しばらく、ブログ更新を怠ってすみません。
実は、先ごろから旅行に行きましたが、私の望みで、ヨーロッパ大陸に行きたいとの話として、妻とともに、「ベルギー・オランダ・ドイツ7日間の旅」に行って参りました。
「伝統ある」ヨーロッパを、是非、この目で、一度、見てみたかったところです。
とんだ「赤ゲット(毛布)」旅行ですが、当面、掲載させていただきます。
「「ヨーロッパ」は学生時代に卒業旅行に行ったからいいわ」というのが、妻の言い分でしたが、私は、先の、NHKBSの関口知宏さんの「Brexit 以後の英国訪問記」を見て、是非、今後EUの終焉になるかも知れない、その加入国の実情を見たいと思いました。しかし、4月23日のフランス国の大統領選後、決戦投票になることとなっており、ひょっとしたらテロの巻き添えになりはしないか、それに被害者として名を連ねたり、あるいは、不摂生のためか私は最近走ることができなくなってしまい、冷たい(冷静な)うちの妻は私を置いて逃げるだろうな、と、らちのないないことを考えておりました。
この国に入る前、友人が参考にと恵与してくれた、司馬遼太郎の「街道を行く」、オランダ紀行編のみ読んでおりました。周到に書かれた、17世紀以降の大商業・貿易国家オランダと、鎖国体制化からの日本との相互の係わり合いはよく理解できました。また、世界的な覇権国家になった大国のその後の凋落と生き延び方、またグローバリズムに明治期以降厳しく直面した、日本国との類比とあわせて、興味深いところでした。国家の隆盛と衰亡は何度となく繰り返され、為政者やそれを許す国民(?)の愚かで情動的な判断や行動により、他国家により食い物にされることも同様なところです。しかしながら、通俗的であるとは言い過ぎかも知れませんが、「国境がなくなる」とか、「多民族の並存の肯定」など現在のEU礼賛にすり替わってしまうかのような旅行記にちょっと反発を覚えました(しかし、まだ、1980年代に書かれた本ではありますが)。
私は、最初、ベルギーに入りましたが、狭い国(九州よりずっと狭い。)と聞いていましたが、空から、また沿線の景色は、牧場が広がり、牛がのどかに寝そべっておりました。西欧先進国でありますが、同時に酪農・農業国としてのあり方にも得心が行きました。しかしながら、伝統的な建物や、ところどころはローマ帝国に起源するという石積みの道路などの古い社会資本にも深い印象を受けました。古い国家は、容易に文化や伝統などを変えないのですね。あらためて、わが町並みや奇怪な建築物と、無原則な受け入れがあたかも至上の価値であるかのような、それを支える奇怪な共同幻想とその軽重浮薄ぶりを思い知ります。わが国の高名な建築家が依頼されて作ったというポストモダンの建築と、その国民の考えや嗜好とは、実際は、一線を画すのですね。伝統や調和は、やはり重要な要素であり、大多数はそれを受け入れるようです(経済的な要素はさておきの話ではあります。)。市街地に運河もはしり、古くとも大変きれいな町並みです。
旅先の贅沢にと、オマールえびを食べましたが、日本国よりは安いようであり、ベルギービールもおいしいようです。追加トッピングで稼ぐようなファストフードとしてのワッフルは別にして、粒で売るチョコレートは、その多様性と、個々の味が本当においしいものでした。おまけもくれるしね。
EUの本部設置と、それに当て込んだのか汎ヨーロッパ大学(正式名を忘れてしまった。)なども設置され、EU高級官僚になるコネを探すため、若者たちは大学入学を含め懸命に活動するそうです。各傘下各国は、有力な大国の間で、巧妙になのか、しぶとくなのか、グローバリゼーションの中で、脱落しないように、懸命に努めているのですね。このたび、買い物さきでは本来のフランドル語(そのように聞いた。)を使いたいのか、最初から、わが同胞に、英語で話しかける人はいませんでした。立派なキャセドラルや、貧窮院のように歴史的な古い建物はいたるところにありますが、中世やそれ以前に起源する町並みは、興味深いものです。またこのたび、唯一、皆が集まる観光広場で、銃器を抱えた体格のよい兵士たちがたむろしているところを見ました。
国立美術館において、さすがにルーベンスには近寄れませんでしたが、そのほかに、まじかで、近代名画の筆使いまで、自分の目で見られたのは、ありがたいことでした。
次にオランダに入りました。オランダは九州の面積とほぼ近いという話です。よく知りはしないが、当時、わが国にカソリックなど宗教による収奪を持ち込まず、商業・貿易国家として接した(後年、原理的なプロテスタンティズムは後年カルトに繫がったとは言いますが)オランダ国に対し、歴史作家司馬遼太郎氏は終始好感を持って叙しています。オランダ国とすれば、それも、植民地支配国家や、貿易国家として覇権をはせたその深謀遠慮なのかも知れませんが、結果的に、当時の鎖国国家日本国とすれば幸運なことかも知れないところです。このたび、オランダ人の平均身長は、男で190cm弱、女で170cm後半と聞きましたが、あらためてその体格のよさに感服しました。当該オランダ人たちの体位が向上したのは、インドシナをオランダが植民地にして以来とのことであり、二代、三代と、植民地から由来する(東インド会社)乳製品や肉製品を食べ続ければ、本当は身長2mを超えるような大男も増えるのでしょう。
オランダ人であり、孤独な天才ファンゴッホは身長はどうなのかといえば、170cm足らずだったそうですね。やはり、彼が大男であれば、イメージが狂いますね。
このたび、典型的な破滅型の芸術家である彼の、鬼気迫るようなの絵を真近くで見られたことは、大変幸せなことです(還暦まで生き、旅行に行け、どうにか体と経済的な自由が少しは利くという小幸福として)。
「糸杉と星の見える道」と「悲しむ老人」には、心底感動しました。大酒のみの街娼買いで、最期には自分の耳を切り取った狂人という、後世でも画家(芸術家)という社会的不適合者の典型であるような彼の短い生涯ですが、社会に容れられず、孤独と孤立を友として、近代の芸術家として極北の隘路を歩いたような彼の生涯を思いやります。
おまけでドイツに行きました。
「ビールとソーセージ、ビールとビール」と連呼していたわが妻と一緒に、ビアホールに行きました。
ケルン市で、大聖堂の対角にあるビアホールです。ヘミングウェイならぬ「男の世界」ともいうべく、前垂れとワイシャツ姿で老給仕から中年の給仕にいたるまで、男どもがずらりとそろい、分厚い樫材のテーブルが付置された、天井の高い、重厚で大きな建物です。
どうも押しなべてビールはピルスナーグラスで出てくるようです。あまり飲めない私が飲んでも軽くおいしいものです。「このたびでの一番のビールである」と妻は言います。ソーセージの焼いたものと、豚足のローストを注文しました。ソーセージはおいしいがちょっと塩辛い、豚足は皮と肉の間の脂がうまく、ビールに合うのか、ぱりぱりの皮と一緒に、皆喜んで食べました。
時期的なものなのか、旅行当初から、野菜があまり食べられず、皿に付け合せのザワークラウトは、酢が利いて結構おいしいものでしたが、妻に言わせると、うでてないキャベツを使ったものは本来のそれではないといいます。付け合せのじゃがいも(マッシュポテトも同様)もとてもおいしいものでした。
うちのテーブルの老給仕が、一番威張っており、めがね越しに、男どもみなを仕切っていましたが(キャリアがものをいうんですね。)、同席のご夫婦が、ビールを注文したとき、「「ぷりーず」、をつけろ」といい、思わず笑ってしまいました。皆に取り分けた、豚足を少し残した際、指差し、ちっ、ちっ、と少し不満そうでした。チップの端数が少し出たとき、うれしそうにお礼を言いました。自負心と、ユーモアのある興味深い職業人です。
こんな人性もある、というところですが、名物給仕と思われる彼ともう少し話したいと思う、おもしろい体験でした。
ケルン市は、日本人観光客が多いためか、まだ、「歴史改ざんの国家強制慰安婦像の設置」(以下「韓国の愚挙像」と称します。)はされていませんでした。
しかしドイツには、最近、媚韓・媚中派の支店か出張所があるのか、現地の心あるわが邦人の懸命な努力にもかかわらず、ウィーゼント市に、「韓国の愚挙像」が設置されたとの話でありました。ちょうど、わが国に帰還した際、日本政府が「中共政府主導のユネスコ世界記憶遺産の捏造」(以下「中共による歴史捏造」と称します。)の再調査を求めるため、当該醵金を中止したとの新聞報道(産経新聞)を見て、「当然であろう」と思ったしだいです。世界規模で、ゆがんだ韓国人の「韓国の愚挙像」の設置策動と、ゆがんだ中共人(中共政府とそれに連動する中共国民)による自作自演による「中共による歴史捏造」を、私たち民間レベルででも制止しないと、当該捏造に乗っかる愚かな「狂った文学者」も出てくることであるし、あらためて、私たちは、「歴史」は可変的で、国際間の闘争のダイナミズムの中で、声の大小や、強者によっていかようにも操作されるということを、そしてそれを怠ると、わが子孫たちに多大な迷惑をかけることを肝に銘ずるべきかもしれません。
それでなくとも先に、グローリズムの信奉者、かつ、「反日的な」メルケル氏は、先の来訪時に「(日本国はそうでないかも知れないが)ドイツ国は戦争責任を果たした」と(虚偽の)大見得を切りましたが、この先、戦略と、利害と、イデオロギー的にも近似する中共に連動し、いかにも、ドイツ国での「中共による歴史捏造」に加担しそうではありませんか。
それは、内政干渉になる、といわれるかもしれませんが、このたび私はその姿を見ませんでしたが(モズレムの方々はびっくりするくらいたくさん見ました。)、経済難民に起因する市民の安心・安全の危機、グローバリズム(無慈悲な資本主義)による、国内中間・下層労働者の困窮化など、メルケル氏とそれに組する大寡占企業群は、ドイツ自国民に対してすら、背信的な、大きな爆弾を抱えているではありませんか。
強国、ドイツやフランスなどに振りまわされ、その立場も将来性も決して安泰と思えないベルギー、オランダですが、今までに、何度となく、国民国家の危機に直面し、生きながらえてきたしたたかな国ではありようです。
「将来を樹てないと、民族はなくなる」これはオランダの大堤防に刻まれた、先人の詩句だそうです。骨身にしみるような言葉ですね。
皆が意識化していようとしていまいと、現在は日本国の危機であるぞ、このたび私は遊びだけで遊山に行ったわけではないが、ヨーロッパの小国の現実の有様を見て、歴史に学ぶことを自覚し、小国日本の国民として、近代以降現在までの父祖の苦闘と努力の成果と達成を損なうことなくバトンタッチして、キチンと子孫につなげようじゃないですか、と、このたびまた申し上げます。
実は、先ごろから旅行に行きましたが、私の望みで、ヨーロッパ大陸に行きたいとの話として、妻とともに、「ベルギー・オランダ・ドイツ7日間の旅」に行って参りました。
「伝統ある」ヨーロッパを、是非、この目で、一度、見てみたかったところです。
とんだ「赤ゲット(毛布)」旅行ですが、当面、掲載させていただきます。
「「ヨーロッパ」は学生時代に卒業旅行に行ったからいいわ」というのが、妻の言い分でしたが、私は、先の、NHKBSの関口知宏さんの「Brexit 以後の英国訪問記」を見て、是非、今後EUの終焉になるかも知れない、その加入国の実情を見たいと思いました。しかし、4月23日のフランス国の大統領選後、決戦投票になることとなっており、ひょっとしたらテロの巻き添えになりはしないか、それに被害者として名を連ねたり、あるいは、不摂生のためか私は最近走ることができなくなってしまい、冷たい(冷静な)うちの妻は私を置いて逃げるだろうな、と、らちのないないことを考えておりました。
この国に入る前、友人が参考にと恵与してくれた、司馬遼太郎の「街道を行く」、オランダ紀行編のみ読んでおりました。周到に書かれた、17世紀以降の大商業・貿易国家オランダと、鎖国体制化からの日本との相互の係わり合いはよく理解できました。また、世界的な覇権国家になった大国のその後の凋落と生き延び方、またグローバリズムに明治期以降厳しく直面した、日本国との類比とあわせて、興味深いところでした。国家の隆盛と衰亡は何度となく繰り返され、為政者やそれを許す国民(?)の愚かで情動的な判断や行動により、他国家により食い物にされることも同様なところです。しかしながら、通俗的であるとは言い過ぎかも知れませんが、「国境がなくなる」とか、「多民族の並存の肯定」など現在のEU礼賛にすり替わってしまうかのような旅行記にちょっと反発を覚えました(しかし、まだ、1980年代に書かれた本ではありますが)。
私は、最初、ベルギーに入りましたが、狭い国(九州よりずっと狭い。)と聞いていましたが、空から、また沿線の景色は、牧場が広がり、牛がのどかに寝そべっておりました。西欧先進国でありますが、同時に酪農・農業国としてのあり方にも得心が行きました。しかしながら、伝統的な建物や、ところどころはローマ帝国に起源するという石積みの道路などの古い社会資本にも深い印象を受けました。古い国家は、容易に文化や伝統などを変えないのですね。あらためて、わが町並みや奇怪な建築物と、無原則な受け入れがあたかも至上の価値であるかのような、それを支える奇怪な共同幻想とその軽重浮薄ぶりを思い知ります。わが国の高名な建築家が依頼されて作ったというポストモダンの建築と、その国民の考えや嗜好とは、実際は、一線を画すのですね。伝統や調和は、やはり重要な要素であり、大多数はそれを受け入れるようです(経済的な要素はさておきの話ではあります。)。市街地に運河もはしり、古くとも大変きれいな町並みです。
旅先の贅沢にと、オマールえびを食べましたが、日本国よりは安いようであり、ベルギービールもおいしいようです。追加トッピングで稼ぐようなファストフードとしてのワッフルは別にして、粒で売るチョコレートは、その多様性と、個々の味が本当においしいものでした。おまけもくれるしね。
EUの本部設置と、それに当て込んだのか汎ヨーロッパ大学(正式名を忘れてしまった。)なども設置され、EU高級官僚になるコネを探すため、若者たちは大学入学を含め懸命に活動するそうです。各傘下各国は、有力な大国の間で、巧妙になのか、しぶとくなのか、グローバリゼーションの中で、脱落しないように、懸命に努めているのですね。このたび、買い物さきでは本来のフランドル語(そのように聞いた。)を使いたいのか、最初から、わが同胞に、英語で話しかける人はいませんでした。立派なキャセドラルや、貧窮院のように歴史的な古い建物はいたるところにありますが、中世やそれ以前に起源する町並みは、興味深いものです。またこのたび、唯一、皆が集まる観光広場で、銃器を抱えた体格のよい兵士たちがたむろしているところを見ました。
国立美術館において、さすがにルーベンスには近寄れませんでしたが、そのほかに、まじかで、近代名画の筆使いまで、自分の目で見られたのは、ありがたいことでした。
次にオランダに入りました。オランダは九州の面積とほぼ近いという話です。よく知りはしないが、当時、わが国にカソリックなど宗教による収奪を持ち込まず、商業・貿易国家として接した(後年、原理的なプロテスタンティズムは後年カルトに繫がったとは言いますが)オランダ国に対し、歴史作家司馬遼太郎氏は終始好感を持って叙しています。オランダ国とすれば、それも、植民地支配国家や、貿易国家として覇権をはせたその深謀遠慮なのかも知れませんが、結果的に、当時の鎖国国家日本国とすれば幸運なことかも知れないところです。このたび、オランダ人の平均身長は、男で190cm弱、女で170cm後半と聞きましたが、あらためてその体格のよさに感服しました。当該オランダ人たちの体位が向上したのは、インドシナをオランダが植民地にして以来とのことであり、二代、三代と、植民地から由来する(東インド会社)乳製品や肉製品を食べ続ければ、本当は身長2mを超えるような大男も増えるのでしょう。
オランダ人であり、孤独な天才ファンゴッホは身長はどうなのかといえば、170cm足らずだったそうですね。やはり、彼が大男であれば、イメージが狂いますね。
このたび、典型的な破滅型の芸術家である彼の、鬼気迫るようなの絵を真近くで見られたことは、大変幸せなことです(還暦まで生き、旅行に行け、どうにか体と経済的な自由が少しは利くという小幸福として)。
「糸杉と星の見える道」と「悲しむ老人」には、心底感動しました。大酒のみの街娼買いで、最期には自分の耳を切り取った狂人という、後世でも画家(芸術家)という社会的不適合者の典型であるような彼の短い生涯ですが、社会に容れられず、孤独と孤立を友として、近代の芸術家として極北の隘路を歩いたような彼の生涯を思いやります。
おまけでドイツに行きました。
「ビールとソーセージ、ビールとビール」と連呼していたわが妻と一緒に、ビアホールに行きました。
ケルン市で、大聖堂の対角にあるビアホールです。ヘミングウェイならぬ「男の世界」ともいうべく、前垂れとワイシャツ姿で老給仕から中年の給仕にいたるまで、男どもがずらりとそろい、分厚い樫材のテーブルが付置された、天井の高い、重厚で大きな建物です。
どうも押しなべてビールはピルスナーグラスで出てくるようです。あまり飲めない私が飲んでも軽くおいしいものです。「このたびでの一番のビールである」と妻は言います。ソーセージの焼いたものと、豚足のローストを注文しました。ソーセージはおいしいがちょっと塩辛い、豚足は皮と肉の間の脂がうまく、ビールに合うのか、ぱりぱりの皮と一緒に、皆喜んで食べました。
時期的なものなのか、旅行当初から、野菜があまり食べられず、皿に付け合せのザワークラウトは、酢が利いて結構おいしいものでしたが、妻に言わせると、うでてないキャベツを使ったものは本来のそれではないといいます。付け合せのじゃがいも(マッシュポテトも同様)もとてもおいしいものでした。
うちのテーブルの老給仕が、一番威張っており、めがね越しに、男どもみなを仕切っていましたが(キャリアがものをいうんですね。)、同席のご夫婦が、ビールを注文したとき、「「ぷりーず」、をつけろ」といい、思わず笑ってしまいました。皆に取り分けた、豚足を少し残した際、指差し、ちっ、ちっ、と少し不満そうでした。チップの端数が少し出たとき、うれしそうにお礼を言いました。自負心と、ユーモアのある興味深い職業人です。
こんな人性もある、というところですが、名物給仕と思われる彼ともう少し話したいと思う、おもしろい体験でした。
ケルン市は、日本人観光客が多いためか、まだ、「歴史改ざんの国家強制慰安婦像の設置」(以下「韓国の愚挙像」と称します。)はされていませんでした。
しかしドイツには、最近、媚韓・媚中派の支店か出張所があるのか、現地の心あるわが邦人の懸命な努力にもかかわらず、ウィーゼント市に、「韓国の愚挙像」が設置されたとの話でありました。ちょうど、わが国に帰還した際、日本政府が「中共政府主導のユネスコ世界記憶遺産の捏造」(以下「中共による歴史捏造」と称します。)の再調査を求めるため、当該醵金を中止したとの新聞報道(産経新聞)を見て、「当然であろう」と思ったしだいです。世界規模で、ゆがんだ韓国人の「韓国の愚挙像」の設置策動と、ゆがんだ中共人(中共政府とそれに連動する中共国民)による自作自演による「中共による歴史捏造」を、私たち民間レベルででも制止しないと、当該捏造に乗っかる愚かな「狂った文学者」も出てくることであるし、あらためて、私たちは、「歴史」は可変的で、国際間の闘争のダイナミズムの中で、声の大小や、強者によっていかようにも操作されるということを、そしてそれを怠ると、わが子孫たちに多大な迷惑をかけることを肝に銘ずるべきかもしれません。
それでなくとも先に、グローリズムの信奉者、かつ、「反日的な」メルケル氏は、先の来訪時に「(日本国はそうでないかも知れないが)ドイツ国は戦争責任を果たした」と(虚偽の)大見得を切りましたが、この先、戦略と、利害と、イデオロギー的にも近似する中共に連動し、いかにも、ドイツ国での「中共による歴史捏造」に加担しそうではありませんか。
それは、内政干渉になる、といわれるかもしれませんが、このたび私はその姿を見ませんでしたが(モズレムの方々はびっくりするくらいたくさん見ました。)、経済難民に起因する市民の安心・安全の危機、グローバリズム(無慈悲な資本主義)による、国内中間・下層労働者の困窮化など、メルケル氏とそれに組する大寡占企業群は、ドイツ自国民に対してすら、背信的な、大きな爆弾を抱えているではありませんか。
強国、ドイツやフランスなどに振りまわされ、その立場も将来性も決して安泰と思えないベルギー、オランダですが、今までに、何度となく、国民国家の危機に直面し、生きながらえてきたしたたかな国ではありようです。
「将来を樹てないと、民族はなくなる」これはオランダの大堤防に刻まれた、先人の詩句だそうです。骨身にしみるような言葉ですね。
皆が意識化していようとしていまいと、現在は日本国の危機であるぞ、このたび私は遊びだけで遊山に行ったわけではないが、ヨーロッパの小国の現実の有様を見て、歴史に学ぶことを自覚し、小国日本の国民として、近代以降現在までの父祖の苦闘と努力の成果と達成を損なうことなくバトンタッチして、キチンと子孫につなげようじゃないですか、と、このたびまた申し上げます。
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