天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える その2

2019-10-26 21:07:59 | 旅行

 先日、国内旅行について論じましたが、また、このたび秋の旅行(10月4日、5日)に行くことが出来ました。いろいろと、ありがたいことです。
このたびは、隣県の、広島県の廿日市市です。

私は、兼ねてから折に触れ申しあげているとおり、隣県広島県に良い印象を持っておりません(広島県人が山口県に良い印象を持っていないとしてもそれは自由です。)。しかしながら、特に、特定の広島県民に、個人的に被害を受けたことはないところです。

 学生時代、学生寮に住んでいた(すなわち当時のパヨク運動に組した)、私たちに比較的友好的(?) なサークルの中に、広島県民の知り合いは居りました。
 彼の問わず語りによれば、彼らも一年中、闘争(?) をしているわけではなく、京都の春の宵に浮かれ、桜の名所、銀閣寺道あたりに、皆カストロジャンパー(例の緑色のやつです。)などをまとい、バンカラを装い、街に繰り出したことがあったといいます。
 飲めるヤツも、飲めないヤツも、おのおの、一升瓶を手に持ち、銀閣寺道の疎水にかかった(幅 1 mもないだろう)石橋にとおりかかったとき、「俺がわたる」と最初に渡った男がポチャリと落ち(高さは3mくらい、水量はあまりありません。)、「どじなヤツだ」と、足元のあやしい他の男どもも追随し、ポチャリ、ポチャリと、誰もわたれなかった、という落ちのある、与太話を聞いたこともあり、時に、徒党性とは面白いものであります。当時は、京都では、石を投げたら学生に当たるというような、実態であったことを申し添えます。
一度、彼の寮近く(左京区岩倉というところでした。)の、サークルの友人たちと、近所の安い焼肉屋に皆で行ったとき、当該経営者は、学生たちには優しい、気さくなおばちゃんだったと思われます。
学生らしく、青臭い議論を続けていたとき、おばちゃんは、在日の人だったらしく、出来上がってしまい、「私たち、朝鮮(ちょそん)人民は・・・・」とやり始め、行きつけの、寮学生たちは、黙認、あるいは、次からこれなくなると思ったのか、ひたすら黙っています。
 しかし、わがサークルの同僚だけは、「そうじゃないんじゃないか」とか、何度も、穏やかに反論を試み、相手は決して納得しないと思われますが、辛抱強く、会話・対話を繰り返していました。
 あれで、後の勘定が高くなったとは思わないが、思えば、良いサークルでした。

 閑話休題、広島県民といえば、反核・反原発(あれは決して「脱」ではないですね。)・反米軍基地運動の、三大お題目を掲げる、パヨク・市民運動、高教組などの、いまだに頭の悪い偏向団体は、つぶれてしまえ、と、心底思っております。

 ただし、広島流お好み焼きと、おたふくソースは、広島県民が生んだ偉大な発明と思っております。まあ、お好みやきについては、似て非なるものが多いので、失望したり、腹立たしい思いをすることもあるので、選択するに当たっては、その質(似非店舗)には、十分気をつけなければならないところですが。

 そして、また、少ない球団予算でありながら、短打と機動力などという戦略に基づき、一流の選手がいないという欠点などにもかかわらず、一時、セリーグに君臨した広島東洋カープも、決して嫌いではありませんでした。
 その後、いつものように、金の力で、他チームの有力選手を引き抜く巨人軍の薄汚い戦略を経て、当該組織も瓦解してしまい、いくらプロはお金の問題であるとしても、鼻白み、バカらしくなったので、最近は試合を見ていません。

 また、そのうえで持ち上げますが、うちの孫が愛好する、広島市内の、路面電車は、とてもすばらしいものです。
 しかし、地下鉄も、ろくに高架鉄道もない、都市計画が非常におそまつである、と広島市民が言うのであれば、反論はしません。
 路面電車については、乗り換えや、精算のわからなさ、などいろいろ問題はあるにせよ、さすがにごく希ですが、昔の京都の市電車両が走っていることもあり、古くて地味ながら、私には、懐かしいところです。

 しかしながら、広島県は、自民党総務会長、南鮮に虚偽の土下座外交をした、売国奴大臣、岸田文雄氏の地盤であり、目先の自己利害のために、国民を貶め、信義も、歴史もゆがめる彼の態度を思い出せば、今も怒りを感じます。
 やはり、「反核・反原発(あれは「脱」ではないですね。)・反米軍基地運動」という、自国の利害と安心・安全を他国に売り渡す運動に積極的である県民が数多いのであれは、理不尽も、不合理も、サヨク迎合をも、進んで受け入れる素地があることは十分に、県民性なのでしょう。

 ところで、媚中政治家、自民党二階幹事長の地元、和歌山県白浜町には、重要な日本中共政治手段、ちゃんとパンダが展示され、「わざわざ上野まで行かなくていい」、と県民に感謝されているようで、結構なことであり、和歌山県民も、ずいぶんなものだ、とバカにする必要もない、のかもしれません。
 しかし、大衆ろう絡手段「パンとサーカス」のうち、「サーカス」の受益は県民で、覇権国家に対する朝貢外交、媚中の付けは、国民大衆が払うというのは、寝覚めが悪くはないですか、「そんなことを考えれば、政治家なんぞやってられないヨ」、ということなのでしょうか。
わが、愛読書、「吾輩は猫である」の作中、語られるのは、「実業家というものは「三角術」というものがあり、それが要諦である」ということです。
 それは、主人公、中学校教師苦沙弥(くしゃみ)先生の元書生、愛すべき九州人、多々良三平君が、先輩の金田氏から教わったという逸話であり、「義理を欠く、人情を欠く、恥を欠く」わけです。
 政治家にそれを応用したならば、つまり「恥をかく」(恥を知る政治家など見たこともない。)などという上等なものではなく、最後は、目先の自己利害と権力奪取のためには、「国民を欠く」という応用となるのでしょう。まことに、つまらない話です。


 笑福亭釣瓶(つるべ)の落語ではないですが、わがブログも、まくら(前置き)の方が面白い、という話もあり、おそまつさまでした。

 閑話休題、このたびは、広島市の隣接廿日市市の、「石亭」(せきてい)という日本旅館に泊まりました。
 ここは、瀬戸内海、宮島を借景に、本土の、小高い丘のうえに建てられており、瀬戸内海の島々と、漁船や商船が行き交う、穏やかな海峡になっています。
 私たちの泊まった部屋は、一番良い部屋ではないようですが、二階となり、前庭の広い池と芝草に覆われた築山を越え、瀬戸内海が一望できるようになっています。
 部屋は、サンルームと、掃きだしの廊下、総ヒノキ張りの大きな風呂が附置されています。すのこまでヒノキ造りで見事なものです。広い和室部分とあいまって、結構な客室です。当然、テレビはBS対応です。
 前回の旅行の教訓から、先日から和式旅館には懐疑的な気持ちで臨みます。
 旅館入り口近くの、アメニティルームには、コーヒーやジュースの接待もあり、夜は、お汁粉の接待、それ以降は、前庭の夜景をさかなに、アルコールの接待(有料)と、前庭を前にしたアメニティルーム(サンルーム)は、いろいろ工夫がされています。
その部屋には、オーディオセットがありましたが、そこには、選ばれたようなクラシックとジャズのコレクションがおかれ、部屋に持って帰っていいという説明です。
 懐かしい、チェットベイカーとかのコレクションが、数多くあり、私ジャズなどの門外漢ながら、オーナーは、音楽の趣味がいい人ではないかと思われます。さっそく、借り出しました。
 各客室にも、旅館の標準装備らしく、サンルームに、書架と、CD用オーディオセットが設置されているようです。

 広島市は、外国人を見ることが結構多く、原爆ドームの周辺や宮島には多くの欧米人などがたむろしています。今では、国籍不明の人々も数多いところです。
 この旅館も例外でなく、一家族の滞在者があり、似合うかどうかは別にして、浴衣を着てくつろいでいます。
 旅館には、他にも、浴衣を好まない人のためか、作務衣をきることができたり、バスローブが付置してあったり、なかなかにサービスは行き届いています。
 この旅館は、宮浜温泉という温泉地に建てられ、瀬戸内海よりの温泉であり、泉質が良いとは思われません。しかし、ヒノキ仕様と、石で葺かれた露天風呂と、何様かのたくさんのの露天風呂が設置され、一日中入浴できるようになっています。男女入れ替わり、客の趣向をそらさないつくりとなっています。
 後で、施設概要を見ていると、平日は、宿泊客以外の入浴を受け入れることとなっています。事業拡大の意欲も十分あるようです。

 食事は、各部屋のテーブルに配膳され、その内容は、掲載のとおりですが、改めて、見た目の美しさは、日本料理が世界一(?) と思えるような出来です。珍味佳肴というべきか、味わったことのないようなものも、出てきます。
 私は、食用のほおづきが、なかなか美味しいものと初めて知りました。
 いずれにせよ、器の美しさと料理をどのように見せるかとの努力と工夫です。
 残念ながら、私は大食漢でもあり、もっと量が欲しいというのは、やはり、下品(げぼん)であり、ないものねだり、というべきことでしょう。
 そのために、夜の、お汁粉サービスなどというものがあるやも知れません。
 食後、夜になって、デッキチェアに座り、緩やかにライトアップをされた前庭と、明かりをつけた船の往来を見ながら、若いときとは明らかに質が変わったと思われる、ヘレンメリルの晩年のアルバムを聞いていると、くつろいだ愉悦の時間というものはこんなものかなあ、と思えてきます。
 
 翌朝は、チエックアウトの時間一杯まで、旅館に居残り、朝日の中で、においが香る部屋のヒノキ風呂に入ったり(もちろんBGMはバッハです。)、露天風呂を再訪したりと過ごしました。
 朝食は、羽釜炊きの白米や、小豆かゆなど、のそれなりの贅を尽くした朝食を堪能したところです。
 その後、気持ちよく、旅館を出発しました。
 後から調べれば、旅館のHPもとても充実しており、身内の祝いから、見合いの手はずまで、日帰り入浴・食事のみならず、感服する出来です。
 また、客から要求がなければ何もせず放置してくれる、という客あしらいの要諦もきちんと踏まえられてあります。

 翌日は、久しぶりに、宮島の弥山(みせん)に登る予定にしていました。
 宮島口から渡船で宮島にわたり、もみじ谷から、山頂を目指します。
 この道は、何度かとおりましたが、渓流沿いの、石段の道であり、段差があるので、老人や、こどもには少し厳しい道です。日かげのルートであり、涼しくていいのですが、夏場は蚊が寄ってきます。
 山頂まで、2.5kmくらいの距離ですが、1.8kmくらいの坂道と、後は、尾根道のアップダウンくらいです。
 先の、由布岳登山から、山登りに自信がなくなってしまい、降りてくる、ほとんどが欧米系の外国人たちを交わしつつ、低い山なので、お互いに、「こんにちは」とかあまり言わないところですが、そこは、お互いに、人としての、儀礼と教養の範囲で、応対します。
憔悴して、とうとう尾根道までたどり着きましたが、平日ながら、登山客は多く、宮島の底力を感じさせます。
 弥山は修験道の霊山であり、山頂には、花崗岩の巨岩がいくつもそびえ立ち並び、独特の景観を作っています。白い岩の割れ目に、松の木がそびえ、見栄えがしています。島の発生の成り立ちでしょうが、山頂部全体が、巨大な花崗岩の山塊であるかの様です。
 頂上には、展望台が設けられ、瀬戸内海の海と連なった島々が一望できます、四方から風が吹き渡り、実際、気持ちのよいものです。

 海中の大鳥居から始まり、厳島神社の丹塗りの本殿や、板張りの通路など、日本人のみならず、多くの外国人が好む景色であり、多くの人たちがおとずれます。
 ためしに聞いてみると、知り合いの外国人たちも「何度も行った」、友人や家族と(接待で)行った」、とか反応は多いところです。
 小説家内田康夫さんの、浅見光彦シリーズでも、「箱庭」という作品で、宮島を扱っており、白砂青松と、赤鳥居という組み合わせの島の光景が、いかにも日本的美意識に適うのでしょう。

 帰りは、体の命ずるとおり、ロープウェイを選択しました。急しゅんな角度なのか、中途で、一度乗換えがあり、最後はゴンドラに座ることとなります。
 以前に利用したときは、確か、1500円くらい運賃がかかりましたが、このたび、1000円に値下がりしていました。
 世界遺産指定・運営においては、適切な運賃を求められるわけですかね。
 前回も、足弱な参拝・登山者に対し、過剰な負担はあんまりであり、「ちょっとひどいな」と思ったので、それが是正されたことは結構なことです。

 また、宮島に行くたびに、日帰りの温泉に寄っていました。このたび、二箇月振りによったら、日帰り入浴はやめました、といわれ、とても残念で、少し不快なことでした。
 妻に言わせれば、JALの指定旅館になったので、そうするんだろう、ということであり、格式を上げるとか、営業上の理由であれば、それは愚かしいことです。

 そもそも、外国人は、高い温泉など好まないし(そもそも温泉のない、中共・南鮮人は好むと聞いた。)、活動して汗をかいたあと入浴したい、とか、日本人の入浴客だけであり、それを断るのは、グローバリズムの戦略として、浅薄で、悪手であるようなところです。
 あの、「石亭」が、平日は、日帰り入浴を認めて、おそらく、市場の開拓を図っており、巧妙で、良い狙いであろうかと思われます。

 宮島は、大変観光客が多く、にぎわっているようであり、目抜きの商店も、新たな、奇を凝らしたような店がどんどん出来ています。流行には、即時に対応するようです。
 しかし、外国人たちの行動を見ていると、カフェは、ドドールとかにたむろしており、せいぜい、立ち食いの露天店で、買い食いをするくらいですね。
 そのあとで、宮島口の、「広島流お好み焼き屋」で、ひとり食事する欧米人(男)を見かけましたが、「通」の人なのでしょう。

 どうも、金を落とすのは、やはり日本人であり、当該日本人の顧客サービスに配慮しなければ、先行きはないようです。
 せっかく、歴史と伝統、美しい自然と、絶好の観光資源を持ちながら、先行きを読めないことと、それに関する注意と努力を怠れば、やはり、商売に未来はないですね。

 閑話休題、このたび、私は、「石亭」に、時期を変えてまた行きたいと思った(料金は高いけど)のは事実であり、今の、サービス以上に、どんなことをはじめるのかは、興味深いところです。
 宮島観光と含めて、今後も、グローバリゼーションの試練に耐えていけるような気がします。
 しかし、景気の低迷と、旧態依然にあきた日本人客を逃がしてしまえば、やはり未来はないものでしょう。