天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危うさ並びに(一部の)大衆への失望(その1)

2021-04-06 08:49:20 | 時事・風俗・情況
 
 このブログ原稿は、平成30年12月、書いたものです。
 したがって、私が触れている内容及び人物は、その当時のものです。
 そのまま、ボツにするつもりでしたが、当時以上に、現在の、地方自治のどうしようもない頽落ぶり(国政のダメさ加減とまさしく符号しています。)を見ていれば、私の身近なケースを取り上げるのも、また、意味があるのではと思いかえし、このたびアップします。
 当該てんまつは、今後も続けます。
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 わが元勤務先、周南市では、前市長の方針で、市民の中から沸き起こった、「周ニャン市」呼称・周知キャンペーンを採用し、シティプロモーション事業(市のイメージ向上事業というのだろう。)として位置づけ、様々なキャンペーンを行っておりました。

 それは何を隠そう、「周南市」(しゅうなんし)の、「南」を「にゃん」に読み替えた呼称であり、全国、市名の中途に、「南」が付されていれば、おしなべて、「・・にゃん・・」となるわけです。
 そういえば、友人が、私立南山大学出身であったので、それは「にゃんざんだいがく」となるのか、学生は喜ぶかもしれない(私が学生であればよろこぶが)。
 私が想起するだけでも、お隣の島根県の雲南市は、「雲ニャン市」となり、その呼称がかわいいかどうかは別にして、同じパターンを繰り返していけば、二回目以降はそれほどのインパクトはないのかもしれない。
 しかし、言いだしっぺが、やはり、評価されるのです。

 ところで、じじいとして、また昔の話をしますが、1980年代に「おにゃんこクラブ」(あの秋元康プロデュース)(以下「おにゃんこ」という。)という、アイドルユニットがあって、毎夕放送されるバラエティ「夕焼けニャンニャン」という、番組が大人気で、「俺、もう帰るわ(彼女たちが見たい)」と、帰宅部のみならず、中・高生は家路を急いだということもありました。
 何度も書きましたが、「おにゃんこ」以前のアイドルは、皆、ピン(ひとりで)勝負していた(その精神的・体力的重圧は大変だったと思う。)。
 しかし「おにゃんこ」は「会員番号」を名乗り、出てくるアイドルは、責任分散体制であるのか、質より量と言うか、品質保持というか、さらにはリスク管理のためなのか、当該、群衆アイドルの動きは目新しいものでした。また、ひんぱんに行われる、人気投票によるあおりも、興味深いものでした。
 少年漫画紙でも、「ニャンニャンしよう」とかいう、隠語の流行語もあり、巧妙に、思春期の男どものセクシュアリティをくすぐるものでした(どうも現在のラノベのはしりなのかも知れません。)。

 幼児語でも「ニャンニャン」は定着し、「ニャンとわん」といえば、日本人にとって、なじみのある、一対の単語です。
 私は保守的なじじいですが、「周ニャン市」、決して悪くはないじゃないの、ということです。少なくとも、ユーモアはある、訳です。

 当初は、若者の有志たちから、エイプリルフールのジョークかも始まった(「本日から周南市は「周ニャン市」となります。」というキャッチコピーが有名になりました。)訳ですが、その後の、市民の様々な受け入れ方をみていると、若者たちには大きく支持されたようです。

 それに目をつけたのが、平成15年に平成の大合併で周南市が誕生して以来、ぱっとしない「周南市」が、シティセールス(?) の意味で、「周ニャン市」キャンペーンが、平成29年度から始まりました。
 当初は、市広報など自前のメディアで宣伝し、「周ニャン市」記念缶バッチの配布など、賛同者(市の内外の人たち)に対し、希望者に無償で配布し、私の職場でも、他市からも希望者の引き合いが多く、数が足りず、配布中止になったところです。
最初の、エイプリルフールの取り組みあたりから、じじ、ばばの、いわゆるまじめな(?) 高齢者たちから、「ふざけている」と猛反発をくらいました。
 私もじじの年齢ですが、私自身は中二病のためか、あるいは「おたく」であり、あるいは精神の柔軟性に富むせいか、「なぜ、そんなに怒るのか」と当初から疑問に思っていました。
 その後、「シティプロモーション事業」が予算化され、全国宣伝事業で、情報ブローカーに対する委託料が予算提出されたことにより、怒れるじじ、ばばの公序良俗の代表者、市議会が、当該予算部分を除き、議決する、などという、騒動になってしまいました。

 なぜ、このような事業が、市長ぐるみで巻き起こったかといえば、どうも、自市の知名度を全国レベルで知らしめて、行政運営を、様々に効果的にしたいということに尽きているように思われます。
 例の、「くまもん」ブランドのように、「濡れ手で粟」というか、うまい話を求めていたのかも知れません。
 残念ながら、私は、生涯、二流の行政職であったので、自分が所属する地方都市が、全国的に知られていないことの、不利益や、行政運営上の支障は、あまり良く理解できませんでした。

 隣接した下松市(「くだまつし」と読みます。)において、自市出身の漫画家が、少年ジャンプに、連載マンガを掲載した際に、またそれは、「しもまつし」と呼称されたわけですが、早速、ジャンプ誌に、意見広告を出し、「下松市(くだまつし)」の周知徹底を図ったらしく、おらが市の名前を、知らしめることは、地方の公共団体において、非常に重要なことなのかも知れません。
 私は、再度言いますが、二流の行政職だったので、そのあたりの世間知とその効果は、よく理解できません。
 私とすれば「しもまつ市」の意見広告よりは、「周ニャン市」の方が、まだ、ましなんじゃないのと、思ってしまうわけです(下松市はどういう経緯で予算をつけたんですかね。少なくとも状況判断と決断・実行は早い市長です。)。

 個人的な意見を言えば、常日頃、あれほど職員に対し、市行政にかかる職員持ち出しのボランティアを強要(決して自発的ではなかった。まったくいなか者の手法です。)していながら、また、市長自身も、フェイスブックなどのSNSを使っていたにもかかわらず、先の予算措置のように、一時のバブル期のように、情報ブローカーに丸投げする必要があったのか、ということです。
 金がなければ、市職員に協力をお願いして、それぞれ得意のSNSの手段を駆使してでも、安価に、より効果的に、草の根の運動(?) を起こさなかったのかと、思いました。
「周ニャン市」を称揚する若い職員をみていてもそのことを如実に感じました。人は、個人としては、自分の好きなことは、自己の負担で、自分の時間を削ってでもやるわけです。
 その後の、行政に協力する市民の発案なのでしょう、周ニャン市グッズとか、いろいろ登場し、行政としても、周ニャン市マークの原付自転車ナンバープレートまで登場しました。
 地元スーパーでの、「ニャンニャンレジスター」(特定スーパーでレジを打つたびに、ニャンと音がする。)や、周ニャン市を名乗る食事メニュー、周ニャン市グッズの作成、友人に、周ニャン、トートバッグを見せてもらいましたが、良いできでした。
 地元は盛り上がっていたわけです。

 となれば、新たな市長は、当該協力者たちに対して、道義的な責任はないのでしょうか?

 昔、青島幸雄が、都知事選に当選した際、「公約だから」と、前知事が決定し実施寸前だった、「世界都市博」を、止めさせた時、直接、都及び都民に金銭的に、また、同時に、他国の信用を失墜する行為をしたとき、「公約を守るのは偉い」とパヨクが賞賛しました。
他国に対して約束を反故にし、国民にも国内でも都の信義則に損害を与えたこと、都財政のみならず、国内産業界にも損害を与えたことも、不問にされ、問題にもされなかったことです。
 さすがに、現職であった実務者出身の現職都知事(鈴木前知事・石原都知事候補ら)は、都財政・都民不在の愚策に、腹に据えかね、いろいろ運動されたようですが、無考えで、進歩的(?) で、無責任な、大多数の都民に黙殺されたようです。
 「ムリが通れば道理引っ込む」という、つまらない話です。また、その責任は、都民以外に誰も追求できないわけです。

 そういえば、当時の周南市の前市長は、ポピュリズム及び箱物至上主義であった前々市長が、駅ビル建て替えを決定し、当選時に、その予算が動き出していた時点でしたが、周南市としての損得を考え、公約に反しながらも、当該建て替えを是認したはずです。
 それが、あの、駅そば図書館になったわけです。

 その一方で、わが市でも、中高年以上の男性職員はどうもダメで、「市長はふざけている」、「バカらしいことをする」と言っていました。
 私は、保守的(保守は新しいものを好まないわけでは決してありません。)な人間ではありますが、中二病の私とすれば、反目に回り、「いなか者が」、「この老害・反動が」、と悪たれるしかない、訳です。
 行政職もいろいろいるわけですが、「視野を広げて、他者世界に対する想像力を養う」ことを怠れば、三流に堕するしかなく、それはパヨクのけつでもついて行けよ、ということであり、ああ、やっぱり、彼は、脱原発運動の支持者でした。バカだね。

 閑話休題、ここからが本番ですが、この「周ニャン市」問題が、2019年(平成30年)、春の市長選の争点になってしまいました。
現職で出馬した市長に対し、それまでの現職県議が一騎打ちを挑み、「周ニャン市キャンペーンをやめさせる」というのが、重点施策(争点)となったのです。
 元県議は、イメージ選挙戦が大変上手で、既成政治陣営の批判、男政治の終焉、高学歴市長候補者の終焉、を繰り返し、最期に、「「周ニャン市」は辞めさせます」、ガンバロー、とぶち上げます。

 この手法は、どこかで見た手法で、現状に飽きた、あるいは無思考の大衆が、「大阪都構想」を、際限なく繰り返し唱えれば、その気になって、「維新」の尻馬に乗ろう、と思うように、あるいは、グローバリズム、グローバリズムと何べんも唱えれば、流されやすい人々は、無思考で、あたかも輝かしい未来を信じるのかもしれない。
 ネガティブスローガンとして、男であったら偉いのか、学歴があったら偉いのか、などという不健康で、ネガティブな感情に訴える、その危険な思想、その負性や、問題点を論じることなしに、政治屋に、迎合、煽動され、操られる、つまらない大衆操作とまったく同じものです。
 前市長は、その点について、意識的だったらしく、選挙前に、広報の「市長随筆」で、トインビーを引用して、政治家の「ポピュリズム」(大衆迎合主義)批判を展開していましたが、どうも、それは、迂遠な方法であり、多数の市民には届かなかったのでしょう。

 結果、一万票以上の大差で、前市長は敗北しました。
 二期続いた市長であり、市民も飽きていたのかも知れません。前市長の座右の銘、「和して同ぜず」が、気にさわっていたのかも知れません。強いて言うのであれば、飽きっぽい市民は、学歴や経歴を、視野の広さなどとかあまり問題にしなくなったわけです。

 しかしながら、争点が、政治政策ではなく、「周ニャン市」では、市民も職員も浮かばれない、ところです。
 現在は、新市長は、英断で「市民の声を聞く課」などを設置され、「おもてなし行政」など広く展開されています(もちろん皮肉です。)。

 先の総選挙のばかばかしさ、支持政策の不在と、支持政党の不在の、デフレを加速する消費税増税が行われた、先の総選挙に対する、国民の絶望と呼応するところがあります。
 国がダメになれば、地方もダメになっていくのでしょう。
他国からの侵略対策や、国民の安心安全を第一義にしない国家の国民は、ニヒリズム(絶望・無気力主義)に陥るしかないのではないでしょうか。


(令和元年(2020年)9月1日付け市広報で、担当課から当該事業は終息するとの報告がされました。)