天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「吉田松陰」論議始末から、郷土の英傑児玉源太郎氏に及ぶ

2018-03-21 20:13:03 | 歴史
 
周南市、児玉神社の前景です。
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 先に、年若い友人に、小・中学校時に、郷土の偉人として「吉田松陰」について、(副読本などで)何か教えてもらった、とたずねたなら、「特にないんじゃないですか」ということであり、「知らないことはない」が、特に興味はない、らしいところです。
 現在の、あの萩市の「町おこし」への取り組み「明倫学舎再興運動」(どうも停滞する観光事業の巻き返しらしい)と比べて、あまり、熱意が感じられません。
明治期の英傑といえば、県東にも、伊藤博文さん、県東の旧大和町から萩に養子に行った方ですが、現在の光市にその記念館はあり、郊外で樹木の多い、なかなかいいところですが、郷土の方々もそれほど熱狂的なところではないようです。
 一昨年の、大河ドラマ、「吉田松陰」も、昔日の、殊に1970年代の「おいでませ 山口」ブームに比べて、今ひとつ盛り上がりを欠いていました。
 今年が、維新150年ということであり、それぞれの地方で祝賀やら記念行事が行われ、おそらくそれは現在のグローバリズムの再襲来による、無意識の危機感から、旧古を見直す取り組みが行なわれているようにも感じます。当時、国家の危機と、旧制度の崩壊を、個々の藩でどのようにしのいだか、などという考察と、その際の先人の再評価の試みと思われます(殊に最近のNHKBSの歴史番組でよく見る。)。
 ところで、先の、「あまり尊敬できない」吉田松陰への言及のやり取りの経緯から、私的に、私はやっぱり、「維新の原動力「長州人」」という「共同幻想」の呪縛にとらわれているのかなと思ってしまいました。当時、それぞれの世界「幕藩」体制でそれぞれの先駆者はいただろうからです。
 しかしながら、萩の一連の施設、史跡世界遺産、反射炉、松下村塾などを、日本人の努力と智恵を結集した日本近代化の一つの拠点の運動として、現在、きちんと称揚し、思想・理念的に根拠を与えることを、わが国と日本海を隔て沿接する、近代化を達成したかどうかも分からない南鮮、覇権独裁国家中共、明らかに独裁国家北鮮に対し、その矜持(ほこり)を知らしめることは、意義あることと私はおもいます。

 それならばと(今ひとつ意味・脈絡が不明ですが)、先日から、皆にあまり知られていない、しかし活躍は全国区であるところの、わが郷土、県東の英傑のようなものを探しておりました。
 実は、周南市の中心部に、「児玉神社」というところがあり、旧徳山毛利藩の零落した中級武士出身で、幕末を経て、明治期に軍人となった、児玉源太郎という人を祀った神社があります。
 彼も、いわば、藩政時代と、明治と、一身にして二生を生きた人ですが、いやおうもないその大変動のその渦中で、いかに生きていくかを懸命に試みた人です。
彼は、従軍した維新戦争後に、陸軍大学においてドイツ人で、ドイツ軍参謀メッケルの優秀な教え子となり、日露戦争においては、僚友乃木希典を助け、203高地・旅順港攻略を勝利に導きました。また、当時誰も考えなかった、海底ケーブルを台湾・韓国に敷設し、それが後年、国家間の情報戦にどれほど役立ったかという、その先見性は賞賛に値するようです。軍人としては、日露戦争早期決着に賛同し、ある意味、自分とは対極にあるかも知れない乃木希典の良いところをきちんと評価し、友誼を深めるなど、理知も情もある人です。
 民政官とすれば、初代台湾総督として、民政に手腕を振るい、後藤新平を大抜擢し、台湾の後れた社会資本の整備や、その近代化に尽くしたらしく、その民政時代の成果なのか、その敬すべき人格・業績のためにか、台湾の李登輝元総統も、墓前祭に参加された人であります。彼は、常識的・現実的であり、必要があれば勉強し、柔軟かつ民意に通じた、明治期の有能な人です。
 彼も同じく早世(享年51歳)しますが、ときに極端にすぎた青臭い吉田松陰よりも、われわれ県東の人間には、馴染み深い人ですが、空疎な理論や心情倫理だけでなく、与えられた自分の社会的役割を、高度に、また黙って処理する、敬すべき、郷土の英雄たる明治人は他にもたくさんいるのではないか、と思われます。
 私見ですが、その発言をみていると、台湾で日本語教育を受け、日本国で高等教育を受けた李登輝総統は、後進国アジアで、米欧や中共、に抗し、近代国家となり、一国の独立と安定を図るために、日本国が果たした役割が、近代国家へのロールモデルのように思えたのでしょう。その意味で、先駆者としての、当時の実務者に対し、敬意を払いにきたように思われます。
 先日、台湾を題材にしたドキュメンタリー映画(「台湾萬歳」(酒井充子監督))を見た際に、決して優しい支配ではなかったが、旧日本軍統治時代を懐かしむ少なからぬ人々を見ました。そのうちの一人の老人が、かじきの突きん棒漁(もりうち漁)の場面や、大量のわさびと醤油で刺身をうまそうに食べる映像(ちょっとびっくりします。)が流されます。
この映画で、台湾の原住民は、全体人口のの5パーセントに過ぎないと聞いたことがあります。
 それだけ、外国や、中国本土からの支配・干渉に痛めつけられた訳ですが、中には、日本国の敗戦による占領軍治世時代を懐かしむ人がおり、わが国の文化に共感し、それに馴染むその様な人たちがいるということは、わが国及びわが国の住民については幸せなことと思います。
島国国家(日本も同様)として、欧米・アジアと強国の意向で木の葉のようにもまれ、ことに、古来より、現在の隣国覇権国家大国中共の脅威のもとで、国民党軍の侵攻は、同一民族の侵攻(?) ながら、被支配体制(?) に入った台湾原地人に対してはきわめて厳しかったと聞いています。その後、中共の圧力のもとで戦後1990年代まで続いた、蒋介石総統などによる、対中共への戒厳令時代は、更に厳しいものであったかもしれないところです。そのあたりの国民の労苦は、他国民には説明できないものかも知れません。主人公の老人が、言いよどむシーンも、映画の中に何度かありました。殊に、長年にわたる民族を同一にする国家との軋轢については、他国民には理解しにくいところかもしれません。
 旧日本軍による軍政が、相対的によい統治であり、それに、当時の国民がよい印象と今も持っているのであれば、僥倖(予期せぬ幸せ)であり、利害と、運命をともにする、対等な国民国家同士として、対中共、対北鮮との友誼を深め、更に関係を改善すべきです。このたびの台湾地震の際の、安倍内閣の時宜を得た支援は当然のことです。
その、本来のロールモデルとしての、わが国国民国家日本が、中共に、軍事・経済的に侵略され、南鮮に小突かれ、北鮮に脅迫され、という現在の極東の情勢を見ていれば、なさけなくなります。
 従前から、李登輝元総統は、日本国内の偏向した新聞や知識人と、それに抗することも出来ない日本人を見て、時に、厳しい意見を述べられており、どうもそれは独立した国民としての倫理観や道徳観の尊重であり、また自己民族に対する崇敬の心情の保持であり、自己の教育から学んだ「まともな時代」の「まともであった日本人」を賛美し、現在の私たちにエールを送っていただいているようです。
 それは、現在も日本国以上に、解決すべき大きな課題を持った、他国の指導者に、そんな助言をいただくなど、少なくとも近代国家への改革を経由した日本国民として、とてもはずかしいことは明らかですが。
 いずれにせよ、現在も今後も、国民国家日本も、国民国家台湾も、自国の独立と、国民の安心安全を守るために、不可避で、厳しい戦いをせざるを得ないわけですが、日本国はもちろんのこと、国民としてもその覚悟を試されるような厳しい情況にあるわけです。われわれ、個々の普通の国民も、何より誤った世論と間違った政府政策とに闘っていかなければならないところです。
 彼らのように、敬意を払うに値する先達を持つことはありがたいことですが、われわれは、われわれの、時宜に合った、厳しい戦いをしていくしかないでしょう。

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