天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

漱石の「暗い立派さ」について言及したい(「私、漱石の味方です。」) その2

2016-12-27 20:49:09 | 時事・風俗・情況
江藤淳は「夏目漱石論」で大学在学時に、文芸評論家としてデビューしたところです。

一般的に、人性において、われわれは、家庭的には、それぞれ様々な場面で厳しい状況で不運や不遇をかこつことは往々あることですが、江藤淳も、幼児期に母親と死別しています。経済的には不自由のない生活であり、その後の継母が良い人で幸せな(?) こども時代を過ごしたと推測されますが、早熟なこどもであったらしく、実母の死による相応の傷を負ったことは理解できます。
その後、秀才を通して、大学時代に知り合った同級生と結婚され、こどもはできなかったにせよ、才色兼備のその方と二人で幸せな家庭生活を送られたようです。彼の自死が、仕事のみならず、夫人を先に見送った衝撃が大きかったことも、大きな要素なのでしょう。

漱石の場合は、その精神の源基に悲惨な幼児体験を経ています。両親が高齢で生まれた子(「耻かきっこ」という俗称があります。)で、彼らは実子に対しても極めて冷淡で、親の思惑や都合、周囲の世間的な事情・経済的な思惑で、あっちにやられ、こっちにやられ、と、心が休まるような幼児期は過ごしていません。
江藤淳の漱石論は、その悲劇性に十分に意識的であり、同情的(?) です。晩年の漱石作の「硝子戸の中」で触れられる、父母のエピソード(実父母がふと漏らした漱石に対する愛着ともいうべき感慨をわざわざ漱石に伝えてくれた人があったこと)は、漱石が述べる、その悲しい境遇を見かねた他人の「親切」が「うれしかった」との気持ちは、心の支えになるような尊い体験でしょう。その際のこども心の動きには得心が行くとしても、実際には「あれはそうだったんだ」という後知恵かもしれず、父母の実子に対する冷淡さと、文字とおりよるべのない彼の境涯の救いのなさとは、漱石の本心では決して納得できなかったという方が正しいようにも思われます。それを改めて、晩年において再度認識しようとする漱石は、とても立派な態度であることは間違いないことですが。
この作の中で、漱石自身によって初めて、冷静にまた淡々と語られる彼の生い立ち(同時代にはもっと悲惨な話もいくらもあったかもしれませんが)は、生活者として、小説家として労苦と修練を経た後の独白で、それまでに、一人の人間として、長年にわたり重荷に耐え懸命にこらえてきた重みがあります。実際のところ「艱難辛苦が人を玉にする」ようなことは極めてまれなことでしょうから、グレて、遊野郎にならなかったのが不思議なような生い立ちです。
この、「硝子戸の中」は、本当に謙虚な内省で始まります。私が、新聞という社会の公器(?) で書くことで、中には政治家、軍人、経済人や好角家の大相撲記事に関する関心を阻害するかもしれない、と始まる漱石の独白は、自分の文学者としての営為を、社会や一般大衆の楽しみや喜びと同一の水準で扱って見せる、思想の「奥深さ」と「含蓄」をさえ感じさせるところです。

私は決して養老氏の良い読者ではありませんが、先日読んだ、養老孟司氏と近藤誠氏の対談集(「ねこバカいぬバカ」)で、彼が学童期に死別した父親が、身まかる際に、病床であいさつを周囲に強要された際、臆してか(?) 言葉がでなかった、その後も、「(みなさんに、長男として)きちんとあいさつしなさい」、と賢婦人で優秀な母親(著名な方ですが)に強いられたとき、どうしても思うようにあいさつができなかった、という苦い体験があり、後年(初老期)になって、「肉親の父親にちゃんとあいさつができなかった自分が、他人にきちんとあいさつができる(あいさつして良い)はずがない」、と自分があいさつを苦手にしている理由(意味)に、初めて思い至ったとき、思わず電車の中で号泣してしまった、という逸話があり、私も、いい年をして、「養老少年のけなげさ」に思わずもらい泣きしてしまったところです。
かくも、幼年期、少年期であろうと、私たちの幼少時の厳しい体験の記憶は尾を引き、その人性を拘束するのです。

厳しい幼少期以後、自己努力の末、夏目家期待の帝大出身の秀才となり、思春期以降、様々な恋愛もしますが、うまくいかず(我々と同じですが)、それはそれで様々な傷を負います。幼児期からの厳しい生い立ちのせいなのか、資質なのか、それらの複合なのか、様々な人性体験により関係妄想なども生じます。我々と同様に、「なぜ、おれはうまくいかないのだろうか」と、世の若者のように「観念も血を流す」体験もしているはずです。自由恋愛もしていなかったので、28歳の時に見合い結婚しますが、(当時は主流でしょうが、実はうちもご同様なのですが)お互いに大変なこととなりました。
お互いの組み合わせの不幸とか色々あるでしょうが、私は漱石の読者ですから、当面、漱石の味方になるしかありません。
実父の裕福な時代に少女期を過ごした、夫人は、経済的な困窮や、漱石の親族との因縁やしがらみ、夫君の性癖(かんしゃく持ちであり、神経衰弱や関係妄想による異常な行動)に悩まされたとはいえ、漱石は基本的に理知的でまじめな人と思われるので、少なくとも(私の見聞した限りでは)、妾を蓄えたり、花柳界で遊んだりというのはあまりなかったのでしょう。また、妻の方にしても、熊本の旧制高校教師時代、ヒステリーで、家出し、身投げをするかもしれない、毎晩漱石が紐で二人を結わえて寝たということもあったということでもあり、慎み深く、良妻賢母、貞女の鑑というわけにもいかないでしょう。
われわれ読者は、「彼岸過迄」の主人公須永のように「内側に向かってとぐろを巻いていくような」当時の時代や相反する内面に向き合う知識人の悩み苦しみを理解できますが、「普通の」男を求める許嫁の千代子にそんなものが理解できるはずはない、「何故、普通の(?) 思いやりのある (?) 夫ではないのか」、悩んだでしょう。このあたりは、常日頃、私も散々に言われたことです。たぶん、漱石夫人も「小説家、それがどんな立派なことなの」と、日常の家庭内での恨みつらみを何度もぶつけたでしょう、それはお互い様で、一方の漱石の方でも同様かもしれない、女の「偉い」という評価は、まさしく他人の評価であり、亭主を偉いと思う女などどこにもいやしない、のは確かですが。定例の脱線をしますが、いしいひさいちの漫画で、選挙の際に候補者夫妻が人前ではにこやかに投票しますが、候補者の夫は当然自分の名前を書きますが、妻の方は、「はげちゃびん」と書いて投票する漫画があったな、まったく、永遠のすれ違いであり、怖いところですね。
また、世の夫婦と同様、年がら年中角突き併せているばかりでは、夫婦ももたない、やはり、時折、こどもを通じてのやり取りや、友人などの来訪など、様々な場合に、気持ちの交流くらいはあるかも知れないところです。彼の著書にも、こどもを観察し、家族の日常生活をユーモアを持って思いやる場面はいくらもあることです。
妻のヒステリーは、自己を強い、自分を厳しいところに追い込むしかないような漱石に一息つかせる良い機会になったとも言われています(吉本隆明「夏目漱石を読む」(2002年筑摩書房)などの一連の著書)。文字どおり、われわれと同様に、大文豪夫妻も「割れ鍋に綴じ蓋」なんですね。このたびのドラマにおいてもそのような事実認識と、全体としての視野と溜めのようなものが必要じゃないのですかね。

 学生時代、サークルで「結局漱石の何が好きなんだ」という問いかけに、即座に「門」という回答をした先輩がいましたが、「世間から脱落し、二人で片隅に身を寄せながら、つましくいたわり合っていく姿が良いよ」、といっていました。彼も、自分の人性でそれを実現していれば幸せですが。
私にとっては、国民的作家、漱石の「吾輩は猫である」という小説を、中学生時代に数えきれないほど読んだ覚えがあります。それこそ、観念の過剰性と余剰の奔出のように、猫の、漱石の怪気炎を、人間社会の理不尽と不合理に対する呪詛とを、あながちウソでも冗談でもないその真情(?)と本音 を、 何度も何度も読み返したところです。わが、「天道公平」君も、本名は、主人公苦沙弥先生と同窓の「立町老梅」君らしいのですが、きわめて強烈な読書体験でした。

吉本隆明が、前出の「夏目漱石を読む」で指摘していましたが、魅力的な女性の造形です。「門」の中で、妻のお米は、夫が秘密の懊悩で鎌倉の参禅体験から失意で帰ってきた際に、何も聞かずに「・・・わざと活発に「後生だから、一休みしたら銭湯へ行って髪を刈って髭を剃ってきてちょうだい」」と迂遠なところからいたわり、夫を送り出します。これはやっぱりすごいですね。夫の苦悩と、自分たちの足元の地獄(不貞により駆落ちをした相手の男が現れるかもしれない状況)をうすうす察知しつつ、夫に泣きつくでなく、一人でやり過ごしながら、迂遠なところから夫を気遣う妻の姿は、漱石の実生活ではなかったかもしれません(私の実生活になかったかもしれないので、余計なことですが)。
 これが漱石の虚構であったとしても、漱石ほどの人になれば、日常生活の中でさえ、必ず、どこか偉いところを見せた筈と、私などは確信します。そうでなければ、いくら権威や学識があったとしても、彼に私淑するように学生や弟子があれだけ参集するはずがない。
夫婦の一方は、優秀な学生たちが集まったでしょうから、「彼岸過迄」の千代子のように(あれはまだかわいいところがあるかも知れないが)、我が家の息女について、実用本位(?) で品定めをしたかもしれません。彼が社会的な側面で(家族以外でということですが)個々に他者に向き合った際に、彼の病気の症状を見せたとは思えません、たとえ、彼が頑固な明治人で、時に短気で、かんしゃく持ちであろうとしても。
このたびの漱石特集では、夫人の立場や、当時の時代的・社会的な視点からみた、などというドラマがいくつかありましたが、私には、彼らが扱う「社会的な側面」や「夫婦愛」とか薄っぺらで、面白いものがなかった、と感じます。文学者(芸術家)も、実生活では平凡で矮小な存在かもしれない、しかしながら、文学者(芸術家)がその表現で、実生活を超えていなければ、文学に何の意味があるのか、ということでもあります。
漱石の「暗い立派さ」といったのは「吉本隆明」ですが、このたびその立派さをとは言わないが、漱石に非凡な芸術家としての深みが視えなかったように思われました。
具体的に、NHKのドラマでは、漱石のかかえた、闇が、懊悩が、ドラマの中で出ていなかったのは、大変残念でした。少なくともその奥行きがないドラマなど、私は認めない。
一方、尾野真知子さんがとても良い女優なのは承知おきですが、彼女は、「二百十日」の糸子や、「門」のお登勢のように、友人や、夫の気持ちをおもんばかり、そっとふるまう、察しと、思いやりのある女性を上手に十分に演じたはずです。それが、虚構だとしても、見えなかったのはとても残念です。また、鏡子夫人の役ではそれ無理にしても、その他の女優さんで、その漱石の理想の女性像がでてもよかった、と思われます。
自己の生い立ちと、西洋社会や西洋文学そして日本近代とがっぷりと四つに組み合い、格闘の末、ばたりと倒れたような、漱石の生涯は、私たちが評価せざるを得ないところがあります。ご一新により、いやおうなく押し寄せた、激動期に、自己からも、日本社会からも、異質な西洋と西洋文学からも、決して逃げなかった、漱石の「暗い立派さ」は称揚するしかないではありませんか。
江藤淳ではないですが、「漱石の悪口を言うのならおもてに出ろ!」と啖呵をきるだけの、えらさが確かにあるのです。