こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

商人王直屋敷、隆信隠居館、キリスト教会、仏教寺院、金光教と、 印山寺の敷地はめまぐるしい歴史

2012年02月21日 | 仏教

大切な儀式を執行する道場を、
強力にバリヤーする守護神、「十二天尊像」。
この十二幅も、昨年無事に復元されたわけだが、
そもそも、この十二天尊像は、ご本山クラスのお寺で使用する什物。
この潮音院の什物としては不似合い。

で、返送されてきた修復前の切れ端をチェック。
掛け軸の裏張りに、


「盛陽之を修復す」という言葉が明記してある。

「盛陽」とは、平戸印山寺 第十三代住職 盛陽 であろう。
すなわち印山寺の什物であったと思われる。
これで納得。
安満岳直属の寺院であった印山寺も、
明治の廃仏毀釈の嵐に犠牲となったお寺。
什物の避難所として、街道筋から遠く離れた潮音院は最適の寺だ。

印山寺について、詳しく知りたいが、いまだその手がかりを知らない。

松浦隆信(道可公)は、海外貿易の商人王直を大歓迎し、
勝尾岳白狐山(平戸市鏡川町)に居館をあたえた。
中国風の建物だったらしい。ここで王直はしばらく活躍するのだが、
国際貿易港としての平戸の繁栄は、ここを拠点として始まった。

王直の屋敷は、のちに松浦隆信の隠宅として用いられる。
隠居名の「印山道可」にちなんで印山寺と称された。
現在、金光教平戸教会があり、「王直屋敷・天門寺跡」とある。
 「天門寺跡」というのは、おなじ敷地内に、
1564年(永禄7)ルイス・フロイスによってキリスト教教会
「天主教天門寺」が建てられたゆえ。

商人屋敷、隠居館、キリスト教教会、仏教寺院、金光教と、
印山寺の敷地はめまぐるしい歴史が流れている。ふぅ~。

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佐世保中里村にて、之を表具す

2012年02月21日 | 仏教

昨年、当山什物の涅槃図一幅と十王図(地獄絵図)二幅の修復がなされまして、
箱書きから、慶應元年の五月に表具改めの記載がありましたんで、
それ以来表具はずっとなされていないんだなあ、と思っておりましたら、
十王図二幅に限りまして、明治29年に手入れされていたことがわかりました。


掛け軸の芯(右側の方)に、
「明治二十九年 旧の七月に 中里村の濱村助八が 之を表具す」
と明記されてあります。
左側には、
「八十壽(傘寿)を卜して」という字でしょうか?名前の上に記載してあります。

涅槃図の芯には明記がありませんし、芯の木材も古めかしいので、
おそらく慶應の手入れのままでしょう。

中里村といえば、現在の佐世保市中里町。
当時、手近に表具を依頼するとすれば、
平戸方面か、中里方面だったのかな。
平戸印山寺の末寺として、今も残るお寺が、
中里の東漸寺さんと鹿町(江迎村)の潮音院だけ。
その東漸寺さんの地元で表具されたということに、
何か当時の連関を感じざるを得ません。

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