こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

大人を磨く ~伝えるべきこと~

2005年06月30日 | 教育
昔、大閑さまが教えてくれた話材を基に、
生涯学習に関わるひとつの原稿を綴ってみました。
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「いただきます」

 子どもたちの「生きる力」を育むために、地域と教師、保護者、関係団体、
企業が一丸となって、そのためのシステムをつくり具体的な取り組みを実践
ていくことは、とても大切なことだと思います。しかし、いくら優れたシス
テムを作っても、その機構の中で考えたり動いたりするのは人間。やっぱり
「人」なんですよね。その人の理念や情熱、思いやりや慈しみがなければ、
どんなシステムも絵に描いた餅です。
 子育ては、人づくりだと思います。「思いを深め、人と人とのつながりを
大切に思えるような大人社会をつくっていくこと」。これがスタートだと思
いますし、子育て町づくりの全てかも知れません。子育てといいながらも、
実は私たち大人ひとりひとりの問題なんです。子どもたちが生きていくため
に必要な思いの世界や、技術の伝達は、大人社会が輝かしいもの、子どもに
誇れるものでなければ十分なものにはなり得ません。子どもたちが、「早く
大人になりたい!」と思えるような子育て町づくり。お互い、すてきな大人
に磨きあげましょう。
 抽象論ばかり述べていても、なかなか実際に結びつけることは困難ですか
ら、今回は、子どもたちに是非伝え続けておいて欲しいと思う、ひとつの具
体的な話材を提示します。それは、食事の時の「いただきます!」というこ
とについて。
 人間ひとりが一年間生きていくには、マス(鱒)が300匹必要だそうで
す。その中の一匹のマスが一年間生きていくためには、カエルが300匹必
要。そのカエル一匹が一年間生きていくためには、バッタが300匹。そし
て、このバッタたちは、一年間に10トンもの草が必要になると云われてい
ます。表現を換えれば、草1.000トンを食べた27.000.000匹のバッタを食べ
た90.000匹のカエル分に相当する300匹のマスで、私たちは一年間を生きる
ことができる訳です。これは一年間ですから、例えば60歳生きるとなれば、
実に1.625.418.000匹の命をいただいて生きることになりますね。
 16億を超える命の犠牲の上に、人間ひとりの一生が築かれているんです。
それだけ莫大な命のつながりを得て、今の私が有り難くも生きています。ひ
とつの命の裏側には、何と多くの生命の犠牲があることか。食事の時に手を
合わせ、「いただきます」と言うのは、「多くの命を口にして生かさせてい
ただきます。」の省略形です。そして食後は、それら無量無数の命に対して、
心から「ごちそうさまでした」の感謝を。
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⑤ 不綺語(ふきご)ということ

2005年06月30日 | 仏教
⑤ 不綺語(ふきご)

 「お世辞やへつらいを口にしません」

綺語(きご)というのは、言葉をうまくあやつり飾ることです。

結局偽りを言っていることなんですよね。

心にもないお世辞やへつらい言葉を口にすること。

「あ~ら、奥様ん!いつもお若くてお美しくあられて~・・・。」

という言葉の裏には、

『あ~ら、ずいぶんとお化粧品代つぎ込んでるのネ~』

という本心が。

まあ、いろんな人とお付き合いする中では、

少々見え透いたお世辞など口にした方が、

巧く事が運ぶと考えるかも知れませんが、

これは大きな勘違いです。

実は、その綺語を何となく心地よく受け入れて、

驕り高ぶらせるのも大きな災いの要因になります。

言う方も言われる方も罪を生み出しているのです。

口にする言葉は、真実であるべきです。

どうしても真実を言えない、

または言わない方が良い場合は、・・・

   口を開くな!
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