かつて、著者の労作、「日本の七大思想家」において、著者は、日本の近代以降登場した、日本国のみならず、国民国家を超え、世界につながる、思想家、文学者、哲学者などを扱っていた。その中に、福澤諭吉(以下「福沢諭吉」と表記する。)も登場してきた。
無知(恥)な私にとっては、予備知識もないような哲学者なども登場したが、既存の日本の近代以降の、従前の偏った歴史観、思想史研究の流れ、そして、その帰結と不可分である現在の混迷した時代情況に言及し、それを相対化し、総括しようとするかのような試み(私見です。)に、実際のところ、多大な共感をした。それは、あたかも、わがことのように、真剣に読めたところである(かの3.11後に出た本で、小浜氏は今何を考えているのだろうと考えていた、私にとって待望の本であり余計に思いいれがある。)。
今思えば、私は、昭和の半ばに生まれ、日本国の歴史的な敗戦・大敗北の結果に、かつかつと、行きあわせた(たぶん最期の)世代である。
そのあたりの、時代認識と父祖とわれわれの歴史の継承の使命感において、同年齢の百田尚樹に強く同感する。
そして、現在において、第二期に当たる(?) 、グローバリゼーションの大渦巻きの中で、現実化・顕在化しつつある日本国の大敗北と、その凋落(ちょうらく:衰亡すること)の危機に、いやおうなくめぐり合わせた私とすれば、その動きに対して、「ちょっと、それは違うだろう」と、声を大にして、反論し、言明したい。
なぜなら、明治期・日本国にとっての初代グローバリゼーションの危機の時期に類比して、このたびの、内外のグローバリズム推進者たちによる大災害へ対する、政府を始め、わが国の愚策と不手際は、どうも、人災の要素が大きい、と思われるわけである。
明治維新、そして敗戦の教訓を、現代の多くの日本人が、自己の問題として、そして過渡の歴史の橋渡し的な責任として、どうも、自分に問い、熟慮せずに現在に至っているのではないかと思われるわけである。殊にそれが、政治家や、知識人(?) 、企業のトップ(売国奴は除く。)などのリーダーシップを握る筈の一握りの層に顕著であるのが、心底腹立たしい。
そうでなければ、西欧に明らかに劣った国力を結集し、必死に近代化を果たした明治期人の奮闘と、大欧亜戦争の大敗北後、徒手空拳で立ち上がり、「現在」の達成を勝ち取った、われわれの父祖たちの努力に対して、「私たちは無能で申し訳ない」、と謝罪する(謝罪で済めば何の問題もないが)ところではないのか、と思う。
同時に、また将来の、わが孫子(まごこ)の世代に、「なぜ、あのとき、詐術に加担したのか」と、責められ、お詫びしなければならないかもしれないわけであるので。
著者は、その後、「デタラメが世界を動かしている」(PHP研究所)(2016年)において、日本国の政治的、経済的、あるいは政治家、官僚、知識人(?) たちの危機意識の欠如、無思考の愚かしさと、自己利害に終始する退廃を、抉り、指摘して見せた、これは今も、そのまま通用する、明快な批評である(是非一読をお勧めする。)。
「快哉なり」、と叫びたくなるような出来であり、そして、なぜ、日本の知識人はおしなべて「バカサヨク」の呪縛をのがれず、また現在の動的な世界状況を分析できず、他国(敵国)に媚び、戦勝国に随順し、自国民の利害や利益に対し、反動でありつづけるしかないのかと、植民地文化人のありように暗澹たる思いをする。
このたび、著者がこの本の刊行を急いだのは、「日本国の滅亡に間にあわなくなるかも知れないと」、という、明確な危機意識である。その危機意識も共有する。
もともと著者の本領は、倫理学というか、思想・哲学というか、文学評論を含めた浩瀚な領域で活動する評論家であり(かつて小説も書いているが)、経済や、リアルポリテイックス、国際政治などを取り扱うところには、ない、それは70年代から、著者の著書を追っかけている私には明快なところである。
しかしながら、現在の日本国の政治・経済、国土防衛に係る未曾有の危機(そうでないとは誰にも言わせない。)に対する、政府から一般国民に至るまでの、有象無象の対応が余りにナイーブ(つまりバカ)なので、このままでは、日本国は滅ぶ(世界中にいくらも国家の衰亡の歴史はある)、やむを得ず(あまりに現在の政治・経済・国際状況に対する政府、マスコミ、利口な筈の専門家(?) が愚かしいので)、貴重な時間を、現在のある意味猥雑で、労力に比べ望む成果が出にくい、政治・経済評論に費やしているように思える。
たとえば、著者との間で行われた、先の「竹田青嗣」氏との対談を経た後、私の印象でも、竹田氏は飽くまで哲学者であり、抽象度の高い思考を扱うのがその本来ということであるのだが、どうも現在の現実政治や経済の情況や危機に対する認識が欠如しているのではないかと思えてきて、長年の読者として、少し残念であった。当面、竹田氏は、塔の高みで(西欧的な思惟の背景のもとで)思考し続けるであろうかと。
かつて、私もヘーゲルの再評価というつもりで、西研氏と共同で行われた、ヘーゲル講座合宿(箱根泊まりこみ)に参加させていただき、参加者たちの顔ぶれを含め、大変興味深い体験をさせてもらった。
その行事には、数多くの若者(学生)たちが参加していた。オフ会の和やかな懇親会の中で、私が思ったのは、もし、彼らが、西欧的思考や思想が「世界」の主流で、全てであると考えていれば、それもまた、近視眼であり、わが国の思想・歴史を媒介(ナショナルな視野がなければ)しなければそれはそれで間違う、という感想を持った。
ご同様に、私の学生時代を振り返ればそれは明らかである。
もし、私が読み違えているのであれば、ご指摘願いたい。、
時に、塔の高みから降りて、リアルポリティックス(現実の政治)を扱う評論で活動するためには、自国・世界認識はもちろんのこと、曲学阿世の徒や、自己利害追従のみのろくでなしや、無考えの愚か者、などと、ののしりあい、たちのわるいヤツとは(場合によっては)つかみ合いの闘いまでやろうする覚悟は必要であると思われる。
そのろくでなしをいなすべく、うっちゃるべく、戦い方はいろいろあるものかもしれないが。
それは、高踏を気取る教養人や知識人に比べれば、現象的には、醜く、浅ましい姿に見えるかも知れないが、仕方のないことである。戦う人間は決して美しくはない、現実は見栄えの良いものではないのである。「それじゃ、具体的に何をするの」、と問われれば、「ぐっ」と詰まってしまうのは、(私の)昔と同様なことになってしまうが、いまさら、政治の時代に戻ることはできない。
たとえば、私のようなものですら、家庭において、「政治的な」発言は許されていないし、職場でも、それ以外の友人たちの間でも、至極まっとうな発言ですら、いい年をしてと、顰蹙(ひんしゅく)をかうのは必然である。殊に、妻子から、厳しい反発を受ける。それこそ、太宰治ではないが、酒飲み以上に、理屈を説く人は孤独であり、身内に尊敬される人(?)は存しにくい、と思う。
気心が知れたはずの、昔の友人たちですら、今になれば同様な話である。
時間の経過とともに、わがつたない「思想」も、応分に、きちんと鍛え続けていかなければ、昔事実に近かった筈の思想や認識は、そして状況に対する読みは滅んでいくばかりである。それは正しい。そこに、私たちが孤独と孤立を支払うゆえんがある。
年老いながら、学生時代よりも、一層の焦燥といらだちを感じる、現在の私である(愚痴ばかりになってしまった。)。
著者は、前著の「日本の七大思想家」で福沢諭吉を扱ったが、このたび、それに肉付けして、幕末維新期から朝鮮の甲申事変(光緒十年=明治10年、1884年)までの、福沢諭吉のエッセンスというべき文筆活動を中心に扱っている、また、同時に、婦人論、男女交際論、婚姻論など、男女のエロスにかかわる論考もしている、ということで、福沢諭吉は視野が広く、幅広い背景を持つ思想家であることが理解できる。
最初に「福沢諭吉は武士でした。そして真性のナショナリストでした。」という著者のキャッチコピーが挙げられる。
また今回は、幕藩時代末期と明治の初期における、旧藩時代の福沢をめぐる、時代の動きや、幕末期のさまざまな英傑(?) との交流や、立場による相克、幕府・朝廷、明治政府の動乱の中での、福沢諭吉の、それこそ、「福沢諭吉とその時代」というように、その思想と周囲の動きを動的に描いていく。
当初の「日本の七大思想家」刊行後も、著者は近代の思想家・官僚、幕末の敬すべき思想家、横井小南、西郷隆盛などについても、論評してきた。殊に、幕臣でありながら「新政府の貴顕」となった、勝海舟と福沢とのいきさつは、それぞれの個性と立場(周囲から負わされた社会的使命の相克)が出て、興味深い。
いずれの思想家も、その年齢、社会的身分、洋行体験のないこと、洋書の入手不可能などの限定された枠の中で、幕藩体制下の常識によらず、独自に日本(まだ日本国という名称もなかったであろう。)の将来とその精神を考え抜いた人であり、それは、時代的制約は当然のことながら、現在のわれわれの状況に比して、その困難は想像を絶するものであったと思われる(近代の黎明期の人は偉かったのである。)。
福沢諭吉が、それらの思想家(実践家)と一線を画すのは、彼が幕藩体制、明治期と二生を経たことはさることながら、著者の前書きを借りれば、福沢は、論客として、「非常に幅広い視野と柔軟な思考力を持ち、・・・・・・、自説だけを押し通すだけでなく、常に反論者を意識した開かれた対話の場面を想定していた。(中略)反論者が誰であるかはほとんど特定していないので、多くの場合、自分で想像したのではないかと想像される。これは読者に対する親切とも評すべきもので、だからこそ説得力がある。福沢の論理展開は、言論というものの優れた見本というものを提供していると言ってよい」(同書)(P5)、と、物書きとしての、その周到ぶりが描かれる。
彼は、「合理的な思考により論理的な説明と記述に長けた人であり、それを公共的な言論に供することに多大な努力を払った」(したがって偏頗な○○主義者にはならない。)訳で、まさしく、現在の(日本国の第二次(?))グローバリズムの嵐の中で、日本国民が混乱し、過度に自信を失うような危機に、形を変えて、出てきて欲しい、思想家、そして現実的な実践家なのである。
「「敵」をよく知ること、「敵」の優れた点を換骨奪胎しわがものにすることこそ大切だととき続けたのです。今の言葉でいえば、グローバリズムの浸透に対して、ただ精神的に強がって見せるのではなく、国を守るために、現実的に有効な施策を真剣に模索したわけです。」(同書)(P20)
著者が、どうしても視野狭窄が起こりがちな、殊に若者たちに、この本を読んで欲しい、と叙しているように、できるだけ平易に、わかりやすく、しかしポイントをはずさないように、「危機」に際しての書として、この本は書かれている。
「グローバリズムが国民にもたらす弊害とは何か。
それは貧富の格差の拡大であり、ごく一部の超富裕層への富の集中と中間層の脱落であり、それぞれの地域の伝統の崩壊であり、異文化の衝突による文化摩擦の深刻化であり、「自由」という美名のもとにおける、大国による小国への経済的植民地化であり、国家主権と民主政体の破壊であり、ヒトの大移動による現地国民の生活破壊であり、国内治安の悪化であり、最終的には暴力革命や大戦争の危機です。」(同書)(P323)
対抗上、私は、個人的に、これらの現象の、反目を生きること、日常生活、貧しいブログ投稿生活で、こなしていくようにしている。国民国家日本人の大多数にとって良いことは何もないのですね。
わが国にも、米欧の一部支配層と利害の合一と、目的の同一の趣旨で(敵の敵は味方という論理で)反動的な一部特権者が政府の一部を牛耳り(外国人労働者の無原則な受け入れ、デフレの黙認)、それは、きわめて遺憾であるが、そのうえ、かつて膾炙した、当時のグローバリズムの反動で起こった、後進国暴力革命の信者やシンパくずれがいまだに、わが国で命脈を保っているのは、日本国の歴史において、愧ずべきことでもある。
それこそ、今年は、明治150年期にあたり、わが県においても、さまざまな記念行事を行っているが、いまいち、盛り上がりを欠いている。しかしながら、優れた思想や言葉が、時代を動かす原動力なったのは良い時代でもあった。それこそ、ないものねだりというものであるが。
私は関西の私大、「D大学」の出身であり、ことあるごとに、「新島精神が・・・」と開設者の、新島譲氏の、建学の精神を聞かされたが、どうもよく その実態は分からず(無教会派とか)、彼の遍歴を見れば明治期のモダニストであろうと思っていた。同時に、北関東出身で、いわゆる「負け組」に属していた彼は、漠然とキリスト教徒としても変わった人であったろうと、考えていた。そういえば、卒業者は、佐藤優は論外としても、古くは筒井康隆とか、中村うさぎ、とか変わった人が多いところである。
先に、典型的な負け組、会津藩出身で、女だてらに篭城までして戦いながら、その後明治期に活躍した新島襄婦人、新島八重さんを扱った、NHKドラマ「八重の桜」を見ていて、それこそ、教育者として生きた、まさしく一身で二生を生きた、新島襄夫妻の苦闘の歴史に触発されるにつけ(時代劇ドラマ「仁」で、可憐でひたむきな演技で魅せた、主演の綾瀬はるかさんとても好きです。)、どれほどの有為転変を経ても、くじけない、明治人の、豪快で、闊達な生き方には感嘆するところとなった。市井の教育者を貫いた彼らは、周囲、後世が何を言おうと、それこそ、「毀誉褒貶は人の常」いうことである。
ひるがえって、慶應義塾大学(以下「慶大」という。)の創設者である「福沢諭吉」氏は、OBの友人に聞くと、同大学で、唯一の「先生」と呼ばれるべき人であり、後については教職員たちはそれぞれ「君」付けで呼ぶと聞いた。私学の伝統が継承されているのである。
慶大出身者に、グローバリズム礼賛者はいないのか、新自由主義経済学者も多いのかどうか、寡聞にして私は知らないが、このたび、再度、創設者の著書を、拳拳服膺(けんけんふくよう:人の教えやことばなどを、こころにしっかりと留めて決して忘れないこと。)して、すぐ目の前にある、われわれの危機に際し、師の薫育に応えるべきではないのか、と、檄を飛ばしたい。
そして、今後とも、大多数国民の利害に明確に敵対する、曲学阿世の徒、官立大学の、御用学者に決して負けてはいけない、と。
「世界は正にあたかも封建割拠にして、武を研ぎ勇を争うの最中なれば、一国の重大宝剣たる海陸の軍備をば常に研ぎ立てゝ、常に良工の作物を選び、常に新規の工夫を運(めぐ)らし、要用なるときは、一擲(いってき)(思い切って一度に投げ捨てること)幾客千万金をも愛しむべからず。もしも然らずしてこれを怠る者は、封建の武士が木剣を帯するがごとく、また丸腰なるがごとし。国を丸腰にして他国の軽侮を防がんとするは、また難きに非ずや。三歳の童子もその非を知らんのみ」(福沢の著書より著者が引用)
まことに返す言葉もありません。」
「外国人が暗々裡に自国の権力を恃(たの)みて、動(やや)もすれば法外の事と企て、日本にいて別に一種の特典ある者のごとくに自得するのみならず、かえってわが国の習慣法律を軽視して誹譏(ひき)するがごとくは、誠に憎むべき心事なれども、虚心平気これを考うれば、その罪必ずしも彼に在らず。畢竟(ひっきょう)(つまるところ)、われに乗ずべき隙(てぬかり)あればこそ、彼より来て(きたりて)これを犯すこともあれ」(福沢の著書より著者が引用)
国の内外の違いはあるとしても、現在の某国(複数)のさまざまな形での対日攻勢を見れば、まさにこのとおりというほかはありません。福沢は、客観的に見れば外国人が日本の事情に便乗するのは当然で、悪いのは日本の側に隙があるからだと、正論中の正論を吐いているのです。(P226~P227)
「然(しか)るに、ここに怪しむべきは、わが日本普通の学者論客が、西洋を盲信するの一事なり。十年以来、世論の赴(おもむく)くところを察するに、ひたすら彼の事物を賞賛し、これを欽慕(きんぼ)し、これに心酔し、甚だしきはこれに恐怖して、毫(ごう)も疑いの念を起こさず、一も西洋、二も西洋とて、ただ西洋の筆法を将(もつ)て模本(もほん)に供し、小なるは衣食住居の事より、大なるは政令法制の事にいたるまでも、その疑わしきものは、西欧を標準に立てゝ得失を評論するものゝごとし。奇もまた甚だしというべし。今日の西欧諸国は、正に狼狽(ろうばい)して、方向に迷うものなり。他の狼狽する者を将て(とって)以て、わが方向の標準に供するは、狼狽の甚だしき者にあらずや」(福沢諭吉「民情一新」)文中(P324)
重複するが、この本で、著者は、いかに平易に分かりやすく、より若い読者に、現在の、わが国が直面している喫緊の課題に対し、どう考え、ふるまうべきか、どうやって過渡期において若者たちは身を処するべきなのかを、どのように直裁に語るか、を目指しているように思える。
それは、今現在において、優れた、政治家、実務者、思想家が出てこない現在への憤懣にある、と言っても良い。それこそ、欠損から出発したような幕末期に比べ、現在は、国民全体の知的水準も上昇し、経済的な基盤も恵まれ、整備されているはずであるというのに、なぜなのかと私も思う。
しかし、武士であり、かつ真性のナショナリストであった福沢諭吉がいうように、国民が独立・矜持の気概を持ち、国力(国軍=軍事(自衛)力)なしに、現在のわが国が飢狼のような列強(中共、ロシア、韓国、米国)に翻弄されるのは必然としか言いようがない。「ぼけ」は、サヨクばか老人だけでたくさんである。
いずれにせよ、この「世界」を巻き添えに逆巻く大渦巻きのようなグローバリズムの嵐の中で、もし、私が、それに抗すべく、時代が強いる思想的立場といえば、当面「真性のナショナリスト」の一人であるしかないように思える。口幅ったいことを言えば、それが、「現在の」過渡期の、重要な(世界レベルでの)危機に抗し、意識的に闘うことではないのだろうか。
せめて橋頭堡(いかがわしい言葉ですが)として、時代が強いる現在の課題、国民国家日本国の護持に、わが同胞国民の安心・安全のために、柔軟にしなやかに、そして老かいに、しぶとく、残った人性をかけて行きたいものである。
来る9月30日(日)14:00から18:00まで、四谷、喫茶室ルノアール四谷店3階会議室において、「しょーと・ぴーすの会」の主催で、著者の臨席のもとで、当該著書の勉強会(?)が行われます(参加は自由)。諸般の事情で、私は参加できませんが、皆様に参加を強くお勧めします。
無知(恥)な私にとっては、予備知識もないような哲学者なども登場したが、既存の日本の近代以降の、従前の偏った歴史観、思想史研究の流れ、そして、その帰結と不可分である現在の混迷した時代情況に言及し、それを相対化し、総括しようとするかのような試み(私見です。)に、実際のところ、多大な共感をした。それは、あたかも、わがことのように、真剣に読めたところである(かの3.11後に出た本で、小浜氏は今何を考えているのだろうと考えていた、私にとって待望の本であり余計に思いいれがある。)。
今思えば、私は、昭和の半ばに生まれ、日本国の歴史的な敗戦・大敗北の結果に、かつかつと、行きあわせた(たぶん最期の)世代である。
そのあたりの、時代認識と父祖とわれわれの歴史の継承の使命感において、同年齢の百田尚樹に強く同感する。
そして、現在において、第二期に当たる(?) 、グローバリゼーションの大渦巻きの中で、現実化・顕在化しつつある日本国の大敗北と、その凋落(ちょうらく:衰亡すること)の危機に、いやおうなくめぐり合わせた私とすれば、その動きに対して、「ちょっと、それは違うだろう」と、声を大にして、反論し、言明したい。
なぜなら、明治期・日本国にとっての初代グローバリゼーションの危機の時期に類比して、このたびの、内外のグローバリズム推進者たちによる大災害へ対する、政府を始め、わが国の愚策と不手際は、どうも、人災の要素が大きい、と思われるわけである。
明治維新、そして敗戦の教訓を、現代の多くの日本人が、自己の問題として、そして過渡の歴史の橋渡し的な責任として、どうも、自分に問い、熟慮せずに現在に至っているのではないかと思われるわけである。殊にそれが、政治家や、知識人(?) 、企業のトップ(売国奴は除く。)などのリーダーシップを握る筈の一握りの層に顕著であるのが、心底腹立たしい。
そうでなければ、西欧に明らかに劣った国力を結集し、必死に近代化を果たした明治期人の奮闘と、大欧亜戦争の大敗北後、徒手空拳で立ち上がり、「現在」の達成を勝ち取った、われわれの父祖たちの努力に対して、「私たちは無能で申し訳ない」、と謝罪する(謝罪で済めば何の問題もないが)ところではないのか、と思う。
同時に、また将来の、わが孫子(まごこ)の世代に、「なぜ、あのとき、詐術に加担したのか」と、責められ、お詫びしなければならないかもしれないわけであるので。
著者は、その後、「デタラメが世界を動かしている」(PHP研究所)(2016年)において、日本国の政治的、経済的、あるいは政治家、官僚、知識人(?) たちの危機意識の欠如、無思考の愚かしさと、自己利害に終始する退廃を、抉り、指摘して見せた、これは今も、そのまま通用する、明快な批評である(是非一読をお勧めする。)。
「快哉なり」、と叫びたくなるような出来であり、そして、なぜ、日本の知識人はおしなべて「バカサヨク」の呪縛をのがれず、また現在の動的な世界状況を分析できず、他国(敵国)に媚び、戦勝国に随順し、自国民の利害や利益に対し、反動でありつづけるしかないのかと、植民地文化人のありように暗澹たる思いをする。
このたび、著者がこの本の刊行を急いだのは、「日本国の滅亡に間にあわなくなるかも知れないと」、という、明確な危機意識である。その危機意識も共有する。
もともと著者の本領は、倫理学というか、思想・哲学というか、文学評論を含めた浩瀚な領域で活動する評論家であり(かつて小説も書いているが)、経済や、リアルポリテイックス、国際政治などを取り扱うところには、ない、それは70年代から、著者の著書を追っかけている私には明快なところである。
しかしながら、現在の日本国の政治・経済、国土防衛に係る未曾有の危機(そうでないとは誰にも言わせない。)に対する、政府から一般国民に至るまでの、有象無象の対応が余りにナイーブ(つまりバカ)なので、このままでは、日本国は滅ぶ(世界中にいくらも国家の衰亡の歴史はある)、やむを得ず(あまりに現在の政治・経済・国際状況に対する政府、マスコミ、利口な筈の専門家(?) が愚かしいので)、貴重な時間を、現在のある意味猥雑で、労力に比べ望む成果が出にくい、政治・経済評論に費やしているように思える。
たとえば、著者との間で行われた、先の「竹田青嗣」氏との対談を経た後、私の印象でも、竹田氏は飽くまで哲学者であり、抽象度の高い思考を扱うのがその本来ということであるのだが、どうも現在の現実政治や経済の情況や危機に対する認識が欠如しているのではないかと思えてきて、長年の読者として、少し残念であった。当面、竹田氏は、塔の高みで(西欧的な思惟の背景のもとで)思考し続けるであろうかと。
かつて、私もヘーゲルの再評価というつもりで、西研氏と共同で行われた、ヘーゲル講座合宿(箱根泊まりこみ)に参加させていただき、参加者たちの顔ぶれを含め、大変興味深い体験をさせてもらった。
その行事には、数多くの若者(学生)たちが参加していた。オフ会の和やかな懇親会の中で、私が思ったのは、もし、彼らが、西欧的思考や思想が「世界」の主流で、全てであると考えていれば、それもまた、近視眼であり、わが国の思想・歴史を媒介(ナショナルな視野がなければ)しなければそれはそれで間違う、という感想を持った。
ご同様に、私の学生時代を振り返ればそれは明らかである。
もし、私が読み違えているのであれば、ご指摘願いたい。、
時に、塔の高みから降りて、リアルポリティックス(現実の政治)を扱う評論で活動するためには、自国・世界認識はもちろんのこと、曲学阿世の徒や、自己利害追従のみのろくでなしや、無考えの愚か者、などと、ののしりあい、たちのわるいヤツとは(場合によっては)つかみ合いの闘いまでやろうする覚悟は必要であると思われる。
そのろくでなしをいなすべく、うっちゃるべく、戦い方はいろいろあるものかもしれないが。
それは、高踏を気取る教養人や知識人に比べれば、現象的には、醜く、浅ましい姿に見えるかも知れないが、仕方のないことである。戦う人間は決して美しくはない、現実は見栄えの良いものではないのである。「それじゃ、具体的に何をするの」、と問われれば、「ぐっ」と詰まってしまうのは、(私の)昔と同様なことになってしまうが、いまさら、政治の時代に戻ることはできない。
たとえば、私のようなものですら、家庭において、「政治的な」発言は許されていないし、職場でも、それ以外の友人たちの間でも、至極まっとうな発言ですら、いい年をしてと、顰蹙(ひんしゅく)をかうのは必然である。殊に、妻子から、厳しい反発を受ける。それこそ、太宰治ではないが、酒飲み以上に、理屈を説く人は孤独であり、身内に尊敬される人(?)は存しにくい、と思う。
気心が知れたはずの、昔の友人たちですら、今になれば同様な話である。
時間の経過とともに、わがつたない「思想」も、応分に、きちんと鍛え続けていかなければ、昔事実に近かった筈の思想や認識は、そして状況に対する読みは滅んでいくばかりである。それは正しい。そこに、私たちが孤独と孤立を支払うゆえんがある。
年老いながら、学生時代よりも、一層の焦燥といらだちを感じる、現在の私である(愚痴ばかりになってしまった。)。
著者は、前著の「日本の七大思想家」で福沢諭吉を扱ったが、このたび、それに肉付けして、幕末維新期から朝鮮の甲申事変(光緒十年=明治10年、1884年)までの、福沢諭吉のエッセンスというべき文筆活動を中心に扱っている、また、同時に、婦人論、男女交際論、婚姻論など、男女のエロスにかかわる論考もしている、ということで、福沢諭吉は視野が広く、幅広い背景を持つ思想家であることが理解できる。
最初に「福沢諭吉は武士でした。そして真性のナショナリストでした。」という著者のキャッチコピーが挙げられる。
また今回は、幕藩時代末期と明治の初期における、旧藩時代の福沢をめぐる、時代の動きや、幕末期のさまざまな英傑(?) との交流や、立場による相克、幕府・朝廷、明治政府の動乱の中での、福沢諭吉の、それこそ、「福沢諭吉とその時代」というように、その思想と周囲の動きを動的に描いていく。
当初の「日本の七大思想家」刊行後も、著者は近代の思想家・官僚、幕末の敬すべき思想家、横井小南、西郷隆盛などについても、論評してきた。殊に、幕臣でありながら「新政府の貴顕」となった、勝海舟と福沢とのいきさつは、それぞれの個性と立場(周囲から負わされた社会的使命の相克)が出て、興味深い。
いずれの思想家も、その年齢、社会的身分、洋行体験のないこと、洋書の入手不可能などの限定された枠の中で、幕藩体制下の常識によらず、独自に日本(まだ日本国という名称もなかったであろう。)の将来とその精神を考え抜いた人であり、それは、時代的制約は当然のことながら、現在のわれわれの状況に比して、その困難は想像を絶するものであったと思われる(近代の黎明期の人は偉かったのである。)。
福沢諭吉が、それらの思想家(実践家)と一線を画すのは、彼が幕藩体制、明治期と二生を経たことはさることながら、著者の前書きを借りれば、福沢は、論客として、「非常に幅広い視野と柔軟な思考力を持ち、・・・・・・、自説だけを押し通すだけでなく、常に反論者を意識した開かれた対話の場面を想定していた。(中略)反論者が誰であるかはほとんど特定していないので、多くの場合、自分で想像したのではないかと想像される。これは読者に対する親切とも評すべきもので、だからこそ説得力がある。福沢の論理展開は、言論というものの優れた見本というものを提供していると言ってよい」(同書)(P5)、と、物書きとしての、その周到ぶりが描かれる。
彼は、「合理的な思考により論理的な説明と記述に長けた人であり、それを公共的な言論に供することに多大な努力を払った」(したがって偏頗な○○主義者にはならない。)訳で、まさしく、現在の(日本国の第二次(?))グローバリズムの嵐の中で、日本国民が混乱し、過度に自信を失うような危機に、形を変えて、出てきて欲しい、思想家、そして現実的な実践家なのである。
「「敵」をよく知ること、「敵」の優れた点を換骨奪胎しわがものにすることこそ大切だととき続けたのです。今の言葉でいえば、グローバリズムの浸透に対して、ただ精神的に強がって見せるのではなく、国を守るために、現実的に有効な施策を真剣に模索したわけです。」(同書)(P20)
著者が、どうしても視野狭窄が起こりがちな、殊に若者たちに、この本を読んで欲しい、と叙しているように、できるだけ平易に、わかりやすく、しかしポイントをはずさないように、「危機」に際しての書として、この本は書かれている。
「グローバリズムが国民にもたらす弊害とは何か。
それは貧富の格差の拡大であり、ごく一部の超富裕層への富の集中と中間層の脱落であり、それぞれの地域の伝統の崩壊であり、異文化の衝突による文化摩擦の深刻化であり、「自由」という美名のもとにおける、大国による小国への経済的植民地化であり、国家主権と民主政体の破壊であり、ヒトの大移動による現地国民の生活破壊であり、国内治安の悪化であり、最終的には暴力革命や大戦争の危機です。」(同書)(P323)
対抗上、私は、個人的に、これらの現象の、反目を生きること、日常生活、貧しいブログ投稿生活で、こなしていくようにしている。国民国家日本人の大多数にとって良いことは何もないのですね。
わが国にも、米欧の一部支配層と利害の合一と、目的の同一の趣旨で(敵の敵は味方という論理で)反動的な一部特権者が政府の一部を牛耳り(外国人労働者の無原則な受け入れ、デフレの黙認)、それは、きわめて遺憾であるが、そのうえ、かつて膾炙した、当時のグローバリズムの反動で起こった、後進国暴力革命の信者やシンパくずれがいまだに、わが国で命脈を保っているのは、日本国の歴史において、愧ずべきことでもある。
それこそ、今年は、明治150年期にあたり、わが県においても、さまざまな記念行事を行っているが、いまいち、盛り上がりを欠いている。しかしながら、優れた思想や言葉が、時代を動かす原動力なったのは良い時代でもあった。それこそ、ないものねだりというものであるが。
私は関西の私大、「D大学」の出身であり、ことあるごとに、「新島精神が・・・」と開設者の、新島譲氏の、建学の精神を聞かされたが、どうもよく その実態は分からず(無教会派とか)、彼の遍歴を見れば明治期のモダニストであろうと思っていた。同時に、北関東出身で、いわゆる「負け組」に属していた彼は、漠然とキリスト教徒としても変わった人であったろうと、考えていた。そういえば、卒業者は、佐藤優は論外としても、古くは筒井康隆とか、中村うさぎ、とか変わった人が多いところである。
先に、典型的な負け組、会津藩出身で、女だてらに篭城までして戦いながら、その後明治期に活躍した新島襄婦人、新島八重さんを扱った、NHKドラマ「八重の桜」を見ていて、それこそ、教育者として生きた、まさしく一身で二生を生きた、新島襄夫妻の苦闘の歴史に触発されるにつけ(時代劇ドラマ「仁」で、可憐でひたむきな演技で魅せた、主演の綾瀬はるかさんとても好きです。)、どれほどの有為転変を経ても、くじけない、明治人の、豪快で、闊達な生き方には感嘆するところとなった。市井の教育者を貫いた彼らは、周囲、後世が何を言おうと、それこそ、「毀誉褒貶は人の常」いうことである。
ひるがえって、慶應義塾大学(以下「慶大」という。)の創設者である「福沢諭吉」氏は、OBの友人に聞くと、同大学で、唯一の「先生」と呼ばれるべき人であり、後については教職員たちはそれぞれ「君」付けで呼ぶと聞いた。私学の伝統が継承されているのである。
慶大出身者に、グローバリズム礼賛者はいないのか、新自由主義経済学者も多いのかどうか、寡聞にして私は知らないが、このたび、再度、創設者の著書を、拳拳服膺(けんけんふくよう:人の教えやことばなどを、こころにしっかりと留めて決して忘れないこと。)して、すぐ目の前にある、われわれの危機に際し、師の薫育に応えるべきではないのか、と、檄を飛ばしたい。
そして、今後とも、大多数国民の利害に明確に敵対する、曲学阿世の徒、官立大学の、御用学者に決して負けてはいけない、と。
「世界は正にあたかも封建割拠にして、武を研ぎ勇を争うの最中なれば、一国の重大宝剣たる海陸の軍備をば常に研ぎ立てゝ、常に良工の作物を選び、常に新規の工夫を運(めぐ)らし、要用なるときは、一擲(いってき)(思い切って一度に投げ捨てること)幾客千万金をも愛しむべからず。もしも然らずしてこれを怠る者は、封建の武士が木剣を帯するがごとく、また丸腰なるがごとし。国を丸腰にして他国の軽侮を防がんとするは、また難きに非ずや。三歳の童子もその非を知らんのみ」(福沢の著書より著者が引用)
まことに返す言葉もありません。」
「外国人が暗々裡に自国の権力を恃(たの)みて、動(やや)もすれば法外の事と企て、日本にいて別に一種の特典ある者のごとくに自得するのみならず、かえってわが国の習慣法律を軽視して誹譏(ひき)するがごとくは、誠に憎むべき心事なれども、虚心平気これを考うれば、その罪必ずしも彼に在らず。畢竟(ひっきょう)(つまるところ)、われに乗ずべき隙(てぬかり)あればこそ、彼より来て(きたりて)これを犯すこともあれ」(福沢の著書より著者が引用)
国の内外の違いはあるとしても、現在の某国(複数)のさまざまな形での対日攻勢を見れば、まさにこのとおりというほかはありません。福沢は、客観的に見れば外国人が日本の事情に便乗するのは当然で、悪いのは日本の側に隙があるからだと、正論中の正論を吐いているのです。(P226~P227)
「然(しか)るに、ここに怪しむべきは、わが日本普通の学者論客が、西洋を盲信するの一事なり。十年以来、世論の赴(おもむく)くところを察するに、ひたすら彼の事物を賞賛し、これを欽慕(きんぼ)し、これに心酔し、甚だしきはこれに恐怖して、毫(ごう)も疑いの念を起こさず、一も西洋、二も西洋とて、ただ西洋の筆法を将(もつ)て模本(もほん)に供し、小なるは衣食住居の事より、大なるは政令法制の事にいたるまでも、その疑わしきものは、西欧を標準に立てゝ得失を評論するものゝごとし。奇もまた甚だしというべし。今日の西欧諸国は、正に狼狽(ろうばい)して、方向に迷うものなり。他の狼狽する者を将て(とって)以て、わが方向の標準に供するは、狼狽の甚だしき者にあらずや」(福沢諭吉「民情一新」)文中(P324)
重複するが、この本で、著者は、いかに平易に分かりやすく、より若い読者に、現在の、わが国が直面している喫緊の課題に対し、どう考え、ふるまうべきか、どうやって過渡期において若者たちは身を処するべきなのかを、どのように直裁に語るか、を目指しているように思える。
それは、今現在において、優れた、政治家、実務者、思想家が出てこない現在への憤懣にある、と言っても良い。それこそ、欠損から出発したような幕末期に比べ、現在は、国民全体の知的水準も上昇し、経済的な基盤も恵まれ、整備されているはずであるというのに、なぜなのかと私も思う。
しかし、武士であり、かつ真性のナショナリストであった福沢諭吉がいうように、国民が独立・矜持の気概を持ち、国力(国軍=軍事(自衛)力)なしに、現在のわが国が飢狼のような列強(中共、ロシア、韓国、米国)に翻弄されるのは必然としか言いようがない。「ぼけ」は、サヨクばか老人だけでたくさんである。
いずれにせよ、この「世界」を巻き添えに逆巻く大渦巻きのようなグローバリズムの嵐の中で、もし、私が、それに抗すべく、時代が強いる思想的立場といえば、当面「真性のナショナリスト」の一人であるしかないように思える。口幅ったいことを言えば、それが、「現在の」過渡期の、重要な(世界レベルでの)危機に抗し、意識的に闘うことではないのだろうか。
せめて橋頭堡(いかがわしい言葉ですが)として、時代が強いる現在の課題、国民国家日本国の護持に、わが同胞国民の安心・安全のために、柔軟にしなやかに、そして老かいに、しぶとく、残った人性をかけて行きたいものである。
来る9月30日(日)14:00から18:00まで、四谷、喫茶室ルノアール四谷店3階会議室において、「しょーと・ぴーすの会」の主催で、著者の臨席のもとで、当該著書の勉強会(?)が行われます(参加は自由)。諸般の事情で、私は参加できませんが、皆様に参加を強くお勧めします。