大切な儀式を執行する道場を、
強力にバリヤーする守護神、「十二天尊像」。
この十二幅も、昨年無事に復元されたわけだが、
そもそも、この十二天尊像は、ご本山クラスのお寺で使用する什物。
この潮音院の什物としては不似合い。
で、返送されてきた修復前の切れ端をチェック。
掛け軸の裏張りに、
「盛陽」とは、平戸印山寺 第十三代住職 盛陽 であろう。
すなわち印山寺の什物であったと思われる。
これで納得。
安満岳直属の寺院であった印山寺も、
明治の廃仏毀釈の嵐に犠牲となったお寺。
什物の避難所として、街道筋から遠く離れた潮音院は最適の寺だ。
印山寺について、詳しく知りたいが、いまだその手がかりを知らない。
松浦隆信(道可公)は、海外貿易の商人王直を大歓迎し、
勝尾岳白狐山(平戸市鏡川町)に居館をあたえた。
中国風の建物だったらしい。ここで王直はしばらく活躍するのだが、
国際貿易港としての平戸の繁栄は、ここを拠点として始まった。
王直の屋敷は、のちに松浦隆信の隠宅として用いられる。
隠居名の「印山道可」にちなんで印山寺と称された。
現在、金光教平戸教会があり、「王直屋敷・天門寺跡」とある。
「天門寺跡」というのは、おなじ敷地内に、
1564年(永禄7)ルイス・フロイスによってキリスト教教会
「天主教天門寺」が建てられたゆえ。
商人屋敷、隠居館、キリスト教教会、仏教寺院、金光教と、
印山寺の敷地はめまぐるしい歴史が流れている。ふぅ~。