昔の、60年代、70年代のフォークソングとはなんだったのかと時々思うことがあります。
好きとか嫌いとかでいうと、当時、同時期のロックとかは、私の好みではあまり興味がもてなかった。後から知り、自分の中で位置づけられた、ビートルズとかクイーンとかは別ですが。しかし、思春期の、ポスト歌謡曲として、当時様々なフォークソングを好んで聞いていたように思います。
大学に入っては、当時の流行と周囲の影響でモダンジャズとか聞いてはいましたが、廉価版の復刻ブルーノートレコードなどに手を出した程度であり、ジャズ喫茶には好んで行きましたが、個人的にそれほどのレコードが買えるはずはなく、FM放送とかで日本語の歌(特に歌詞)は、歌謡曲とごたまぜ(本当は判別できない。)で何度も何度も聞いていました。
しかしながら、肝心のフォークソングを、今、回顧的に聞いて楽しい曲はそれほどではない、ように思います。
メロディ以前に、当時は多くの歌謡曲がそうであったように、今の自分としては、今でも歌詞が受け付けられないような気がします。自分資質の宿あとでもいうべきか、メロディから入る曲はあまりないですよね。歌詞については、最近、個人的には、外国人の歌う演歌(峻拒します。)は別にして、演歌の歌詞とメロディの受容範囲の敷居が低くなったにしては奇妙なものです。
割り振ればフォークソングになるのでしょうが、中島みゆき大先生は別格(しかしながら、それがおしなべて全てでもない。)としても、今も、歌詞が素直に入るのは案外少ないもの]です。
それは、小説とか、詩とか、評論などにしても同様なことかもしれませんが、やはり、聞くたびに、言語の「価値」論ではないですが、その度ごとに、より容易に当時の時代に観念的に移行するのは確かで、私の現在から、現代性(今流通するのかどうか)と著者の現在を再度重ねて批評するような操作になります。当時、懸命に読んだはずの、現代詩のいくつかも今は色あせたように感じられるのは何故かと思われるのと同様に感じます。
一般的に、歌詞の受け取りはともすれば懐旧的と感じ、メロディと一緒であれば、私なりに累積した記憶と感情の付加があり、とても親しみやすいような気がしますが、そうでもないのは困ったものです。
先に、ザ・フォーク・クルセダースの復活コンサートというのがありましたが、面白いか(興味を惹かれるかどうか)どうか期待してみていたのですが、彼らは私が思ったよりもっと政治的なバイアスのかかったグループであり、殊に彼らが歌った「リムジン河」という当時はやった政治的な歌(なぜ日本で流行ったのだ。)を歌うのに、いまさらながら安い正義を降り回し(誰が今更好んで聞くのだ。)、面白くなくて、失望しました(彼らの歌の一部
は今でもカラオケで歌える歌があるのにね。「あのすばらしい愛をもう一度」は今も好きです。このあと亡くなった、加藤和彦は政治的な現状認識の見解は別にして、良い作曲家あったと思います。)。しかしながら、彼らの歌は、今でいえば、あっという間に、脱原発=反核=反戦のセットメニュー、ハッピーセットでリバイバルしそうで、本当に嫌です。
当時読んだ、北山修の「戦争を知らない子供たち」はつまらないエッセイだったと思った覚えはありますが(私、中学生だった。)、地方のナイーブな中学生とすれば、昔は、彼らはフォークソングの歌手としてもう少し輝いていたように思えましたが。
ところで、先ごろ、地元の小さなライブハウスで、大塚まさじのコンサートを見つけました。レコードは何枚も持っていたし、コンサートへいったこともあり、喜んででかけました。昔のなつかしい曲を何曲も歌ってもらいとても幸せであったのですが、下記の曲名がどうしても思い出せずに、とうとうリクエストできませんでした。とても残念でした。
時は過ぎて
大塚まさじ 作詞・作曲
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に傷を負い 酒はその夜だけの夢
夕暮れが また やってきて
一人ぼっち だって 知った
夜が 白く明けるまで
からっぽの街を さまよった
君は まだ飛べぬ羽を撫で 夜の街で うずくまってた
俺の ほほ笑みを 喜んで わかってくれる人が欲しかった
互いの 傷を知ったとき 二人は もう 共犯者
二人は 誓いもしなかった 明日のことなど
抱きしめあうだけで よかったし
言葉なんて もうたくさんだ
消えゆく 思い出の中だけじゃ
もう生きられないよ 僕ら二人とも
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に 傷を負い 酒はその夜だけの夢
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい
ギターの弾き語りで終始する、大塚まさじの歌は今もとても好きです。
ひたすら、泣き節のように続く彼の歌は、過去の思い出に「過度に」執着する男の観念に快く響きます。こういうのが、ブルースとかいうものかも知れないと思います。「二年前、まだ飛べぬ羽を撫でていた君は」今はもうどこかに飛び立ったかもしれず、その時代と思い出に呪縛され引き摺った「俺」だけ当時に執着し今もさまよっているわけです。まことに、「女は更新し、男は保存する」という男の恋情のパターンを踏襲しています。森田童子の「僕たちの失敗」という曲につながる女々しさですが、恥ずかしながら、酔えば、カラオケナンバーで選んでしまうわけです。おやじが、「昭和かれすすき」を選曲し、安い自嘲を道ずれに、連れにデュエットを強要するよりはましだろう、という感じですね。
彼は、独立する前は、ディランⅡ(セカンド)という二人組のグループのメンバーであり、彼らのグループ名はアメリカの歌手ボブディランに由来するらしいのですが、彼らの歌は、恋とか愛とかの言及が多く、つまらない政治的なメッセージ性が少なかったのが救いです。当時、大阪を中心にして活動しており、「プカプカ(ミナミのブルース)」という歌が大変ヒットしました。盛り場(繁華街)の例示ではないですが「ミナミ」とか、「キタ」とか、(私には差異がわかりません。)
言語体験の歴史的累積(?)というか、大阪の人たちには、その差異と思い入れがあるようです。彼の持ち歌に「天王寺思い出どおり」という歌もありますが、昼間から酔ったおっさんが裸で寝ているような、天王寺駅周辺に郷愁を込め、歌ったような歌もあります。個人的には、動物園周辺からあいりん地区のような場所で眺めた光景は、田舎から出てきた身には、大変衝撃でした。彼が、そこに、自分の生活圏として思い入れを持つのが理解できないことはないのですが。
しかしながら、この曲「時は過ぎて」はカラオケに付置されておりません、残念です。
好きとか嫌いとかでいうと、当時、同時期のロックとかは、私の好みではあまり興味がもてなかった。後から知り、自分の中で位置づけられた、ビートルズとかクイーンとかは別ですが。しかし、思春期の、ポスト歌謡曲として、当時様々なフォークソングを好んで聞いていたように思います。
大学に入っては、当時の流行と周囲の影響でモダンジャズとか聞いてはいましたが、廉価版の復刻ブルーノートレコードなどに手を出した程度であり、ジャズ喫茶には好んで行きましたが、個人的にそれほどのレコードが買えるはずはなく、FM放送とかで日本語の歌(特に歌詞)は、歌謡曲とごたまぜ(本当は判別できない。)で何度も何度も聞いていました。
しかしながら、肝心のフォークソングを、今、回顧的に聞いて楽しい曲はそれほどではない、ように思います。
メロディ以前に、当時は多くの歌謡曲がそうであったように、今の自分としては、今でも歌詞が受け付けられないような気がします。自分資質の宿あとでもいうべきか、メロディから入る曲はあまりないですよね。歌詞については、最近、個人的には、外国人の歌う演歌(峻拒します。)は別にして、演歌の歌詞とメロディの受容範囲の敷居が低くなったにしては奇妙なものです。
割り振ればフォークソングになるのでしょうが、中島みゆき大先生は別格(しかしながら、それがおしなべて全てでもない。)としても、今も、歌詞が素直に入るのは案外少ないもの]です。
それは、小説とか、詩とか、評論などにしても同様なことかもしれませんが、やはり、聞くたびに、言語の「価値」論ではないですが、その度ごとに、より容易に当時の時代に観念的に移行するのは確かで、私の現在から、現代性(今流通するのかどうか)と著者の現在を再度重ねて批評するような操作になります。当時、懸命に読んだはずの、現代詩のいくつかも今は色あせたように感じられるのは何故かと思われるのと同様に感じます。
一般的に、歌詞の受け取りはともすれば懐旧的と感じ、メロディと一緒であれば、私なりに累積した記憶と感情の付加があり、とても親しみやすいような気がしますが、そうでもないのは困ったものです。
先に、ザ・フォーク・クルセダースの復活コンサートというのがありましたが、面白いか(興味を惹かれるかどうか)どうか期待してみていたのですが、彼らは私が思ったよりもっと政治的なバイアスのかかったグループであり、殊に彼らが歌った「リムジン河」という当時はやった政治的な歌(なぜ日本で流行ったのだ。)を歌うのに、いまさらながら安い正義を降り回し(誰が今更好んで聞くのだ。)、面白くなくて、失望しました(彼らの歌の一部
は今でもカラオケで歌える歌があるのにね。「あのすばらしい愛をもう一度」は今も好きです。このあと亡くなった、加藤和彦は政治的な現状認識の見解は別にして、良い作曲家あったと思います。)。しかしながら、彼らの歌は、今でいえば、あっという間に、脱原発=反核=反戦のセットメニュー、ハッピーセットでリバイバルしそうで、本当に嫌です。
当時読んだ、北山修の「戦争を知らない子供たち」はつまらないエッセイだったと思った覚えはありますが(私、中学生だった。)、地方のナイーブな中学生とすれば、昔は、彼らはフォークソングの歌手としてもう少し輝いていたように思えましたが。
ところで、先ごろ、地元の小さなライブハウスで、大塚まさじのコンサートを見つけました。レコードは何枚も持っていたし、コンサートへいったこともあり、喜んででかけました。昔のなつかしい曲を何曲も歌ってもらいとても幸せであったのですが、下記の曲名がどうしても思い出せずに、とうとうリクエストできませんでした。とても残念でした。
時は過ぎて
大塚まさじ 作詞・作曲
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に傷を負い 酒はその夜だけの夢
夕暮れが また やってきて
一人ぼっち だって 知った
夜が 白く明けるまで
からっぽの街を さまよった
君は まだ飛べぬ羽を撫で 夜の街で うずくまってた
俺の ほほ笑みを 喜んで わかってくれる人が欲しかった
互いの 傷を知ったとき 二人は もう 共犯者
二人は 誓いもしなかった 明日のことなど
抱きしめあうだけで よかったし
言葉なんて もうたくさんだ
消えゆく 思い出の中だけじゃ
もう生きられないよ 僕ら二人とも
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に 傷を負い 酒はその夜だけの夢
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい
ギターの弾き語りで終始する、大塚まさじの歌は今もとても好きです。
ひたすら、泣き節のように続く彼の歌は、過去の思い出に「過度に」執着する男の観念に快く響きます。こういうのが、ブルースとかいうものかも知れないと思います。「二年前、まだ飛べぬ羽を撫でていた君は」今はもうどこかに飛び立ったかもしれず、その時代と思い出に呪縛され引き摺った「俺」だけ当時に執着し今もさまよっているわけです。まことに、「女は更新し、男は保存する」という男の恋情のパターンを踏襲しています。森田童子の「僕たちの失敗」という曲につながる女々しさですが、恥ずかしながら、酔えば、カラオケナンバーで選んでしまうわけです。おやじが、「昭和かれすすき」を選曲し、安い自嘲を道ずれに、連れにデュエットを強要するよりはましだろう、という感じですね。
彼は、独立する前は、ディランⅡ(セカンド)という二人組のグループのメンバーであり、彼らのグループ名はアメリカの歌手ボブディランに由来するらしいのですが、彼らの歌は、恋とか愛とかの言及が多く、つまらない政治的なメッセージ性が少なかったのが救いです。当時、大阪を中心にして活動しており、「プカプカ(ミナミのブルース)」という歌が大変ヒットしました。盛り場(繁華街)の例示ではないですが「ミナミ」とか、「キタ」とか、(私には差異がわかりません。)
言語体験の歴史的累積(?)というか、大阪の人たちには、その差異と思い入れがあるようです。彼の持ち歌に「天王寺思い出どおり」という歌もありますが、昼間から酔ったおっさんが裸で寝ているような、天王寺駅周辺に郷愁を込め、歌ったような歌もあります。個人的には、動物園周辺からあいりん地区のような場所で眺めた光景は、田舎から出てきた身には、大変衝撃でした。彼が、そこに、自分の生活圏として思い入れを持つのが理解できないことはないのですが。
しかしながら、この曲「時は過ぎて」はカラオケに付置されておりません、残念です。