お坊さんが着用するモノといえば「袈裟」
(けさ)ですね。布の切れっ端を貼り合わせ
てつくったものです。みんなが使い古した布
、例えば、雑巾にもならないほどボロボロに
なった布とか、赤ちゃんのオムツとして使い
古された布など、そんな棄ててしまう布地を
施してもらい、それらをつなぎ合わせてつく
られたのが、「袈裟」なんです。「布施」(
ふせ)という言葉は、この布を施すというこ
とからきています。こんなことから、袈裟の
別名を糞掃衣(ふんぞうえ)とも言います。
インドやタイなどにいらっしゃる仏教僧が羽
織っている袈裟が黄土色をしている理由はこ
こにあります。
お釈迦さまは、お坊さん達に労働や経済活
動をしてはいけないと命じました。「一切の
労働を放棄して、修行に全力を投入せよ」と
。しかし、食べていかねばなりません。そこ
でお釈迦さまは、「社会の余り物をいただこ
うという提案をされます。これが「布施」の
始まりです。これは一見、他人の労働に頼る
、都合のいい考えにみえますが、実際には非
常に厳しいルールが存在します。なぜなら、
一般社会からただで物をいただこうというの
ですから、それ相応の生活を続けていかなけ
ればなりません。人一倍清らかな生活を送る
ことが、「布施」をもらうための最低必要条
件となります。
一方、一般の人たちは、極めてストイッ
クな生活を送る修行者の姿に感動し、それを
応援することで、何らかの果報が自分たちに
も戻ってくるのではないかと信じる。それが
「布施」の構図なんです。
ところが、日本の仏教はこのルールを重視
してきませんでした。きわめて特殊な仏教と
して日本には受け継がれてきました。それは
仏教伝来のあり方に大きな理由があるようで
す。日本は、仏の教えそのものが欲しくて輸
入したわけではなく、国家の運営に役立つ仏
教に付随する文明文化を伝来したかったのだ
と思います。それは、芸術、文学、教育、医
療、福祉、町作り、天文、土木、工学、など
など多岐にわたっています。だから、寺院は
国営で、お坊さんは国家公務員だったわけで
す。
きらびやかな金襴の袈裟を羽織る日本の
お坊さんは、仏教の本来から見ればとても異
質な存在です。とんちで有名な一休さんは、
このあり方を痛烈に批判します。しかし、厳
しい修行を重ねた徳高きお坊さんは、悟れる
覚者。すなわち仏そのものですから、そのお
坊さんの徳を可能な限りたたえる形、それが
きらびやかな金襴の袈裟を施すという行為に
なっていったのかも知れません。ともあれ、
これは1つの日本仏教の文化として、定着し
ています。