私が地元山口県(以下「Y県」と称します。)が主催する稀少動物種保護員活動に応募・参加して、かれこれ5、6年が経過しました。
応募した当時、子育ても一段落して、遊ぶ相手が、いや遊んでいただく相手がいなくなり、無聊(ぶりょう)をかこつ日常となり、将来の転進への布石(?) のため、当該活動に参加させてもらうことにした。本音でいえば、老いても衰えぬ外界への「好奇心」とでもいうべきものでありますが。
現在まで、任意の機関であるこの稀少動物種保護員の研修・実習を通じ、Y県の自然、地勢や、歴史を含め、なかなか大変興味深く得難い経験をさせていただいたところです。
そして、気づかせてもらったのは、植物についても、動物についても数多く市井の研究者が存在し、それぞれに、その取り組みの切り口があり、私自身この年になっても知らないことはいくらもあったということです。
殊に岩国地区の研修でお知り合いとなった、動物に寄生する冬虫夏草(とうちゅうかそう・フユムシナツクサ:蛾などの仲間の幼虫に寄生するキノコの一種)の研究者の、数多いその標本を見せていただき、まるで子供時代に戻ったような驚きと喜びを味わったところである。目立たぬが、そこいらに結構頻繁に発生し、現在では、島根県で、蛾の幼生を使い養殖しているとのことです。良質なタンパク質ではあろうと思われるが、味や、どのような効能、薬効があるかは不明なところです。そのコレクションは、小動物、蜂やクモなど大きいものも小さいものもありますが、被寄生体の分に応じた大きさであり、彼らの文字通り身中での戦いを思いなかなか興味深いところです。話される方は、フツーの主婦らしい方でしたが、同時にかつては理科少女であったろう彼女の人性をも思いやるところです。
かつて愛読した忍者漫画「サスケ」(白土三平著)で、遭難し衰弱した天涯孤独のこども(少年忍者)が冬虫夏草の寄生菌糸により、最後は巨大な人間冬虫夏草に変身するという哀切な話があり、これも深読みすれば異種変貌譚いうか、過酷な生を生きる人間の不思議な変身願望に行きつくようにも思われるところです。
このたび、直接に、目で見る作為なき自然の凄みと不思議に思わず納得したことです。
また、天然記念物オオサンンショウウオの保護団体との研修で、清流錦川水系宇佐川で、オオサンショウウオの泳ぐ姿を見ました。こわごわと、垂直降下で、砂防ダムの15mなんなんとするコンクリート壁を降り、地元の高校生ボランティアたちと一緒に、堰堤下の深みに生息するところを現認したところです。そのまさに魁偉な姿と、赤っぽい花崗岩の斑入り模様に同致したその気味悪い肌合いと、上半身がほぼ口といわれる、口から生まれたようなその姿に感服しました。彼らは、結構数多く生息しており、アユとか渓流魚を食む(文字通りひとのみです。)鋭い歯を持つとのことですが、あの、「忍者武芸帳」(白土三平著)に出てきた特異な体質の忍者ハンザキ(オオサンショウオの異名;体が半分に裂かれても再生するほど生命力が強い、ということで命名、基幹部分は別にして実際体組織は再生するそうです。)が登場し、彼は水中で長時間にわたり自在に活動するというのがありました。ただし、敵の、甲賀忍者の九の一(女忍者)の毒流しによって、ハンザキを含め特異で強力な影丸忍者群はあっけなく全滅してしまうわけです。
オオサンショウウオは食用になるのか、というやり取りで、上半身の口及び内臓は取り除き、下半身は美味であり、地元で食す人(天然記念物を食えばどんな罪状になるのかね。)もいるような話です。ただ、近年、生息数の割に餌(主にアユ等の生魚)が減りつつあるようで、きわめて鈍重そうでおとなしげに見える彼らも、縄張りをめぐっては激しく戦うとのことです。また、錦川流域は時期となれば、わずらわしいほどのアユ釣りの竿が林立します。その天然アユにも、全国的な規模で、その姿、形、味を審査するコンクールがあるらしく、宇佐川のアユはそのブナなどが繁茂する山深く、また、清く豊かな流れのせいなのか、常にトップであるそうです。
広い清流に存する天然の穴の中や岩棚にひそみ、餌を待ち、ひたすら待っている彼らの存在は私たちに自然の奥深さとなにがしかの畏怖を伝えてくれるところです。昼間は、広島県出身のあの文豪井伏鱒二の小説(「山椒魚」)にあるように、自分の棲み家の中で、じっとして、温和(?) に暮らしているようです。しかしながら、自分の縄張り内に他個体が侵入すると、身命を賭けた戦いとなるそうです。部分的に、身体の一部も再生するらしいし、ハンザキといかずとも、生命力の強い特異な動物となります。講師が、言っていましたが、その体から、当然ぬめぬめとしていますが、食肉動物(?) に忌避を与える科学物質をしみださせるらしく、当該オオサンショウウオをかかえたあと、車に一緒に同乗していた犬が突如嘔吐しだし、大変往生した、という話をしていました。
他にも、Y県S市、中須北地区において、常時、水を張った休耕田で開催された、水辺の動物観察会に参加し、Y県のカエル博士たちや、昆虫・小動物大好き少年たちに出会い、Y県のカエル博士たちや、ツチガエル(俗称「いぼ蛙」、素手で触るのは私もさすがに嫌です。いぼができる、という少年期の申し送りがあります。)を平然と握る蛙好き少年たちと一緒に、ついには素足で、今となれば気味悪く独特に臭う枯れ芦や様々な植物の泥濘の中を、ずぶずぶと沈み込む泥田を足を取られつつも愉快に駆け巡りました。最初は長靴で入っていましたが、動きの不自由さに耐えきれず、彼らに習い、素足で入り込み、そうなればもう何の支障もなく、こどもたちに対しても、お前、俺の口調になってしまい(対人的な感覚に問題があるのだろうか)、時間が立つのを忘れるようです。女の子でも、平気で蛙を握りこむ子もおり、好きというのは理屈ではないのですね。
同時に中須北地区で、身近で楽しい自然を子供たちに伝えたいという地区の受け入れ団体の有志の方々の気持ちにも深く賛同しました。
当該地区は、全国レベルで「美の里コンクール」で選ばれた地区ですが、農村育ちの私とすれば、田植え時期も、収穫前期も、あるいは収穫後も、手入れの行き届いた(マルクスのひそみに倣っていうならば、いわゆる人間化された自然としての)田畑の景色を見ることはとても幸せなことです。ああ、健全なナショナリズム(地域を媒介にした愛郷・愛国心)よ、と私は思います。そして、この営みがどれほど継続するのかは、またどれだけの国民がそれに対して安定した気持ちと共にあること、またその風景に慰藉を受け、継承することができるかどうかは、今も今後も大きな政治の課題であると思います。 老いたもの、弱いものが、周辺の辺鄙(へんぴ)で不便であるが、静かで穏やかに過ごせる場所に自立して住めること(国土が荒廃しないこと)は我が国にとって極めて重要だと思われるからです。間違っても、グローバリズムや、農業協同組合の解体、日本の農業の死滅あるいは、冷酷な多国の農業資本ビジネスに加担するべきでないのです。
このような、人間との相互の関連の中で営まれる自然への働きかけとその結果を含め、山も海も高原もある、それぞれの変化にとんだY県の良さを改めて想います。
閑話休題
安倍首相、あなたの防衛政策は、日本国の大多数の国民について必要であると思われ、若き日にとうに転向し、どこかの新聞のようにバカ左翼でないので、私はきちんと評価します。
しかし、党内圧力のせいか、党内事情のせいか、グローバリズムにおける米欧金融資本の苛烈な策動と国内の同調勢力のせいなのか、制定された農協改革法や、TPP条約に前向きであるあなたの、心のルーツは油谷(山口県長門市)地区の棚田であるというではありませんか、地区住民がキチンと手間と労を惜しまず手入れされた棚田は、海の照り返しもあり息をのむほどの美しさです。当該中須北地区の棚田も山里の自然を背景に四季折々誠に美しいものです。私の知る限り、あなたと私の故郷このY県には、それぞれに異なったまだまだ荒廃しない美しい棚田はまだ残っています。安倍首相、あなたが当初標榜した、「美しい国」他国とは違う「みずほの国の」資本主義は、どうなったのですかね。農協を解体し、農業者の自主努力を解体し、本来の立ち行くはずの農業を解体し、やはり国土の荒廃は、人心の荒廃と私には思えます。耕作放棄地の荒れようを嘆くと同時に、今後自国民の消費するコメを自国民がまかなえないような状況は、やっぱりきわめて政治的(政治で解決できる)な問題だと思えませんか。
安心・安全で美味しいコメの生産に要する手間ひま(皆、高齢の農業者は耕作放棄は先祖に済まないと老骨に鞭打ち懸命に生産しているのです。低額の国民年金だけではだれも生きていけません。)を考えれば、ある程度の金額になるのは当然です。先に、一部中共(コミューン・チャイナ)の富裕者層は、日本米を買いあさったではないですか。
事情により本格的に自炊を始めた私は、この夏、地区農協主催の野菜市で、花き類を含め、新鮮で、おいしくまた安価な野菜、果物類を購入することで多大な恩恵を受けました(農協出展手数料が17%で、組合員生産者にとってとても有利だそうです。協同組合だからできるんですね。)。
今夏の異常気象の影響でマーケットの野菜は暴騰しましたが、余分な支出をしなくて済んだのも、これも近隣の組合員農業者大衆と、私が、準組合員になった農業協同組合のおかげです(もちろん一般市民も市場で買い物ができます。販売開始時間の繁忙はすさまじいものです。)。今後、TPP条約が発効すれば、こんなのどかな光景は夢のまた夢でしょう。米国寡占農業資本による、市場支配の将来を思えば、暗澹たる思いがします。
改めて「打倒TPP、打倒新自由主義」、と宣言したい。
再度、閑話休題
それ以降も、様々な行事で、「好きなものは好き」と目を輝かす真摯な「理科少年」たちにもたびたび出会うところです。自分のことはともかくも、私も「科学に対し少年たちが興味をなくせば、日本国の将来はない」と思う一人です。そのために、今後、私のできうる努力を粛々と行う決意です。
また、自分を振り返ってつくづく思いますが、「好奇心」というものは、そのうち納まるとかいうことはないものですね。「死にいたる病」というべきか、「あしたに道を聞けば、夕べに死すとも可なり」というべきなのか、当面、まだまだおさまりがつかないところですが、決して放棄はいたしません。
応募した当時、子育ても一段落して、遊ぶ相手が、いや遊んでいただく相手がいなくなり、無聊(ぶりょう)をかこつ日常となり、将来の転進への布石(?) のため、当該活動に参加させてもらうことにした。本音でいえば、老いても衰えぬ外界への「好奇心」とでもいうべきものでありますが。
現在まで、任意の機関であるこの稀少動物種保護員の研修・実習を通じ、Y県の自然、地勢や、歴史を含め、なかなか大変興味深く得難い経験をさせていただいたところです。
そして、気づかせてもらったのは、植物についても、動物についても数多く市井の研究者が存在し、それぞれに、その取り組みの切り口があり、私自身この年になっても知らないことはいくらもあったということです。
殊に岩国地区の研修でお知り合いとなった、動物に寄生する冬虫夏草(とうちゅうかそう・フユムシナツクサ:蛾などの仲間の幼虫に寄生するキノコの一種)の研究者の、数多いその標本を見せていただき、まるで子供時代に戻ったような驚きと喜びを味わったところである。目立たぬが、そこいらに結構頻繁に発生し、現在では、島根県で、蛾の幼生を使い養殖しているとのことです。良質なタンパク質ではあろうと思われるが、味や、どのような効能、薬効があるかは不明なところです。そのコレクションは、小動物、蜂やクモなど大きいものも小さいものもありますが、被寄生体の分に応じた大きさであり、彼らの文字通り身中での戦いを思いなかなか興味深いところです。話される方は、フツーの主婦らしい方でしたが、同時にかつては理科少女であったろう彼女の人性をも思いやるところです。
かつて愛読した忍者漫画「サスケ」(白土三平著)で、遭難し衰弱した天涯孤独のこども(少年忍者)が冬虫夏草の寄生菌糸により、最後は巨大な人間冬虫夏草に変身するという哀切な話があり、これも深読みすれば異種変貌譚いうか、過酷な生を生きる人間の不思議な変身願望に行きつくようにも思われるところです。
このたび、直接に、目で見る作為なき自然の凄みと不思議に思わず納得したことです。
また、天然記念物オオサンンショウウオの保護団体との研修で、清流錦川水系宇佐川で、オオサンショウウオの泳ぐ姿を見ました。こわごわと、垂直降下で、砂防ダムの15mなんなんとするコンクリート壁を降り、地元の高校生ボランティアたちと一緒に、堰堤下の深みに生息するところを現認したところです。そのまさに魁偉な姿と、赤っぽい花崗岩の斑入り模様に同致したその気味悪い肌合いと、上半身がほぼ口といわれる、口から生まれたようなその姿に感服しました。彼らは、結構数多く生息しており、アユとか渓流魚を食む(文字通りひとのみです。)鋭い歯を持つとのことですが、あの、「忍者武芸帳」(白土三平著)に出てきた特異な体質の忍者ハンザキ(オオサンショウオの異名;体が半分に裂かれても再生するほど生命力が強い、ということで命名、基幹部分は別にして実際体組織は再生するそうです。)が登場し、彼は水中で長時間にわたり自在に活動するというのがありました。ただし、敵の、甲賀忍者の九の一(女忍者)の毒流しによって、ハンザキを含め特異で強力な影丸忍者群はあっけなく全滅してしまうわけです。
オオサンショウウオは食用になるのか、というやり取りで、上半身の口及び内臓は取り除き、下半身は美味であり、地元で食す人(天然記念物を食えばどんな罪状になるのかね。)もいるような話です。ただ、近年、生息数の割に餌(主にアユ等の生魚)が減りつつあるようで、きわめて鈍重そうでおとなしげに見える彼らも、縄張りをめぐっては激しく戦うとのことです。また、錦川流域は時期となれば、わずらわしいほどのアユ釣りの竿が林立します。その天然アユにも、全国的な規模で、その姿、形、味を審査するコンクールがあるらしく、宇佐川のアユはそのブナなどが繁茂する山深く、また、清く豊かな流れのせいなのか、常にトップであるそうです。
広い清流に存する天然の穴の中や岩棚にひそみ、餌を待ち、ひたすら待っている彼らの存在は私たちに自然の奥深さとなにがしかの畏怖を伝えてくれるところです。昼間は、広島県出身のあの文豪井伏鱒二の小説(「山椒魚」)にあるように、自分の棲み家の中で、じっとして、温和(?) に暮らしているようです。しかしながら、自分の縄張り内に他個体が侵入すると、身命を賭けた戦いとなるそうです。部分的に、身体の一部も再生するらしいし、ハンザキといかずとも、生命力の強い特異な動物となります。講師が、言っていましたが、その体から、当然ぬめぬめとしていますが、食肉動物(?) に忌避を与える科学物質をしみださせるらしく、当該オオサンショウウオをかかえたあと、車に一緒に同乗していた犬が突如嘔吐しだし、大変往生した、という話をしていました。
他にも、Y県S市、中須北地区において、常時、水を張った休耕田で開催された、水辺の動物観察会に参加し、Y県のカエル博士たちや、昆虫・小動物大好き少年たちに出会い、Y県のカエル博士たちや、ツチガエル(俗称「いぼ蛙」、素手で触るのは私もさすがに嫌です。いぼができる、という少年期の申し送りがあります。)を平然と握る蛙好き少年たちと一緒に、ついには素足で、今となれば気味悪く独特に臭う枯れ芦や様々な植物の泥濘の中を、ずぶずぶと沈み込む泥田を足を取られつつも愉快に駆け巡りました。最初は長靴で入っていましたが、動きの不自由さに耐えきれず、彼らに習い、素足で入り込み、そうなればもう何の支障もなく、こどもたちに対しても、お前、俺の口調になってしまい(対人的な感覚に問題があるのだろうか)、時間が立つのを忘れるようです。女の子でも、平気で蛙を握りこむ子もおり、好きというのは理屈ではないのですね。
同時に中須北地区で、身近で楽しい自然を子供たちに伝えたいという地区の受け入れ団体の有志の方々の気持ちにも深く賛同しました。
当該地区は、全国レベルで「美の里コンクール」で選ばれた地区ですが、農村育ちの私とすれば、田植え時期も、収穫前期も、あるいは収穫後も、手入れの行き届いた(マルクスのひそみに倣っていうならば、いわゆる人間化された自然としての)田畑の景色を見ることはとても幸せなことです。ああ、健全なナショナリズム(地域を媒介にした愛郷・愛国心)よ、と私は思います。そして、この営みがどれほど継続するのかは、またどれだけの国民がそれに対して安定した気持ちと共にあること、またその風景に慰藉を受け、継承することができるかどうかは、今も今後も大きな政治の課題であると思います。 老いたもの、弱いものが、周辺の辺鄙(へんぴ)で不便であるが、静かで穏やかに過ごせる場所に自立して住めること(国土が荒廃しないこと)は我が国にとって極めて重要だと思われるからです。間違っても、グローバリズムや、農業協同組合の解体、日本の農業の死滅あるいは、冷酷な多国の農業資本ビジネスに加担するべきでないのです。
このような、人間との相互の関連の中で営まれる自然への働きかけとその結果を含め、山も海も高原もある、それぞれの変化にとんだY県の良さを改めて想います。
閑話休題
安倍首相、あなたの防衛政策は、日本国の大多数の国民について必要であると思われ、若き日にとうに転向し、どこかの新聞のようにバカ左翼でないので、私はきちんと評価します。
しかし、党内圧力のせいか、党内事情のせいか、グローバリズムにおける米欧金融資本の苛烈な策動と国内の同調勢力のせいなのか、制定された農協改革法や、TPP条約に前向きであるあなたの、心のルーツは油谷(山口県長門市)地区の棚田であるというではありませんか、地区住民がキチンと手間と労を惜しまず手入れされた棚田は、海の照り返しもあり息をのむほどの美しさです。当該中須北地区の棚田も山里の自然を背景に四季折々誠に美しいものです。私の知る限り、あなたと私の故郷このY県には、それぞれに異なったまだまだ荒廃しない美しい棚田はまだ残っています。安倍首相、あなたが当初標榜した、「美しい国」他国とは違う「みずほの国の」資本主義は、どうなったのですかね。農協を解体し、農業者の自主努力を解体し、本来の立ち行くはずの農業を解体し、やはり国土の荒廃は、人心の荒廃と私には思えます。耕作放棄地の荒れようを嘆くと同時に、今後自国民の消費するコメを自国民がまかなえないような状況は、やっぱりきわめて政治的(政治で解決できる)な問題だと思えませんか。
安心・安全で美味しいコメの生産に要する手間ひま(皆、高齢の農業者は耕作放棄は先祖に済まないと老骨に鞭打ち懸命に生産しているのです。低額の国民年金だけではだれも生きていけません。)を考えれば、ある程度の金額になるのは当然です。先に、一部中共(コミューン・チャイナ)の富裕者層は、日本米を買いあさったではないですか。
事情により本格的に自炊を始めた私は、この夏、地区農協主催の野菜市で、花き類を含め、新鮮で、おいしくまた安価な野菜、果物類を購入することで多大な恩恵を受けました(農協出展手数料が17%で、組合員生産者にとってとても有利だそうです。協同組合だからできるんですね。)。
今夏の異常気象の影響でマーケットの野菜は暴騰しましたが、余分な支出をしなくて済んだのも、これも近隣の組合員農業者大衆と、私が、準組合員になった農業協同組合のおかげです(もちろん一般市民も市場で買い物ができます。販売開始時間の繁忙はすさまじいものです。)。今後、TPP条約が発効すれば、こんなのどかな光景は夢のまた夢でしょう。米国寡占農業資本による、市場支配の将来を思えば、暗澹たる思いがします。
改めて「打倒TPP、打倒新自由主義」、と宣言したい。
再度、閑話休題
それ以降も、様々な行事で、「好きなものは好き」と目を輝かす真摯な「理科少年」たちにもたびたび出会うところです。自分のことはともかくも、私も「科学に対し少年たちが興味をなくせば、日本国の将来はない」と思う一人です。そのために、今後、私のできうる努力を粛々と行う決意です。
また、自分を振り返ってつくづく思いますが、「好奇心」というものは、そのうち納まるとかいうことはないものですね。「死にいたる病」というべきか、「あしたに道を聞けば、夕べに死すとも可なり」というべきなのか、当面、まだまだおさまりがつかないところですが、決して放棄はいたしません。