつあり、まことに興味深い時期だった。
 当時、厳しい政治的なかけひきの渦中にあった、高市早苗候補の決意性と孤独が、私にも十分理解出来たように思えた。
 何を隠そう、私の、第二の政治の季節である。

 実際のところ、活字、テレビメディアが、これだけ反動的で、大多数国民の利害に背をむけているとは思わなかった。

 その後、治療入院の結果がはかばかしくなく、10月下旬に、再度退院することとなった。
 自己の思うように自分の体の回復が追い付かず、覚束ないところである。

 その後、現在、定期的な通院で、病状回復を図ることとなっている。
 この運命は、仕方のないことである。
 しかしながら、今になって、自分自身の病気に、向かい合うことができたのは望外の幸せであった、と思っている。
 この先、どうなるのか、よくわからない。
 今後、私の、意識的な選択が、どのような形になるのか、今の常態では、不明だからである。
 ただ、現在、無意識に、自分ができる最良の選択をしているのではないかという、気持ちがある。
 自己決定権だけは、放棄したくない。
 まだまだ、これからさきのことである。
 私の、今後の社会との関係一つを考えても、これからのことである。

 最期まで、詮のない話となって、しまった。
 今は、これでいいのだと、思っている。



わが闘病記(広大附属病院に入院して)その1

2021-12-05 14:31:55 | 時事・風俗・情況



 萩市のシャッター商店街で見た、政治報告会のポスターである。
 奇しくも、本日、権力闘争で敗れ、衆議院選候補の立場を失った、二階の番頭といわれた、河村健夫議員の(お礼)演説会があるそうである。
 私が、広大附属病院に入院していたとき、自民党の総裁選挙が行われ、高市早苗候補の、見事な公約とスピーチは、国民にとって、パラダイムシフトといっていいものだと思った。要は、ファンになった。
 その反面、小泉進次郎の浅薄さと脱原発の考えの思慮のなさ、女性問題ばかり連呼する野田聖子のポピュリズム政治家ぶり、河野太郎の一族を挙げての中共癒着ぶり、が顕著だった。
 今回のゲストは、小泉進次郎と、野田聖子である。悪く言えば、負け犬連合の報告会である。
 写メールを取ろうとしたら、親父が嫌な顔をした。本当は、ポスタ掲示などしたくもなかったのかも知れない。
 河村議員は、地勢的に南鮮に近いので、どうも、日本政府に対し、フィクサー(口利きや)みたいなことを、していたらしい。
 後釜を奪い取った、林芳正は、日中友好議員連盟の会長だったので、新たな、フィクサーを中共は手に入れた、という人もいた。
 田舎なれども、政治の早瀬に竿を差す人は多いことである。
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私は、大げさにいうと、天地開闢以来(?)、人間ドックなど受けたこともなかった。
うちの妻も医療従事者であったが、しかし、特に、私の健康に留意をしなかった。
それは、今思っても、ありがたいことであった、と思っている。
彼女には、どこかで聞いたように、「人間ドックを受けなければ、家庭と、世界の終わりである。」((本音)まず、闘病生活、ひいては遺族の私が困る。)というような、凡庸な発想はなかったのだ。これは、よそ事ながら、嫌な話だが。ナイーブな人は、考えない方がよいが。
 同時に、彼女には、無関心と、亭主など、イザというときに、あてになるものかという覚悟も、あったかもしれないが、妻の考えることもよくはわからない。
 要は、今までは、お互いに、普通に持病もなく、余力があり、若ければ、そんなものを受ける、必要はなかったのである。
 私の友人たちには、「健康を目指す不健康」という、宿あの人も少なかった。
 いわば病が本質の人も少なかったし、同調圧力、家族圧力で、いやいやでも、健康診断を受ける人は少なかった(いたかも知れないが、あまり聞かなかった。)。それなりに、強いられた「愛妻家」(皮肉です。)はいたかもしれない。

 何を思ったか、私は、定年退職年度時に、試しに健康診断を受けることにした。どうも、好奇心からである。
 いつものことながら、とめどもつかぬほどの腹囲と、血糖値がある程度高いのと、血圧がある程度高いのが指摘された(私よりデブはいくらでもいるじやないかという根拠のない自負のもとで検診を受けた。)。
 すなわち、かねてからの常態であり、それぐらいの医者の警告などでは、むろん、耳に入らない。

 しかし、近年、どうも、気になりだした。それは、気の病でもある。
 その後、二年続けた、人間ドックで、とある総合病院で、とうとう、私の疑わしい病気を見つけていただいた。
 急に電話がかかってきて、これは、常人から見て、明らかに異常数値であるという。
 おそらく、老練な内科の担当医には、病状からくる病名はわかっていたと思われたが、一時検査を経て、さらに高位(スタッフ・施設が充実している)の総合病院を紹介していただいたわけである。
 妻に言わせれば、あの程度の、診察で、そんな病気を見つけてもらえるのは、とても優秀な先生であるという。
 私に対する説明も丁寧であり、その事実らしきものは、私にもよく理解できた。

 ということで、結果として、隣県の広島大学付属病院に検査入院することになった。
 詮のない話になるので、病名は書かない。

 何度も繰り返すが、私は、定年後、契約社員になった4年目くらいから、血糖値が上がりはじめ、数値から言えば、立派な糖尿病ということとなったが、まったく元気であり、病気一つしたことがなかった。
 しかし、よくしたもので、年金受給年齢に達すれば、こちらもがたが来てしまうのだろう。世の中は、そのようにできているであろうと、漠然と思っていた。
 いつまで掛けるのだろうとうんざりしつつ、長年掛けた年金のもとを受け取ろうとする(笑い)ことは、なかなか、困難なことなのだ。
 私たちの人性とはよくできている、と思わず笑ってしまう。
 誰もが、自分に対し、いずれ、つけを払わなくてはならないのだ。

 そういえば、私と同年のうちの妻は、今年2月、買い物に行った際、駐車場から縁設した深い雨水側溝への転落事故となり、大変なことになった(決して私が手を下していない。近年、お互いに、いくら加齢により気持ちがささくれだしたとしても。)。
 救急車を要請し、同時に消防車も早くは来たが、コロナ騒動のもとで受け入れ病院が決まるまで、大変だった。30分くらい待った。彼らの対応が親切なので我慢できる。しかし、重篤な患者なら死んでしまうかもしれない。
 なぜ、あの時、せめて、妻に手を伸ばしてやれなかったかと、こちらの思いは千々に乱れる。
 私は、動転しつつも妙に冷静で、こんな折、事件性があれば、警察通報もあるのではないかと思ったが、それは免れた。
 事故の現場で、そんなことを考える私も、随分な人間である。

 ようやく、搬入された、受け入れ先の小郡JA病院(その後、私は農協をメインバンクにする。)で、外科の看護婦さんの、果断な判断と、迅速な処置・手配が行われた。
 内線携帯をヒップポケットにはさみ活動しやすくし、彼女の群青の病衣とズボン姿にあいまって、とても頼もしく、印象的で、職業人として以上に、美しかった。
 この時、施術してもらった、外科の体育会系のごつい担当医師を含め、専門家の、頼もしさのほどを、私は忘れない。
 頭と脊椎・腰に損傷を負った、彼女の様子は、大変だったが、その後の入院以来接面もできないこちらとしても、どうしようもない、ひとまず、頭部などの当面の治療が終わった。
 次に、腰は、分厚い保護ベルト作成・設置である。

 今思っても、本当に、こちとらも、寝耳にミミズ(「水」とどっちがいいですか?)のような、状態で、あった。
 そういえば、雨水側溝の中に水が流れていて、頭を持ち上げなければ、ガブガブ水を飲んでしまう。意識があるのを確認する。雨水専用で、きれいなだけでまだよかった。
 私も、細部まで、あまり、よく覚えておらず、あとで薄情といわれても、動転の後である。
 しかし、彼女が、落下した、深い雨水側溝に落ちたのは、彼女がハッチバックの裏ドアをあけて、荷物を入れようとして、ドアにあおられたからである。
 狼狽・混乱した私は、転落した際に、妻が、溝に落としたいちごパックを拾ったのを覚えている、バカな話である。

 その日、救急病院から帰ったあと、それ以降、一人で居るので、ひとまず、一人で生きることを考えた。仕事は続けていたが、時間はいくらでもある。
 今までの、経緯と理由があって、男料理くらいは、私にもできる。
 しかし、助力が欲しい親族からは、頼りがいのない、男存在の私のことを、役に立たないと、嫌がられるだろうなと思ったわけである。
 祖母に死に別れた、祖父の厳しい日常を思い出した。
 そのうち、病状が落ち着くと、「俺でなくてよかった」と思った。若い時なら、無条件で「俺が替わってやりたい」と思っただろうが。それも、後知恵で運がよかったからである。
 これは、男友達には受けたが、女性からは、ひんしゅくを買った。
 性差というものである。それには、いいことも、悪いこともある。しかし、彼女たちに、継続して、無垢の同情性、無償のやさしさがあるとも思わない。これ以上いうと、また、嫌われるので、言わないが。
 しかし、私のような偏屈な男にでも、同情してくれることはうれしいのも確かである、それが女性という存在の本質性と良さでもある。
 それが欠落した、そんなかわいそうな人を私は女性と呼ばない。
 いかな腐った男でも、面倒を見てくれる女性はいるものである。その逆は知らない。
 こんなブログは、妻にはみせられない、たぶん見ないだろうが。

 それはそうとして、人性一寸先は闇である、と、同時によくわかった。
 後で、入院した病院で、彼女が仲良くなった看護婦さんたちが、現場(郊外スーパーの駐車場)を見に行って、「3メーター以上の高さじゃないの、よく助かったわねえ」と口をそろえて、感心したという。
 しかし、当該現場は、いまだに防護柵さえ設置されていない。人の命は、それほど高くないのである。構造的に安全策もないが、その場所に駐車したのが妻でもあり、戦う老年の私としても、そのうちに、抗議をする気持ちも失せてしまった。
 買い物難民で、買い物した他市の消防所であり、あれこれするうちに、しおを逃してしまい、お礼に行くのをがいけなくなった。

 彼女は、結局、三月間くらい入院し、終いのころにはもう出てくれといわれた。
 しかし、退院後から半年経った今でも、まだ、体調も万全でないといい、いまだに、それなりに、屈託のある、日常を過ごしている。
 「私は無理なことはしない」、といい、そのとおり、認め合わないと、お互いに不幸になる。
 妻を見るのは自分の鏡になる。
 お互いに、老いた。しかし、いまだに、腹の立つことはお互いにある。その問題点が、先鋭化したとでもいうべきかも知れない。
 やはり、理解はそれなりに深まる。

 好事魔あり、というのはよく言ったもので、実は、それ以前に、すでに、私が、病気になっていたのだ。
 「おごれる亭主は久しからず」、というやつである。
 よくしたもので、それがこのたび発覚したら、今度は、逆に、妻が妙に元気になる。
 そんなものである。

 引き続き、自分自身のことを思い起こせば、昨年の11月ころから、体重が減少し始め、ついには、20キロ近くやせた、私は、長年の節制のおかげで、20代の体重に戻った、青春の再来と喜んだが、そんな甘いことはなかった。
 ちょうど、悪化した時期が、コロナ非常事態宣言と重なっている。コロナ性うつ病と疑ったが、遠因はそんなものかもしれない。

 ということで、今年の8月、二度めの人間ドックを受けてから、私の身辺はバタバタし始めた。
同じく医療従事者の娘との、ワクチン接種に係る、お互いの信念対立の葛藤を経て、その葛藤が、娘の幼胎児期の思いまで出てくるので、何が虐待かバカなことと思うが、立場として、親としては非常にこたえるものである。
 おまけに、彼女の息子、孫の小学校の入学時まではせめて生きて欲しいという。
 親族間の「関係の絶対性」(彼女は私の社会的な認識とそれに基づく理性と判断を決して認めない。妻も同時に無言で後押しする。)との闘争ののち、私は、ついに節を屈し、事前のワクチン接種を経て、広大附属病院に入院した。

 私ごときが引き合いに出して恐縮だが、あの吉本隆明氏のように、娘に、してやられたわけである。長女の多子さんは、手のかかる両親を最後まで監護した、しっかりした、できた娘であるが、その後、お気の毒に、彼女にも難病を引き寄せたらしい。
 私の生涯で、一番良かったことは「子供を持てたこと」と吉本に言明させた人でもあったが、妹とは別の意味で、優れた賢い人であった(私より一歳年下のはずである。)。

しかしながら、今考えても、どう考えても、最初の病院の主治医の判断が、契機になり、私のその後の道筋を決めたとしか、言い様がない。
要は「あるものをないとは言えない」わけである。

「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ(徳山大学公立化という愚挙)その4

2021-10-31 14:43:19 | 時事・風俗・情況
ようやく、今になって、市政を私物化する、下衆な市長に対して、対抗勢力が出てきたらしい。
 それはそうだろう。形式的に、七月に、議会を開き、シャンシャン大会で終了し、来年の3月に、開学するというのだから、あまりにも、市民をバカにした話だ。
 市民不在の、利権市長は、泥臭かろうが、恥知らずだろうが、当面の自己の野望と自己と仲間の利害と、利権のためには、なんでもするのであろう。また、できる人なのだ。
 噂では、工事が間に合わないので、議決以前に、今年度の初めから、校舎工事に着手していたと聞いた。
 事実なら、議会もなめられたものだ。そうだろう、議会も、市政を私物化する共犯者であろうから。当然、調べていただきたい。
 こんな体たらくだから、市長追及どころか、先に、百条委員会を開いても、結果も出ない。
 とんだ、茶番と、卑劣な話に、コロナの追い風もあり、市民のみならず、元職員としても、とことん疲れた。
それが、下衆な、おばはんの狙いだろう。

 早く、リコールでも始めないと、周南市全体が、一部の利権屋に食い物にされますよ、というしかない。
 市政をただす、有志たちの、意義ある戦いにエールを送りたい。
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以下、周南市の将来のために、私の、意見を記す。
① びっくり仰天、市の売国暴挙
 周南市は、すでに、新南陽商工会議所の肝いり(謀略?)で、覇権国家中共の侵略先鋒のPAYPAY利用を、市の戦略として認めている。公金を扱う、南鮮主催のlineも同様である。
 PAYPAY利用の勧奨は、新南陽商工会議所に属する、有力化学企業の、親南鮮、中共政策の支援の表れであろうと私は思っている。
 在日韓国企業が主催する、PAYPAYを市の広報で宣伝する意味がどこにある。周南市にかかわりのある職員の一人として、恥ずかしいばかりである。
 市広報に、あれだけ大規模に乗せれば、周南市は、PAYPAYと公務に関して、業務提携を行うかのように印象を受け、周南市のために、市民は、PAYPAYに信をおき、加入するではないか。信用供与というものである。市民をバカにするな。
 なぜ、ポイントを掘り起こし、消費拡大を目指すなら、同時に、日本国のドコモポイントをも視野に入れない。ちゃんと、検討したのか。明らかに、機会均等と公平公正の原則に反する。
私は、売国企業は嫌いなので、PAYPAYには入らないが、日本国の、ドコモ、Dポイントカードには入っている。市も、消費・産業振興の業務提携をするなら、まず、国産企業をと、提案するべきだろう。
 このPAYPAYポイントをめぐり、私は、周南市生え抜きの医薬品雑貨屋チェーン、地場のスーパーチェーンなどで、何度もいやな思いをした。挙句の果てが、セブンのナナコカードでの、PAYPAY利用である。大変不快である。
PAYPAY主催の、日本国に法人税を払っていない、韓国系在日企業、すなわちソフトバンクだが、なぜ私たちは振り回されなくてはならない。なぜ、そんな企業を、新南陽商工会(有力会員は大企業「東ソー」と聞いた。)は支援する。
 明らかに、これは、市の商業行政の落ち度である。
 それより以前に、こんな特定企業と、支援協定を目指すなら、市議会の議決が必要ではないのか。売国、新南陽商工会議所の言うままになるのに、議決はとったのか。
 無考えに、個人情報の流出が取り沙汰される、lineの公金納入など認め、反国家団体と無自覚に、業務提携に手を染めていいのか。
 外国人の、公有地取得の無審査を含めて、周南市は、ガードが甘すぎる。
 バカなのは、政治家と、公務員だということになれば、恥ずかしくないのか(ここまでの経緯をみていればどうも恥ずかしくないのだろう。)。
 徳大の、根拠のない授業料免除の外国人優遇策と併せて、私は、大変恥ずかしい。
 恥ずかしい前に、「違法」であろう。
 先に提案したが、志ある、市議会議員は、その実態(まず外国人・外国系企業による周南市の土地取得)を調査したらどうか。特に瀬戸内海の離島・僻すう地は、住民の意向は別にして、すでに中共のえじきになっていると聞いた。
 正義の実現のために、調査する意味はあるのだ。そのための、権限ある行政機関として、議会はある。

 何度も言うが、デフレ、コロナのダブルパンチで、貧しい庶民は、少しでも節約になるのなら、と、企業も選べずに、ポイント取得・購入に走る。
 それは、仕方のないことだ。
 貧民にとって選択の余地はないからだ。
 それこそ、ユニクロが中共支配下のウイグルで奴隷労働によってつくられた、衣料を売っているといわれても、買うなといっても、貧民は、安い衣料を買う(ユニクロが安価かどうかは疑わしいが。)。
 ユニクロは、中共覇権国家に加担したため、人権に厳しい米欧圏で干されたが、アシックス、パナソニックも同様である。日本国の、知的財産を、覇権国家に差し出して、自企業を貢ぎ物にして、売国、国民に背信する行為に加担してそれでいいのか。
 ユニクロは、さすがにまずいと思ったか、柳井会長が、奴隷労働に組することはしない、と言明した。しかし、その後、アシックスも、パナソニックもそんな宣言をしていない。
 どうも、疑わしい、東ソーも、そうでないなら、ウイグルジェノサイドを行う中共に加担しないと宣言すればいいではないか。
 そんな、国境を超え、他国の厳しい、貧しい状況に付け込むのが、グローバリズムであり、巧妙にそれと結託した、中共覇権国家である。
 何度もいうが、PAYPAYは、加入者の個人情報流出など、すでに多くの問題を起こしている。
 どうも、中共の、日本進出の先兵なのだ。
 それぐらいは、為政者として、いくら地方の政治家としても、承知おかなくてはならない。
 何度も書いたが、サイレント・インベージョン(中共による静かな侵略)は、日本国で猛威を振るっているのだ。

 まず、日本国で狙われたのは、ガードの甘い北海道だった。

 しかし、それこそ、そんな他国侵略の先兵となるような企業を、市に導入しようとする、新南陽商工会議所というのはどのような団体なのだ。
 全国の市町の中で、愚かしくも、職員採用の国籍条項まで撤廃した、狂った自治体もあるそうだが、そんな、覇権国家、反日国家に擦り寄り、売国行為は間違ってもしないで欲しい。
 いくら何でも、住民(国民)の安心安全を踏みにじる、バカ市長、バカ議会だろうとしか、言いようがない。
 ここでも、市長がバカなら、市民をも含め、皆バカになる、としか言いようがない。
 おかげさまで、私も、守秘義務の枠が外れたので、真実を語れる。
 今となれば、市長は、大多数市民の立場に立たない下衆な人間です、と、大手を振って言えるのです。
 今までは、その事実が秘密なので、言えなかったのです(笑い。)。

 職員とすれば、それは、守秘義務以前に、まともな行政職として、きちんとわきまえておく問題です。
 幹部職員についても、こいつはバカ(そうでなければ腹グロか。)だな、と思っていたのが、このたびの騒動で、バカ(腹グロ)のうえに、下衆であることがわかったので、今後も、論評させていただく。

② 市町合併後の庁内の職員の気質に関連して(その退廃と危機について)
 これについては、今まで、言及した人はいないと思われるので、このたび言及する。
 忘れもしない。
 平成15年に、周南市合併が行われ、すでに20年近い時間が経った。
 試みに、それぞれの市町の職員の気質を月旦してみよう。
 徳山市職員、お人よしで鷹揚(おうよう)、新南陽市職員、アグレッシブで、はしっこい、熊毛町職員、田舎者で、そのくせ目先の利害にはさとい、こすっからいのである、鹿野町職員、田舎者であるが、人の良さがある、しかし、町部の悲しさで、合併しなかったならどうなったかの自らの現実が見えない。
 合併以来、それらが今までに、何度となく、悲喜劇を引き起こしたか。
 新南陽市は、市長が後退するたび、例のスポイルズ・システムで、まるきり幹部職員がいれ変わってしまう。政治闘争を選挙の度ごとに繰り返すのだ。したがって、親分、子分の結びつきが強い。
 全職員がそうであるとは私は言わない。もっと、広い視野で、自己利害以外の立場で自己の職責を果たそうとする人もいた。しかし、彼らは、生涯にわたり、傍流である。
 要は、狭い世界で、出世できない人間は無価値だったのだ。そうなれば、権力闘争と、足を引っ張りあい、他人を引き摺り落とすことに腐心する。

 一生、職場の人間関係は続くのだ。よどんだ水は腐るしかない。
 私は、もともと徳山市以外の他の市からの採用であり、出世したいと本気で考えたことはなかった。それこそ、正義を実現するつもりで、公務員になったわけであるから。昔の徳山市は、今も忘れられない、とても風通しの良い場所だった。
 徳山市以来の職員たちに聞いてみれば、徳山市は、周南市という共同幻想の、貢ぎ物になったと、市民にとっても、職員にとっても、何もよいことはなかった、この辺りは、口をそろえて主張する。安い合併の雰囲気の尻馬に乗った、徳山市が、とんだバカを見たのだ。
 軽挙盲動が、良い結果になることは決してない。この度の、徳大公立化は、さすがに、新南陽出身職員でも愚挙(何人かに直接聞いたが)と思うと、言う。

 新南陽市出身の幹部職員で、部下を殴る、ける、というとんでもない男がいた。
 お人好しで、ナイーブな徳山市職員は、上司(同僚)からの暴言も、直接暴力というような、仕打ちを受ける、そんな経験はみじんもない。
その後、その事件でいじめ抜かれ、例のPTSDで、退職してしまった。
「あの程度のことで、甘い男だな」と、新南陽の職員たちは思ったらしい。
 いなか者の、排他的で意地が悪い感覚は、なかなか、珍奇であり、慣れない。
 こちとら、皆お人よしとしても、いくら何でも、それは目に余る。

 初代、ポピュリズム市長の時代に、彼らは大活躍した。
 市長は、民間企業から、転身したりするなど、癖のある男であった。
 したがって、彼の好き嫌いで、裏表ある人間でも重用した。個人の、人物評価というものは、面白いものである。
 常に、体育会系の、男を、自分の前後に侍らせ、ボディガードのように扱っていた。バカな話である。
 その後、当該市長が落選した後、どうもたいした仕事もしなかった、次長待遇の2人を、次の市長は、降格させるかと思ったが、しなかった。
 いずれにせよ、絶対的に数が少ないはずの、新南陽職員は、市長を頼った。「市長のところで決めよう」が、定型句だった。自己愛と権力志向の強い市長は、さぞ、うれしかったのだろう。
 重ねて、バカな話だった。
 さすがに、その傍若無人さがばれたのか、彼の市政は、一期で、終わった。

 後日譚として、その延命した部下どもは、習い覚えた悪い癖があった。
 決裁にきた職員に、稟議書を放り出す、文字とおり、放り出すのだ。
 ポピュリズム市長に教わったらしい。気に食わないと、自分の気分で、持ちまわる職員の目の前で投げつけるのだ。そうして、稟議書を持ちまわる職員に拾わせる。
 まともな、社会人には、胸の悪い話である。
 それでも、この程度のパワハラでは、言われるように、民間企業目線では、程度が軽いのか?
 民間企業のオーナーは、もっと胸糞悪いことを常習にしているのか?

 私は、徳山市の職員時代から、徳義ある市長に仕えた。
 彼は、自治省上がりの元官僚だった。彼は、直属の、部長たちに対しては厳しかった。どうも、どの部長たちも市長室に入るのは、大きなプレッシャーだったらしい。
 しかし、平の職員に、そんな機嫌の悪さを、見せたことは一度もなかった。これは断言する。叱る人を選び、職員(同僚)のやる気を削がない、温厚で、礼儀正しい、筋目の通った人だった。
 私たちは、それが当たり前だと、思っていたのだ。
 市長は、引退後、請われて、児玉源太郎顕彰会の会長をされていた。周南市には、児玉神社があり、統治官時代の、児玉大将に私淑し、その恩義を忘れない、台湾の李登輝総統の顕彰碑がある。
 私も、早世しつつも、明治期(グローバリズム時代)の国難に、軍人として、合理的な思考と徳義で、国民のために活躍された、大きな意義を持つ郷土の偉人を尊敬している。
 当該小川市長は、敬愛される郷土の英雄に対し、岐山通りに、史跡整備をされた。
 その後、死亡時に、自己資産も寄付され、立派な仕事をされたと思う。
 尊敬される上司(同僚)、ロールモデルというものは、ちゃんとあるのだ。
 そんな市長を知らない、現在の職員は、お気の毒なことである。

 さて、自分の機嫌で、部下(決して部下ではない、同僚である。)に、稟議書を、目の前で、放り投げたり、粗暴な行為と、悪罵の言葉を吐いて、何の意味がある。
 部下(同僚)は、自己の感情の制御もできない人に、どんなに正しいことを言われても、それが、身につくのか、そんなことは決してない。
彼らは、ひたすら恐れ、忌避し、骨のある職員は、自己の仕事をおとしめる、権力者の驕慢さに怒り、覚えていろよ、という反感しか持つまい。
 初代ポピュリズム市長は、本当に、思い上がった、傲慢な男だった。自己の感情も抑えず、まともな背策どころか、職員の教育もできなかった、そのことだけで、大きな過失がある。
 こんな上司に、根本的に、指導者の資格はない、引き続き、バカな追随者を生む、その後も、腐った歴史を刻むばかりである。

 実務者としての行政職員を、理不尽に怒鳴りつけたといわれる、河野太郎もこんな男だったのかも知れない。十分にありうることである。

③ 管理職の偏重と職員の待遇の理不尽
 現在、市職員は、極めて厳しい、差別取り扱いを受けている。
 まず、再任用職員の取り扱いである。
 部長職で退任したものは、ほかの職種に対し、非常に優遇される。
 退職後も、課長待遇(年収700万程度)で、5年は在籍できるということである。
 次長職以下は、再任用となっても300万以下の一律待遇、一年契約である。
 優秀であるとかは何とかは、お角違いの話である。
 部長になって行政貢献をしたとしても、大した仕事を(労の少ない)仕事をするだけなのに、まことに、理不尽な扱いである。

 まえに、退職した建設部長が、再任用期間に、香港で客死したが、それまで技術職の、課長待遇雇用はなかった。それだけの労力をかける仕事はなかったからだ。
 しかし、実力者であった(人事課に顔が利いた。)ので、彼より以降の部長は押しなべて、課長待遇で雇用してもらえることとなった。バカな話である。その後、何人もの、名誉課長が居るのだ。
 もし、部長職に執着すると、言うべきことも言えない、嫌われたら、嫌がられたら、いくらも、その怯懦の言い訳ができる。その果てが、恥も知らない、底辺大学の公立化であったら、まことに、男として、みじめな話である。
 職員の理由なき差別待遇は、職員に絶望と、上司に対する迎合を招来する。
 要は、行政職として、退廃するのだ。

 それこそ、合併し、時が経るにつれ、管理職と一般職員の間が、どうしようもなくかい離してきたのを強く感じる。
 もともと、日本の社会は、個々の能力差があまり目立たない。
 これだけ、実務を担う、行政職員が減らされると、指導者たちは、余裕がないので、部下の職務を管掌し、理解していない。
 それは、知識ですら、ということである。したがって、いざという時には、最低自分の経験則で、問題処理を図るしかない。まことに、こわい話である。
 昔なら、就職してから、意識的に勉強して、自己の不勉強をばねに、世間知、世間常識から、先端知識まで、埋めていけば良かった。まだ、ゆとりがあったから。
 専門以外に、無知な人は多い、そうなれば、自己鍛錬と競合を怠れば、適格性を欠いた、管理職がいくらも出てきてしまう。
 そうなれば、少なくとも、幹部は、理想を目指すものとして、管理職登用試験をすべきである。
試験が無理なら、その代替として、管理職を目指す人は、公的な資格を取得する経路を昇進の資格にすべきである。
 そんな、努力を怠る人を、職員と別待遇に遇するべきでない。
 そもそも、部下(同僚)の不信感と不満を買う。そもそも、正義を実現するために、公務員になった人がいないわけではない。

 そうなれば、組織が腐るのだ。
 自分で意識的に勉強すれば、他者の努力を評価し、謙虚になれる。思いあがることも少ないかもしれない。
 部下も、少なくとも、その意欲、努力・成果には納得する。
 人事が自前で、試験ができないなら、当然のことであろう。
 せめて、行政書士でも、司法書士でも勉強して取ればいい。
 そんな努力すら怠る人間を管理職にするな、と言いたい。

 女性であるというだけで、登用するのは馬鹿げている。
 バカな流行で、女性管理職というものが増えた。
 無思考の、大衆迎合という奴だ。まったく、二代目、ポピュリズム、女市長の独壇場だ(初代も同様なことをやったが。性別で取り扱いを差別するのは、まったく、バカらしい。)。

 大変申し訳ないが、市職員でも、女性幹部職員は、職員として、能力が劣った人が多い。それは、彼女たちに、研鑽を積む仕事が配分されなかったのか、自分で研鑽をしなかったのか、それが事実なので仕方がない。

 仮に国政をみればよい、ろくな政策も語れない野田聖子氏に比べ、高市早苗氏が、政治家として優秀であるのは明らかである。もともと優秀な人なのだろうが、彼女が、懸命に自分のキャリアを磨き、政策通になったからだ。

 現在の慣例で、部長職の、再任用職員は、課長待遇となっている。
 それなりの合理的な理由がないのに、男女部長とも、退職後、ろくな実務も執行しないのに、課長職として採用するという、便宜供与する必要はないではないか。
 それなら、すっぱりきって、若い給与の安い、行政職を採用する方が、はるかに周南市のためになる。

 私が、若いころ、「私たちはチームである、上司、部下の差異はあるにせよ、組織として全員で職務を全うする責務とそして誇りがある」と、上司にいわれ、素直な私は、なるほどと思い、能力のない私は、それ以降、行政職として、表向き、自らの待遇と給与に文句を言ったことはない。
 それが、行政職として、まっとうな考え方というものだ。

 たまたま、私は、職員給与等を支払うセクションにいたことがあり、一般職員と、幹部職員の給与待遇の差のなさに驚いたことがある。かつての地方公共団体(ほぼ横並びです。)で、地方公務員に、幹部と一般職員に大きな給与の格差などということは、なかったところである(逆に、仕事中に  職員の組合にたむろする、不真面目なあの男になぜ給与を払う必要があろうか、と思ったことはある。)。

 地方公務員というものは、天下り先も少なく、給与も、待遇も極端な差はない。
 強いて言えば、退職後のポストの問題があるかも知れないが、いくつも、職を転々とできることは少ないものである。
 しかし、管理職としての能力を、望まれて、他の機関で発揮し、人材を育成するのは望ましいことである。

 上下の給与差の少なさを、そして、それを支えていたのは待遇にそれぞれ差が少なく、上と下との間に能力差が少ない、風通しの良い組織だった。いわば典型的な、かつての日本型社会だった。したがって、モラル(士気も倫理観もです。)も高く、人事で恵まれないとしても、優秀でまじめな職員も多かった。

 再度、重複で、論じるが、私の退職時前後から、自分能力に見合う(?) 働く場所の少なさにいらだったのか、人事に働きかけ、部長職の職員に対してだけ、再任用の職場で、課長待遇の給与を用意することとなった。
 まずは、再任用職員の取り扱いである。
 部長職で退任したものは、ほかの職種に対し、非常に優遇される。
 何度もいうが、退職後も、課長待遇(年収700万程度)で、5年は在籍できるということである(公明党の判断では下層労働者ということになるだろうが、貧しい地方公務員には魅力的であろう。)。
 部長より下の次長職以下は、再任用となっても300万以下の一律待遇、一年契約である。
 それは、優秀であるかどうかとかは、別の話である。
 部長になって行政貢献をしたとしても、現在は、大した仕事を(労の少ない)仕事をするだけなのに、まことに、理不尽な扱いである。
 まえに、退職した建設部長は、再任用期間に、香港で客死したが、実力者であった(人事課に顔が利いた。)ので、彼より以降の部長は押しなべて、課長待遇で雇用してもらえることとなった。
 バカな話です。
 なんの理由からなのか、市の人事担当幹部は、どうも、そのわがままを是認したわけです。
 強いて言えば、同じ部長なら、同じ待遇をせよ、ということでしょうか。
 人に言えないような、先例・慣例は作るなよ、ということです。
 しかし、同じ部長でも、副市長や、監査委員になる部長は、ちゃんといるのです。それは、仕方のないことです。せめて、能力を悪用して、悪いことはするなよというしかない。

 しかし、ほぼ、平職員と横並びで、同等・同質の仕事をするのに、退職後に既得権を行使するのは、それはないんじゃないのか、というのが、大多数一般職員の、偽らざる感想です。
 再任用職員に、難度の高い、建築審査の仕事をさせながら、その待遇は決して改めない、という例も知っています。
 この辺りは、会計年度職員(昔の臨時職員)が、人手の絶対的に足りない箇所で、安い給与で、仕事をさせることとよく似ています。
 なぜ、自前の職員による、人的な手当てをしない。

 対外的にも、よしんば、対内的にも、声の大きい人間の便宜は、はからない、のが、もともと、行政職の倫理コードであったはずです。
 これは、私たちのよりよき先輩の伝統と良識を、平然と、虚仮(こけ)にするような暴挙です。
 なぜ、幹部職員は、こんな誤った選択を選び、また同僚たちは是認するのであろうか?
 人間ひとたび退職して、再任用ともなれば、ただの職員市民です。いざとなれば、正職員に頤使(いし)される身分かも知れない。
 そのように気持ちをも切り替え、新任の行政マンとして先頭に立って働かなくては、何の意味もない、と思うわけです。

 当該部長の後任が、業者との不適切な関係で、訴追されたが、実のところ、部長の職を守るのは、大変なことなのでしょう(皮肉)。
 私は、銭金(ぜにかね)とか面子(めんつ)で仕事をしていなかったので、皆と同様に、平職員として窓口に出た。
 その際に、気持ちの良い技術職の課長がいて、彼は、あたらしい仕事をやってみたいと、退職後、希望して、公民館主事になった。彼には、給与、待遇はどうでもよいのだ。職員としての働き甲斐が欲しい。
 まことに、気持ちの良い男だった。
 部長職に執着すると、言うべきことも言えない、嫌われたら、嫌がられたら、いくらも、言い訳ができる。
 職員の理由なき差別待遇は、ついては、職員に絶望と、上司に対する迎合を招来する。
 要は、行政職として、退廃するのだ。

 私は、5年前に退職をし、再任用後、私は、希望して、自分の出発点の市民課の窓口において最前線で働きました。
 私が現職だった昭和50年代とくらべ、客層も変化し、やりにくいと思ったことは何度もあります。
 しかし、大筋のところで、市民は変わっていないと思われました。
 政府の無策により、デフレが継続し、長引く景気低迷の中で、あるいは、コロナ性の、ストレスフルな日常の中で、お役所に来て憤懣をぶつけたい、というような気持ちはよくわかります。
 しかし、あらゆる職業で等しいことですが、人はその職責を通じ、顧客や市民と、まず、一定の限度の中で、お互いにその良好な関係を維持し、結果を出すことが必要です。
 社会人としての評価や、ひいては人間としての評価はその地点にあり、社会存在として、相互にその役割りを高めあい、お互いに尊重することが尊いのは、確かなことです。

④ 職員採用に対しての三親等内の血族の人数制限

 田舎では、職員採用は、特別職、市長、議員などの草刈り場なのかもしれない(私は知らないが。)。
 ただ、どうも、都会では、親子・親族で、市(都・府)が同一市などで職員というような話は、びっくり話であるようだ。
 周南市は、誰の親族がどこで勤務しているとかは公開していない。
 しかし、こんな話は、次第次第に、職員間にもれるものである。

 職員が、就職し、自由恋愛(あるいは権謀術数)で、結婚して親族になるのは勝手である。
 聞くところによると、元町部の職員たちは、結婚するとどちらかが辞めなければならなかった、ということだ。それ以前に、他市などからの職員採用はしないという話もあった。
 さらに、勤務地以外の場所に住んではいけない、という内規(さすがに公にはできないだろう。)がある、というはなはだしいものもあったそうである。
 したがって、行政職の伴侶を求めるものは、他市町の職員を求めた、ということである。
 与太話はこれぐらいにしよう。

 しかし、親族が多く、行政職なりなんなり、同一職種にいるというのは、好ましくないことが多い。
 行政の、私物化につながりやすいし(法令による他の職の禁止規定はある。)、対世間の信用と信頼に対する疑義も生じる、それこそ本人の行政職としての意欲、何より私に思えるのは、親と同一の職場というのは、自己にとっていやではないのか。
 ともあれ、周南市には、親子二代の同一職種、行政職というケースがとても多い。
 それは、優秀な職員の確保という見地とは、矛盾しない。
 親はダメだったが、こどもは良かった、というケースはあるからであり、その逆のケースもある。
 しかし、これは機軸を持たなくてはならない。
 それが、市の直接利害に関することだからだ。
 現在まで、学科試験と、二度の面接で、優秀な職員がのこったはずである。
 仲間内の冗談で、無能な職員が一人であれば、運が悪いで済む、しかし親族で、二人いれば、市に損害を与える、と言っていた。それが世間の巧まぬ常識かもしれない。
 それであれば、工夫が必要である。
 小説家、篠田節子さんは、夫婦で都の職員だった。彼女は、とてもいい小説家である。
 夫が部長職になり、内規で、どちらかの退職を迫られたとき、あにはからんや、都の思惑にかかわらず、夫の方が退職した、それは夫婦の選択である。
 対社会的には、夫婦とはそんな存在である。運命共同体であるから。改めて、同姓の紐帯の力を思う。

 私の提案として、人事コードとして、「三親等内の血族、3人以上は認めない」、というのが一番いいと思う。この場合は、その血族の中に夫婦も含む。
 本人に、就業意欲とか、能力がいくらあっても、けじめは必要である。
 もし、地方公務員になりたければ、他市の、市民のために働けばよいではないか。
 私も、出身市が、赤字再建団体に頽落したために、永い間職員採用募集がなく、他市の職員を志望して、働かせていただいた。
 それは後付けでなく、正しく義を実現できる仕事につけて幸せだった。
 他市の職員にも、その能力を発揮できる場と、教育を施してもらい、それに伴う、自負心のある仕事も、応分の自己努力もした、と思う。
 実に、風通しの良い、よい職場だった。

 その後、市としても、有為転変を繰り返した。
 そして、また、現在、けじめを生み出す知恵も必要である。

 私の職場に、娘三人市役所職員という人がいた。
 そこまでであれば、準公務員になるのか、人もなげな、その言動には、目をひそめるものがある。
 過度な、偏った人事採用は新たな問題を引き起こす。
 彼女たちが、まともに働いているように祈るばかりである。

⑤ ペットボトルキャップの収集に係る笑い話
 あるとき、市内のトーソーという(あの)有力化学企業が、ペットボトルのキャップを、社内で集めて、市庁舎に持参したというニュースが流れた。
 このキャップは、後進国の、ワクチン(まさかコロナではあるまい。)の原資になるということで、ふた昔も前から、惰性的に集めていると、いう代物である。
 周南市以外の、周辺の他市では、なぜそんなことを、行政がするのか、という素朴な疑問にかられ、とうにやめてしまった。
 また、これが難物である。集荷に人手がいるし、ごみが入ることもある。袋も必要である。
 自分がいいことをしているという、愚者の思い込みも激しい。無考えの、老人や市民が、大量に出先に持ち込む。
 藤井市長は、変人だから、よその市はやめたけど、周南市はやめない、とてもうれしい、と言明した。
 さすがに、有力企業である、キャップを通貨にして、甘い女だなと思いながら、なめ切って、恩を売った。
現金でなくて助かった、ちゃんちゃん、ということである。それをありがたがるのは、愚者どもの女王である。
 市職員よ怒れ、いくらバカでも、公選職の市長だぞ。市長がなめられるのはいいが、お前たちは、周南市がなめられるのを、許していいのか。
 だいたい、東ソー㈱というのが、腐った会社で、新南陽地区(今さら新南陽市とは言えないだろう。)のことしか、手を出さない。かってに、市町統合をやって、商工会議所は手つかず、夏祭りも、地域祭り(どうでもいいが)自分たちだけでやるという、悪しき企業城下町と、排他的な腐った企業文化の会社である。
 その点、もともと徳山市に拠点をおく、大手化学会社トクヤマは違う。
 コロナ下の際に、自社製品である、塩ビプラスチック遮蔽パネルのカウンター設置用を、いち早く、周南市に寄付してくれた。あれのおかげで、私たち、窓口の職員は、どれだけ助かったか。
 コロナ下で、窓口来訪の市民たちは常にいらだっている。聞き取れない、聞き取ってもらえない、どれだけ、市民のストレスも高まったか。そのなかで、向こうのいうことも、こちらのいうこともちゃんとつながる、あのパネルは最強だった。これは、チャンと触れ、評価しなくてはならない。
 企業として、あのパネルを、同時に販売し始めたことも当然のことだと思う。共存共栄、それが、近代以降の、健全な企業活動というものだ。
 折には、ちゃんと金銭で、寄付をするし、「トクヤマ」という名は伊達でない。このたび、感心したのは、この企業だけである。