こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

担板漢(タンパンカン) (大閑道人) 2005-01-26 11:30:56 ///コメントより

2005年01月26日 | 仏教
以下、「学力」のコメントからの抜き出しです。*****************

私がまつを氏の投稿で、担板漢を連想したのは、教育というものが、(いや、教育に限らず、ですが)、人は、今、自分が目の前にしている相手をモデルに、ものごとを考える、ということです。

この理学博士は、自分が理学博士として、理学系の大学生を教えているから、あのような意見になるのであって、まだ、海のものとも山のものとも分からない小学生~高校生には、あの意見は通用しないと思います。

私は、自分の大学時代のことを思い出しました。

インド学で何を専門にするかは、とにかく、すべての分野をそれ相応にかじって見なければわからない。自分に合う分野がどれであるかは、実際にやってみなければわからない。
理学部の学生、という自分の専門分野を選んだ後ならば、何とでもいえますが、まだ選んでもいない、あるいは、選ぶ以前の児童生徒たちには、あのような意見は、かえって可能性の目を摘む、かも知れないと、思います。

コメント
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