平戸安満岳のお寺、西禅寺は、二度の弾圧を受ける。
明治の廃仏毀釈が二度目。で、西禅寺は再生不能の廃寺と化す。
一度目は、1550年ポルトガル船来航より始まるキリシタン布教の時。
1555年、平戸領主松浦道可公信は、キリスト教宣教を歓迎。
1564年、信は安満岳の所領を没収、僧侶たちを追放した。
1600年、法印公鎮信の加護をうけ、安満岳は中興する。(住職、善意)
当山に残る数少ない什物の一つ、常燈籠(じょうとうろう・本堂内陣を常に照らすお灯ろう)。
本堂内陣のご本尊様御前をずっと照らし続けている。
ぼんぼりの模様は、十六菊のご紋。銅製。
灯ろうの台座付近には、
奉 鋳造 銅鐙臺 兩基 天明三辛癸卯冬 十月穀旦
肥前国下 松浦郡平戸安満岳道場 常住当山現住 鑁随
と彫られている。
天明三年(1783年)といえば、天明の大飢饉が始まった頃。
世界的にも大変な時代。
穀旦とあるのは、善い日の意味で、吉祥日といったところか。
全国的な大飢饉を乗り越えるため、
国家平安を祈って造立されたものかも知れない。