これ、なんだかわかりますぅ?
白いコンクリート製のオブジェに、
直径50センチメートルくらいの丸い穴。
その中に、あるデザインの施された鉄製の格子が組み込んであります。
これ、長崎市坂本町にあります長崎大学医学部付属病院の
正面玄関ロータリー付近にたっている記念碑です。
鉄製の格子は、
「醫」という字をデザインしたものらしいです。
「医学・医療」の医ですね。
1945年に8月9日に投下された長崎の原子爆弾。
爆弾投下の中心地から700メートルしか離れていなかったこの大学病院は、
コンクリート製の建造物こそ残ったものの、
内部は燃え尽き、数百人は居たであろう患者さんや学生、
医者、学長など多くの尊い命が一瞬のうちに消え去った。
この記念碑は、そのときの犠牲者追悼し、
永久の平和を祈って建てられたものだそうです。
当時焼け残った医大のベランダに飾り付けてあった鉄製の格子。
当時の品物としてこの付属病院に残るものは、
おそらくこの鉄製格子のみでしょう。
白いコンクリート製のオブジェに、
直径50センチメートルくらいの丸い穴。
その中に、あるデザインの施された鉄製の格子が組み込んであります。
これ、長崎市坂本町にあります長崎大学医学部付属病院の
正面玄関ロータリー付近にたっている記念碑です。
鉄製の格子は、
「醫」という字をデザインしたものらしいです。
「医学・医療」の医ですね。
1945年に8月9日に投下された長崎の原子爆弾。
爆弾投下の中心地から700メートルしか離れていなかったこの大学病院は、
コンクリート製の建造物こそ残ったものの、
内部は燃え尽き、数百人は居たであろう患者さんや学生、
医者、学長など多くの尊い命が一瞬のうちに消え去った。
この記念碑は、そのときの犠牲者追悼し、
永久の平和を祈って建てられたものだそうです。
当時焼け残った医大のベランダに飾り付けてあった鉄製の格子。
当時の品物としてこの付属病院に残るものは、
おそらくこの鉄製格子のみでしょう。