「よしもとばなな」様、私はあなたの優良な読者ではありません。
私は30歳台の始めであなたのデビュー作「キッチン」に出会いましたが、当時これは「とても新しい小説」なのだと思いました、それについて友人たちの意見を聞きましたが、等しく「新しく興味深いことは確かだ」と一様に答え、「あの」吉本隆明氏の娘さんであることとは別にしても、当時の斜に構えた男どもにも、おおむね好意的な感想でした。
そして、あっという間に、いわゆる「洛陽の紙価を高める」ほどのベストセラー作家となられましたが、それ以降、積極的にフォローワーを続けては行きませんでした。あなたが後年好きだと公言された、村上春樹氏のそのデビュー作「風の歌を聴け」以降の連作に対する感慨とは異なり、「キッチン」から後の小説については、私はそれほど熱心な読者ではありませんでした。
その後は折にふれ、あなたのエッセイなどを読むことがありましたが、若い(相対年齢のことです。)女性としての情報やその見解はなかなか興味深く、いろいろ触発されることが多いところでした。
作家として順調にキャリアを積まれていく中で、著作が翻訳化された後も、殊にイタリアなど多くの国で若者たちの人気を集めていたように記憶しています。
実際のところ、当初私の興味は、当時敬愛していた、父君、吉本隆明氏との間の経緯などを、求めていたのは確かですが、小説家を離れても、対談などでは、きちんと自分の見解を示され、小説家としても着実にその表現の高みをめざし、精進されていると思っていました。特筆すれば、「三砂ちづる氏」との対談(「女子の遺伝子」)で扱われた、「母性」の独自性、生理的存在としての女性の隔絶性(無論、「生理」の話もありましたが)についての議論は大変興味深いもので、凡百のフェミニズム議論(男女同質、相対差異を認めない原理主義)を退けるものでもありました。
ところでこのたび、あなたのエッセイ集、「すばらしい日々」(幻冬舎文庫)を購入したところです。
当該エッセイ集の冒頭に、「きらきら」という小編(掲載雑誌の紙面の関係でしょう。)がありました。
愛犬にかかわる感情を表したものですが、放射能測定の話から始まり、「高い数値が出るのはやっぱり怖い」、「放射線の吸収を少なくする食品を摂取」など、とかかれているのにびっくりしました。
どうもそれは、3.11の自然災害(東北大地震)により引き起こされた原発事故により引き起こされたものの余波を指しているのではなかろうかと推定されます。
ところで、それは事実なのでしょうか?
もし、そのような「共同幻想」が膾炙(かいしゃ)しているとすれば、それは一般的に、東京都下、あるいは関東圏在住の多くの普通の女性の「共同主観性」なのかと、あるいはそれはごく一般的な、食品に対する残留農薬への恐怖とか、有機栽培作物に対する信仰(?) とか、よくわからない感情のおりのようなものだろうかと、戸惑いつつ、とてもびっくりしました。
私事で恐縮ですが、私が、かつて、2011年の3.11後、同年7月に福島県いわき市に、事務支援者として赴任した際、当該市の職員に聞いたところ、事故後に、放射能(?) を恐れた、妻がこどもを連れ東京の実家に帰って、音信がない、と語っており、その後ずっと、その非日常が日常になったような彼の立ち位置に心から同情申し上げたところです。しかしながら、他の所帯では、東京に帰るすべがないのか、あるいは、家族で一緒に過ごすことを至上と考えたのか、そのまま、家族で寄り添うケースもあるようでした。それは、当時、各家族で熟考する問題であったろうと思います。実際のところ、「僕は仕事があるから(逃げられないから)、きみは実家に帰ってろよ」という選択があったかも知れない。しかし、それは、県外に戻れる実家がある幸運な人のケースでしょう。いずれにせよ、それは、東北圏、関東圏に在住した家族にとっては忘れられない記憶でしょう(それがもし私であれば、私はその時の家族の振る舞いと態度を決してその後も忘れない。)。
武田邦彦氏の本で読めば、事故後の放射線の拡散は、その日あるいは翌日の間に、偏西風などにより福島以西の東北・北海道地区に拡散してしまったと聞きました。
それを思えば、東京は、地震を除けば特筆すべき被害はなかったのかも知れない。直接被害も、風評被害もほとんどなかったのではないか、長期滞在の予定の外国人ビジネスマンや、旅行者たちは、そそくさと自国に逃げてしまったかもしれない。その一方で、東京圏に避難した、福島県人のアパート入居が断られた、とか、福島ナンバーの車がいたずらされるとか、極めて不快な話はいくらも聴いたところですが。それについては、当事者であった東京都下の方々は、十分にご承知おきのことでしょう。
「なんとなく怖い」、とか、「怖いかもしれないものはせめて家族のために避けたい」というのは、女性としてごく一般的なものかも知れない、しかし、多くの読者を持つ表現者とすれば、それについて無考えなことを披瀝することはどうなのでしょうか。
あなたの好きな村上春樹さんも、3.11後に、「われわれは誤った選択をした」と、原子力発電・原子力の平和利用についても、それは誤りだったと、安全な外国から、西欧社会に向けてコメントされました。私は、それは、間違った判断だと思います。
それこそ、資源に恵まれず、当該資源の分配が、政治的なあるいは国家防衛の手段に使われるような現在において、日本国民の生活・経済活動の維持・進展において、原発の維持は避けられないと思うからです。
ロシア、チェルノブイリの人災事故を引くまでもなく、今後、覇権国家中共が、東シナ海に縁接した沿岸部で、不十分な科学技術のもとで原発建設を強行し、放射能漏れを起こしたなら、わが国に与える被害は、このたびの自然災害による原発事故の比ではないでしょう。どこも、いまさら戦略的に、原発建設をやめる国などないのです。
あなたの父君、吉本隆明はこの点明快であり、「ひとたび素粒子が発見(開放)されたら、もとにもどすこと(なかったことにすること)はできない」、「これから人類は暗い道をとぼとぼわたっていくことになる」とコメントされましたが、実際のところ、我々にはそれしか道がないように思われます。
現実的に考えて、今後、国民国家日本の総力を挙げて、「より安全な、原発の平和利用」を目指すしかないのです。
例えば、上野千鶴子さんのように、「これから日本人は、清貧に甘んじなくてはならない」、と勝手に考えれば、違う選択があるかもしれない。しかし、官立大学の名誉教授まで勤めて、結婚しなかったあの方(本当はしたかも知れないが)が、いわゆる結婚できない目安の年収300万円と貧乏とは思えないので、本当に貧しい大多数に対し、その気持ちを忖度することもなく「清貧」を強いるなど、恥知らずで、卑怯な言い分だと思いませんか?
そういえば、かつて、「清貧の思想」という本を著わされた、偽善と思い上がったいい気な作家がいたと思いますが、上野氏と同様に、彼らは、一般大衆が豊かになり、自分たちに比肩し、自己欲望を追及できる余力を持つことを決して望まないのです(この点についても、あなたの父君の正しい指摘があったと思います。)。
ところであなたは、国民の大多数が、年収も上がらない、それどころか安定したフルタイムの仕事すらもない若者たちが、現在、景気浮揚を望んでいないと思っていますか?
現在も、原発代替エネルギーとしてのLNG(液化天然ガス)の輸入増加が、政府財務省の無策とあいまって、景気動向を圧迫しています。あなた自身と、あなたの大事な友人たちを含め、経済的余裕どころか、国民の経済生活、景気浮揚を阻害し、景気後退による分配の不均等を、多くの国民に対し、理不尽にも押し付けているのです。
私は、優れた人、恵まれた人が、外国で暮らそうが、高価な安全な健康食品を摂られようとまったく関与する気はありません。そのようなことは、青汁を飲もうと、クロレラ入りのものを愛好しようと、個人の恣意でしかないからです。しかし、現在でも、社会的な影響力がある方が、出自のあるいは責任の所在がわからないような金融商品などの募集に無原則に加担したら、その結果責任はきちんと問われます。
よしもとばななさん、あなたは、作家であることにより、その表現にわたる労苦・懊悩・努力を尽くしていることとは別にして、あなたのエッセイでは、子持ちの主婦としての生活感性を手放さないように意識的に努力されているということが、私のようなものにもよく理解できます。
その一方で、あなた以外の作家連中のあまりにも多くが、無考えの村上春樹さんと同様に、つまらぬ「脱原発運動」や、現在の緊迫した東シナ海の軍事情勢下での、日本国土の安全保障の緊急事態の中で、つまらぬ「憲法9条護持」団体に秋波を送り、いかにも「正義」を装うことに愧じないことにまたその不見識に心底いらだっています(彼らの小説を読む気がなくなってしまうのです。)。
私は、あなたの父君が孤軍で奮闘された、「反核異論」の時代以上に、この「現在」に、危機感を抱いています。
あなたは、意識的に「脱原発」や「憲法9条護持」問題に安易にコメントされたことはなかった、と私は認識しています。
しかし、表現行為の中で、無考えに、雰囲気だけでコメントしたり、根拠なくおびえてみたりするのはやめて欲しいと望みます。それは、かつての「反核異論」の際に、一部軽薄な文学者たち及びスターリニズムの支持者たちと、また、先の、3.11の時期に、国内の脱原発の反動勢力、バカ左翼、バカ商業新聞たちと、不可避的に戦ったあなたの父君が、もっとも嫌ったことだと思うのです。
優良な表現者としての、あなたには、あなたに追随する、あなたに忠実な読者に対し、その本来の説明責任は必ず生じるのです。日本国民の大多数は、この国を離れることができないのはもちろんのこと、喫緊の安全保障問題、そして早急な経済復興なしには、将来生じる厳しい所得格差とそれによる国民の大きな分断と、持てぬ者たちに絶望が蔓延することが予測されてなりません。
あなたは、村上氏のように、海外に拠点を移すことはないかもしれませんが(一部の恵まれた方々は外国の逃れることができるかもしれないが)、大多数の人間は日本国で暮らしていくしかないのです。
私は30歳台の始めであなたのデビュー作「キッチン」に出会いましたが、当時これは「とても新しい小説」なのだと思いました、それについて友人たちの意見を聞きましたが、等しく「新しく興味深いことは確かだ」と一様に答え、「あの」吉本隆明氏の娘さんであることとは別にしても、当時の斜に構えた男どもにも、おおむね好意的な感想でした。
そして、あっという間に、いわゆる「洛陽の紙価を高める」ほどのベストセラー作家となられましたが、それ以降、積極的にフォローワーを続けては行きませんでした。あなたが後年好きだと公言された、村上春樹氏のそのデビュー作「風の歌を聴け」以降の連作に対する感慨とは異なり、「キッチン」から後の小説については、私はそれほど熱心な読者ではありませんでした。
その後は折にふれ、あなたのエッセイなどを読むことがありましたが、若い(相対年齢のことです。)女性としての情報やその見解はなかなか興味深く、いろいろ触発されることが多いところでした。
作家として順調にキャリアを積まれていく中で、著作が翻訳化された後も、殊にイタリアなど多くの国で若者たちの人気を集めていたように記憶しています。
実際のところ、当初私の興味は、当時敬愛していた、父君、吉本隆明氏との間の経緯などを、求めていたのは確かですが、小説家を離れても、対談などでは、きちんと自分の見解を示され、小説家としても着実にその表現の高みをめざし、精進されていると思っていました。特筆すれば、「三砂ちづる氏」との対談(「女子の遺伝子」)で扱われた、「母性」の独自性、生理的存在としての女性の隔絶性(無論、「生理」の話もありましたが)についての議論は大変興味深いもので、凡百のフェミニズム議論(男女同質、相対差異を認めない原理主義)を退けるものでもありました。
ところでこのたび、あなたのエッセイ集、「すばらしい日々」(幻冬舎文庫)を購入したところです。
当該エッセイ集の冒頭に、「きらきら」という小編(掲載雑誌の紙面の関係でしょう。)がありました。
愛犬にかかわる感情を表したものですが、放射能測定の話から始まり、「高い数値が出るのはやっぱり怖い」、「放射線の吸収を少なくする食品を摂取」など、とかかれているのにびっくりしました。
どうもそれは、3.11の自然災害(東北大地震)により引き起こされた原発事故により引き起こされたものの余波を指しているのではなかろうかと推定されます。
ところで、それは事実なのでしょうか?
もし、そのような「共同幻想」が膾炙(かいしゃ)しているとすれば、それは一般的に、東京都下、あるいは関東圏在住の多くの普通の女性の「共同主観性」なのかと、あるいはそれはごく一般的な、食品に対する残留農薬への恐怖とか、有機栽培作物に対する信仰(?) とか、よくわからない感情のおりのようなものだろうかと、戸惑いつつ、とてもびっくりしました。
私事で恐縮ですが、私が、かつて、2011年の3.11後、同年7月に福島県いわき市に、事務支援者として赴任した際、当該市の職員に聞いたところ、事故後に、放射能(?) を恐れた、妻がこどもを連れ東京の実家に帰って、音信がない、と語っており、その後ずっと、その非日常が日常になったような彼の立ち位置に心から同情申し上げたところです。しかしながら、他の所帯では、東京に帰るすべがないのか、あるいは、家族で一緒に過ごすことを至上と考えたのか、そのまま、家族で寄り添うケースもあるようでした。それは、当時、各家族で熟考する問題であったろうと思います。実際のところ、「僕は仕事があるから(逃げられないから)、きみは実家に帰ってろよ」という選択があったかも知れない。しかし、それは、県外に戻れる実家がある幸運な人のケースでしょう。いずれにせよ、それは、東北圏、関東圏に在住した家族にとっては忘れられない記憶でしょう(それがもし私であれば、私はその時の家族の振る舞いと態度を決してその後も忘れない。)。
武田邦彦氏の本で読めば、事故後の放射線の拡散は、その日あるいは翌日の間に、偏西風などにより福島以西の東北・北海道地区に拡散してしまったと聞きました。
それを思えば、東京は、地震を除けば特筆すべき被害はなかったのかも知れない。直接被害も、風評被害もほとんどなかったのではないか、長期滞在の予定の外国人ビジネスマンや、旅行者たちは、そそくさと自国に逃げてしまったかもしれない。その一方で、東京圏に避難した、福島県人のアパート入居が断られた、とか、福島ナンバーの車がいたずらされるとか、極めて不快な話はいくらも聴いたところですが。それについては、当事者であった東京都下の方々は、十分にご承知おきのことでしょう。
「なんとなく怖い」、とか、「怖いかもしれないものはせめて家族のために避けたい」というのは、女性としてごく一般的なものかも知れない、しかし、多くの読者を持つ表現者とすれば、それについて無考えなことを披瀝することはどうなのでしょうか。
あなたの好きな村上春樹さんも、3.11後に、「われわれは誤った選択をした」と、原子力発電・原子力の平和利用についても、それは誤りだったと、安全な外国から、西欧社会に向けてコメントされました。私は、それは、間違った判断だと思います。
それこそ、資源に恵まれず、当該資源の分配が、政治的なあるいは国家防衛の手段に使われるような現在において、日本国民の生活・経済活動の維持・進展において、原発の維持は避けられないと思うからです。
ロシア、チェルノブイリの人災事故を引くまでもなく、今後、覇権国家中共が、東シナ海に縁接した沿岸部で、不十分な科学技術のもとで原発建設を強行し、放射能漏れを起こしたなら、わが国に与える被害は、このたびの自然災害による原発事故の比ではないでしょう。どこも、いまさら戦略的に、原発建設をやめる国などないのです。
あなたの父君、吉本隆明はこの点明快であり、「ひとたび素粒子が発見(開放)されたら、もとにもどすこと(なかったことにすること)はできない」、「これから人類は暗い道をとぼとぼわたっていくことになる」とコメントされましたが、実際のところ、我々にはそれしか道がないように思われます。
現実的に考えて、今後、国民国家日本の総力を挙げて、「より安全な、原発の平和利用」を目指すしかないのです。
例えば、上野千鶴子さんのように、「これから日本人は、清貧に甘んじなくてはならない」、と勝手に考えれば、違う選択があるかもしれない。しかし、官立大学の名誉教授まで勤めて、結婚しなかったあの方(本当はしたかも知れないが)が、いわゆる結婚できない目安の年収300万円と貧乏とは思えないので、本当に貧しい大多数に対し、その気持ちを忖度することもなく「清貧」を強いるなど、恥知らずで、卑怯な言い分だと思いませんか?
そういえば、かつて、「清貧の思想」という本を著わされた、偽善と思い上がったいい気な作家がいたと思いますが、上野氏と同様に、彼らは、一般大衆が豊かになり、自分たちに比肩し、自己欲望を追及できる余力を持つことを決して望まないのです(この点についても、あなたの父君の正しい指摘があったと思います。)。
ところであなたは、国民の大多数が、年収も上がらない、それどころか安定したフルタイムの仕事すらもない若者たちが、現在、景気浮揚を望んでいないと思っていますか?
現在も、原発代替エネルギーとしてのLNG(液化天然ガス)の輸入増加が、政府財務省の無策とあいまって、景気動向を圧迫しています。あなた自身と、あなたの大事な友人たちを含め、経済的余裕どころか、国民の経済生活、景気浮揚を阻害し、景気後退による分配の不均等を、多くの国民に対し、理不尽にも押し付けているのです。
私は、優れた人、恵まれた人が、外国で暮らそうが、高価な安全な健康食品を摂られようとまったく関与する気はありません。そのようなことは、青汁を飲もうと、クロレラ入りのものを愛好しようと、個人の恣意でしかないからです。しかし、現在でも、社会的な影響力がある方が、出自のあるいは責任の所在がわからないような金融商品などの募集に無原則に加担したら、その結果責任はきちんと問われます。
よしもとばななさん、あなたは、作家であることにより、その表現にわたる労苦・懊悩・努力を尽くしていることとは別にして、あなたのエッセイでは、子持ちの主婦としての生活感性を手放さないように意識的に努力されているということが、私のようなものにもよく理解できます。
その一方で、あなた以外の作家連中のあまりにも多くが、無考えの村上春樹さんと同様に、つまらぬ「脱原発運動」や、現在の緊迫した東シナ海の軍事情勢下での、日本国土の安全保障の緊急事態の中で、つまらぬ「憲法9条護持」団体に秋波を送り、いかにも「正義」を装うことに愧じないことにまたその不見識に心底いらだっています(彼らの小説を読む気がなくなってしまうのです。)。
私は、あなたの父君が孤軍で奮闘された、「反核異論」の時代以上に、この「現在」に、危機感を抱いています。
あなたは、意識的に「脱原発」や「憲法9条護持」問題に安易にコメントされたことはなかった、と私は認識しています。
しかし、表現行為の中で、無考えに、雰囲気だけでコメントしたり、根拠なくおびえてみたりするのはやめて欲しいと望みます。それは、かつての「反核異論」の際に、一部軽薄な文学者たち及びスターリニズムの支持者たちと、また、先の、3.11の時期に、国内の脱原発の反動勢力、バカ左翼、バカ商業新聞たちと、不可避的に戦ったあなたの父君が、もっとも嫌ったことだと思うのです。
優良な表現者としての、あなたには、あなたに追随する、あなたに忠実な読者に対し、その本来の説明責任は必ず生じるのです。日本国民の大多数は、この国を離れることができないのはもちろんのこと、喫緊の安全保障問題、そして早急な経済復興なしには、将来生じる厳しい所得格差とそれによる国民の大きな分断と、持てぬ者たちに絶望が蔓延することが予測されてなりません。
あなたは、村上氏のように、海外に拠点を移すことはないかもしれませんが(一部の恵まれた方々は外国の逃れることができるかもしれないが)、大多数の人間は日本国で暮らしていくしかないのです。